5.天使様の目的
「それで、大抵の天使や神は魔族を消そうと動いているのに、だからこそ魔王に聞いてほしいなんて強調したのはなんでだ? この話を聞く限り、魔族とこの少年はなんの因果関係もないだろう?」
「この話をしないと、きっとこれから話すことは信じてもらえないだろうし、なにより私がしておきたいと思ったから」
「そうか、きっとその少年は勿論、ドルストさんも君のことを大切に想っているってことはわかった。でも、結局君自身の目的はなんなんだ?」
「……君を私の指定する肉体に転生して、私の協力者と行動すること……かな」
「……もしも俺が君の願望を無視したら俺はどうなる?」
「……そうはさせないつもり。でももし拒否されたら、私やその少年、ドルストくんの努力は無碍になるかな」
「じゃあ、魔族は俺が君に協力することで幸せになるのか?」
彼女は少し考える様子をみせ、深く頷いた。そして、
「最終的には、です。各地にばら撒かれ、封印されるか、潜伏している魔神の肉片より生まれた魔族の元となった八始祖の集結、および魔神の完全復活。それにより腐った天界を破壊する。それが目的。そしてそれは魔族が幸せになることと同じ。ここまで言えば納得してくれる?」
突如として口ぶりが変化した彼女に驚きつつ、これが真の彼女なのだろうと心のどこかで感じた。
「ああ、言い分はわかった。でも俺は天使なんかがそこまで魔族側に肩入れする理由が分かりかねる。さっきも話したが、たしかに魔神国家ゲルヘーツは魔神が建国した国だ。だが、魔神は暴走した。地界をめちゃくちゃにしたんだ。ある程度安全な国ができたのはその魔神のお陰で、それこそ俺だって魔神がいなかったら存在してない。でも魔神の完全復活? たしかに天界は魔神の力をもってすれば崩壊させることができるかもしれない。だがそれを制御するのも、できたとしても、暴力で解決するのは間違ってる」
「ふーん……。勇者に対して殺意を抱いていたのに?」
「……全部しっているのか?」
「もう私疲れちゃったよ、うん。だいたいのことはね。計画は十年前から進んでた。君を殺しに行った勇者も始祖の一人と協力して操作していたの。まさか途中で自我を取り戻すとは思わなかったけど……。ただ、そもそも魔神は力があるだけでいいの。実際は話し合いで終わらせるつもり。いざという時のための保険だと思って?」
「……つまりは今の天界は腐っていて、それを解消するためには俺が、君の指定する肉体に転生しなければならない……と。じゃあ質問だが、その指定する肉体の魂はいったいどこだ?」
「君の弟の肉体に今はある」
俺は驚きを隠せなかった。徐々に苛々した感情が強くなる。
「弟の存在をなぜ知ってる!? 俺の弟は病弱でそもそも魔王城から出たことはない。たとえ十年前から計画を進めていたとしても、城に隠蔽魔法をかけているから、わかるはずはない。見破ったとでも? だが、ちょうど一年前、たしかに俺の弟は倒れ、それ以来昏睡状態だった。俺の弟になにをした!?」
「うーん、質問ばかりで疲れたよ……」
「ああ、俺も疲れたよ! でも俺にとって両親がいないなか、唯一の家族に傷付けたかもしれない相手が目の前にいるんだ。見過ごせない」
「もうすでに漂白されてると思う」
「ふざけるな! じゃあ弟の魂はここに一回きたのか? そういうことか?」
「んーもう! そうそう! 魂ぜーんぶ漂白されちゃったの!」
「ああ、そうか。もういいよ。俺ははやく獄界に行きたい。だから行く方法を教えてくれないか?」
「そんな方法ないよ。死んだら生命体は基本的に魂だけになって、それから全ての情報が消される。あとは別の器に魂が入る。それの繰り返しだもん。例外はあるけど」
「……なんだよ例外って」
「それは……君にとっては私の真名を聞くことかな」
「そこに行きつくのか。じゃあつまり何故だか知らないけど、君は"俺の魂"が目的で、"俺の弟の魂"は目的じゃなかったってことだよな? ああ、頭に血が昇って今にも卒倒しそうだ」
「あなたの弟の魂は"確かに"漂白された。でも、それは弟の魂のコピーを、病気で死んでしまった家畜の魂に上書きしただけのもの。本物は例の"堕ちた"少年の肉体に入っている。これをしたのは神様を騙すため。神様を騙すのは、神様は完璧ではなくて、神が地界に干渉できていることや、腐っていることを対処することはできないから。これで納得した?」
「……なるほど、神様と神は別物だと思っていいんだな。基本的に神は地界に干渉できない、そうやって俺は父から教わった。でも、なにか抜け道があるんだろう。結局、俺の国を攻撃した時のように、天使を地界に送り間接的に干渉したり、天候を神が管理してたという話が本当ならばそれも干渉の一つだ」
「うん、そう。結局は干渉できてるの。そして、堕天使こそがその干渉の鍵なの」
「堕天使ってなにかしらの罪によって天界から地界へ落とされる天使のことだよな。例の少年も堕ちたと言っていたが、今はどこに? 確か堕天使って記憶がない上に美男美女揃いだから世界中の権力者がこぞって買い求めるって……」
「言い忘れていたけど、少年はドルストくんのアジトにちゃんと保存されてるよ。それで、堕天使になるのケースは、一、過半数の神が排除を承認。ニ、自身のあるじである神への貢献度が著しく低い。三、神同士の決闘に参加した者」
「ちょっと待ってくれ、三って例のある少年が堕落した理由になりえるよな? ドルストが少年と共に天候を操る神の元へいかなければ堕ちることはなかったはず」
「……故意的よ。神の決闘で敗北した神は天界を追放されて獄界へと飛ばされるの。龍王ドルスト・ラトスの真の目的は、天候の神に反旗を翻すためじゃない。例の少年と謀り、獄界送りにされた私を救うため……」
「獄界送り!? それは出自の家系の差別によるものか? この魂の待機場? というところを管理することができるようになったのも、きっとドルストと少年が獄界に行ったから抜け出せたからなんだろうけど」
その時のことを思い出したのか、一筋の涙をツーッと流し、ぐすんと鼻をすすった。すぐに涙を手の甲で拭って、彼女はおもむろに口を開いた。
「……おおむねその通り。獄界送りの理由や、獄界を抜け出し、今ここの管理者となったいきさつ、ここに私とあなたが居続けられる理由とか、きっと疑問は尽きないとおもうけど、それはそのうち話すね。それで、こういう経緯で、あなたがこの先に待っている魂の裁判所で転生先を指定するには、あなたの魂が次の肉体での生涯を終えるまで、私と添い遂げるという証明が必要なの。ただ、それは契約と言っても過言じゃないから、初めはすぐ教えちゃって契約完了! ってしたかったんだけど、やっぱりそれはずるいかなって」
「いや危ないな!? んでその証明が、まさしく君の真名を知ることってわけか」
「うん、そもそも天使の真名を認知できるのは天界の住民のみで、魔族だからというわけではなく、どんな種族も何かの"族"である限りその真名は認知できず、聴こえない」
「じゃあ地界の生命体は絶対に天使と契約できないのか。裏を返せばいま俺は魂だけの存在で、何かの"族"ではないということ。だから認知できてしまう」
「うんうん、把握が早くて助かるよー!」
「いや、急展開だし、ここまで来ると嘘を言っているようにも思えない。俺はまず、弟の魂を弟の身体に戻す必要があるからな」
「じゃ、じゃあ!」
「いや、君はずっとこの本質的な話から目を背けているみたいだけど、どうして俺なんだ? それを答えてくれれば契約……真名を聞こうと思う」
ずっと疑問だったが、俺である理由だけが頑なに語られなかった。何かあるはず。だが俺は魔王としては父に劣り、能力では弟に負けている。そんな俺でなければならない理由は……。そんなことを考え、俺は彼女を見つめていた。彼女はその質問をしてから俯きつづけている。透明感のある白髪で、頭上には光輪を浮かべている、肩上の切りっぱなしボブの天使。彼女はふっと俺の顔を見上げて言い放った。
「君が、その少年だから」
その言葉を聞き、俺はこの天使の提案を受け入れようと思った。その証明は? などとは思わなかった。演技でここまでされたなら、俺はもうこの天使様に敵わない。騙された時のことは考えないことにした。もしも、俺がその少年ではなかったとしても、彼女の願いを叶える一助になりたいと思った。ここまで素直に自分の気持ちや目的を、俺が納得するまで、しっかりと話し、向き合ってくれた。魔王は天使に恋をした。これは俺の初恋だった。
「わかった。俺は君を信じてみようと思う」
「じゃあ、私の頭上の天使の輪っか、手にとって?」
「ああ」
彼女の光輪を手に取ると、それはほんのり温かく感じた。死んでからはじめての温もりである。
「これをどうすれば?」
「どこがいい? 首とか?」
「えっ、どこって……俺がこれ着けるってことか……というか首!?」
「ううん、冗談だよ冗談!」
真面目な顔をして言われ、ここへきて首につけるというとんでも展開になるところだったと、いささか冷や汗をかいた。
「無難に指……?」
「はーい!」
そういって彼女は俺の握っている彼女自身の光輪を左手に握り、
「じゃあ……教えるね、真名」
「あ、ああ……」
「私の真名は……」
「――だよ」
その名前を聞いた瞬間、二人で握っていた光輪はふたつに分裂し、やがて指輪の形となった。
「……はめてほしいな、指輪」
そういって彼女の手にあった指輪になった光輪を受け取り、彼女の前で俺は片膝立ちをした。
「左手、出してください」
そう言って俺は彼女の手を取り、左薬指にはめた。
「……ありがとう」
いわばこれは天使と契約しただけ……にもかかわらず、お互いなぜか顔を赤らめ、何も言わず立っていた。
「……うんと、これからどうする? ""」
「まずはここの管理人を辞める!」
そういうが、この魂の待機場などと呼称された、そもそも限りなく広がる花曇りのように霞んだこの空間から脱せるのか……?
「ここからどうでるんだ?」
「空を飛ぶの!」
「んえっ……え!?」
そういって、顔に笑みを浮かべる彼女は、背中から彼女の背丈を優に超える、巨大な美しい羽を広げた。そして俺の両手を取り、俺は彼女と向き合った状態になった。ここまで至近距離で彼女の顔を見ると、神はなんて美しい命を生み出したんだ、と感嘆せざるを得ない。
「いくよ!」
「え、あ、はい!」
すっとんきょうな声をあげるも、俺は全身の力を抜いた。それを確認したのか、彼女は羽をバタバタと羽ばたかせたかと思えば、力強く羽を上から下へ振り下げ、飛び上がった。
「う、うわぁぁぁぁあ!」
俺は彼女の手に捕まりながら宙ぶらりんの状態となった。彼女は上へ、上へと、周りの景色が真っ白になるほど速く飛んでいるらしい。だがなぜか風は感じなかった。それはここが地界ではないという証明でもあった。それでも少し頼みの綱が両手のみということに恐怖を感じ、俺は目をつむった。