3.懺悔と天使
物凄く熱く、痛かった。身体を生まれて初めて抉られた。今はいつもの身体に戻っているものの、感覚的に、まだ穴が開いている気がする。……死んでも空いたままなのだろうか、この心は。そもそもここはいったいどこなのだろう……。俺は生きる意味を失った。あのとき、必死に奴に敵を討とうとした。しかし、力はおろか、なにもかも奴に劣っており、最終的に命を落とした。
逃げられるかと言われれば無理だった。あんな化け物と張れる者は古代生物くらいだろうし、勝てたとしてもあの光線をかわすことなんてできなかったろう。俺は何もわかってなかったんだ。力さえあれば、奴を殺せると思っていたんだ。そして分かった気になって、全てを失った。
確かにあいつは俺を殺し、父を殺した。俺を探しに来たということは、バトレイさんも逝ってしまったんだろう。認めたくないが、部分的に彼が言うことには、一理あるのかもしれない。彼の言う通り、俺は綺麗事ばかりで本質がまるで見えていない。だけど、俺は綺麗事を貫き通すだけの力がなかっただけなんだ。きっとみんなを救う方法はあったはずなんだ。今思えば、彼の言う通り十年間、とにかく強くなることだけを考え、意識が向かないように、そちらの方向に力を注いでいたのやもしれない。あいつが俺らの日常を壊しにくるという恐怖から。あいつと対峙したときに確実に勝ち、みんなを守ってやれるという勇気がないことから。長きにわたり、目を背き続けたツケが回ってきたのだろう。だがそれも死んだ今、そんな懺悔はなんの意味もなさない。
「懺悔は済んだかのぉ」
考え事の区切りがついた頃合に、白い髭をたくわえた、いかにも神のような姿かたちをした者がこちらへ向かってくる。ここまでタイミングがいいと、心が読まれている気分になる。
「おかげで、少し気が楽になってきました。心に空いた穴も、少し」
そうは言うものの、内心では魔族であることや部下を見捨てたことで獄界に落とされることを覚悟していた。だが、魔族は天界や獄界にすら行けないとも言われている。となれば目の前の老人は一体誰で、ここは一体……?
「そうかい、申し遅れた、わしはゼルビメット・ビルゼメットと申す」
いかつい名前……。
「それは……その、どういう由来ですか……?」
「知らんのじゃ、ここへ来た色んな人に、勝手に呼ぶがよいといっていたら、いつの間にかへんてこな名前になっとったわい」
「い、いやぁ、とっても個性的でいいですね……。どおりで、聞いたことのない神の名だなと」
「うむ、そうであろう」
「は、はあ」
少し反応に困った。お互い沈黙が続いたが、俺は口を開いた。
「はじめまして、ゼルビメット様、アブソリュート・レイニンと申します」
「ああ、短い間じゃが、宜しく頼むぞ」
「いきなり質問で悪いんですが……」
「ここはどこかという質問じゃろう?」
「あの……心読めたりします?」
「どわっはっ! それはわしには無理じゃな! その質問はここへ来た者の常套句じゃし。ここは天界でも獄界でもない、魂の待機所。唯一の希望の地。そう解釈してるぞ。それで……わしはここの監督を務めているしがない天使だというわけじゃ」
「て、天使……ですか!?」
「そんなに驚くことかのぉ。おめかしして正解だったわい」
目を細めてにこにこ笑みを浮かべながらそう言ったかと思うと、加えて、
「おどろかせちゃってごめんね」
「は、はあ……。って、ええ!? お、女の子!?」
ぼうぼうに生えたひげを手に取った老いた男からは想像もつかない、先ほどとはことなる声色が飛んできた。
「あ、姿はおじいちゃんのままだった! ごめん、ちょっと目、つむってて」
いや天然……なのか? おじいちゃんのままだけど、はにかんでいるのが可愛いって事案だと思うんだけど!?
「おじいちゃんのままその声で話されると誰でも驚くよ……」
「うん、目、開けていいよ」
「か、か、か、かわいい……」
思わず俺の口から素直に言葉が漏れた。天使とはこんなにも美しくかわいげのあるものであったのか、と自分の思う天使との印象差に驚く。
「んえ、は、恥ずかしい……照れちゃう」
「い、いや、勢い余って!」
必死に弁明を試みる。とりあえずこの羞恥心をどうにかしたい気分でいっぱいである。魔族である俺がなんで天使なんかに……。少し不思議だった。
「ふっふっふ、そなたには、わしの本当の名前を教えようではないか!」
「いきなりですね!? しかもキャラ変!?」
俺の反応とは裏腹に、突如真剣な眼差しでこちらを見つめる彼女に、思わず見とれてしまう。段々と距離を詰め、こちらへ歩み寄ってくる彼女を心待ちにしながらも、彼女からはひしひしと緊張感が伝わってくる。
「……あの、名前を聞くだけでこんなに緊張するもんですかね」
そう俺は口にしたものの、彼女の反応はない。ただただゆっくりとこちらに歩を進めてくるだけの彼女。いったいなぜ教えるのか、そう思ったそのとき、
「天使が真名を教えるのはね……」
そういい、なぜかそのあとの言葉に詰まっている彼女を不思議に思いながらただ俺は立っていた。
「……。教えるのはね……」
緊張の瞬間をむかえ、無意識に固唾をのんだ。
「一生添い遂げたいっていう気持ちを伝えるためなの」
「……え? いまなんて……」
不意をつかれた。まさかそんなことを言い出すとは。俺があからさまに困り顔だったのか、彼女は少し焦った様子で、
「そ、そのままの意味! こういうことは女の子には言わせちゃダメなんだよ!」
「そう言われても……。俺たちはさっき出会ったばかりです。それなのになんで俺にそんな大事な名前を教えようとするのか、特に真名を隠したり、教えたりする意味なんてのを俺に言うなんて、さっぱりわからないです」
俺と添い遂げたいなどというふうに思ってそう発言したのなら、尚更裏になにかがあるだろうと勘ぐってしまう。
「そ、そうだよね、ごめんなさい」
「いえ、別に大丈夫です。しかし、俺の姿をみるに明らか魔族なのは分かるでしょう? 魔族は天界の裏切り者である魔神が、その肉体を世界中にばらまいた。今も魔族は世界中に潜伏していますが、その神の肉体の破片がある程度大きかったおかげで、かの血を強く受け継いだのが、レイニン家の末裔の一人である俺です」
「そう……だよね、ちょっと気が早かったかな、えへへ……」
「とにかく、天使からしたら魔族なんて、反逆者の産んだ忌々しい存在だから、あまり近づかない方がいいんですよ」
「……きっとそう思うべきなんだろうね」
微妙な反応をするのには、なにか訳があるのだろう。
「ああ、俺を殺した奴も言っていたが、あくまで自分らと同じ種族を守るためには他種族の犠牲なんて考えもしないのが魔族なんだ。他の種族が魔族の存在を軽蔑するのも無理はない。魔族が生まれたそのときから、生きるのに必死だった。俺らの国の建国だって一筋縄ではいかなかった。各地に潜伏する強力な魔族をかき集めるなんて、無理難題です。他種族との交流なんて以ての外でした。ましてや天使さんなんてのは、俺をさっさと獄界に落とそうと動くのが普通で……」
俺は早口でそう言いながら、俺は彼女から距離を置くために背を向けた。だが彼女は俺の目の前にまわりこんできた。
「……私は魔族に対して差別意識なんてないよ。あなたの言う通り、天使の大半は魔族を消そうと動いてる。神も同様よ。だからこそ、話を聞いて欲しいの……ある少年のお話を」
それは彼女がここの監督を務めている理由である、"ある少年の話"なのだという。どうしても聞いて欲しいと嘆願してくるものだから、渋々頷く。
「そこまで言うなら、探している少年についての話、詳しく聞かせてくれないか?」
彼女は静かに首を縦に振った。