2.狂った勇者
「はぁ、はぁ、砂漠地帯に何とか到着できたみたいだ……」
走り走り、遂に彼は自国の最北端へと辿りついた。深い闇夜はたくさんの星々によって照らされ、より一層、夜を感じさせる。この国は北側に砂漠、東西南に関しては海に囲まれている。この国の正門は、人類が住まう北東を向いており、他国と長年せめぎあった歴史を示唆している。
「これからどうしたものか」
命はある。が、しかし国を失い、民を失い、信用を失い、ことごとくなにもかも失った彼にはもう選ぶという自由すら残っていない。
彼はその場に腰を下ろし、砂と緑の大地の境目に生えた、逞しくねじれた大木へともたれかかった。
「自殺……すれば俺は楽になれるのか? こうして楽になって、これまでの十年を無駄にして。バトレイさんは生きろといったんだ。爺さんがいなかったら、なかった命なんだ。俺が……俺が魔神国家ゲルヘーツを再興しなければいけないんだ。残された命、大切にしないと」
そういって、疲れ切った身体は、使命を果たしたと本能的に感じたのか、彼を眠りへといざなう……。
「ん……。ま、まぶしっ! 俺、こんなところで寝過ごしちゃったのか。やつに見つからなくてよかった」
「ん? やつって誰のことだろう?」
「うわぁ、くるな、くるなぁ!」
奴は俺の顔を覗き込んだかと思えば、即座に一歩後ろへと下がり、後ろで手を組みながら、話をし始めた。
「やっぱね、君を殺すのは惜しいなって思っちゃってねぇ」
「敵に……情けをかけられて俺が喜ぶと思うか?」
「いいや。あのねぇ、君の国だけだったんだよね、末裔って」
いまの彼からは殺気のようなものは感じられず、神妙な表情をしているように見えた。
「えーっと、つまりなにがいいたいんだ?」
「悪魔の末裔さ、君の国家って魔神が建国したって云われていてねぇ。こちらの事情で君を残す選択をとったんだ。詳しくは話せないけどねぇ」
「俺がいまここで死ぬといったら止めるか?」
「さあね、自決してもいいけど、こちらの事情が完遂されれば、君は晴れて自由の身さ」
「……本当か?」
「うん、僕の名前である、ジルレイムド・ペネクトルの名において、それは約束してあげるよぉ。こう見えて僕、もう結構歳だからさぁ」
「一つだけ答えてくれ、お前は俺の父を殺したのか?」
「うん、殺したよ」
「嘘だ」
「……それは僕の言葉が信じられないということかな?」
「いいや、違うね。お前はジルレイムド・ペネクトルなんかじゃない。お前……誰だ?」
10年前、父の命を奪った本物の”奴”は、左目が義眼だった。そのため、父は左側は死角だといい、回り込めばある程度戦えるだろうと言っていた。しかし……。
「僕は僕だよぉ……”10年前”からね! 知られちゃったんなら仕方ないや!」
そういって彼は左手に隠し持っていた、短剣を僕に突き立てる。
「消さないとぉ! 君をこの世からぁ!」
「くっそ、あぶねぇ!」
片手で彼が振り下ろした短剣の刃先は、俺が咄嗟に両手で彼の左手首をつかんでいなかったら、左目は血にまみれていただろう。
彼の刃は、俺の両腕を塞ぎ、反撃の隙を与えない。
(どうにかしないと……)
「そのままだと君の腕が負けて、僕のナイフが左目を貫く! つまりゲームセット!」
「させるかぁぁぁぁぁあ!」
そう雄たけびを上げ、俺は奴の股間に蹴りを入れる。
「ぐわぁぁぁぁぁあ! いってぇぇぇぇ! 何しやがる!?」
間髪入れずに、奴の身体を勢いよく大木へと投げつける。
「バカなりに馬鹿力はあったか、されども君はもう負けさ!」
「そっちこそ、ブラフがお上手で!」
「ぐはぁ、ぐあぁ! いてぇ、いてぇ!」
腰を大木に強打し、立てないでいる奴の腹を足で幾度も踏みつける。最後に顔面を思い切り蹴り飛ばした。
「もう二度と、俺の目の前に現れるな……。次会ったら……絶対に殺す」
そういって立ち去ろうと歩き出したその時、背後から左足をがしっと鷲掴みにされた。そして、
「そうやって詰めが甘いから、君に次はないんだよ」
と言い放たれた刹那、ヒュウン! という轟音が後方より聞こえた。俺の心臓を貫いたようであるそれは目にも止まらぬ速度で天を裂いた。
そこにあったはずの雲にはすっぽりと大きな穴ができていた。雲がこうなるのだったら、俺の身体は一体どうなったのか。すでに呼吸はできず、苦しくなってきた。恐る恐る、視線を胸のほうへとむけていく。俺の身体には大きな風穴ができていた。穴の周囲は黒く焦げていた。その穴には左の眼球からどす黒い涙が流れている男の顔があった。不覚にも目が合ってしまったが、意識が遠のきなにも考えられない。
「さようならぁ!」
そのいまいましい勇者は俺にそう叫んだところで、俺は意識を失った。