笑いましょうか
今日は彼氏とデートをする日。私は一足先に待ち合わせ場所の駅前に着いて、深呼吸をしていました。それは緊張を紛らわすためでしたが、私が抱える緊張はきっと世間一般の人々が想像するようなものとは違うでしょう。ときめき、ドキドキ、色々と言い方はありますが、そのようなものとは無縁です。こんなことで高揚感を覚えるほど、私は純情な乙女ではありません。
そもそも、私は普通の人間ではありません。私は人間の偽物です。
初めて違和感に気づいたのは、あまり覚えていませんが、小学生の頃だったと思います。友達(と呼んでいいのか分かりませんが)と一緒にランドセルを背負って下校している時、みんなが楽しそうに笑っている中、私も同じように笑っていました。すると、なんということでしょう。笑顔が貼りついたまま顔面が強張って、元に戻らなくなってしまったのです。私は慌てて手で顔を隠しながら口と頬を整えました。
「どうしたの?」
一番近くにいた子が不思議そうに私に尋ねてきました。私は咄嗟に、
「くしゃみが出そうで出なかったんだ」
と、もっともらしく聞こえそうな嘘をついてごまかしました。
それから私は、笑ったり、怒ったり、泣いたりする度に、違和感を覚えるようになりました。楽しんでいるつもりなのに、楽しいという気持ちが感じられない。怒っていたはずなのに、次の瞬間にはもう冷めている。悲しいはずなのに、何をどうやって悲しんだらいいのか分からない。
感情表現が出来ないわけではありません。ただ、自分の感情が表に出るということが、よく分からないのです。それがたまらなく不快で、苦痛で、気持ち悪くて仕方がないのです。
もっと幼い頃は、とても素直で普通の人間だったような気はします。もしかしたら、そうだったらいいなという、ただの私の願望なのかもしれませんけどね。
そして私は、いつの間にやらそういった他人との『ずれ』を隠すのがうまくなってしまいました。特に、作り笑いには自信を持てるようになりました。おかげで私には仲の良い友達がたくさん増えました。みんな私のことを「人当たりのいい子」「優しい子」などと言って慕ってくれます。大変ありがたいです。なんて簡単なつながりなのでしょうか。
同じようにして付き合うようになったのが、これからデートをする私の彼氏です。
ちょうど今、改札口の向こうから駆けてきました。
「ごめん、待った?」
自然な笑顔を浮かべて尋ねてくる彼に対して、
「ううん、全然待ってないよ」
と、私は条件反射のように笑顔を作って返しました。
こんな私がどうして彼と付き合うことになったのか、自分でも不思議です。先に告白したのは、彼の方です。断るという選択肢もありましたが、当時の私は一応思春期で、異性関係というものに興味があったということもあったせいか、何となく付き合ってみることにしました。別に彼のことが嫌いというわけではありませんが、今となっては少し後悔しています。
今日も私の本当の姿がばれないように、楽しそうに振る舞わなければならない。とても大変です。気が重いです。
その後、私と彼は大きなショッピングモールの中のお店を冷かして回りました。美味しい食べ物や高価な小物など、珍しいものがたくさんあったおかげで話題は尽きませんでした。
途中で息抜きのために屋外に出ると、犬の散歩をしている人を見かけました。たしか、ダックスフントという品種だったでしょうか。
「可愛いね」
隣に並ぶ彼がその犬を見て言ったので、
「そうだね~」
と私は答えました。鳥肌が立つのを必死に抑えながら。
そうでしょうね。普通の人はこういったものを可愛いと思うのでしょうね。でもごめんなさい。私にはそう思えないのです。そんなものを見ても、毛むくじゃらの肉の塊としか思えません。彼らがわんわんぴーぴー鳴いているのが不快で仕方がありません。
まあ、特定の生き物が苦手な人はこの世にある程度の数いるでしょう。そのような人に対して、
「人間だって動物じゃん」
と、屁理屈のようなことを言う輩だっているかもしれません。しかし残念でした。私は人間も嫌いです。街中を歩く人々が笑っているのを見ると汚い行為をしているかのように感じてしまいますし、ほとんどの人が可愛らしいと思うであろう赤ん坊などを見ると、これまたブヨブヨした気持ちの悪い肉の塊のように見えてしまいます。あのいかにも純真無垢ですと言わんばかりのゴロゴロした瞳でこちらを見つめられた日には、その目玉をくり抜いてやりたくなります。
まったく本当に気持ち悪いのです。私という存在は。
気を取り直して別の場所をぶらぶらと歩いていた時、ふとガラスに映った自分の顔を見ると、びっくりするほど気持ちの悪い無表情をしていることに気がつきました。不味い。このままでは、私が普通でないということに気づかれてしまう。
さあ、笑いましょう。頑張って笑顔を作りましょう。にこにこ。にこにこ。笑顔笑顔笑顔笑顔。笑え、笑え、笑え、笑え! 笑え!
私は湧き上がる不快感を堪えて、極上の笑顔を作り上げました。それを見て彼は、満足そうな笑みを浮かべました。きっと彼には、私の笑顔が本物に見えているのでしょう。そう見えているなら何よりです。あなたの目が節穴で良かったです。そう、思っています。本当に。
やがて日が落ちてきて、今日のデートは終了しました。彼は私を駅のホームまで送り、
「今日は楽しかったね」
と言いました。この瞬間が、私が最も安心する一時です。私は普通の人間ではありません。でも、それを受け入れることもできないどうしようもない奴なのです。他人に嫌われることが、偽物を見抜かれて見限られることが恐ろしくて仕方がない臆病者なのです。
「うん、とっても楽しかったよ」
私はバイバイと手を振り、丁度到着した電車に乗り込みました。彼に背中を向けた瞬間、私の顔から全ての表情が剥がれ落ちていくのを感じました。しかし、人混みの中に紛れてしまえば、それを気にする者など誰もいませんでした。
帰りの電車に揺られながら、私は何だか胸に空白が空いたような感覚に襲われました。きっと悲しいのでしょう。何が悲しいのかなんて、分かりませんが。それがまた悲しくて、でも、泣けないから、空白になるのでしょう。
私はどう取り繕っても、普通の人間にはなれません。かといって、同情の余地があるほど可哀想で特別な存在ではないのです。だから私のような存在は、世間一般では「気持ち悪い」と呼ばれてしまうのでしょう。
まったく嫌になりますね。
自覚はあっても、変えられないものなのです。
ごめんなさい、許してください。
こんな私でも、誰か愛してくれませんかね。