プロローグ
ぼちぼち書いていこうと思います。
山岳部2年滝沢建17歳。
人並み外れた身体能力と精神力を持ち、野獣とも称される天性の勘により神童と持て囃されてきた。
高校に入学し、現部長である狩屋崎守にスカウトされ山岳部に入るとその才能は更に開花する。グリズリーの首を素手で断ち切る、シャチを撲殺する、サメを喰いちぎるなどなど様々な荒技をやってのけるまでに成長し、狩屋崎と並び山岳部の二大巨頭としての名を欲しいままにした。
温厚でゆらゆらと揺らめくように掴みどころのない狩屋崎に対し豪放磊落、大胆不敵。己の覇道を真っ直ぐ突き進む彼はいつしか魔王と称されるようになる。
果たして誰が気づいただろうか。
魔王は掴み所のない雲のような人間の背中を、酷く懐いた子犬のようにがむしゃらに追いかけていただけということに。誰よりも必死に、置いていかれまいと心に不安を募らせていたことに。
ところで魔王のような子犬にとってご主人様がこの世の全てであった。そのために、ご主人様を貶されることを甚く嫌っていた。
自らと比較され、あまつさえ貶されることが有れば、それは彼の心を深く苛み、いたたまらずさせる。
狩屋崎と滝沢を比較し、狩屋崎を悪く言ったがために魔王の怒りを買いこの世から姿を消した者の中に、もはや信仰と言っても差し支え無いほどに昇華された彼の深い愛に気づいた者はいただろうか。
そして、自らへの愛が滝沢にこのような凶行を起こさせたと知った狩屋崎の絶望を、果たして滝沢は気づいていただろうか。
もう少し、もう少しだけその精神力を自制に回せていたら、といくら後悔してももう遅い。
黒々とした艶やかな髪が白く軋むようになるまで思い詰めた狩屋崎は一つの答えを導いた。
狩屋崎3年、滝沢2年。
海外遠征にてエベレストに挑戦した時のことである。
風が強く、危険と判断されたためにキャンプで待機することが決定され、部員たちはいつ来るかわからない機会に全力を出せるよう休息をとっていた。
そんな折、狩屋崎は滝沢を呼び出した。場所はキャンプから少し離れた場所で、風が強く足元がおぼつかない。巻き上げられた雪により、視界もかなり悪い中である。
白銀どころか視界全てが真っ白な極限の世界で、狩屋崎はこう呟いた。
「14、36、231。タケちゃん、何の数かわかるかな?」
強い風のなかでもよく響く声だった。
タケルは口を閉じたままである。
「14は学校から消えた生徒の数。36は君に襲われて入院した生徒の数。231は僕が君を寸前で止めた数」
まつ毛に霜がつき、風で舞う雪の中、主張が激しい蛍光オレンジの服。
どこまでも素敵な狩屋崎の、どこまでも素敵な声。滝沢の頭に会話の内容は入っていない。
「君は本当にいい子だった。僕の教えたことをしっかり理解して使えるし、何より僕についてきてくれた」
――嬉しかったんだ。
「僕の為にしてくれてるのは嬉しい。だけどやり過ぎた。そして僕も、対応が遅すぎた。後悔はいつだって先にはたたない。償いなんてできやしない。だからせめて、僕の手がタケちゃんに届くうちに、君を殺すことにした」
すらりと抜き放たれる登山用ピッケル。優しき視線に似合わぬ重圧は、紛れもなく魔王のそれを凌駕している。彼を山岳部の部長たらしめる、王者の気が文字通り、襲い掛かる。
「タケちゃん、来なさい」
気に当てられた滝沢は戸惑うように一瞬目を逸らすと、愛用のマチェットナイフに手を掛けて一気に引き抜いた。
「守先輩っっ!」
熊を前にして汗の一つもかかなかった男が、この極寒の極限環境で冷や汗をかいている。汗はすぐに凍るが狩屋崎の圧によって吹き飛んでいく。
ガタガタと細かく揺れる脚の筋肉を押さえつけ、ただただ愚直に斬りかかる。
熊すら殺した一撃が音の速度で突き進む。
刹那、高い金属音が辺りを包みマチェットナイフが宙を舞う。それと同時に真っ赤な大輪の花が白銀の雪景色にパッと咲き誇ったのだった。
熱を一気に失った身体は名残惜しげに崩れ落ちる。
魔王と呼ばれた者の最期はまさに一瞬であった。
「僕の勝ち。タケちゃんと過ごした時間は本当に楽しかった。こんな僕についてきてくれて、本当にありがとう」
「まも……る、せん、ぱい?」
「安心して。君を一人では逝かせないから。僕もついていくから」
狩屋崎は滝沢のマチェットナイフを拾い、自らの首筋に押し付ける。
――だから、
「せん、ぱいっ……!」
――安心してね。
エベレストの白銀に、もう一つ、真っ赤な花が咲き誇った。
滝沢は一瞬硬直すると、そのまま静かに事切れた。