西暦2450年:地球人類の最終任務
地球の話です。
――西暦2450年8月1日。
地球は緩やかな衰退を迎えていた。
相次ぐ異常気象。地球全域の寒冷化。小規模な災害と大規模な災害の連続。感染症の世界流行。既存生物の突然変異。特異点貯蔵庫の破壊。得体の知れない怪物の出現。楽園の種子の流出。太陽フレアに小惑星衝突に磁場異常にポールシフト。少しずつおかしくなっていく地球環境。
しかし。
それでも。
人類はおかしさに慣れ切ってしまっていて、そのおかしさに対処できなくなっていた。
実験体1125は、「まるで茹でガエルみたいだな」と言った。
実験体1555も、「茹でガエルのようだ」と思った。
テラ・コンダクトが擁するワールドシミュレータ【ラプラス・デモン】は、今後100年の内に、99.98%の確率で地球が滅ぶことを予測した。
人類が滅びるのではない。地球上に存在するあらゆる生態系が死に絶え、滅び、再生する機会も得られず、無に帰すと。【ラプラス・デモン】はそう予測した。
地球滅亡が明確に予測された日。
テラ・コンダクト主導の下、人類は異世界への移住を決定した。
しかし、ここで一つの疑問が生じる。
異世界とは、一体何なのか?
この問いかけに対する回答は既に用意されていた。
一説によると、宇宙とは泡のようなものだと考えられている。それらの泡は無数に広がっており、泡の一つ一つに、【地球宇宙】とは異なる世界法則が宿っていると言う。
独自の世界法則を宿した宇宙。これを、【異世界】と言う。
そしてまた、地球が滅びる原因にも世界法則が関わっている。
我々地球人類が存在する宇宙――【地球宇宙】には、物理法則、熱力学第二法則、エントロピー等々の世界法則が存在する。【地球宇宙】に存在する人類が地球宇宙で生存し得るのは、そういった法則が有るためだ。
しかし裏を返すと、世界法則を大幅に変動し得る現象が【地球宇宙】に発生した時、【地球宇宙】の世界法則は激変し、現生人類は滅亡するということでもある。
我々人類が直面している滅びの危機の正体とは、まさにこれに該当する現象なのだと言う。
【地球宇宙】の世界法則を破る現象の発生。未だかつて観測されていない全く未知の現象がどこかの時間軸で引き起こされ、地球宇宙の法則は破れた。
よって、地球は滅びる。
この上なく明瞭な回答であった。
これに対して、人類の救済案を提示する者がいた。
限りなく地球宇宙に近い世界法則を抱える宇宙を探し出し、その内部に移住すれば良い。
他宇宙の観測さえできれば、テラフォーミングの要領で他宇宙への移住は可能なはずだと。
地球の管理者はそれを否定した。その発想自体が矛盾していると前置きした上で、管理者は語る。
「無数の宇宙泡が生まれては朽ち果てていく空間――我々はこれを奈落や深淵と呼んでいる――を観測し続けた結果、我々の運命を決定づける法則が確認された。
報告結果は以下の通りだ。類似した環境を有する複数の宇宙が存在する場合、それらの宇宙は互いに引き寄せられ、統合される」
「まるで磁石だな」
実験体1125が言った。
管理者は頷いた。
「そう捉えて貰っても構わない。似たような環境を持つ宇宙は統合される定めにある。よって、我々地球人が移住できる宇宙は存在し得ない。あるいは、地球人類が住まうこの地球宇宙は既に、類似した宇宙と統合された後の宇宙だとも考えられる」
実験体1555は、生まれながらにして入力された原始的感情――地球を守るという本能を基にして発言した。
「どうすれば地球を救える?」
「我々自身を書き換えるしかない。今の地球人類が持つ肉体と文化と魂の在り方を変化させ、地球人類を別宇宙の世界法則に適応させる存在に変質させる。
その結果、現在の地球人類が有する文明は全て失われるだろう。
――いや、逆に考えるべきだな」
管理者は一拍置いて、明瞭に発言した。
「我々人類には、全てを失える権利がある」
そう。
地球人類はこれまでに築き上げきた歴史の全てを失い、新しい存在になる。
――こうして、地球人類の最終任務が始まった。