イリシャ視点:世界の広さ
シリアス分多めです。
古来より、魔法使いは世界のバランスを保つ者とされてきた。
エルフ族は皆、生まれついての魔法使いだった。とても優れた魔法使いだった。
エルフ族は皆、当たり前のように黄金竜神の恩恵を享受していた。魔力こそが黄金竜神の真の遺産だと信じ、髪の色こそが真に黄金竜神の末裔たる証だと信じてきた。
世界に選ばれし者。金色の髪を靡かせ、魔法と金の髪を誇りとしてきた種族。それこそがエルフ族だった。
そんなエルフ族の中に、一切の魔法を使えぬ者が生まれてきた。鮮血の如く赤き髪を持つ者が生まれてきた。
それがイリシャ・フィームだった。
エルフ族は、イリシャの出生を凶兆として捉えた。
――このような者がエルフ族から出てくるとは。
――おお、一切の魔法が使えぬとは。なんと恐ろしい。
――この髪を見よ! 忌々しい血の色だ!
――恐ろしや。この子は破滅の化身だ!
――追放せよ! この者を追放せよ!
――破滅の化身よ、この世界からとくと去るがいい!
生みの親は追放され、生後間もないイリシャは牢獄に送られた。
水も無ければ食料も無い。緩慢に死ぬためだけに用意された牢獄の中で、しかし、イリシャは生き抜いた。
小動物を食らって生き延びたのだ。
貪欲なまでの生への執着。エルフ族はイリシャのそれをおぞましいと断じた。
好奇心もまた旺盛だった。牢獄の門番が交わす《共通語》をイリシャは理解し、物にしたのだ。しかし、エルフ族はこれもまた、浅ましさ故のものと蔑んだ。
牢獄に送られて6年が経った頃、遂にエルフ族は決断を下す。
イリシャは牢獄から解放された。そして、エルフの里から追放された。
同族殺しはエルフにとって最も重い罪だ。清廉潔癖を旨とするエルフが執った手段は、一切の衣服と武器と防具を剥ぎ取っての国外追放だった。
オールス国から追放処分を下されたイリシャは、同族が視線を光らせる中、国境を越えてヴァラド国へと渡った。
国境を越えた途端、イリシャは魔物に襲われた。
仕組まれた罠だった。
国境付近は魔物との遭遇率が最も高い。エルフ族はそれを理解した上で、イリシャに国境を渡らせたのだ。
衣服も武器も防具も無い。魔法も使えない。たった6年しか生きていないエルフの娘に何が出来ようか?
運命はイリシャを嘲笑うかの如く、彼女を掌の上で転がし始めた。
魔物の襲撃に遭い瀕死の重傷を負ったイリシャは、錬金術師セイル・ラザムに助けられたのだ。
これが、イリシャとセイルの初めての出会いだった。
「幼子を魔物に襲わせるか。実にエルフ族らしいやり方だな」
爆弾で魔物を吹き飛ばしたセイルは、皮肉めいた口調で告げた。
翼人族。翼を持つ者。
イリシャを助けた翼人族――セイル・ラザムの姿を見て、エルフ族は顔をしかめた。
「出ていけ。この世界から、出ていけ!」
「破滅の化身を連れて、この世界から出ていけ!」
「ほう」
セイルは自身のコートを脱ぐと、イリシャの身にかけた。
冷気吹き付ける地に追放されたイリシャにとって、今生において初めて感じる、人としての温かみだった。
「所詮はエルフ族の問題。捨て置くつもりだったが、お前たちの態度を見て気が変わった。
――この娘は私が育てる」
「なに……!?」
エルフ族の表情に、皆一様に、驚愕と恐怖が入り交ざる。
セイルは踵を返すと、イリシャの手を握り、《妖精の翼》を掲げた。
光に包まれて転移した先は、温泉街だった。
セイルは温泉宿に入ると、まず真っ先に、液体が入ったガラス瓶をイリシャに渡した。
「これは薬品だ。薬品を使えば傷を治せる」
「薬……品……?」
初めて目にするガラス瓶だった。イリシャは傷ついた体で、おずおずとそれに手を伸ばした。
冷たい。何だろう、この質感は。不思議な質感だ。
「どう使えば、いいの……?」
「飲んでもいいし、塗ってもいい。創意工夫して、試してみろ」
そう答えるセイルの顔つきは鉄面皮だった。本当に同じ人間かと思うほどだった。
だが、エルフ族よりはマシだろう。どうせ一度は死んだような身なのだ。イリシャは毒でも呷る気分で、薬品に口をつけた。
すると、途端に体がざわめき始めた。
全身の傷が疼き、たちまち癒えていく。出血は止まり、裂けた皮膚は元通りに治っていく。
薬液の不思議な効能に、イリシャは魅せられた。
「これは、何なの? これは、これは――」
「生命薬。錬金術では、《ライフポーション》と呼んでいる」
これが、イリシャと錬金術の出会いだった。
完治したイリシャはセイルと共に温泉に浸かり、温泉という代物を知った。
「温かい……。体がぽかぽかする。この水は、火の魔法で沸かしたの?」
「地熱によって熱せられた水だ。一般的には『温泉』と言う」
エルフ族とは違う理念で世界を解釈するセイルの姿に、イリシャは無意識の内に惹かれていった。
セイルはイリシャの戸籍を取得した後、彼女を教室の生徒として迎え入れた。
セイルは過保護にイリシャを守るような真似はしなかった。
最低限の道具や書物を与えて、「自分でやってみろ」と言う程度の教育を行った。
セイルの授業は厳しく、脱落していく者も多かった。
素材を採取しろ。採取地は黒板に書く。
薬品を合成しろ。レシピは黒板に書く。
錬金術で爆弾を作れ。レシピは黒板に書く。
今から冒険者ギルドに行く。冒険者免許を取得して冒険者になれ。
爆弾を使って魔物と戦え。自分で考えて戦え。
魔物の気分になって魔物と戦え。
教師の気分になって魔物と戦え。
勝手に魔物と戦うな。彼我の戦力差を考慮し、死ぬと判断したら逃げろ。
魔物に勝利したら素材を採取しろ。素材は魔物からも採れる。
無理難題の数々だった。
そんな中にあっても、イリシャは耐えた。
耐えて、成長した。
ひとえに、世界をもっと知りたいがためだった。
そうとも。
世界を知り、エルフ族を追い越して、もっと成長してみせる。
その思いがイリシャを突き動かしていた。
セイルと出会い、世界を見る目が変わった。
イリシャは、気づいてしまったのだ。
世界はそれほど魔法を必要としていないという事実に。
多種多様な種族で賑わうヴァラド国でエルフの理念を語れば、一笑に付される。
ヴァラド国で冒険者をやっているはぐれエルフですらも、同じ見解を示す。
だからイリシャはヴァラド国が好きだ。確かにおかしい連中も多いが、それを差し引いても、世界の広さを教えてくれる。
今日もまた、イリシャは世界の広さを教わった。
竜。
人工の竜。
それがイリシャの今日の先生だった。
人工の竜が錬金術を行使し、イリシャを打ち負かした。今までの知識を、経験を、人生を、全力を注ぎ込んだ力を受け止めてなお、竜は更に上を見せつけた。
竜の姿を前にして、イリシャは再び、錬金術に秘めたる可能性を見出した。
負けた。
負けた。
負けた!
悔しい。
悔しい。
悔しい!
嬉しい。
嬉しい。
嬉しい!
だって、世界は――
――こんなにも広かったのだ。
笑える。
笑ってしまうほどに、広いではないか。
そうだ。
笑えるのだ!
イリシャは、涙を流しながら笑った。
人工の竜との対峙を経てイリシャの胸に宿った新たな火は、彼女を成長させる原動力と化した――。