7人目 その名は魔王
彼が世界に生れ落ちたとき、世界は今よりももっと混沌としたものだった。
ただただ、己の力を誇示する。
その超利己的ともいえる欲望のために、同族ですら殺し合い、数多の血を流し続けていた。
あるいは、今の魔王と勇者の戦争ですら生易しいと感じるほどに、闘争は日々激化していた。
そんな世界において、彼は――彼の一族全員は、あまりにも弱かった。
それこそ、真っ先に標的にされて絶滅してしまうのではないかと言うほどに、彼らには力がなかった。ただ一点、他の種族に比べて遥かに高い知能を有していたこと以外は。
戦って生き残れるほどの力がなかった彼らは、その高い知能を使って、この混沌とした世界を生き残り続けた。
情報を集め、周りの戦況を常に把握し、敵が近づいてくると分かれば、時には結界魔法で村ごと姿を隠し、時には遊牧民のように村ごと移動することで逃げ、争いが避けられないとわかれば、力あるものを利用して逃げる。
そう。彼らは「戦う」という選択肢を一切取ることがなかった。
もちろん、戦えないわけではない。力はなくとも、魔法は使えるのだし、その高度な知能と併せて敵を罠に嵌め、魔法で攻撃すれば敵を撃破することすらも可能だ。
しかし彼らは、一切戦わなかった。
彼らは知っていたのだ。戦いとは常に異常事態にまみれていると。どれだけ綿密な作戦を立てようとも、必ずイレギュラーが発生し、その結果、仲間が傷つき、あるいは死んでしまうということを。
だから彼らは戦うことよりも、逃げることを優先させた。そうしてこの血と憎悪と狂気に満ちた世界を生き延びてきたのだ。
そんな村に生まれた彼もまた、村の一族の性質を受け継いで、争いを好まない、温厚な性格へと育っていった。
それから長いときが過ぎ、世界が未だ混沌の渦中にあったある日のこと。
突如として襲来した一匹の魔物によって、彼の村は壊滅した。
もちろん、事前に入手した情報によって、村はその魔物が向かってきていることを知っていたし、周辺の種族へ救援の依頼も出していた。
しかし、その魔物はあまりにも理不尽だった。
姿を隠す結界魔法も無意味であり、救援に駆けつけた力ある種族たちすらも鎧袖一触とばかりに薙ぎ倒すほどに。
それからついに、その魔物の手は彼の一族に伸びた。
そしてここで、彼らに今まで戦うことから逃げ続けたツケが回ってきた。
ほとんどのものが、初めて味わう「実戦」あるいは「戦場」の空気に呑まれ、まともに反撃することすらできずに、その魔物に喰われ、なぎ払われていった。
そんな一方的な殺戮から、唯一彼だけが生き残ることができたのは運が良かったからに過ぎない。
彼が最初に覚えた魔法が、己の姿を変える変身魔法でなければ。あるいは、他の子供たちと一緒に村の地下に放り込まれたときに、外の様子を見ようと変身魔法で小さな生物に姿を変えていなければ、彼もまた、他の子供たちや村人たちのように殺されていただろう。
だが結果的に、彼は生き残った。そして、村の惨状を目の当たりにした。
鮮やかな緑色の葉を付けた作物は村人たちの血に染め上げられ、道端には彼らの臓物が飛び散り、頭や体の一部が欠けた屍が、折り重なるように倒れて、さらに炎で炙られたのだろう、真っ黒に炭化していて最早誰が誰だか判別すらつかない。
まさに阿鼻叫喚。
そして地獄絵図を目の前に、彼は何度も何度も吐きながら、かつては大切な家族たちだった村人たちを、丁寧に埋葬していった。
土を掘り、物言わぬ塊と成り果てた村人たちを埋め、簡素な墓標を立てる、それをただ愚直に繰り返しながら、彼は心が徐々に憎悪に染め上げられていくのを感じた。
争いを好まず、ただ平和に日々を暮らしていた村人たちが。
地上にあるという太陽のように温かで、優しさに溢れた仲間たちが。
少しだけ退屈だけど、ゆったりと流れる空気を共に胸いっぱいに吸い込んでいた友人たちが。
誰よりも彼を愛し、彼が愛した大切な家族たちが。
突如振ってきた理不尽に蹂躙された。
村を襲った理不尽が憎い!
その理不尽を齎した魔物が憎い!
そんな魔物を作り出すほどの、この混沌とした世界が憎い!
何もできず、ただ大切なものが壊されていくのを眺めるしかなかった自分が憎い!
憎い悪いにくいニクイ憎い悪いにくいニクイ憎悪にくイニクい!
心を真っ黒に染め上げ、さらに燃やし尽くすほどの憎悪に取り憑かれた彼は、村を彷徨い、やがて地下で彼の一族に伝わるという秘奥に触れる。
それは争いを避けてきた彼の一族ではあってはならないとされた禁忌にして、封印された奥義。
殺し、壊すための術。
それを、彼は己の憎悪に任せて手に取ってしまった。
それから十数年後のときを経て、力を手にした彼は、かつて彼の村を襲って彼の大切なものを壊したあの魔物を見つけ出し、そして殺した。
救援に駆けつけてくれた魔物たちを鎧袖一触に蹴散らし、彼の村の人たちの誰もが歯向かうことすらできずに殺したあの魔物を、あのころはあれほどに恐ろしかったはずの理不尽な魔物を、力を手にした彼は、魔物以上の理不尽によってねじ伏せ、殺した。
しかし、見事に復讐を果たしたはずの彼は、晴れ晴れとするどころかむしろ困惑した。
あれほど憎く思っていた相手を、あれほど殺したいと思っていた相手を殺すことができたのに、彼の心に達成感などなく、ただただ虚しさがあるだけだった。
「なんだ……これは……」
胸から競りあがってくる感情に、戸惑いを口にする。
「こんなもんだったのか……」
何も残らなかった己の胸に、虚しさを覚える。
「こんなもののために俺は…………………! うぅぅぅぅううわぁぁぁあああああああっ!!!」
彼の慟哭は、同時にこの混沌とした世界に誕生した支配者の産声でもあった。
そして彼は、後に魔物たちが覇権を争っていた世界を統べ、人々から畏怖の念をもってこう呼ばれることになる。
すなわち、「魔王」と。
◆◇◆
「ありがとうございました~……」
やる気のない少女の声を背中に受け、変身魔法で人間に化けた彼は上機嫌で「クレイン道具店」と看板を掲げた小さな店を後にした。
「偶然見つけた店だったが、中々いい品揃えだったな。こんな素晴らしい掘り出し物をあんな安い値段で置いてあるとは……。これだから人間の世界に遊びに来るのはやめられないんだ♪」
心底楽しそうに呟きながら、ハイドラ王国王都の裏路地から表通りへと向かう。
「帰ったら早速、四天王の誰か相手に試してみるか」
部下が聞いたら裸足で逃げ出しそうなことを呟きつつ歩いていたときだった。
「おっと!」
「きゃっ!?」
余所見をしながら歩いていたためか、綺麗な金髪の女性とぶつかってしまい、彼女がしりもちをついてしまった。
「すいません!」
慌てて謝罪しながら、女性を引き起こし、ついでに彼女が落としたと思われる荷物を拾って渡してやる。
「ごめんなさい」
「いえいえ。こちらこそ、前方不注意で申し訳ない……」
自分に非があるのだから、とさらに謝罪を重ね、その女性に特に怪我らしい怪我がないことに安堵しながら、この先の道具店に用があるというその彼女を見送ると、魔王は自分が抜け出して怒っているだろう部下が待つ城へ帰ることにした。
ちなみに、このときの二人の出会いが、後の歴史に大きな影響を与えることになるのだが、それはまた別のお話。
◆◇◆
からんころん、と店の扉に取り付けたベルが、軽やかに来客を告げる音を聞いたあたしは読んでいた本から顔をあげ、扉のほうに目を向ける。
「こんにちは、カオリちゃん」
「ああ、クリスさん。いらっしゃい」
この店唯一の常連客と言ってもいい彼女――勇者のクリスさんに、あたしは早速話し掛ける。
「聞いてくださいよ、クリスさん!」
「何ですか?」
「実はですね……今日は珍しく、クリスさん以外にも客が来たんですよ。これは奇跡ですよ、奇跡!
こんなショボい店で買い物をする物好きがくるなんて……」
「……カオリちゃん……、それは言外に私をディスってますか?」
「いやいや! そんなわけないじゃないですか! あたしがディスってるのは師匠だけですって!」
「師匠をディスるな、この馬鹿弟子!」
「出たな! 妖怪ロリコン眼鏡! 今日こそクリスさんの刀の錆にしてやる!」
「私が巻き込まれてる!?」
思わず、といった様子でツッコんだクリスさんがあまりにもおかしくて、あたしはつい笑い、そんなあたしに釣られるように師匠とクリスさんも笑い出した。
クレイン道具店は今日も平和だと思う。
~~おまけ~~
弟子「ねぇ、師匠」
師匠「何だ、馬鹿弟子?」
弟子「あたしたち、一応主人公ズのはずだよね?」
師匠「ああ、そうだな……」
弟子「じゃあ何で最後の最後におまけ的な扱いで出るだけなの!? もっと出番をプリーズ!! 師匠はともかく、あたしはモブじゃない!」
師匠「俺もモブじゃないからね!?」
弟子「うっさい、ロリコンエロ眼鏡!」