21人目 風邪を引くと人は優しくなるよね
「うぅ……、不覚……」
ある日の朝。
何かの祝日というわけでもなく、普通の平日のこの日。
普段なら制服に着替えて、師匠が作った朝飯を食って、迎えに来たアリスと一緒に、学校へ向かうはずのこの時間に、あたしはまだベッドの中で寝ていた。
それは別に、学校に行きたくないとか、ベッドから出たくないとか、そういう引きこもり的な考えが原因というわけではなく。
「うぅ……。ごほっ! げほっ! ……ぶえっくしょい!!」
咳やくしゃみが止まらないことからわかる通り、普通に風邪を引いたのだ。
すでに、ウチに来たアリスには師匠から事情を説明してもらっているので、多分学校にはあたしが風邪で欠席ということは伝わるだろう。
……それにしても不覚だ……。
というか、そもそもあたしは風邪を引きにくいはずなのに……。もやしの師匠と違って……。
「お前な……。言うに事欠いて、師匠に向かってもやしとはなんだ……」
あたしが寝ているベッドの横で、呆れた声でツッコみながらも、魔法で作り出した氷を詰め込んだ袋をあたしの額に乗せる師匠。
……ああ、冷たくて気持ちいい……。
「それにしても師匠……」
「……どうした? なんか食いたいのか?」
「…………妙に師匠が優しいのが気持ち悪いんすけど……」
「人がせっかく看病してやってるのに、その言い草とか……」
「あと、年頃の女の子の部屋に師匠みたいなケダモノが平然と入ってきてるのが怖いっす……」
「…………よし、お前の看病をやめて今すぐ道具作りに行こうかな!」
「ああ! すんません、師匠! 冗談! 冗談だからその手に持ったリンゴを持っていかないで!」
「……ったく。リンゴの心配かよ……」
深々とため息をつきながらも、不器用にウサギ型にカットしたリンゴをあたしの口元まで運ぶ師匠。
……というか、ウサギリンゴとか……マジで師匠が気持ち悪い……。
「お前なぁ……。風邪ひいてるんだから、こういうときくらいはしおらしくしたらどうだ? まぁ、俺もウサギリンゴとかさすがに柄じゃないとは思ったけど……」
思っててもやるんだから、さすがドM師匠だね!
「やかましい!」
いつもよりもずいぶんと控えめなツッコミをして、あたしにリンゴを爪楊枝ごと渡す師匠。
それを大口を開けてシャリシャリとかじる。
ほのかな酸味と甘みが口いっぱいに広がって美味い。
そのまま、一つをあっという間に食べつくして一息ついたあたしは、ふと疑問を口にした。
「そういえば、なんで風邪なんか引いたんだろう……? ぶっちゃけ、あたしってば馬鹿だから風邪ひかないと思ってたのに……」
「俺はお前が馬鹿だという自覚があったことに驚きだが、とりあえずのその疑問の答えを教えてやろう。いいか? 馬鹿ってのはな、自分の体調管理ができないんだ。だから風邪を引くんだよ」
「弟子に向かって馬鹿とかひどいっすね……」
「お前が言い出したんだろうが……」
疲れたようにツッコんで、師匠は立ち上がる。
「とりあえず、ハインリヒに頼んで王宮付きの医者からいい風邪薬をもらってきたから、それを飲んで寝てろ……。風邪を治すにはとにかく食って寝るのが一番だからな……」
「うっす……、と言いたいとこだけど、師匠が風邪を一発で治す魔法薬を作ったほうがよくないっすか?」
「馬鹿言うな。風邪に特効薬なんてねぇんだ。風邪を治す薬ができたら、それは世界的な大発明だよ……」
「そうなんすか……。師匠ならできそうですけどね……。化け物だし、メガネだし……」
「お前は人を何だと思ってるんだ……。……ったく……、いいから今日はおとなしく寝てろ! 昼飯の時間になったら、適当に持ってきてやるから……」
「あ! それならあたしは豚の丸焼きがいいっす!」
「お前は風邪ひいてるだろ!? 胃に優しいもんを食え! とりあえず雑炊にしてやるよ!」
「えぇ~……」
「えぇ~じゃありません!」
ぴしゃりと言って、師匠は席を外してしまった。
チッ! もう少しからかって退屈しのぎにしたかったのに……。
ともあれ、師匠があたしの部屋から出て行った途端に、急にしんと静かになる。
聞こえてくるのは、鳥たちの歌声とまだ学校に通ってすらいない、近所の子供たちの走り回る音だけ。
普段は学校に出ていたから分からなかったけど……、やっぱりこの辺りは静かなんだな……。
きっと、王都の中心地のほうに行けば、商売のために人を呼び込もうとする人たちとか、家族のご飯の買出しをしようとする人とかの声で、もっと賑やかなのだろう……。
「…………買い物店……、ご飯…………、お腹すいた…………」
さっき師匠は昼になったらご飯を持ってきてくれるといってたけど、それまで待てない。
「…………仕方ない。ストックが減るのは嫌だけど、アレを食うか……」
嘆息しながらベッドから起き上がり、机の上に置きっぱなしだったマジックポーチを引き寄せて中を漁る。
「えっと……、あったあった」
ずるり、とそこから引っ張り出したのは、あたしの非常食兼おやつのコッペパン。
「んじゃ、いただきま~す」
あんぐりと口をあけて思いっきりかぶりつき、半分ほど口の中に入れたそれを、数度咀嚼して少し細かくしてから、ごくりと飲み込む。
「風邪引いてる時に半分も丸飲みするのは、流石のあたしも危険だって分かるからね」
「危険だと思ってるなら、普段から丸飲みするのをやめろ、この妖怪マルノーム」
「あいたっ!?」
完全に独り言だと思って呟いた言葉に、結構辛辣なツッコミが返ってきて、ついでにぽかりと軽く頭を殴られた。
振り返ったその先には、ホカホカと湯気を立てた土鍋を載せたお盆を手に持った師匠がいた。
「まったくお前は……。さっきリンゴをたらふく食べたばかりだろうが……」
「あれしきの、しかもリンゴだなんて腹の足しにもならないよ!」
それに、それが分かってたから、師匠もその土鍋を持ってきてくれたんでしょ?
「ああ、その通りだよ。どうせお前のことだから、すぐに腹をすかせるだろうと思って、雑炊作って持ってきてみれば……、やっぱりだったよ……」
「さすが師匠! あたしのことをよく分かってるじゃん!」
「まぁ……、お前との付き合いも大分長いからな……。おおよそのお前の行動くらいは読めるようになったよ……」
呆れたように答え、「ほれ」と土鍋をお盆ごとあたしに手渡す。
蓋を外され、少しだけ冷めて食べやすいようにされたそれから立ち上る湯気が、美味しそうな匂いとしてあたしの鼻腔をくすぐる。
途端、盛大に騒ぎ出す腹の虫を黙らせるように、すぐさまスプーンを手にしたあたしは、「いただきます」と律儀に口にしてから、雑炊を掬う。
本当はそのまま口の中に放り込みたいけど、まだ大分湯気を立てているそれを、流石のあたしもそのまま口に入れてやけどするような勇気はないので、軽く息を吹きかけて冷ます。
そうして程よく冷めた雑炊を口に入れた途端、出汁の旨味が口に広がり、その後を追いかけるように梅干(あたしの故郷でよく作られていたのを師匠が取り寄せた)の酸味と、豚肉の程よい甘さの脂身が染み出してくる。
「美味いっす……」
次々に口へと放り込みながら、簡単に感想を言う。
「隠し味に生姜も入れてあるから、体も温まるし、豚肉の栄養は風邪にもいい。梅干しでさっぱりとした味にもなるから、食いやすいだろ? 風邪を引いたときにはこれが一番いいって、昔師匠から聞いてな……」
まぁ、今までは一人だったから風邪を引いても作る機会はなかったけど、と小さくこぼした。
だったら早く結婚したらよかったのに……。
あ、でも師匠は彼女もいたことがないから、それは無理な話か!
「やかましい! いいからさっさとそれを食って寝ろ!」
軽くだけど、頭をはたかれてしまった。
それからしばらくして、普段では考えられないほどゆっくりと雑炊を食べたあたしは、程よく膨れた腹を摩りながら言う。
「それにしても師匠……。こんだけ料理が上手いんだったら、売れない道具屋なんてやらずに、料理屋を開けばよかったのに……」
「そしたら毎日自分は美味い飯を食い放題だったって言いたいんだろう?」
「うぐっ……」
言いたいことを先に言われてしまった。
「俺が料理を覚えたのは、師匠から叩き込まれたからだからな……。「どうせアンタに料理を作ってくれるような彼女はできっこないんだから、自分で料理を作れるようになりなさい」って、ガキのころから仕込まれたよ……」
「あっはっは! さすが師匠の師匠! 師匠のことをよく分かってる!」
「黙らっしゃい、馬鹿弟子! いいから、食い終わったのならさっさと寝ろ!」
あたしの手から、空になった土鍋とスプーンを取り上げ、再度チェスとの上に置いた師匠は、そのまま部屋から出ずに、ポケットから本を取り出した。
「…………? 師匠? 何やってるんすか?」
「……? 何って見たまま、本を読んでるんだが? ちなみに読んでるのは「毒草と薬草、その効能について」って本だ……」
「えらく物騒な名前の本ですね……、ってそうじゃなくて! 何でずっとあたしの部屋にいるんすか!?」
「ああ、そのことなら安心しろ。別にお前に手を出そうって訳じゃない」
「当たり前だ! あたしに手を出したらすぐにハインリヒさんとカナエさんに連絡して、師匠のをぶっ潰してもらう!」
「そっちこそ物騒なことを考えるな!」
「それで? あたしに手を出すつもりじゃないのにこの部屋にとどまる理由は?」
「お前が変なことをしないで、素直に寝るのを見張るためだ。だからお前が寝たら出てってやるよ」
「女の子の寝顔を覗こうだなんて、やっぱり師匠は変態だ!」
「お前……、これ以上無駄口叩くようだったら、魔法で強制的に眠らせるぞ?」
「ごめんなさいあたしが悪かったですからその魔法を消してください」
素直に謝る。
だって、師匠が発動させようとした魔法は睡眠魔法じゃなくて、攻撃魔法だったんだもん!
流石にあたしもアレは喰らいたくないって!
誰に向けたわけでもない言い訳を並べ立てながら、慌ててベッドに横になると、さっきの雑炊で程よく腹が膨れたためと、生姜のおかげで体がぽかぽかしてきたせいだろう、程なくして睡魔が襲ってきた。
そのまま、力を抜いて目を閉じる。
「おやすみ……」
珍しく優しい師匠の声が、聞こえた気がした。