祈り
教会で女が一人、一心に祈っている。
両手を固く組んで跪き、また時折額ずいている。
白い光はステンドグラスを五色に濡らして十字架の後ろから差している。
「おかあさん」
女の後ろから少女が声をかける。
「何をしているの」
「祈っているのさ」女は答える。
「誰に?」少女は小首をかしげて言った。
女は少し驚いて、「そりゃあお前、神様に決まっているだろう。ここは教会で、あそこにいらっしゃるのがイエス様、私たちの…」
「でもおかあさん、目、閉じてた。声も出してない」少女が口を挟む。
「それは…」
「神様にお祈りするのに、なんで? あそこに神様がいるのに」
女は返事に困った。私が祈っているのは神に対してだ。祈るとは神に願うことであり感謝することだ。私が祈っている以上その先には神がいるはずなのだ。そう考えた彼女は、自分の祈りが向かう先を凝視して…自分の奥深くに、神を見つけた。
女は強い眩暈を感じた。限りなく遠い"外"に向けられていたはずの祈りが、限りなく近い自らの深奥に収束していたのだ! 突如得た啓示によって精神の輪郭線がはじけ飛んだ。自己という矮小な特殊性が、神という輝く普遍性に照らされて搔き消えた。 私は神を持っていた。少なくとも神がいる小部屋を、彼とつながる戸口を。だが、それはあまりに深くにあった。もどかしさに女は頭を引っ掻き、額に爪を立てた。そして一心に、一心に祈るのだったが、願いの触手は神には絡みつかない。
それを何千回と繰り返した彼女は、次第に神を摘出不能な悪性腫瘍のように感じ始めた。
自分の肉体をここまで邪魔に思ったのは初めてだった。髪を毟り、頭蓋を削り、荒々しく大脳に手を突っ込んで、目当てのものを抉り出したいような気分になった。
それからしばらくして、憔悴しきって乾いた目を開いた女は目の前の十字架を見、初めてそれが意味するところを知った。
「おかあさん、神様はどこにいるの?」少女は問いかける。
女は答えた。
「遠い、遠い所さ。目では見えないし、声も届かないような」