プロローグ 『愛の意味』
愛とは、なんだろう?
——ペラリ。
紙をめくる音が響く。そして、考える。
愛、という言葉を辞書で調べてみると、そこにはこう書いてある。曰く、「人間や生物への思いやり」「相手を愛おしい、可愛いと思う気持ち」と。
——ペラリ。
一説によれば、欲の一種、つまり愛欲のことを指すこともあるらしい。
ならば、私が本を読みたいと思うのも、愛なのだろうか?
……少し違う気がする。それはあくまで本という物体に記された情報を吸収したいという欲求からきているものであって、そこに思いやりや愛おしいといった感情は存在していない。
——ペラリ。
わからない。
ただただ、わからないのだ。それは『分からない』でもあり、『解らない』でもある。
この二つの違いは、実に簡単で、明白だ。前者が未知の意味合いを持つのに対して、後者は理解不能の意味であるからだ。
この二つの単語も言い回しも、本から吸収して得た知識だ。しかし、『愛』に対する疑問が増えるばかりで、正直なところ本末転倒である。
疑問が疑問を呼んできて、全く答えにたどり着けない。
『彼』から借りた本の言葉で表すなら、『無限ループ』だろうか?
本を読みながら想う。
『彼』のコトを。厳密には彼らのコトを、だが。
——足音が聴こえた。
それは、少し急いでいるような、それでいて楽しそうでもあるような。
そして扉が開き、いつもの明るい笑顔で、気さくな声がかけられ————
「ギャアアアアア!? ちょ、ちょっと待ってよ冬人! 何もそんなにブチキレなくてもいいじゃん!?」
——なかった。
……………前言撤回。微塵も「楽しそう」などと言える様子ではなかった。
まったく、コレはどう反応するべきなのか。いきなり、部室の扉に激突しかねない勢いで突っ込んできた挙句、狼狽を色濃く滲ませた絶叫を迸らせながら友人の名を叫ぶ後輩の図。
「ふざけんな。テメェさっきの購買戦争でオレの指がかかってたカツサンド、真横から掻っ攫っていっただろうが。とりあえず腹パンさせろ」
そしてそれを追ってきた、不動明王もかくや、という怒気を抑揚のない声で発するという乖離しきった芸当を成す『友人』。
「あらあら。友人に対して絶叫するなんて、無礼にも程がありますよ、晴臣くん?その場に傅いて倒れ伏してはどうかしら?」
天使のような——最初に堕の一文字が隠れているが——笑顔をむけながら猛毒の刃を吐きちらす女生徒。どうやら『友人』を追ってきたらしい。
「ねぇ姫子さんや?毒舌が耳に突き刺さるのはまだいいとしてさ、その底知れぬ悪意を感じるあだ名をやめてほしいんだけど!?何さダル臣って!?僕いう程ダルくないからね!?」
「ならばオレが親しみを感じる新しいニックネームをつけてやる。そうだな、『ダルたにあ』とかでいいんじゃないか?」
『三銃士』の主人公のダルタニアンがルーツなのだとしたら、相当な皮肉である。(ダルタニアンは作品内では熱血の好漢であり、それは決してダルくなどない)
「オマエ微塵も親しみとか込めてないよねぇ!?そして絶望的なまでにセンスがないわッ!!」
「つけてもらえるだけありがたく思いなさい、ダリー」
「誰のことさ!?!?」
流れるような軽口と指摘の応酬。それを見ているうちに意図せず笑みが零れる。
——パタン。
本を閉じながら、椅子から立ち上がる。そして、後輩達に向けて尋ねる。
「そろそろ、部活を始めない?」
『彼ら』を愛おしいとも、可愛いとも思わないが、ただ。
心の底から、一緒にいると居心地が良いと思った。手放したくないと、そう思えた。
だから、この気持ちは私にとっての『愛』にはならないだろうか。
そしてそれを、肯定していっては、ダメだろうか?
「了解です、部長っ」
——眩しく笑う、彼のように。
愛とは、何だろうか。
とても美しいモノかもしれないし、醜いエゴイズムの塊かもしれない。
私にはそれがわからない。
なればこそ、探すことに意味があるのだ。
迷い、勇み、間違えた先にあるものに、人は惹かれてゆくのだろう。
恋は曲者、されど全ては愛故に。
心乱れ、届かぬ答えに手を伸ばし続ける曲者も。
いつか、愛の意味を知るだろう。
愛の意味は一つに非ず。捉え方など千差万別、十人十色。そこに正解は存在しない。それを愛と信じたのならば、それを否定することは己にも叶わず。
故に今一度。
恋は曲者、されど全ては愛故に。
——捻れ歪んだ運命のその先は、
——何時も部室につながっている。
——それはきっと必然である。
その部室に、愛があるのならば。