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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
95/201

第三章32 『プルメリア・フォン・ルクセン』



「————検査?」


 ヨーハンと共にやってきた藤咲華と名乗る女性に、二人は揃って首を傾げる。


 藤咲華と言えば、誰もが知る『英雄』であり、HMA総長。つまりは権威とも言われる両親よりも上の立場……というのがプルメリアの認識であった。

 実際、『英雄』の名が決して過飾のものでないことは、彼女の隣で表情を硬くする兄ヨーハンと、誰もの目を惹きつける美貌と圧倒的な存在感を持つ彼女が、それを如実に現していた。


 だからプルメリアは、震えるシャルロッテの左手を握り、華の言葉を待って、


「ええ、そうよ。貴方達の運が良ければ毎日がもっと楽しくなるような……そんな検査ね。どうかしら?」


 瞬間。

 彼女の発言に、プルメリアは心が踊った。


 それは八歳とはいえ、物心がついてからずっと知識を詰め込んできたプルメリアからすれば、あまりに抽象的で怪しげな、そんな言葉だ。

 だが、この時熟考するよりも先に言葉が出たのは、懐疑心よりも好奇心が上回ったから。新たな楽しみがあるというのならと、知識に追いついていない精神が思考を押しのけたからだ。


「藤咲様、それはいつ行うんですか? 私——ううん、私達受けてみたいです!」


 だからプルメリアは一瞬で疑いを引っ込め、敬語を交えて笑顔で頷いた。

 

 プルメリアはパーティー以後、自身のコミュニティーの狭さを自覚し、少しずつではあるが輪を広げ始めていたのだが——それはおおよそがあの日参加していた父母の友人や知人、あるいはその子どもだ。

 少なくとも三つは上に歳が離れていたし、まだ幼いから、ルクセン家の娘だからと厚意や尊敬の意味で距離を置かれたりと、対等な立場で話が出来たのはせいぜい家族とシャルロッテくらい。


 ゆえに、厳密には彼女は対等とは違うが、少なくともこの時のプルメリアには、両手を開いて楽しげに話す華が特別な存在のように思えたのだ。

 シャルロッテと言葉を交わした時に楽しみがぐっと増えたように、華もきっと自分に楽しみを、宝石を見せてくれるのだと。


「貴方達の都合が良いのならこれからでも構わないけれど……ヨーハン君、君はどうするのかしら」


 対して、華は少女達——正確にはプルメリアの独断だが、その決断に頷き、しゃがんでいた姿勢を直すと、ヨーハンにちらりと視線を向ける。

 難しい顔をしていた彼は一瞬それに動揺するも、


「——、私も二人に同行します」


「あら、意外ね。貴方、ずっと私を警戒してたのに」


「いえ、警戒という程では。華様の美しさについ緊張をしてしまっただけですよ。それに、二人同様に私も決心がつきましたから」


 警戒の部分、それを彼は上手くはぐらかして同行する意思を示した。

 華はそんな彼にからかいからか、より深くした笑みを送って。


 かくして、突然の訪問、突然の提案であったが、プルメリアはピクニックのような気分で、華の言う『検査』とやらに二人と共に行くことになったのだ。

 何が待ってるとも知らず、何を理解するとも知らず。


 ——人の良い華の態度に妙な感覚を覚えたものの、それを胸の奥にしまい込んでしまって。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 見渡す限り白色で彩られた待合室のような部屋。

 そこでソファに座り、華と対面するのは鶯色の髪にガラス玉の碧眼の少女、プルメリアだ。

 湯気の登る紙コップをちんまりとした手で口元へ運ぶ姿は、彼女が人形のように整った顔立ちをしていることもあって、華奢で守りたくなるか弱い女の子……そんな印象を大抵の者には抱かせる。

 だが、


「……楽しくなかったぁ」


 『検査』を終えて、ため息混じりにプルメリアが述べたのはそんな感想。


 当然といえば当然だろう。

 プルメリアは華に楽しくなるかもしれない、と言われて参加したというのに、やったことといえば血液検査やレントゲン、それからおまけ程度のデバイスの点検くらいだ。

 その結果身体には問題なし、また次回も来てください……など、昔の医者と患者のやりとりを体験出来たのは心が踊ったものだが、肝心の『検査』があれではダメだと愚痴をこぼしつつ。


「藤咲様、これからもああいったことしか行わないのでしょうか? 何かを判明させる、というのが『検査』の目的とは分かるのですが…………」


「その何かが何であるか見えない、と。プルメリアお嬢様はいくつか予想を立てたのかしら? ——ああ、敬語でなくても大丈夫よ。ヨーハン君は聞いてくれないけれど……身構えないで話してくれた方が良いわ」


「あ、えっと——うん。可能性として考えられるのは新型の感染症や流行病、何らかの新薬の適合確認か、あとは……特殊な身体構造をしていないか。この辺りかな?」


 華の問いに対しそれまでの不満を顔から消したプルメリアは、すらすらと自身の考えを言葉に変えていく。

 それはおよそ八歳の少女とは思えぬ発言であり、華も一瞬目を丸くする。だが、すぐに興味深げに紅眼を細めて笑みを浮かべ、


「……プルメリアお嬢様も勉強熱心なのね。あの二人の娘だから、とでも言うべきかしら」


「藤咲様はお父様やお母様とデバイスを作ったんだよね。その頃からの知り合いなの?」


「正確には約十年前、大学時代からよ。あの二人と私、それから——いえ、これは余計な話ね」


 脱線した話題を首を振って片付け、本題に戻そうとする。

 が、


「……何か問いたげな顔ね」


 対してプルメリアは、好奇心に耐えられずウズウズと体を揺らして華を見つめていた。


 そう、彼女は確かに歳不相応な多くの知識をその小さな体に持ってはいたが、感情面に関してはシャルロッテと一歳違いの、八歳の少女なのだ。

 能力と感情のちぐはぐさ。それは彼女の才ゆえのものであり、少なくともこの時には均衡が取れていたわけではない。

 だから、少女は知識欲に身を任せて、言う。


「私、十年前で思い出したんだけど、藤咲様は『英雄』って呼ばれてるよね。『大災害』をたった一人で解決したから」


「ええ、そうね。再度『獣人』のような特異点が生まれた時のためにと私はHMAを作ったのだけれど……ちょうどその頃ね。『英雄』と呼ばれるようになったのは」


 『大災害』の記録は一般教育課程にはもちろん、ルクセン家の書庫にある文献の中にも当然のように残されていた。

 人ならざる者、『獣人』。

 姿形の詳細はなかったが、多くの手を尽くしても彼らを滅ぼすことはおろか殺すことすらままならず、多くの死者が、犠牲者が生まれた。

 大地は崩され、壊され、生物という生物が消え去って。


 それを止めたのが藤咲華、彼女だ。

 当時大学生だった彼女が何の恐れも抱かず、何の武器も持たず、たった一人で。

 誰もがその結果に心を震わせ、涙し、喜んだのだ。救世主であると、『英雄』であるのだと、華を崇め立てて。

 だが、


「それなら——藤咲様は、どうやって『獣人』を滅ぼしたの?」


「————」


 世界を脅かす危機は去ったのだし、彼女が世界を救った、それでいいではないか。

 そう思う者も多くいるが、疑問を持つ者もいる。

 何も知らない子どもか、あるいはその道何年、何十年の者が。

 プルメリアのように、興味を抱く者が。


 もちろん、それは今だけでなく、『大災害』後しばらくしてからも。

 しかし結局のところ答えは見つからず、何も分からず、真実は闇の中であり、せいぜい彼女を神話の英雄であるだとか、変な方向に崇めたてる者がいる程度で、ずっとうやむやにされてきた。

 藤咲華は『英雄』なのだから、危険視する必要はないのだと。


 だが、プルメリアにとっては違う。華は『獣人』を特異点と称したが、それを一人で滅ぼすなど華の方がよっぽど特異点であり、はっきり言って何かのカラクリがない限りは異常だ。

 彼女が『獣人』、あるいは別の『ナニカ』であるのなら、研究という意味でも知りたい。その欲求のままにプルメリアは疑問を口にしたのだが、


「……魔法、かしらね」


「へ?」


「魔法よ。シンデレラが魔法使いにカボチャの馬車やドレスを出してもらったように。私も火や水を使って……と言った感じかしら」


 思わぬ返答が来てプルメリアは言葉を失うが、彼女が目を線にして笑っているところを見て、それが冗談の類なのだと分かった。

 だから怒りと、少しばかりの悲しさが胸中にこみ上げて来て、


「……藤咲様まで私を子ども扱いするんだね。期待、してたのに」


 つんと拗ねてしまう。

 結局、対等な友達はシャルロッテだけなのだと。


 これに華は悪びれもなくただ笑みを浮かべるだけで、弁解一つすらせず。そのまますっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んで、


「——『獣人』の正体が分かるかもしれないわ」


 ぽつりと、一言。

 そう言って、突然のことに目を見開くプルメリアに対し、ゆっくりと艶美な笑みを浮かべるのだった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 最後の最後で本題に触れた華の発言によって、プルメリアはある二つの仮定を立てていた。


 『獣人』は意図を持って生み出されたか、あるいは突然変異によるものか。


 前者の場合遺伝子操作をされた人間——アンドロイドに当たるわけだが、こちらに関しては十数年前に行われた実験で失敗した記録があったこと。加えて、『大災害』で確認された『獣人』は一人や二人でなく、少なく見積もっても五十は居たとのことから、大規模な組織でもない限りは不可能であり、あまり現実でないことが分かる。

 だからはっきり言って切り捨てるべき——ではあるのだが、両親及びその友人知人をプルメリアは知っている。アンドロイドの研究を諦めておらず、今も続けているものがいるかもしれない。


 ……とはいえ結局まともな証拠一つない仮定であるし、『検査』で『獣人』が見つかれば完全な間違いであることが分かるだろう。

 そうであればいいのにと。研究者だからと言って、人道にだけは反しないで欲しいと、プルメリアは思うのだ。


 だからこそ、


「……『獣人』っていうのがどういうのか分からないけど、突然変異種だったらいいなって私は思うんだ」


「えっと……ごめん、ルメリー。何言ってるのか分からないかも」


 『検査』の帰り、迎えの車に乗った二人は議論を——正しくは片方が推論を述べ、片方が首を傾げる、という何とも一方通行な会話をしていた。

 この時プルメリアの発言を正しく理解していたのは、ヨーハンとせいぜい使用人くらいであり、ルクセン家程ではないにせよ家柄がそれなりのシャルロッテであっても、蓄えてきた知識の量が違う。

 場数も踏んでいなければ好奇心もさほど強くなく。


 そもそも八歳の少女であるプルメリアが両親、ヨーハンなどと同じ土俵で話せること自体が異常であるのだが。

 だが、プルメリアはそんな自分に何か疑問を抱くわけでもなく、ただ興味のままに兄達の背中を追って進んできたからと自身を評価していた。

 自身の才覚に気がつくことなく、誰でも辿り着けるものなのだと。


「あ、じゃあシャロも勉強してみるのはどうかな? 私教えるよ」


 だからつい、シャルロッテに理解してもらえない不満よりも、彼女が理解してくれるほどの知識を得た未来への好奇心と——親切心。

 彼女もきっとその方が嬉しいはずだと信じて、プルメリアは提案をしてみたのだ。



 そしてそれは、断られることもなく、『検査』と同時進行でその提案は家庭教師をするされる、と言う形で進んだ。

 『検査』が終わり、二人ともが『獣人』でないことをヨーハンに告げられて——しばらくして、シャルロッテと会えない日々が続くまでは。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 プルメリアが十歳になり、飛び級で大学に入学する頃、世間ではある一つの動画によって、『獣人』の残存が確認された。

 その動画はすぐにHMAによって削除されてしまったものの、プルメリアはそれをインストールしていて。


「これが『獣人』……!」


 映像とはいえ、実際の『獣人』の姿を目の当たりにしてプルメリアの口から漏れて出たのは、皆々が恐れを感じて出す怯えの声などではない。

 知的好奇心だ。

 シャルロッテと会えなくなって一年以上が経っていたからこそ、プルメリアが行き着くところは研究しかなかったのだから。


 だが、だからこそ胸中に複雑な感情が渦巻いていることをプルメリアは誤魔化せなかった。

 かつてないだろうと考えていた、『獣人』が意図を持って生み出されたアンドロイドであるという仮定は否定出来ていないし、突然変異種の可能性と比べると、既存の概念で考えれば前者がわずかに上であること。

 それから、これらを含めてシャルロッテと言葉を交わしたいと思っていたこと。


 『検査』のその後はヨーハンに聞いたとて彼は教えてはくれないし、もしかすると自分と同じ『検査』を受けたシャルロッテなら何かを知っているのではないか。

 そうであってもなくても、彼女は今元気にやっているのだろうかと。

 大学に入っても対等な友人はやっぱり彼女一人だけで、みんながみんな自分を子ども扱い、特別扱いだから。


 だから、一年あまり会っていないだけだと言うのに、ひどく寂しくて。

 けれどもどうやら彼女が面会を拒否しているらしく、研究に打ち込むしかなくて。


 『検査』の後に、唐突にシャルロッテが距離を取ったことには何か理由がある。そんなことくらい、察しがつく。

 ……けれども、プルメリアは年端もいかない少女。それが飲み込めるわけではないのだ。


「ルメリー、大丈夫かい?」


 憂う自分に、兄も、父も母も。

 自分と同じようにあの動画に興味を持っているはずの家族が、研究の時間を割いてまで自分を心配するようになった。

 それに対してプルメリアが取った行動は、一つ。


「——大丈夫だよ。お兄様、お母様、お父様」


 胸中より上——表面上では本心を隠してしまって、器用に作り笑いを浮かべる。

 それは、プルメリアがこの世に生を受けて初めて吐く嘘だった。

 バレていたか、いないかなどさして重要なことではない。


 この時、内面を隠してしまったことに比べれば、ずっと。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 シャルロッテから手紙が届いたのは、プルメリアが大学を卒業してすぐのこと。

 内容は至ってシンプル。


「演奏会?」


「うん! シャロがね、ずっと練習してたんだって。……お兄様は、難しい?」


「——。いや、都合を合わせてみよう。プルメリアの大切な友人の演奏会だ、私も行かなければね」


 ピアノの演奏会。

 シャルロッテが主催で開かれるそれは決して大きなものではないが、プルメリアにとっては確かな朗報であったことに違いはない。


 ——両親が死んで、ヨーハンがルクセン家の当主になり、ヴィオルクの名を継いでから、暗い日々が続いていたから。


 ヨーハンもプルメリア同様に飛び級で昨年大学を卒業してはいたが、それで余裕を持って当主としての務めを果たせるかと言われればそんなことはない。学ぶべきことも、抱えるべきものも、守らなければならないものも、彼にはたくさんのものがあったのだ。

 能力はどうあれ、通常の子どもであればまだ中学生にも満たないプルメリアには仕事を任せないようにと、彼は気を遣っていた。


 何年も、両親や兄と一緒にいることが多かったからこそ、プルメリアにはそんな兄の内心が手に取るように分かっていた。

 でも、そんな気遣いは不要だ。手伝いたい、自分が手伝えば兄の負担も減ると、そう考えて、


「——ありがとう、プルメリア。その気持ちは嬉しいよ。……けれど、これは私の試練でもあるし、それにプルメリアにはもっと色々なことを知ってもらいたいんだ」


 しかし兄は優しい頬笑みを浮かべ、プルメリアの申し出を断った。

 もっと色々なこと。その意味が分からず、勉強を続けて大学を卒業したけれど、それでもやっぱり分からなくて。

 兄は当主として毎日毎時間のように忙しくなり、自分は書庫にこもって本を読むだけ。遊ぶ相手もいないから、大好きなかくれんぼうもしばらくやっていなくて。

 精神的に、孤独だった。

 いつの間にか、退屈だったのだ。


 ——だが。

 毎日のように続く、答えの曖昧な問い。

 それに頭を悩ませ、気持ちも沈んできたところで来たのはシャルロッテの演奏会の招待だ。

 数年前までは毎日のように遊んでいた、プルメリアの唯一の友人。彼女の名前に触れて、ようやく分かった。


「友達との時間を、知らなきゃ」


 兄が言っていた『もっと色々なこと』。

 それは、プルメリアが友人と遊んで、切磋琢磨して、楽しい時間をもっと得ること。

 多分きっと、兄の仕事を手伝えば楽しいことばかりではなくなってしまうから、だから今のうちに知っておくべきだと兄はプルメリアに言ったのだろう。


 そう思ったからこそ、プルメリアはシャルロッテと会うことを心待ちにしていた。


 宝石が、また見えた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 中枢区のホールを貸し切りにして行われた演奏会。

 それを終え、二人は夜風を浴びながら外で話し込んでいた。


「すごかったね、シャロ」


「ふふん。ルメリーと会わなくなってからね、私頑張ったんだから」


「でも、なんでピアノなの?」


「ルメリーは勉強が出来るけど、あの時の私じゃまだまだ追いつけないと思って。だからね、ルメリーがやってないピアノを始めてみたの。賞もいくつか取ったのよ」


 久々に顔を合わせたシャルロッテは、プルメリアの記憶の中にある彼女の言動とは大きく異なっていた。

 そう、出会ったばかりの頃はおどおどとしていて、どこか根底に諦めがあるような……そんな印象だった。


 だが、今の彼女は違う。

 ピアノという武器を得て、自信と生気に満ち溢れた表情に、声。

 それはどこか既視感があって。


「ルメリーは?」


「——え?」


「だから、ルメリーは? 『獣人』の研究とか、どうなってるの?」


「————」


 すぐに、彼女の問いに答えられなかったのはそのためなのだろう。

 会わなかった期間、彼女が、シャルロッテ・フォン・フロイセンが自身を研磨している間、プルメリアはどうしていたのかという問いに。


 何故ならその問いは、プルメリアに自らの怠惰を自覚させるものだったから。

 研究に打ち込んでいた——と言っても、『獣人』に関して分かったことは少ない。目立つことといえば、彼らが本性を現すと体内にあるものを引き出すかのように、動物をモチーフとした姿に変わる……ということくらいだ。

 その他の研究だって、両親が死んで以降はまともに進んじゃいない。


 何たる怠けぶりか。

 そんな自分が、やけに恥ずかしくなって——、


「……ん、とね。あんまり進んでないんだ。私もシャロに負けてられないね」


 言葉の調子通りに、自身を鼓舞し、宣言するように綺麗な笑顔を作って彼女に応じる。

 恥に耐えられなくなって顔を赤くすることなど、しない。


 怠けていたというのなら、彼女という宝石の輝きに眩い光を見て、それに気がついたというのなら、プルメリアがするべきことは、したいことは下を見ることではない。


「私も、頑張らないとね」


 確認するように、意思を声に変える。

 いつの間にか追い抜かれていたというのなら、自分もそれに追いついてみせよう。

 『対等』であるために、勤勉であるために。


 これまで両親や兄の後ろを追って研究をしてきたように、今度はシャルロッテを追って——新たなことを、始めた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 それから、半年。

 三年以上の年月を自身の研磨に費やしていたシャルロッテとの距離は、ほぼほぼ以前通り——否、以前よりもっと縮まった。


 論議だってある程度はこなせるし、日常生活だってプルメリアが引っ張ることはもう一つもなかった。

 一歩引いたり、遠慮したり。そういったこともなくて、側からみれば彼女らは対等な関係だったと言えよう。

 昔やったかくれんぼうも、久々にやった。二人で城の外へ出ることもあった。失っていた時間を新たな思い出で、記憶で、気持ちで埋めて。

 知るべきだった時間を知って、プルメリアの日々は再び宝石で一杯になって。


 ————だが、


「……どういうことよ」


「……ぇ」


「どういうことかって、聞いてるのっ!」


 その日、プルメリアはほんのサプライズのつもりだった。

 もっと楽しい時間になるだろう。輝きはさらに鋭く強い光となって、自分と同じように彼女も喜ぶのだと、本心から思っていて。


 だから崩壊は突然で、しかし必然だった。

 確かな前触れはあって、自分以外の他の誰でもいい。ヨーハンや使用人、最悪シャルロッテでも。

 誰かに相談していれば、起きるはずのなかったこと。


 歯を剥き、声を荒げるシャルロッテにプルメリアは声が出せない。

 予想外の反応に胸の内が驚嘆で染められて、震えが遅れてきた。


 何故なら彼女が指差し、激情を露わにする原因となったのは————、


「——なんでルメリーが弾けるのよっ!」


「……そ、れは」


 やや大きな、黒ピアノ。


 何の変哲も無いそれは、この半年間、毎日のようにプルメリアが使っていたもの。

 シャルロッテに自身の怠けを確認させられて、自分も負けてられないと思ったあの日。

 対等であろうとし、彼女の背中を追った結果、彼女に弾いて聞かせられる程になった。


 半年間必死に打ち込み、努力して、ようやく本当の意味で対等になって——、


「馬鹿にしてたのね」


「ちがっ、私は——」


「——っ、何が違うって言うのよ!」


 一歩下がり、弁明しようとするプルメリアに、シャルロッテは糾弾する。

 プルメリア自身が自覚していない罪を逃さず捉え、髪が乱れることも気に留めず、プルメリアの襟首を掴んで、


「ルメリーは……アンタは、私の三年を笑ってた。そうでしょ? アンタなら半年で追いつける、だからああやって褒めた。だからまた仲良くなったふりをして!」


「————っ」


 真実、シャルロッテの言う通りプルメリアは彼女の技量に限りなく近いところまで来ていた。

 彼女にとっては三年、しかしプルメリアには生まれつきの才覚があったのだ。


 物覚えと、要領の良さ。

 物心がついてから両親と兄の背中を追って来たからこそ磨き上げられたその才覚は、シャルロッテのような者の努力を嘲笑うほど残酷で鋭い。


 七つ歳の離れたヨーハンの一年遅れで大学を卒業するなど、誰がどう見ても異常で、神に愛されたと称するにふさわしい少女だ。

 それでも高い場所でふんぞり返ったりせず、プルメリアは人を——特に家族と、シャルロッテ。彼女を愛していた。対等の立場で、たとえ離れても追いついて。


 だが、彼女が愛するのと、愛されるのとでは別物だ。

 プルメリアは対等を求めたが故に、今までシャルロッテしか友達がいなかった。


 だからこそこれは起きた事件であり、


「わ、私は……シャロと一緒に遊んで、肩を並べたくて……」


「————」


「また教えたりして、前みたいに……」


「————」


 自分でも、乾いた声なのが分かる。

 一字一句、話すたびに喉が焼けるような痛みがあって、苦しい。


 けれど自分の考えを聞いて貰えば、シャルロッテは納得すると心の底から思っていた。

 だから話した。誤解を解くために。

 だから思ったのだ。


 ようやく、今になって。


「————勝負よ」


「……え?」


「ルメリーと私、どっちがピアノを上手く弾けるか」


 何か、自分はとんでもないことをしてしまったのではないか。

 そんな疑問が、ふっと頭に湧いて。


「今度は私がアンタに勝つんだから」


 幼き日に聞いた、同じ言葉。

 けれどそれにはもう、怯えなど、親しみなどない。


 ただ、消えることのない怒りだけが込められていた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 一度疑問を感じてしまえば、結論が出るのはすぐのことだった。


「プルメリア様はどこだ!」


 隠れるため思わず飛び込んだ一室。

 その外で、自分を探す声がする。


 けれどプルメリアは出て行こうとはしない。いや、出来なかった。

 入り口のすぐそばでへたり込んで、一歩も動けない。

 自分はここにいるのだと出て行って、その先にあるのは……シャルロッテとの対面。


 以前の自分ならば、出来たのだろうか。

 ——考えるまでもない。自分ならば、そうしていた。

 シャルロッテに負けないと自信満々に言って、そもそも負ける未来など一切想像しないで、笑って。


 だけど今は、出来ない。


「…………私は」


 勝ち負けをつける。

 それはずっとシャルロッテとやって来たことだ。

 勉強も、かくれんぼうも、かけっこも。最近では服装のコーディネートや、料理でだって。

 ほとんどプルメリアが勝って、その度にシャルロッテは悲しんだり、悔しがったり。けれど最後には笑っていた——と思う。


 笑って、いたのだろうか。


「……分からない」


 考えれば、簡単なことだったのだ。

 藤咲華に提案された『検査』。

 それと同時に家庭教師を行なって、プルメリアはシャルロッテに勉強を教えていたが、彼女と会えなくなったのはちょうど『検査』が終わった後だ。

 当時は何か理由があるとは分かっていたものの、特定には至らなかった。

 けれど、他の誰でもない彼女が、その間何をしていたか、どうしてそう考えるに至ったかを話していた。

 話していたのだ。



 ——勉強ではプルメリアには敵わないから。


 これは出会った時からだろう。幼い頃から家族ぐるみで色んな文献に、研究に、実験に触れていたから、プルメリアには才覚も相まって相応の知識があった。

 それを彼女に如実に感じさせたのは、家庭教師をした時のはずだ。


 ——だから、プルメリアのやっていないピアノを始めた。


 三年。その月日の中で、彼女は思い描いていたのだろう。

 プルメリアのように周りの者から一目置かれる存在になることを。プルメリア自身はあまり好まなかったけれど、歳不相応に特別扱いされることを。


 ——そしてプルメリアと『対等』になることを。


 彼女はそれを叶えた。

 実際、プルメリアも彼女の演奏と努力に感動し、自分の行動を見直すに至ったのだから。

 誇りと、言っていいだろう。


 三年。費やしたその月日を、彼女は誇りに思っていたはずだ。

 以前はプルメリアが彼女の手を引っ張っていたけれど、今は隣で歩ける。

 追いかけたり、追いかけられたりと焦ることなく、自分達が進みたい道に進めるのだと。


「なのに、私は。私は……っ!」


 プルメリアは自身の長髪を、かき上げては落として。かき上げて、また落とす。

 震える指先が、空気を割るような声が、既に自我が崩壊へと向かっていることを知らせてくれる。

 けれど、プルメリアはそれを止められない。


 己の才覚を自覚していた。

 なのにずっと自分の意思で動いてきて、興味の赴くまま、良かれと思ったまま、彼女を付き合わせてきた。彼女を、追いかけた。


 誇りを踏みにじった。踏みにじってしまった。許されないし、プルメリアは自分を許せない。

 三年かけて積み上げた彼女なりの『対等』の答えを、半年だけで。

 潔白の白だから、罪の黒を意識していないし無罪——そんなことなどあり得ないし、プルメリアは目の当たりにしてしまったのだ。

 顔を真っ赤にした彼女の怒りを。失望した、彼女の顔を。

 プルメリアは否定したのだ、シャルロッテの誇りを。


 そして、だからそれは、プルメリア自身の全てをも否定することになった。


 幼い頃から積み上げてきた——否、無自覚に己の才覚を利用して、兄の、両親の、シャルロッテの、皆々の努力の跡を辿って踏みにじってきた。真似て、追い抜いて、嘲笑うように。


 そんな自分に、『対等』でいる資格などないのだ。


「ごめんなさい……っ」


 謝ったって、もう遅い。

 悔やむあまり右の手で強く握った左腕が、爪が食い込んで血が出るほどであっても、自分の犯した罪は消えない。

 どうしようもないのだ。

 過去も、自分も。


「——ルメリー、どこにいるの!?」


「…………っ!!」


 見知ったその声が届いた瞬間、プルメリアの体はびくりと震え、続けて動いたのは無意識だった。

 部屋の外から聞こえた怒声に複雑な感情が蠢いているというのに、根っこの部分は何をすべきか分かっていた。


 ——それは自分を守るように、逃げるように。

 昔から大好きで、ヨーハンやシャルロッテと何度もやったあの遊びのように、プルメリアはすぐさま衣装タンスへと隠れていた。


 シャルロッテが部屋に入ってきても、なお。


「ルメリー、いるの……っ!?」


 タンスの薄い扉越しに聞こえる、絶え絶えになった息遣い。

 彼女は自分をずっと探していたのだろう。勝負といったのに、約束をしたのに、プルメリアが来なかったから。逃げ出してしまったから。


「——ふざけないでよ」


 声が聞こえる。こみ上げてくる苛立ちを言葉に乗せて、彼女は気がついていないだろうに、こちらへ届くような、刺さるような声が。

 ——痛い。


「……逃げ出して、隠れて、私をなんだと思ってるのよ。何が、何が友達よ。アンタなんて、友達なんかじゃない。『対等』なんかじゃない。最低、最低よ……っ!」


 ——嫌だ、聞きたくない。

 あんなに愛したシャルロッテが、傷ついて。それに傷つく自分がいて。

 自分が招いた結果だ。でも、だけど、だからこそ自分は飛び出しちゃいけない。

 涙の混じった彼女の声を、妨げてはいけないのだ。プルメリアはそれを、頭を抱えて、目を背けて、耐えなければならない。


 プルメリアは、シャルロッテの誇りを踏みにじったから。

 宝石の輝きを、自分が汚して淡いものへとしてしまったから。


 今ここで彼女の前に姿をさらけ出してしまえば、嫌が応にも事態は進むのだろう。

 勝負——彼女の誇りをかけた、対峙が。

 けれど、それでもし自分が勝ってしまったら。追い抜いてしまったら。


 ——じゃあ、手を抜くのか。

 そんなこと、シャルロッテは認めないだろう。それこそ、彼女の誇りなど無視した最低の行いだ。


 だから、彼女の前から身を隠すことでしか、自分はシャルロッテのことを守れない。

 罪を、犯してしまったから。


「…………?」


 だから答えは翻らないし、杭で貫かれるような、今この瞬間が早く終わってしまえばいい——そんなことを考え始めて、プルメリアは息を止めた。


「——!」


 物音だ。

 いつの間にか、怒声がやんだかと思えば次に来たのは状況の崩れ。


 シャルロッテがつかつかと、靴音を立てて衣装タンスの方へと近づいて来たのだ。

 心臓が止まるような感覚があって、同時にもう逃げられないという確信があった。

 何故部屋のドアでなく、側面のこちらへ歩いて来たのか。物音が漏れてしまったのだろうか。そう疑問しても、答えが出るより先に彼女はすぐ前まで来て、足音を止める。


「————」


 膠着があった。

 それは迷いか、あるいは耳をすませているのか。


 いずれにせよ、シャルロッテがここを開けるのも時間の問題だ。

 見つかった時、自分は何をぶつけられるのだろう。怒り、悔しさ、悲しみ。殴られたっておかしくない。それだけのことをやったのだ。仕方のないことだ。


 そう、結局自分には、何も守れなかった。才覚がなんだ。元気がなんだ。

 傷つけて、また傷つけてしまう。

 言わなかっただけできっと、兄も、両親も。

 また、シャルロッテを。

 いつしか彼女が隠れていたこの場所で、今度は自分が見つかって。


 ……何もかもが、望まぬままに。




 ————だから。

 だからプルメリアは、どうか隠れていたいと強く想い願った。

 せめてもの罪滅ぼしに、彼女だけは守りたいと。


 自分勝手で、間違っている願い。

 そんなことすら気がつかずに、プルメリアは願ってしまった。


 ——どうか、見つかりませんように。


 そして、タンスの扉は開けられて——、


「…………弱虫」




 最後に、小さく呟かれた非難の声。

 それはシャルロッテの眼前ではない、『彼女の視界には写っていない』プルメリアに向けて、放たれたものだった。



 偶然にも、プルメリアの中の力は目覚めてしまったのだ。

 ——皮肉にも『カメレオン』の『獣人』として、プルメリア・フォン・ルクセンは、シャルロッテの前から姿を隠した。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 自分が『獣人』だと知って、能力を知って。

 誰かの後を追うことしか出来ない自分に嫌気がさして。

 いつしか自身の価値を見失って。


 ——『何者』にもなれるが、『何者』でもない私。


 そんな私など、忘れられるにふさわしい。隠れたらみんな忘れていく。忘れていくのだ。


 きっと、いつかはシャルロッテも。



 だけれど時間は進んでいった。


 美水蓮や戸松梨佳と知り合って、ラインヴァントを結成して。

 決して一筋縄ではいかなかった。

 『獣人』を匿い、守る為の組織だと言っても、自分を含めた子どもたちで事を為すには相当の苦労があった。


 今にして思えば、それは罪滅ぼしだったのかもしれない。

 あるいは、私が傷つけてしまった全てのための贖罪。許してもらえるとは思わない。

 けれど、それが私の業なのだ。

 人の身にそぐわぬ才覚を持って生まれてしまったから。

 だからずっと、この身を————。



 ——でも、そんな日々に変化があった。

 希美、フェルソナ、葵、ユズカとユキナ、他の『獣人』達。

 そして、三日月奏太。


 彼らが来て、私の日々に変化が起きた。

 失われて、止まっていた時間が動き出した。


 私はまだ答えを出せたわけじゃない。

 シャルロッテ・フォン・フロイセンと再会して、まだ何も言えていない。

 どうするべきか、まだ分からない。



 だから、古里芽空は————。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「なあ、芽空」


 芽空が全ての話を終えて、黒髪の少年——三日月奏太は言った。


「俺もさ、向き合わなきゃいけないもの……たくさん、あるんだ。多分一人じゃ絶対無理だった。肯定されて、否定されなかったら、今俺はここにいることすらなかったと思うんだ」


 彼が以前通っていた高校、その校門近くまで来ているというのに、不思議と彼の表情は明るいものだった。

 手先は確かに震えている。

 だけどその瞳には熱があって、下を向いていない。


 彼はもう隠れることをやめて、前を向いている。笑っている。

 そのまま視線を落とし、首元のネックレスに愛おしげにそっと触れて、


「——だから、見ていて欲しい。俺が、どうするのか」


「そーたを、見る?」


 問いかけに、彼はこちらに視線を向けた。

 目が合って、思わずその熱の輝きに、鮮やかな色の眩しさに視界が白んだ気さえする。


 ——いや、きっとそれは気のせいではなかったはずだ。

 懐かしい感覚が、胸中にあったから。


「ああ。芽空が向き合うために。……俺だけじゃない。芽空と、俺と、みんなのこれからのために!」


 そして、三日月奏太は自身の願いを告げる。

 古里芽空の、隣で。



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