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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第一章 『彼女』
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第一章8 『大事な話』



 ————大事な話。


 ひょっとするとそれが告白かもしれないと、今もそう思えるほど奏太は馬鹿ではなかった。

 もし仮に告白だと奏太が期待していたとしても、それは淡い幻想に過ぎない。

 目の前の彼女の表情を見てしまえば、すぐに崩れて消えてしまうだろう。


「大事な話……」


 何故なら彼女のその表情は、普段と全く異なるものだったから。

 四季折々で様々な景色が見れるように、蓮もまた、コロコロと表情を変える女性だ。喜怒哀楽、そのどれもを彼女は欠損なく表現する。


 だが、今蓮が浮かべている表情は、真剣そのものだ。唇を結んで、大きな瞳でじっとこちらを見つめてくる。

 決意、と呼んでもいいだろう。

 こんな顔を、日常はおろか、テストの時でさえも見たことはなかった。


 もっとも、彼女の表情を見て、昨日から抱いていた期待ではないことが分かり、落胆がなかったと言えば嘘になる。

 だが、その落胆を打ち消し、上回る程に分からないことがあるのだ。一体、彼女が何を話そうとしているのか、こればかりが気になって。


「——三日月君は、普段ネットで動画を見たりする?」


 蓮の口から出たのは、ピンと張り詰めたその表情とは裏腹に、日常的な会話になりうる質問。


「え、と、そこそこ見るかな」


「昔の映画やドラマは?」


「ハムに禁視にされてない動画なら見るけど……」


 一見そこまで重要じゃないように聞こえるこれは、本命の質問をするための前準備、誘導みたいなものだろうか。


 しかし、だからと言って何を聞きたいのかが分かるわけではないのだが。

 考えても分からないのならばと、過去の記憶を掘り起こし、何か思い当たることはないか洗いざらい調べて回る。


 そして、その末にある一つの答えが出たのと、彼女が言葉を続けたのは同時。


「————じゃあ」


 彼女は一度言葉を切り、眉を寄せたまま深く息を吐く。

 そして、いつになく真剣な瞳で奏太を見据え、


「ネットで出回ってる動画の中に、『獣人』の動画があったら……ううん、その動画を見れるって言ったら、どうする?」


 彼女は自身の言っていることに迷いがあるのか、徐々に声を震わせ、顔を苦しげに歪ませていきながらも、そう言った。


 ——『獣人』の動画。それは、この世界に充満している恐怖の根源だ。

 著名で上げられたその動画は、当時ネットが国民及び移住民のほとんどに行き渡っていたことから、すぐに拡散し、世界に大きな波紋を呼んだ。

 当然だ。過去に『獣人』は世界の三分の二を削ったが、HMA 総長藤咲華によって滅ぼされたはずだったのだから。


  この事件に対してHMAは動画をすぐさま削除、アップロード者の所在を突き止めようとしたが、結局のところ分からずじまいに終わった。

 その後、HMAの監査の元、件の動画は禁視リストに入ったものの、一部の者が再アップロードしようとする動きがあったらしい。しかし即座に削除、後日逮捕される事態にまで発展したために、全人類から禁則事項という共通理解が持たれたのだという。


 奏太が知っているのはそれだけだ。件の動画の内容については、誰しもが一切を語ろうとしない。

  HMA に密告される可能性だけではない、口にすることすら憚られる、『獣人』への根強い恐怖が人々の内にあるからだ。

 口にすることで、獣人に襲われ、自身の身に危険を及ぼすかもしれない、と。


「俺、は…………」


 血の気が引いてきて、視界いっぱいに真っ白な世界が広がっていく。目がチカチカとして、目の前の蓮を見ることすら満足に叶わない。

 その中で、奏太は何とか頭を働かせる。


 きっと、ここで見たいと頷けば、彼女は見せてくれるだろう。

 そうすれば、今までずっと分からないでいた、皆の恐怖が分かるかもしれない。

 ようやく、見えない自分との決着の、その可能性くらいは掴めるのかもしれない。

 なんだ。それなら見る以外の選択肢はないじゃないか。


 たった三文字、見たい、とそう口に出そうとして、奏太はふと気がつく。


 ——もし、自分が恐怖を感じたら、彼女はどうなる?


「————ぁ」


 思わず漏れた声が、震えているのが分かった。いや、声だけではない。手足の先までもが震えている。


 理由は簡単だ。奏太が恐怖を感じてしまえば、きっと彼女は孤独になる。

 しかしそれは、当然の帰結だ。共通理解に反し、異端視されるはみ出し者、異端者なのだから。

 もちろん、表面的には何も変わらないだろう。彼女には友達がいて、その中には奏太も含まれるはずだ。

 しかしその場合、実情は全くの別物になる。同調したはずの異端者二人が、蓮が、一人きりになってしまう。


 『獣人』が怖くないと告げた時の、彼女の迷い、悩む表情。

 あんな顔をさせてしまうのかもしれないのだ。それは奏太の望むところではない。

 ならば、


「…………俺は」


 見ない、と口にすることこそが、結果的に彼女を、彼女と自分の関係を、救うのだ。

 ああ、そうだ。逃げてしまえばいい。過去の自分からも、世界に巣食う恐怖からも。向き合う必要なんてない。


 ————昨日までの奏太なら、そう考えていてもおかしくはなかったはずだ。

 だが、自分からも、蓮からも逃げたくないと、奏太は吠えたのだ。

 声にならないその咆哮は、決して蓮には伝わらない、奏太のみが知る自身の覚悟だ。

 ゆえに、見ないという選択肢は絶対にない。


 ——どうして、彼女は件の動画を見せようと思ったのだろう?

 深く瞳を閉じ、自身に問いかける。

 不安もあったはずだ。この世界に、獣人への恐怖に共感できない異端者は、そうはいない。

 獣人を除いた人間の中に、どのくらいいるだろうか。ひょっとすると、両手の指で数えるほどかもしれないし、倍の二十人、あるいは百人くらいかもしれない。


 しかし、自惚れだとしても、だ。

 もしも彼女の周りに、奏太くらいしか異端者がいないのだとしたら。

 彼女は、動画を見ても奏太が変わらないと、そう信じているのだろうか。


 都合の良い話かもしれないし、馬鹿げた考えで、的外れな可能性だってある。しかしそれでも、自分自身すら信じられない奏太を、蓮が信じているのだとしたら。


 全ては仮定だ。彼女に直接真偽を問い質さない限りは、結局たらればの延長線上でしかない。

 でも、それを聞くのは今じゃない。いや、そもそも聞く必要などないのだろう。

 奏太を信頼しているかもしれない蓮を、奏太が信じて手を伸ばした先に、答えはあるのだから。そしてその答えは、きっと。


「俺は」


 ちらりと蓮の方を見やると、彼女は奏太の葛藤に口を出すことなく、じっと待っていた。


 先の決意を秘めた表情は徐々に崩れてきており、とてもその精神が強いなどとは言い難い。

 眉を寄せ、不安の色を桃色の瞳に浮かべてこちらを見ていた。


 奏太は深く息を吐き、震える手を押さえると、再び自身に問いかける。

 見るのか、見ないのか。彼女を信じるのか、信じないのか。

 長い自問自答に終止符を打ち、奏太は答えを出す。


「————見るよ。いや、見たいんだ」


 対して、蓮の反応は意外なものだった。

 奏太の言葉を飲み込めていないのか、何度も目をパチクリとさせており、どうやら言葉が出てこないらしい。


 その様子に思わず奏太は笑みを浮かべる。

 奏太を信じる蓮を、奏太は信じる。そう決めても、やはり不安は溢れてくる。未だ止まる気配を見せない震えを止めることなんて、奏太には出来ないけど。それでも、


「俺は、皆が恐れてる『獣人』の動画を見るよ。見た後で恐怖を感じない、なんて断言は出来ないけど」


 好きな女の子が、勇気を振り絞ってくれたのだ。孤独になるかもしれないのに、勇気を出して。

 それなら、動画を見る事への恐怖も、その後に彼女が一人ぼっちになってしまうかもしれない恐怖も、全部飲み込んで格好つけて何が悪いというのだろう。


「それでも、信じるよ。見せようと決断してくれた美水を」


 ——声がした。


「————ぁ」


 それは堪えようとして思わず出てしまったというような、小さな声。   

 大きな瞳を揺らし、肩を震わせたまま目の前の事実を飲み込もうとする蓮の姿を見て、奏太はふっと口元を緩める。


 なんだ、聞くまでもないじゃないか。

 蓮も、怖かったんだ。奏太と同じくらいに怖くて怖くてたまらなかったのだろう。だけど、それでも彼女は。


「ありがとう——蓮」


 今度は自分の意志で、はっきりと彼女の名前を呼ぶ。

 たった二文字のその言葉を口にしただけで、全身に熱が行き渡って、身体が火照り始める。

 蓮はいつもの彼女らしくない表情をしていて、奏太はいつもの呼び方を変え、下の名前で彼女を呼ぶ。そのどちらもが二人の日常とはずれていおり、


「……って、まだ見てないのにお礼言うのは早いかな」


 耐えきれなくなって、軽口を何とか絞り出す。


 対して蓮は、奏太の言葉に一度表情を固めたかと思えば、吹き出し、元気良く笑い出した。


「ふふっ、そうだよ。……もう。じゃあ、どういたしましては、見たその後で、ね。——奏太君」


 そう言って彼女は立ち上がると、自販機に財布を持って走っていく。

 そのほんの一瞬、蓮の瞳に涙が浮かんでいたのを、奏太は見逃さなかった。


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