第三章21 『数ヶ月越しの疑問』
突発的に起きたユズカとアイの立ち合い。
結果はユズカの敗北に終わり、奏太達は彼女を休ませるため仮眠室を借りた。
ただし奏太はその室外、白と黒のコントラストが激しい廊下の柱にもたれ、一人思考を巡らせて。
「————」
立ち合いが終わってみれば、疑問を抱く点は多くある。
アイを含めた『トレス・ロストロ』が人の身でありながら絶大な強さを、ユズカに匹敵する程の実力を持っていること。
『獣人』でもなく、ただの一般人と断ずるには不可解で納得のいかない点が多すぎる。その正体がサイボーグでないとするのならば、一体何であるのか。
一端でも理解が及べば、と思っていたのだが。
……とはいえ、研究が本職であるフェルソナが未だ突き止めていない謎だ。奏太が簡単に解けるほど簡単なカラクリでないのは、当然といえば当然で。
「まあ、それはアイの戦い方も含めて持ち帰って考えるとして」
実際に対峙したユズカの言葉も聞いてみないことには分からない、そう判断して一つ目の疑問に中断の印を押す。
胸中にある不思議な感覚に、眉を寄せながら。
「あの感覚は…………」
何と、言葉にして良いものか。
奏太は自身の掌を握ったり閉じたりして、満足がいくまで現実を確かめる。
先程の立ち合いが夢ではなかったのだと、確認しないとやっていられない。そう考えてしまうほどに何とも複雑で異常なものだったからだ。
————端的に言うと、意識がおかしくなっていた。
……これだけだとただ疲れているか病気の類を疑ってしまうところだが、そうではなく。
ユズカとアイが凄まじい速度の攻防を繰り広げている中、奏太は芽空や華と言葉を交わしていた。
むろん、ユズカ達から意識を離すことなどしてはいない。
というより、あの騒音と苛烈な攻撃の数々。アイは防御に徹し、ユズカのみが攻撃を仕掛けていたようだが、それでもあれ程の戦闘を前にして意識を離せるわけがないし、話に集中しようと意識していたわけでもない。
だというのに、戦闘へ向ける視線は、いつの間にか曖昧なものへとなっていた。
——それはつまり、奏太達の意思とは無関係に、意識が戦闘から外されていた、ということ。
芽空と言葉を交わすあたりまでは確かに意識が向いていたというのに。
「————っ」
絞り出した結論に理解が出来ず、背中がぶるりと震える。
『未知』。藤咲華やソウゴが振るったそれと同等のものが、あの場で発生していたというのだろうか。
だとすると、それは華の『未知』か、あるいはアイか。
いずれにしても、奏太一人の頭では理解出来ない疑問であることに間違いはない。
「——そーた、おまたせー」
降りかかる疑問の数々に頭を悩ませ、深くため息を吐いたところで、間延びした声が思考に割り込んだ。
声のした方向を見やれば、仮眠室から出てきたばかりの少女、古里芽空だった。
「お疲れ、芽空」
鶯色のポニーテールを揺らし、口調の割にわずかに唇を結んだ彼女は、仮眠室でユズカの手当てを行なっていた。
協力関係を結ぶとはいえ仮にも敵の本拠地だ。HMA側の誰かに見てもらうわけにもいかず、かと言って相手が小学生であろうとも男の奏太が見るわけにもいかず。
そういった経緯で芽空に見てもらったのだが——、
「ユズカ、大丈夫そうだったか?」
「見た目だけ、ならねー。背中を強く打ってたみたいだけど、特に異常はなかったしー。……でも、精神状態までは…………」
仮眠室から出てきた彼女の言葉にほっと息を吐く。
最後に重く呟かれた言葉が気になるところではあるが、
「大丈夫だろ、ユズカなら」
「……? どうして?」
表情に影を落とす芽空に対し、明るい調子で奏太は言う。
何の心配もいらないのだと、そう強く押すように。
「ユズカはまだ小学生くらいだけどさ、ほら。戦い好きだし。最後なんて笑ってただろ?」
「確かに、笑ってたけど……」
それは自分に言い聞かせているのかもしれない。
確かにユズカが大丈夫だと信じている部分はある。けれど、絶対的信頼を抱けるほど安い結果ではないのだ。
敗北という事実に加え、一瞬ではあったが目撃した、手刀を構えるアイの姿。
口からよだれを大量に垂らしていたのがゾッとすることこの上なしだが、本題はそこではなく。
——彼女の強さに、何を感じ取ったのか。
最初に会った時点から強さを見抜いていたユズカだ。何か異質なものを感じ取っていたとて、不思議ではない。
そして、それが敗北の直接的な原因だったのか否か。
そう易々と追い詰められ、急所をさらけ出す程ユズカだって弱くはない……むしろ、強すぎるくらいなのだ。
なのにもし、ユズカがかつての奏太のように力を望み、アイの内にある異質に何かを見出してしまったのなら。
「……ユズカが、何かに悩んでるんなら」
————止めなければいけない。
傷つき苦しんで自分の一切を大事にしない。そんなものはもう、奏太にもユズカにも誰にでも、して欲しくないのだ。
だからこそ奏太は大丈夫だと言い張る。
「困ってたり、辛かったりするんなら助けるから。俺はもちろん、芽空も含めたみんなでな。それに……ユズカを誰よりも助けたいと思うやつがいるんだから」
クリーム色の髪の少年、天姫宮葵。
姉妹を大事にしていることはもちろん、特にユズカに異性としての好意を抱く彼は、ユズカが悩んでいるのなら迷いなく助ける。
絶対の、絶対に。
かつて、奏太が蓮に出来なかったことをやってのけるのだと、信じている。
「——それに、さ」
深く息を吐いて、心の中に溜まった不安、焦り、恐れ、それらを一気に放出する。
そうすると胸中に残ったのは、晴れやかな気持ちと穏やかな未来への期待だ。
「ユズカはまだ子供だ。だから、やりたいこともたくさんあるだろうし、これからも増えていく。やり方も、考え方も。たとえ躓いたって、一つに囚われないで見つけていけるって……そう思うから」
文字を勉強して、本を読めるようになって。
絵本がどうのこうのと、ユキナと話しているところをよく見かける。既に憧れという夢を持っている、ユキナと。
何かを覚えて、学んで、知って。彼女が妹とともに歩んでいった道には、どんな景色があるのだろう。
——いつかは、自分を好いてくれている少年に恋をするのだろうか。
その未来に期待を抱かないわけがない。
たどり着けると、そう信じている。
「…………そうだね、そーた」
心の全てをさらけ出す。そんな奏太に対して、芽空は短い返答。
けれど、彼女の言葉には呆れや否定などこれっぽっちもなく、信頼と肯定だけが音に乗っていた。
寄っていた眉が緩み、微笑んで。
「ねえ、そーた?」
「どうした、芽空?」
そんな彼女が、自身の髪を撫でつけつつ奏太の名を呼んだ。
そしてそのまま数歩、こちらに歩み寄ってきて、
「……私がユズカのこと見ておくから、行っても大丈夫だよ。そーたはあの女に——華に、用事があるんだよね?」
ぴたり、と奏太に触れる直前で止まった。
「————」
至近距離でガラス玉の碧眼がじっと奏太を見つめ、離さない。
奏太の心を映しているように、奏太の心を見透かしているかのように。
事実、確かに彼女の言う通り聞きたいことはあった。用事はあった。たった一つではなく、幾つもの。
けれどそれは、芽空達を巻き込んでまで聞くようなことではなく、あくまで奏太個人が知りたいと欲する疑問に過ぎない。
だから、少なくとも今回は華に尋ねる時などないと思っていたのだが、
「————ああ、確かにある。大事な話が」
芽空は一体いつから気づいていたのか。
数ヶ月前から胸の内に秘めていたことにしろ、ここ最近までずっと感じてきた違和感にしろ。
彼女にはお見通しだった……ということなのだろうか。
まさか全てが全てバレているなどということはないだろうが、ともあれ。
芽空はこう言ったのだ。
——今は同盟のことを忘れて個人の話をして来て、と。
「……ありがと、芽空」
「どういたしまして、だよー。……ちゃんとこの会合が終わってアジトに帰ったら、ちゃんと約束果たすから。だからそーたは、疑問質問ある程度片付けて準備しておいてね。私はもう、心の準備出来てるし」
「本当、いつの間に準備したのかって話だけどな」
何度もしたやりとりを、敵の本拠地で交わす。
それがどうもおかしくて、
「…………ふっ」
どちらから漏れたものか。
笑いが漏れて、つられたもう片方も吹き出す。
顔を見合わせるたびにお腹が痛くなるくらいに笑って、普段の日常を肌で感じて。
それが止んだ頃には、
「……ふふ。それじゃ、そーた。いってらっしゃい」
「…………ああ、いってきます」
彼女なりの気遣いか、それとも素のものか。
どちらであっても芽空は笑顔で送り出してくれる。そのことに変わりはなくて。
だから奏太は行く。
『不老不死の魔女』の元へ。
柱から身を剥がし、別れを告げた背中に芽空の視線を感じながら。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「————お前、俺が来るのが分かってたのか?」
第一声。
部屋に入ってすぐに思い、口に出した言葉。それも当然だ。
「ええ。貴方ならそうすると、分かっていたわ」
「……全知全能だと思ってるのかよ、自分のこと」
「知り得る限りは知っていても、私は全てに手が届くわけではないわ。全知全能のカミサマなんて、この世にいないのだから」
奏太をからかうように、にこりと笑みを浮かべる華。彼女はここへ来た当初と同じく黒椅子に背中を預けていた。
だが、奏太が問いかけたのはその手前。来客用のテーブルに一人分のカップが置かれていたという現状だ。
それが指す意味は、奏太が訪ねてくるのを彼女が分かっていたということであり、まんまと奏太が彼女の思惑にハマったということで。
「言いたいことがないわけじゃないけど……今はそんなことよりも、だ」
とりあえず喉元まで出かかっている言葉を飲み込み、一人で座るには大きすぎるソファに腰掛けた。
カップの中に入ったコーヒー。
まさかこれに毒が入ってはいやしないかと華に疑いの目を向けつつ、口に含んで喉を潤す。
そして、それによる苦みを口内に感じつつも、頭を鮮明かつ冷静なものへと仕上げていき、カップを机に置いて、
「————いくつか、質問がある」
睨むように華を見つめる。
彼女からの返事はない。ただ、変わらず貼りついたままの笑みと沈黙が返ってくるだけで。
奏太はそれを肯定の意と受け取り、問いかけようとするが、
「——一つ、言っておくけれど。私は私が許す限りの情報しか話さないわ。貴方が何を望んでいようとも、私がそれに答えるかどうかとは無関係なのだから」
一本指を立て、華は宣言した。
あくまで奏太は答えを求める側であり、今現在この場では対等な立場でのやりとりではないのだと。
「分かった。じゃあ片っ端から質問していく」
「————」
やけに素直な奏太の反応、華がそれに目を細めたのが分かった。
文句の一つでも口にするのではないかと、そう考えていたのだろう。
もちろん、奏太の中に反感がないわけではないし、一つどころか幾つも言ってやりたいところではある。相手は何と言っても藤咲華なのだから。
だが、それで目的を失っていてはいけない。聞きたかったことや言ってやりたかったことの数々が口に出せるせっかくのチャンスなのだ。
そう考え、首元のネックレスに触れることで気を鎮めると、
「…………それじゃ一つ目だ。華や『トレス・ロストロ』のあの力はなんだ?」
「————」
HMA総長藤咲華に問いかけるが、答えはない。
そう易々と教えてくれるなどとは思っていなかったので、さほどショックはないが。
故に奏太は続ける。
「さっきの部屋で変な違和感があった。あれはなんだ?」
「————」
答えない。
「『獣人』の情報の規制。やけに早いけど——」
「…………貴方」
華の態度などお構い無しに質問を続ける奏太に対し、華は閉じていた口を開いた。
その言葉には、表情には、これまでに彼女から感じたことのない感情が乗っていて。
「貴方、私が答えないと知っていて聞くなんて、どういうつもりかしら?」
怒りか、失望か。
興が乗る光景に楽しみを覚える彼女などそこにはなく、ただ奏太に対する軽蔑が視線に込められていた。
これ以上不毛な問いが続くようなら、話を打ち切ると。
だが、それを受けたとて奏太の心中に動揺は生まれない。
何故ならそれは、
「——ある程度は把握出来た。正直答えてくれたら良かった、って質問とそうでないのがあるけど……」
質問をまとめるちょっとした時間稼ぎと、
「……そう。そういうことね。貴方、良い度胸をしているわ」
「ある子に教わったのを実践しただけだよ。何ヶ月も稽古だけしてたわけじゃないし。……後でお礼言わないとな」
華が答えるであろう質問の見極め。
立場、権限、力。少なくとも、それらを直接問いかけたところで彼女が答えないことは分かった。
——つまりは、範囲の絞り込みだ。
それがぶっつけとはいえ上手くいって、爽快感が体の内から湧き出てくる。同室に住む少女に教わって正解だったというべきか。
さりげなく質問が被っていたあたり、甘さが指摘されそうな気がしないでもないが……まあ、結果オーライだ。真に聞きたいことを尋ねられるであろうことは分かったのだから。
……さらに加えて言うなら、やられた立場に当たる華が特に悔しさを感じていないあたり、浸りきれないのが不満ではあるが。
とにかく、だ。
「改めて質問をするけど——」
全てが整ったところで、本当の意味で彼女に問いかける。
ユズカを芽空に任せ、わざわざ華に訪ねにきたその意味を。
この数ヶ月で、奏太が疑問に感じていたことを。
「————華。お前は、蓮を知ってるのか?」
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「前に俺がここへ来た時、お前は言ったよな。——彼女のおかげ、って。それは蓮のことか?」
「————」
以前、奏太がハクアとの一戦を終え、ここHMA本部へ連れてこられた時の話だ。
ハクアを殺した理由。
それを華に問いかけられ、奏太は答えた。
——きっかけは恨みだが、幸せの邪魔をする彼だから殺したのだと。
奏太がそう思うに至った理由が『彼女』のおかげだと華は言っていたが、どう考えてもおかしな発言だ。
結局あの時ははぐらかされてしまったが、
「お前は俺達を知っていた。違うか?」
問いを重ねる。
瞳を伏せ、押し黙る華に。
HMA総長としての彼女ではなく、『不老不死の魔女』としての彼女に。
一瞬が永遠のようにも感じられ、何分が経過したのか分からなくなって、それでも奏太は待ち続け。
やがて彼女はゆっくりと瞼を開き、言った。
「——美水蓮、彼女のことは知っているわ」
「……っ!」
ひどく冷静で、落ち着いた声。だが、その紅眼には奏太に推し量れない強い感情が宿っている。
華と蓮の間には何か因縁があるのだろうか。
その上で、あの日あの場所にハクアを送ったのなら。……いや、そんな考えはこじつけに過ぎない。
だとしても、だ。
こじつけを抜きにしても、どうして華が一個人である蓮を、奏太と彼女との関係を知っていたのか。元々、彼女と面識があったのだろうか。
そんな疑問を視線に込める奏太に対し、
「——残念だけど、今貴方が考えているであろう縁はないわ。私は彼女と名乗り合った仲でもないのだから」
華はあっさりと否定の言葉を口にした。重大な何かでも隠されているのではないか、そう思う自分さえいたというのに。
「……じゃあ、どうして」
「簡単な話よ。私はHMA総長。情報なんていくらでも入ってくるわ」
総長の地位で集められる情報。
その中に奏太と蓮の関係性を知れるものがあるとすれば、
「娯楽エリアでの事件と、俺が通報されたこと……か」
ハクアとの一件で『獣人』としての素性が明らかとなった蓮。
彼女のことを奏太は学校で問われ、否定も肯定もせず、理不尽に『怒り』を唱えた。
それがきっかけで奏太は秋吉達と決別し、通報を受けて。
そんな目立つ存在がいれば、華に情報が集まるのも当然だろう。
全ての目撃者を、全ての情報を洗いざらい確認し、結論を導き出す。そうした時、浮かんでくるのは、
「……なら最初にハクアを倒したのが俺ってことも知ってたのか?」
ラインヴァントの面々のみにしか知られていなかった偶然の出来事。それを華も知っているということになり。
「そうね。それが貴方と話をしたいと思った理由の一つ。ハクアに殺されていたならそれまでだったけれど……逆に貴方は二度目にハクアを殺したものね」
「————」
予想外の事実に息を呑む奏太に対し、平然と言ってのける華。
疑問だった背景が判明したことも驚きだが、ここまで徹底的に調べ上げられているとは思いもしなかった。
一つ、とわざわざ言ったあたり妙に引っかかるところだが。
ともあれ、聞きたかったことの一つは判明した。望んでいた答えとは違ったが、まあいい。
その安堵ゆえか、妙な緊張感が体を走っていたことに気がつき、深く深く息を吐く。
そしてそのまま、失われた分の酸素をすぅっと取り込んで、
「——この数ヶ月俺を捕まえなかったのは、それが理由か?」
『英雄』藤咲華に問いかけた。
利用するために生かされていたのだという事実に、顔をしかめながら。