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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第一章 『彼女』
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第一章7 『その場所』



「でっかいな……」


 奏太は眼前に広がるビルの群れに、思わず驚きの声を上げた。


 視線の先にあるそれらのビルは、数多くの店舗がテナントを構え、あるいは住居とする、所謂雑居ビルだ。

 学生区側、中枢区の端に位置するこの雑居ビル群に二人は来ていた。


 並んでそびえ立つビル達は、学生区や中枢区内の他のエリアに比べれば、お世辞にもオシャレで小綺麗な外観とは言えない。

 現に、電車から降りて以降てんで華のある建物と遭遇していないのだから。


「しかし電車で一周できるのは便利だよな」


 中枢区は、学生区を中心とし、それを囲むように円状に作られている。

 また、その円を朝から晩まで電車が周回することで、都市中の移動を簡易に行う事を可能としているのだ。


「私も休みの日は、電車で娯楽エリアとかに行ったりしてるよ。ここにもよく来るし」


 彼女が訪れる程の何かがあるのだろうかと辺りを見渡すと、ここを訪れている者が一定数存在していることに気がつく。

 主に蓮と奏太のような学校帰りの生徒や、勤務を終えた後と思われる社会人ばかりで、娯楽を求めてやってきたのだろう、とはとても思えないのだが。


 奏太はここを一度も訪れことがなかったが、改めて見てみると、どうもこの場所には惹きつけられる独特の雰囲気があるように思う。

 これがいわゆる秘密基地のような感覚なのだろうか。幼少期の記憶がない奏太としては、隠れ家や、秘密基地、などという言葉が憧れだ。

 もっとも、秘密基地と呼ぶにはどうも人が多いのが素直に喜び切れないところではあるのだが。


「で、今どこに向かってるの?」


「まだ内緒」


 話をしながらも、二人の歩みは止まらない。


 気がついた時には、雑居ビルの間の狭い路地に入っていた。

 やや寂れた看板が視界の端に移り、ここら一帯の中でも特に廃れた場所なのだと判断でき————、


「…………」

 

 奏太は息を殺し、きょろきょろと周りを警戒し始める。

 ひょっとすると、襲いかかってくる暴漢がいるかもしれない、と。そしてその時、蓮を守れるのは自分だけなのだと、謎の熱が体を奮い立たせ、自然と手に力がこもる。


 しかし、実際には暴漢と思われるような人物はおらず、せいぜい通りかかった七三分けのサラリーマンが、きょろきょろと辺りを見渡していただけだった。

 きっと彼は迷ってしまったのだろう。奏太は力のこもった手を解きつつ、頑張れよ、と温かな視線を彼に送ったところで、蓮にこっちこっちと手を引かれた。


「ここは……」


 雑居ビルの一つだ。しばらく同じような景色を見ているので感覚が麻痺しつつあるが、他のビルと比べるとわずかに高いのだと思われる。

 裏口らしきドアを蓮が開け、中に入ると、長そうな階段が現れた。


「階段……ここを登るのか」


「うん、この上だよ」


 蓮は何の警戒もなしに進み、階段をコツコツと音を立てて上っていく。


 思えば、彼女はここまで一切迷わずに進んできた。

 この一帯にはよく来ていると言っていたが、ひょっとするとその理由がここなのだろうか。

 だとしたら、ここには一体何があるというのか。

 駅の近くとは言え、雑居ビルの中だ。およそ一学生……もとい、彼女が喜ぶようなものがあるとは思えない。


「————考えても無駄か」


 いずれにしても、奏太には彼女についていく以外の選択肢はないのだから。


 空いてしまった距離を縮めようと、やや早足で階段を上る。

 しばらくして、何段、何階程登ったか分からなくなったあたりで、蓮は歩み止めた。

 屋上と思われる扉があり、彼女は取っ手を掴み、そしてその扉を開いた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 風が一筋、吹き抜けた。


 開けた場所に出て、どうやら自分達がいるのはそれなりに高い場所だと分かる。

 遠くの方には学生区の街並みが見え、それがまるで一枚のキャンバスに描かれた絵のようで、とても現実のものとは思えなかった。

 いや、絵なのは自分たちの方なのかもしれない。周りの世界と隔離されているような、そんな感覚がして。


「驚いた?」


 ぼんやりと景色を眺めていた奏太は、蓮の声にハッとなって振り返る。


「……すごいな、この場所。現実とは思えないくらい綺麗だよ」


「そんなに綺麗かな。えへへ、ここね、私のお気に入りの場所なんだ」


 蓮は手をいっぱいに広げてそう言った。


 改めて周りを見渡してみると、椅子が五、六個と、白いテーブル、上等とみられる茶色いソファーが一つ置かれていることに加え、自販機がドアの横に設置されていることに気がつく。


「おお…………っ!」


 これこそ、まさしく奏太の求めている秘密基地だ。雑居ビル群が雰囲気だけの不完全なものとするならば、ここは景色、家具、雰囲気、全てが揃った完璧な秘密基地と言えよう。


 体の奥底から沸き立ってくる熱に、奏太は不思議な快感を感じていた。所謂、男のロマンだ。


「ここに連れてくるのは、三日月君で三人目。親友と、妹と、三日月君」


 彼女の言葉を聞き、喜ぼうとして奏太は首を傾げる。

 彼女の親友と妹。自分はそれらと同等の扱いを受けていることになるが、一体いつからそんな特別な関係になったのだろうか。

 期待はあっても、現実がそうではないということくらい奏太も分かっていた、はずだったのだが。


「いいのか、そんなところに俺を連れてきて」


「いいの。私が連れて来たいって、思ったんだから」


 顔が徐々に熱くなっていくのが分かって、奏太はぷいっと顔をそらす。

 どうして彼女はこう、いつも思わせぶりなのだろうか。


「……いい場所、だな」


 いや、それは決してフリではないのだろう。蓮はきっと、好意を隠そうとしないのだ。

 その好意が、異性のそれか、友情のそれか、奏太には分からないけれど。それでも、前者であって欲しいと、奏太は思う。


「お茶を飲んで、一服してみたら、もっといい場所になるよ。絶対」


 奏太の心中を知ってか知らずか、彼女は上機嫌で、声の音が上がっていた。


「ほら、座って」


 蓮は横のソファを指差し、ほらほらと奏太を急かしてくる。

 勧められるがままに奏太はそちらに向かい、リュックをソファの横に置いて座る。


 およそ、三、四人は座れるだろうかという大きな茶色のソファー。ソファーの前には年季の入った白いテーブルが置かれており、所々に傷が見られるものの、むしろそれがこの場所に上手く噛み合っていた。

 家具の一つ一つにも満足し、うんうんと頷いていると、奏太はふと気がつく。


 蓮がいつまで経っても座ろうとしないのだ。一体どうしたのかと声をかけようとして——、


「お客様、ご注文がお決まりでしたらお伺いいたします」


 いつの間にか鞄をどこかに置いてきたらしい蓮が、メモ帳とボールペンを手に持ち、そこに立っていた。


 彼女が口にしたそれは、演技臭い内容の発言であるが、アルバイトの経験でもあるのだろうか、ぎこちなさのない自然なものだった。

 彼女はふざけてやっているのだろう、ならばと奏太も便乗し、


「それじゃ、カフェオレ一つで」


「カフェオレが一つですね。かしこまりました。すぐにお持ちいたします」


 彼女はぺこりとお辞儀をして、短めのスカートを翻し、入り口横の自販機へと向かった。


 ぽつんと残され、どうにも落ち着かない気分になってくる。友だちの家に初めて行った時に味わうような、手持ち無沙汰ゆえの居心地の悪さというか。


 とはいえ、デバイスを操作してネットを閲覧、などという選択肢は奏太の中にない。彼女の前では他のことに関心を向けたくない、というのが奏太の本心だからだ。

 それに従って、むずむずとする体を抑え、じっと待つ。


 しばらくして蓮が戻ってくると、一体どこにあったのか、彼女は木のお盆に缶のカフェオレとペットボトルの紅茶を乗せ、持ってきた。


「お待たせいたしました。こちらアイスカフェオレになります。料金はお客様負担ではありませんので、どうぞ気兼ねなくお召し上がりください」


 缶コーヒーを奏太の前におき、再びお辞儀をすると、ペットボトルの乗ったお盆をテーブルに置き、ソファを回り込んで奏太の隣に座る。

 それから彼女は深く息を吐いたかと思うと、


「久々にやったなぁ、接客」


「バイトでもしてたのか?」


「うん。お手伝いだけど、中学の頃にね。……あ、私のおごりだから、気にしないで飲んでね」


 彼女は先程告げた言葉を再度口に出す。


 確かに気にしていたのは事実だが、触れる間も無く蓮が接客モードを解除したため、奏太は触れるに触れられなかったのだ。


「なんか複雑な心境だ」


 今までおごりおごられを蓮と交わしたことがなかったがために、奏太の男心と良心が痛む。


「いいのいいの。ね?」


 蓮はまるで子どもに諭して言い聞かせるように、穏やかにそう言った。


 一切の悪意がない善意。それを意中の女の子が自分に向けてくれることに思わずにやけてしまいそうになる。

 彼女の善意は奏太にとってあまりにも大きくて、温かい。それが本当に、嬉しくて。


 徐々に身体が火照ってきて、耳元まで赤くなり始める。

 何とかそれをごまかそうとして、目の前に手っ取り早い解決法があることに気がつく。


「じゃあその……いただきます」


「いただいてください」


 飲み物を口に含む行為は、これ程までに緊張するものだっただろうか。


 汗が滲んだ手を拭き、缶の蓋を回して開けると、独特の苦味が含まれた匂いが鼻に入ってきた。

 それからその濁った液体を二度、三度、口に含むと、しばらく歩いて乾いていた喉が一気に潤され、同時に火照っていた体が冷えていくのを感じる。


「…………ふぅ」


 そよそよと吹く風がそれを後押しするようにして、ようやく落ち着きを取り戻すと、程よく緊張がほぐれ、ふっと笑みを浮かべた。


 奏太のその様子を見た蓮は、満足がいったのか、テーブルの端に置かれたペットボトルに手を伸ばす。

 それを胸元に引き寄せて開け、中身を口に含んだ。


「————」


 少し間を挟んで、蓮が小さく息を吐くと、二人の間が長い沈黙に包まれた。

 しかしそれは、どこか心地の良い温かな沈黙だ。

 気まずさはなく、この時間がずっと続けばいいのにとさえ思える程に。

 心地良い雰囲気に身を委ね、蓮の方もそう思っているのではないかと視線を向けると————、


「さて」


 沈黙を破ったのは蓮だった。

 途端、現実に引き戻されて、緩やかになっていた思考が加速し始める。


 そうだ。彼女はこの景色を見せ、お茶会をするためだけに奏太を連れてきたわけではないはずだ。

 蓮は覚悟を決めたようによし、と頷く。そして、


「——大事な話、なんだけどね」

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