第三章10 『二人の事情と実験』
「じゃあ早速っスけど、キヅカミサンの角が欲しいっス!」
「…………は?」
イス・エトイラク。
彼女はフェルソナと同じ研究者である。パーティー会場ですら白衣を身につけるという誰の目から見ても明らかな変人だ。
普段の言動からは全く想像もつかないが、実はこれでかなり頭が回ったりするのだろうか。
「早速っスけど、キヅカミサンの角が欲しいっス!」
「いややらないけど」
奏太の中であっさりと結論が出た。
間違いなくそんな人物ではない。
単純というか何というか、フェルソナへの好意を見る限りでは明らかに感情的に突っ走るタイプだ。梨佳の好意を隠さないオダマキ同様に。
それならば、過去の経験故に年齢不相応の落ち着きを見せるラインヴァントの面々の方がよっぽど納得がいく。
主に葵や芽空あたりに限られるが。他はまだマシというだけで。
ともあれ、
「えー、ダメっスか? 自分キヅカミサンの角で色々試してみたいっスよ! 『実験』にも有効活用出来るかもっス! 本当にダメっすか? いいっスよね?」
「……しつこいっ!」
にこにこと笑顔を浮かべつつ『実験』と、そう口にした彼女に波乱の予感を感じずにはいられないのだった。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「さて、連日騒ぎが続いて疲れているかもしれないが、奏太君。少しだけエト君の相手をしてあげてくれはしないだろうか。直情的な言動が目立つが、彼女もあれで優秀な研究者でね。僕も眼を見張る成長の早さを見せてくれるんだ。とはいえ現段階ではかなり荒削りな……そうだね、原石のようなものだ。だが、ひょっとすると君なりに何か得るものがあるかもしれない。だから少々堪えて彼女に付き合ってみてはどうだろうか」
「無謀にも喧嘩を売ってきた相手にまで慈悲をかけ食事を与えるなんて、やはり奏太さんは器が大きいですね。あのチンピラはそもそも……いえ。色々と語りたいところではあるのですが、ボクは少々フェルソナさんと話がありまして。これで失礼します」
エトに担がれて戻ってきたフェルソナに、後で合流した葵。
二人は奏太に対し長々と言葉を尽くすと、エトを置いてどこかへ消えてしまった。
恐らく彼らの口ぶりからフェルソナの部屋であることは間違いない。
相談事か、あるいは別の何かか。
いずれにしても、
「さすがにお前も限度ってもんがあるだろ……」
「え? 何がっスか?」
眼前にいるのは、自身の行いに何一つ罪の意識を感じていないエト。
フェルソナにとって彼女がどれだけ精神を疲弊させる相手か、それは先の彼の言動が明らかにしていた。
さすがに労いの言葉をかけたが、もはや可哀想の一言である。
今にして思えば、梨佳や芽空達に冷たくあしらわれていた頃は、今と比べればよっぽど幸せであったのだろう。大丈夫かフェルソナ。
「……それで、『実験』ってのは? あ、俺の角は使わない方向で」
「えー、ダメっスか? 自分気になって気になって気になって仕方がなかったっスけど……また次の機会にするっス。——それで、『実験』っていうのは」
「————おぉ、ちょっと待てよこら。そこのてめぇ」
「ん? 自分っスか?」
エトの快活な口調にブレーキをかけたのはオダマキだ。
彼は眉間にしわを寄せたままエトを睨み付けると、
「オッレの超クソ強え兄貴分に何偉そうな口で話してんだこら、あぁん? つーか誰だてめえこら」
因縁をつけてくるヤンキーよろしく威嚇行動を始める。
どうやら先の立会いにおいて、勝敗を決した時点で彼の中で奏太は梨佳と同等の立場に達したらしく、奏太に対して行なったそれをエトにも行なっていた。
もっとも、梨佳がモデルの撮影だと言って出て行ってしまったのも少なからず影響しているだろうが、
「いや、俺は別にいいんだけど」
「じゃあいいぞ、分かったかてめえこら」
ひとまずはオダマキを窘めて話を再開させる。
彼の一瞬の手の平返しに対してエトは、
「は、はあ……よく分かんないっスけど」
意外にも言葉に詰まり、調子を崩されて動揺しているようだった。
どこか困ったようなその表情が珍しくて、奏太は声に出して笑ってしまう。
「どうしたっスか?」
「……いや。エトってさ、黙ってればフェルソナに好かれるんじゃないか?」
先程見せた表情。
普段の言動のせいで、奏太の中で彼女はうるさいフェルソナ好きとしてイメージの構築が為されていたのだが、こうして見ると丸っこくて可愛らしい顔をしている。
高くも低くもない身長と、尻尾のような二つ結びもそれを助長していて、黙っていれば可憐な少女して見られるだろう。
実年齢から目を背け、なおかつ黙っていれば、であるが。
加えて、フェルソナがずっとあの状態ではどうも見ていられないので、直してもらう意味でも言葉にしたのだが——、
「何言ってるっスか? もう好かれてるっスよ?」
理解が出来ない。
そう言ってのけるように首を傾げて不思議な顔をする。
「俺はお前のその自信の根拠が知りたい」
「え? やだなー。ほら、いっつも無抵抗で愛を受け止めてくれてるじゃないっスか。自分としてはフェルソナサンからも来てもらいたいとこっスけど、自分こだわりないんで! 愛して愛されてる、そんだけで充分っス!」
「信じないだろうけど、かなり元気なくなってるんだぞ? いや、吸い取られてるって言ったほうがいいか……」
フェルソナが抵抗をなくしていくと共に、それを愛情表現だと勘違いしたエトがどんどん調子に乗り元気になっていく。
それを吸収と言わずして何と言うか。
「もう、そんなことあるわけないっスよ。自分『獣人』でもなけりゃ植物人でもないっスから!」
辛辣な評価を下す奏太に対し、彼女にしては珍しいまともな意見だ。奏太が意識する限り、この二日間で始めてのことではないだろうか。
素顔といい、この事といい、出会った当初からあまり良い印象でなかったエトの評価は、少しずつではあるが変わりつつあった。
それでもフェルソナの件があるので、すぐに態度を改めるわけには——、
「……そうだ。それなら騙されたと思って一日くらい黙って過ごしてみたらどうだ? エトもフェルソナから来て欲しいんだよな?」
「ん、まーそうっスけど。でもそれで自分とフェルソナサンの間に亀裂入ったらどうするっスか? 自分そんなんになっちゃったら三日三晩寝込んで疲れ果てて転がって飛び込んで、最終的にフェルソナサンを後ろからがっちりホールドで絶対に離さないっすよ。愛してやまないっす。全身で愛情を表現してこれでもかってくらい——」
「待て、ちょっと待て」
彼女の言葉通りに頭の中で再現すると、絵面が木にしがみつくコアラである。いや、騒がしいことを考えればセミのようなものかもしれないが、ともあれ。
そんな恐ろしいことを口走るエトを制止しつつ、
「あれでもさ、ウチの重要な研究者なんだよ。結構助けてもらってるし」
考えてみれば、フェルソナは表立って活躍しているわけではないものの、確かな結果と共に奏太達を陰から支援しているのだ。
特筆すべきものとしてはやはり『トランスキャンセラー』が挙げられるだろうか。
ネックレス、ブレスレット、ピアス、イヤリング……それらアクセサリーに扮されており、身につけている間は『獣人』の持つ能力『トランス』を使えないようにするアイテム。
学校等のコミュニティーに属し、日常生活をする『獣人』にとってはもはや必須と言ってもいいものだろう。
そしてそれはこのラインヴァンにおいても例外ではない。
学校へ行っている者はもちろん、奏太や芽空、ユズカ達姉妹も外出する際には常時身につけている。
感情が爆発し、『トランス』を誘発させる——そんなリスクを背負ったまま日常生活を送らずに済むのだ。身につけない理由がないし、損もない。
それに、HMA幹部『トレス・ロストロ』のみに行使が可能なデバイス査定。あれを回避出来ることも。
今まで一度、それもハクアによる査定しか受けたことのない奏太だが、蓮や葵、梨佳達はこれまでに何度も受け誤魔化し切っているのだという。
逆に慣れていなかったユキナは、動物園での一件で決して並ではないトラウマを抱えるきっかけにもなってしまったし、どうにか取り除いて挙げたいところではあるのだが……それはさておくとして。
少なくとも、普通に身につける分には良い意味で得るものしかないのだ。
それから、
「オダマキ、俺とお前が今朝戦った部屋覚えてるよな?」
「あぁ、あの真っ白でクッソ目がチカチカする部屋か。しかもやたら広い部屋でクッソチカチカしたっての」
「まあチカチカするのは認めるけど。気づいてたか? あの部屋、俺たちが暴れてても傷一つ付いてなかったんだ。これまでも」
そう、あのトレーニングルームには未だかつて傷がついたことがないのだ。
葵と戦闘を行い、『トランス』の稽古に励み、ラインヴァント一の戦闘力を誇るユズカと立ち合いをするようになってからも。
意識していないだけで、それは確かな違和感でしかない。地下とはいえただの一室。傷一つつかないなどおかしなものだが——、
「あれも全部フェルソナが作ってくれたらしくてな。チカチカするのはともかくとして、かなり助かってる」
「ほぉ、あの鳥野郎にもそんなとこがあんだな」
「まあ、自分の愛する師匠であり先生であり先輩であり、同士であり同類であり同族であり恋人っスからね! 分かってたとはいえさすがっス! ……はぁ、やっぱりフェルソナサンはかっこいいしすっごいっスねぇ…………」
元々の評価の差が如実に表れているそれぞれの反応。
感心して何度も頷くオダマキは良いとしても、恍惚な表情を浮かべてうっとりとするエトが昇天しそうで怖い。というか言動もよくよく考えてみると怖い。
「……まあ、それはいい。ともかくさ、普段の言動はあれだけど色々と俺たちを助けてくれてるんだよ。それに——」
フェルソナは奏太同様の喪失もあって、ただの友人などと一言で言えるような関係でもない。
だが、
「あんまりあいつが元気のないところ、見たくないんだよ」
「————」
「かなり変わってるけどさ、知識も気遣いもあって。もちろん、エトの気持ちだって分からなくはないよ。好きだから側に居たい、行きたいって気持ち……俺も知ってるから」
どれだけ自分の欲望に素直で幾度も求めてくるとしても、それでも奏太は知っている。
彼も苦悩していた奏太を助けてくれていた、その一人なのだと。
ただ、あまり日常生活では言えないだけで。
「……自分迷惑になってたっスかね?」
問いかけがあった。
先までの快活さは何処へやら。
そこには押し寄せる感情に堪えるようなエトの姿があって。
それが少しおかしくて、口元が緩んでしまう。
どれだけ変わっていても、彼女だって悩むことはあるのだと。
だから、
「それは俺に聞かれてもな。分からないよ。分からないから……さっき言ったの試してみたらいいんじゃないか? それであいつに変化があったら、聞いてみればいい」
押してダメなら引いてみろ。
そう彼女に教えてみる。
「そっスか。……そうっスね。やってみるっス!」
こうして愛に素直に生きることを、懐かしみながら。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
しばらくして葵が戻ってきたことをきっかけに、『実験』とやらを行う場所がトレーニングルームへと移った。
そこには男三人、白衣の女性がいて、
「……で、『実験』の話だけど」
大きく脱線してしまった話を元に戻しつつ、全員の顔を順に見ていく。
「内容すら聞いてないけど、このメンバーでも大丈夫なのか? 必要なら希美も呼んでくるぞ」
芽空や姉妹を選択肢に入れなかったのはそれぞれ理由がある。
芽空は考え事を続けているし、姉妹の姉には『トランス』を出来る限り使わせない方向、そして妹は危険に巻き込まないようにしたいという保護者と合意の上での結論からだ。
ちなみにフェルソナは葵との話を終えて以降、やることがあるらしく部屋から出てこなくなった。いや、ある意味普段の彼らしいのだが。
「いや、問題ないっスよ。今回の『実験』は自分が作ったものを試してもらいたいってだけっスから。そして隙あらばフェルソナサンに褒めてもらうっス」
そう言い、彼女が懐から取り出したのは黒い板状の電子機器と、ケースに入ったカプセル状の薬品だ。
「なんだこの板っきれ。チョコレートか? クッソ苦そうだなおい」
「いやタブレットだよ。機械だ。 ……それから薬、か」
「見るからに怪しさしかないですね」
しばらくぶりの電子機器、タブレット。
それには以前お世話になったことがあるし、信頼の出来る一品だと声高々に言ってもいい。
だが、もう一つ薬は訳が違う。
何と言っても、薬なのだ。
ヨーハンからもらった魔法の薬とやらも飲むのに小一時間かかったし、はっきり言って信頼性に欠ける。しかもエトが持ってきたものなのでなおさら信頼性が低い。皆無に近い。
「なんかすっごい疑われてるような気がするっスけど……」
「気にしないでくれ」
とはいえ当然といえば当然なのだが。
奏太も彼女の言動こそ知ってはいるが、研究者としての顔をこれっぽっちも見ていない。
それ故人格に引っ張られて彼女の差し出すもの全てを疑ってもおかしくは——いや、さすがに疑いすぎだろうか。
そうだ、見る前から決めつけるのは良くない。まずは話を聞いてみようと頷いてから、
「薬ってどんなものがあるんだ?」
「そうっスね。まずはこれ、短時間だけ動物そのものになる薬と——」
「……ごめん」
「なんで謝られたっスか!?」
耳を疑う、どころか呆れてため息の出る回答が返ってきて思わず謝罪してしまう。
これを明らかに危険なものと言わずしてなんと言おうか。
しかし、そうしてあからさまに嫌な顔をする奏太に対し、意外にも反応をしたのはオダマキだ。
「おい、白衣女。それは『トランス』の適性は関係ねーのか?」
「まあ、そうなるっスね。まだ実際の効果を見てないんで理論上っスけど」
「じゃあさっさと寄越せこら。オッレが試すからよ」
「なんでカツアゲの口調なんですか」
胸ぐらを掴んで脅しにかかりそうな風貌と雰囲気を持つ彼だが、その目には興味本位だけではない何かがあった。
動物そのものになる、ということは奏太の場合はユニコーン、葵の場合は狐へと姿を変えるわけだが、一体何をそこへ求めるのか。
思案を巡らせて答えは見つからず、ひとまずは見届けることにした。
「それじゃ、これがその動物になる薬っス。効き目はすぐに出るはずっスから、安心してグイグイっといっちゃって大丈夫っスよ」
「おぉ、んじゃ早速————」
カプセル状の薬をエトから受け取ったオダマキは、何の躊躇いもなく即座にそれを口に含んで飲む。
結果、
「——ォ」
彼から声が漏れた。
最初は小さく、枯れた木の葉が揺れて音を立てるように。
しかしそれは次第に音量を、感情を、熱量を増していき、
「ォ、オオオオオオオオ!!」
思わず耳をふさぐような鋭い声が響く。
これはオダマキの叫びだ。
不快な音に顔を歪ませながら視線をやると、体を大きく震わせ、よろめく彼の姿があった。
まるで見えざる何かに押し潰されるように彼はうずくまり、そひてその果てに野生と本能、まさしくその一言を体現し、還っていく。
原点に、全ての始まりに。
「————」
しんと音が消えた。
時が止まったような感覚が部屋中を包んでいて、見渡せば葵もまた同様のものを感じているようだった。
あるべきはずのものはなく、代わりにあったのは小さな存在ただ一つ。
「……これは」
葵か、奏太か。
どちらが声を漏らしたのかは分からない。
にまにまと笑みを浮かべているエトかもしれない。
いずれにしても、内にある驚きは隠しようもない程の膨らみと質量であって。
——そう、奏太の眼前に映るのは、予想を超える光景だった。
土色の毛並みに、黒漆のような鋭い爪。動物らしく耳や尻尾といったものが生えている。
人としての機能が完全に取り払われたその生き物は、まさしく彼の『トランス』の本質であるといって差し支えない。
体の大きさも本来の獣同様で、本物だと言われれば疑い無く信じるだろう。
だがこれは、
「…………柴犬?」
予想の範疇を遥かに超える存在だった。