第二章番外編② 『少年の格好付け』
「ユズカ、何が欲しいんです?」
「んーっとね! りんごたべだいってやつ!」
「たべだい? 訛りじゃないとすると……ああ、りんご飴のことですか」
ラインヴァントの面々が合流したのち、他のメンバーにはちゃんと指定の場所で待機してもらった上で、葵はユズカの空腹に付き合っていた。
男としては情けない話ではあるが、お金に関しては芽空が出してくれるとのことで、何の不安もない。
不安があるとすれば、
「ちょ、ユズカ歩くの速いですって!」
「えー、みゃおみゃおが遅すぎるんだよー?」
蜜柑色の髪を揺らしながら、何の苦もなくすいすいと進んで行くユズカだ。
普段は長髪を一つ結びにしているだけのシンプルな見た目の彼女だが、今日はセットしてもらったのか、丁寧な編み込みが為されている。浴衣ということもあって、まだ歳的には中学生にも満たないというのに、周りの何よりもきらびやかに見えて。
とはいえ元気でハチャメチャでマイペースなところは何も変わらない。好きで付き合っていることだから構わないのだが。
「ほらほら、着いたよ。みゃおみゃおは食べる?」
とはいえユズカの話通り、屋台まではそこまで距離もなく、離されることなく追いついた。
自分は汗を流さずにはいられないというのに、ユズカは涼しい顔ではしゃいでいるのが気になるところではあるけれど。
「いえ、ボクは…………いいえ、食べることにしましょう」
「みゃおみゃおはいえいえ星人なの?」
「何ですかそれ。ほら、好きなの選んでください」
屋台の主が暖かな目でこちらを見ているため、何だか気恥ずかしくなってユズカを急かす。
しかし、どうやら隣のユズカはその視線に気がついていないらしく、
「そーだなー……。じゃあアタシはこれで、みゃおみゃおはこれ!」
彼女は数あるりんご飴を選定したのち、自身のものと葵のもの、それぞれを指差した。
「————っ。ボクのものまで選ぶんですか」
「だってみゃおみゃお食べるんでしょ? ならアタシが選ぶっ!」
屈託のない、いい笑顔だ。
空を写したような青く透き通った瞳が、息を詰めた葵の表情を写していて。
「——あ、えっと。これ何円ですか?」
その瞳に飲まれてしまうのではないか。それくらいに少女に見惚れていた。
だから、思わず動揺した声を上げてしまって。
「二つで六百円だけど、サービスだ。半額でいいぞ」
「え、いいんですか?」
「ああ。仲良く食べな」
屋台主の人の良い笑顔に躊躇するが、断ろうにも断れず、諦めて財布を取り出すと、小銭を手渡す。
それから心が浮くような不思議な感覚を覚えつつ、りんご飴をユズカに渡すと、
「じゃ、行こっか。みゃおみゃお」
すぐさま彼女は笑顔を浮かべて来た道を戻ろうとする。
——だが、
「————」
屋台主に心を浮かされたからなのか、今こうして祭りという場に自分たちがいるからなのだろうか。
気がつくと葵は、
「ん? どったのみゃおみゃお」
「手、繋ぎましょうか。……その、また迷子になっちゃいけませんし」
ユズカの手を取っていた。
迷子になるからだなんて、そんなのは建前に過ぎない。
だけど、いつもは蓋をしたままの感情が、何故かこうして出てきてしまった。たったそれだけのこと。
「ん、分かったけど……。どったの、みゃおみゃお。顔真っ赤だよ?」
「暑いんですよ」
もう片方の手で赤く染まった顔を覆うにしても、りんご飴を持っているためにそれは叶わない。
だからそれとなくクリーム色の自身の髪をいじり、誤魔化す。
鈴のような声を鳴らして、こちらに笑顔を向けてくる彼女は気がつかないのだろう。
奏太やユキナが知っていて、ユズカの知らないこの気持ちを葵が抱いていることに。
「さ、行きますよ」
だからいつかは抱かせてみせるのだと気合を入れつつ、進む。
慌ててユズカもそれに着いてくるが、
「みゃおみゃお本当に大丈夫? 手もあつつーだけど」
「大丈夫です。……りんご飴、食べていいですよ」
「あ、そうだったっ! じゃあいただきますっ!」
隣に追いついた彼女は、りんご飴の包装を解いて葵の服のポケットに突っ込むと、黙々とそれを食べ始める。
「……まあ、今日は黙っておきましょう」
普段なら怒っていたはずだった。
だけど何だか、今日は気分がいい。何故なら、姉妹の——特に、ユズカの普段とは違った格好が見られたのだから。
昔では考えられなかった。
まだ出会ったばかりの頃の姉妹が、ユズカがこうして普通の少女のように笑えるなんて。
隣でこうして、晴れやかな気分でいられるなんて。
自分に力の扱い方を教え、日常を取り戻させてくれたあの女性はもういないけれど。
それでも、その意思を継ぐ人がこれ以上誰も欠けないようにと戦ってくれた。幸せにしたいと、そう思ってくれた。
だからこうして、大事な女の子の隣で笑える。それに感謝をしないで、どこでするというのだろう。
「————ねぇ、みゃおみゃお?」
ふいに、声がした。
葵にとって、自分の命と同等に大事な存在の一つ。
いつもは拡声器でも使っているかのごとく勢いの強いはしゃいだ声なのに、今はやけに湿った声だ。
人の波に気をつけつつ、隣のユズカに目を向ける。
「どうしました?」
「みゃおみゃおは……これが毒りんごだったら、食べる?」
「いえ、さすがに毒があると分かってるものは食べませんけど……ユズカ?」
それはほんの一瞬の変化だった。
「————」
瞬きをすれば消えてしまうひと時。
それを葵は見逃さなかった。
しかしユズカは隠すようにして、言う。
「アタシはね、食べるよ。毒があっても……倒れちゃっても」
彼女の表情には、先の一瞬など微塵も感じさせない明るい笑みがある。
幻だったのかもしれない、などと思いそうになるくらいに、綺麗な瞳がそこにある。
「——、そうですか」
けれど、葵は知っていた。
少女が何を言わんとして毒りんごなどと言ったのか。
少女がその身に抱えたものの重さを。その強さを。
「————なら、ボクが起こしに行きますよ」
だからこそ、葵は格好をつける。
たとえそれが傲慢な行動であっても構わない。
「ボクがユズカを起こします。どれだけ堕ちても、どれだけ深い闇に飲まれて息絶えても。ユズカにとっての王子として迎えに行きます」
「王子……様?」
「ええ。王子様です」
そう言い、ただ握っていただけの指を絡める。
「————っ」
我ながら歯の浮くようなセリフだ。
こうして言葉に出したことが、今になって恥ずかしくなってくる。
昔見た物語の、誰かが言っていたようなセリフがごちゃ混ぜになって、自分の口から出たのだ。
確かにそれは葵の本心に違いない。
だが、耐えられるかどうかは別問題である。
隣のユズカの沈黙が怖いし、顔だって見れない。
笑顔でも向けられれば一周回って決まっていたのかもしれないが、自分にはそんな度胸もなく。
今までになかったこんな格好付けは、誰かに影響されたものなのだろうか。
「…………みゃおみゃお?」
「は、はい」
情けない声が自分の口から出たのが分かった。
先ほどまでの勢いは何処へやら。
流れゆく人々がこちらを見ていないだけまだマシだが、これではダメダメではないか。
そう思い、ため息を吐こうとして——、
「約束ね、みゃおみゃお」
思わず、逸らしていた目線を隣の少女へ向ける。
「…………え?」
「アタシが死んだらよろしくね、待ってるから」
「……分かりましたよ。約束です、お姫様」
ため息を吐きかけ、やめた。
何故なら彼女は、ユズカは——、
「えへへっ」
目尻に涙を浮かべ、微笑んでいたのだから。
「……あ、でもでも、みゃおみゃおじゃまだまだ難しいと思うなー」
「何を言いますか。ボクだって日々強くなってます。そのくらい余裕ですよ」
そしてすぐに彼女は日常を取り戻す。
何かを知って、何かを得たとしても、ユズカとユキナの日常は、変わらずそこにあるのだから。
「えー、ほんとにー? ————きゃぅっ!?」
ぼふん。
あからさまにからかう口調で話すユズカの言葉が途中で中断され、続けて鈍くぶつかる音が葵の隣で聞こえた。
「——ってぇな、気をつけろッ!」
夏場だと言うのにフードを被った男がユズカにぶつかり、文句を口にする。
「あ、ごめんなさい……」
「ハッ!」
謝罪するユズカに対し、男は鼻を鳴らすと、すぐさま人の波に戻りどこか消えてしまった。
「怒られちゃいましたね、ユズカ」
「うん……あーっ! どうしようみゃおみゃお! りんご飴落としちゃった!」
男とぶつかった拍子に落としてしまったのだろう。まだ半分以上も残ったりんご飴が地面とキスをしていた。
大事な食べ物を失ったユズカは、あわあわと震えてそれを見つめる。
その表情には、先ほどの涙などこれっぽっちも見受けられない。
ただ一人の少女の顔だ。
だからこそ葵は自分の片手を見つめて、差し出す。
「……ユズカ、ボクの食べていいですよ」
「え、いいの? みゃおみゃおのおとーさんはみゃおみゃおがりんご飴好きって言ってたよ?」
「な! いや、確かにそうですけど……」
思わぬところでの情報漏洩があったものだ。
確かにユズカの言う通り、自分はりんご飴が好物であるのだが、それでも。
「……いいんですよ。食べてください。注意してなかったボクもボクですし」
「そっか、うん。分かった。それならみゃおみゃおの分も残しとくね!」
——かくして、少年と少女は再び歩き出す。
一人はりんご飴片手に少年を振り回して。
もう一人は、そんな少女にため息を吐きつつ、笑って付き合って。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
雑居ビルの外れで、一人の青年はフードを外す。
先程まで人混みの中を厚着で歩いていた青年は、不快な表情で顔を歪めており——否、違う。
「————まさか」
確かに彼は顔を歪めていた。
だがそれは、断じて不快から来るものではない。
「——まァさかまさか、てめェと再びこうして再会できるなんてなァ?」
言った青年は月光を浴びた銀髪をかき上げると、血走った目を遥か後方に向け、快楽から来る笑みを浮かべるのだった。