第二章間奏 『再び、その場所で』
——秘密基地。
それは以前蓮と共に訪れた場所だ。
そこで奏太は『獣人』を知り、蓮という少女に自身の過去を告白した。今でもはっきりと思い出せるくらいには、月日は経過していない。
ほんの、三週間程度。
それまでの間に、一度だけ奏太はここに来ている。
学校で蓮の存在が否定され、耐えられなくなって飛び出していったあの日。
あの時の感情は、一度目に訪れた時とはまさしく正反対で、死んでしまおうかとさえ思える程には悲嘆の情に囚われていた。
だから、今こうして秘密基地に来ていることが運命めいたもののような気がして、思わず笑みを浮かべてしまう。
「…………奏太さん、一つ質問してもいいですか?」
「俺が答えられる範囲なら」
しんみりとした思考は中断され、隣に座る葵のため息によってかき消される。
二人は雑居ビルの屋上、通称秘密基地に来てからというもの、壁にもたれて皆々が盛り上がるのを見つめていた。
「奏太さんが以前ここに蓮さんと来たことがあり、気に入ってるということは分かりました」
「うん」
「それに関して特に僕から言うことはありません。……いえ、それだけ思い入れのある地にボク達を連れて来てくれたことには、感謝します。本当に良いのかという困惑がないわけではありませんが」
「ああ」
「とはいえ困惑を脇にやってこの景色を見つめてみれば、本当に良い場所なのだと分かります。これに加えて、奏太さんには蓮さんという存在があった。それは本当に幸せで、満たされた場所だったのでしょう。——ですが」
葵は一度言葉を区切ると、ある人物をちらりと見やり、
「なんでお父さんがいるんですか……」
ため息混じりにそう言った。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
昨晩のことだった。
HMA本部から芽空と共に帰還し、盛大な料理が振る舞われた夕食時。
奏太は突如立ち上がり、言った。
「——秘密基地へ行こう」
もちろん、その場にいた全ての者は奏太の発言の意味が理解できず、首を傾げた。
それに気づき、慌てて説明したところ、葵が一瞬むっとした表情になったことを除けば、全員が全員賛成したためピクニック気分で行くことに。
幸いにも翌日が休日だったこともあり、部屋に引きこもりがちなフェルソナはもちろんのこと、通学組も揃っての参加。
とはいえ急遽の提案であったがために、お弁当を作ったりするには食材量が明らかに足りなかったので、
「——それが理由で、呼んだわけですか」
軍人か何かかと間違えられそうな強面だが、それなりに人気があるケバブ屋を営む葵の父親、店主。
彼にケバブを売って欲しいと頼んだのだ。
「もっと言うと、あの時提案したのも実はおっちゃんと約束があったからなんだけどな」
「約束……?」
「ああ、約束。前に葵がここへ来てくれたことあっただろ? あの時にさ、約束したんだ。今度は葵達も連れておっちゃんのとこへ行く、って」
葵の父親ということもあって、店主は奏太の人と『獣人』という両面の生活に関わっていた。
また、そのどちらもの事情だけでなく、蓮の素性や奏太と彼女との交際期間を知っている数少ない人物でもある。
いずれもケバブと共に登場しているあたり、奏太とケバブは切っても離せない縁でもあるのではないかと疑ってしまうとろだが、それはさておき。
「……迷惑だったか?」
「迷惑、というわけではありません。ですがその……」
「その?」
珍しく言葉に詰まる葵は、奏太の視線を避けるように空を仰ぐ。
「端的に言えば、気まずいというのがボクの本音です」
「ユズカやユキナはおっちゃんと仲良くしてるみたいだけど?」
奏太が指差す方、そこには姉妹と戯れる強面の店主がいる。
彼に連絡を取ったのは今朝方のことで、本来ならばこの屋上へ来てもらうこと自体営業に影響が出てしまうので、彼がここにいられるのはごく短時間。
の、はずだったのだが。
葵を連れて行くと言った途端に臨時休業だと言って店を休むことに決めた店主。
彼は葵の家庭環境を未だ知らない奏太でも、明らかな親バカだと分かる行動を取ったのである。
もちろんそれに驚きがないわけではなかった。
が、意図せず核心をつく情報を得たことで、奏太の中でもやもやとしたままだった疑問が一気に解決、ある一つの答えが出た。
「…………なあ」
「……なんです?」
「俺は……さ、葵とおっちゃんの間に何があって別居してるのかは知らないけど、多分葵が身を引いたから…………なんだよな?」
「——っ、はい。どうしてそれを」
それは以前葵に問いかけた疑問。
何故親子仲が悪いようには見えないのに、別居しているのか。
「反抗期でも、親元を離れたい時期でもない。じゃあ何か家庭の問題かって考えたけど、あのおっちゃんは葵に対して何か気まずい様子なんて一回も見せてなかった」
会話に関してもそうだ。何か詰まりがあったわけでもなく、変に距離があったわけでもない。
何かがあるというのなら、むしろそれは二人ではなく——、
「自分が『獣人』だからって、葵が距離を置いたんじゃないか? それから、ユズカとユキナの面倒を見るために……って、俺が分かったような口聞いたら怒るか」
「————いえ、確かにあなたの言う通りです、奏太さん。無自覚とはいえ、数年前にボクは『トランス』を幾度も使用し、その力を周りに見せつけてきました。異端視されかねないこの力を」
そう言い、葵は手をかざして空を見つめる。
やけに憂げなその表情の裏にあるものを、奏太は知らない。
だが恐らくは、奏太では想像もつかないくらいの葛藤や後悔が彼のうちにはあるのだろう。
奏太とは違い、彼ら『獣人』は生まれついた時からその素養を持っている。
発現のきっかけやタイミングに差があるというだけで、それは変わらない。
葵の場合は精神が未発達な時期に発現したことで、今も消えない傷となって彼を蝕み、家族から離れることすら決意するに至ったのだ。
「……そんな力を持つ者が近くにいては、いずれ怪しまれます。個人だけでなく、親類までもが」
「でも、それが『トランサー』——いや、『獣人』の力だってことはおっちゃんだって当然知ってるんだろ」
「ええ。その上で情報を共有しています」
「でも生活を共にすることは危険だから出来ない、と」
「——ええ、そうなります。それに、ユズカとユキナはボクが面倒を見ると決めましたから」
難しい問題だ、そう結論づけようとして奏太は再度遠くの店主を見やり、気がつく。
「————」
何やらフリスビーのようなものを店主が投げ、今度は梨佳も混ざって姉妹がそれを撮ろうと躍起になる。
取れなかったら悔しい、けれど取れたら嬉しい。そうして一切の不純物のない笑顔が時折彼女たちから漏れ、つられて店主も笑う。
まるで親子のような光景だ。
きっと、奏太にも記憶があれば、あんな光景が一度や二度あってもおかしくないくらいに、自然で楽しげな。
蓮という存在を得たことを知り、また失ったことを知った秘密基地へ来たからだろうか。
奏太もあそこに混ざって笑いたいと思えてくる。
そして同時に、思ったことがあった。
「————肩の力、抜けよ」
「…………え?」
梨佳や芽空が葵について言及していたこと。
それから、彼と関わったこの三週間。
いずれも、葵という少年を知るには十分すぎるくらいの期間だった。
「一人で抱えすぎなんだよ、葵は。そりゃ一緒に住んでたらおっちゃんにだって危険はあるかもしれないし、あの姉妹を守るためにアジトで生活するってのも分かる」
——格好つけ。それは確かに彼の本質だった。
「————でも」
かつて奏太は吠えた。
秋吉に対して、一体蓮の何が分かるのか、と。
かつて奏太は激昂された。
あの二人の何を知っているのか、と。
何もかもが伝わらなくて、なのに何もかもを知っているかのように、自惚れて。
奏太が今望むのは今まで知らなかった全部を知ること。
幸せを望むために今まで目を背け、逃げてきた全部に、向き合う。
だがそれよりも大事なことが、この瞬間、彼に対して伝えなければならないことがあった。
「——でも、それは葵が今おっちゃんと話すことを望んじゃいけない理由にはならない」
「……どうして」
「葵自身が幸せになれてないからだよ」
「——ッ! ボクは今でも幸せで!」
感情の昂りが抑えられなくなったのか、葵は立ち上がり奏太に吠える。
——が、それは牙を抜かれた獣も同じ。弱々しく、所詮はすぐに砕けてしまうような彼の格好付け。
だから奏太は立ち上がり、言う。
「いいや、幸せなんかじゃない。俺は知ってる。何かを失って、けれど誰かの幸せを望む奴を。嬉しいのに、心の奥深くではずっと痛くて」
それは一人の少年——奏太と、一人の少女。
「失った傷から目を背けても、笑えない。立てない。表面上は上手く取り繕っても、それは変わらない」
奏太は奏太自身と、あの少女を知っているから、言うことが出来るのだ。
「ちゃんと向き合え。自分がどうしたいのか、相手が本当は何を望んでるのか。向き合って何かが見えたんなら——手を伸ばせ。その先でちゃんと笑ったり、泣いたり出来れば、それが幸せだから」
蓮の死に向き合って、耐え切れなくて、彼女の想いを知って。
泣いて、笑って、奏太は今こうして誰かの幸せを——自分の幸せを、望んでいるのだから。
「……でも」
葵の表情の瞳に浮かぶのは動揺と、迷い。
奏太は知っている。
彼の胸中にあるものを。
「俺は葵に何があったのかは知らないけどさ。こういう時くらい親と話せばいいんだ。悪いことなんて、一つもないんだから」
「でもボクは……ボクは! お父さんに、気を遣わせちゃうし」
彼の瞳から一筋、涙が弾けた。
それは、彼の吐露。
格好つけという仮面を纏い続けた、天姫宮葵という少年の心の奥底の感情。
全てをさらけ出し、感情のままに彼は表情を変える。
「何言ってんだよ。自分の好きな人達の幸せを望むなんて、当たり前のことだろ。気を遣わせるとか、遣わせないとか気にする必要なんてないんだ」
「——怖いよ」
「なら俺が手伝う。ユズカもユキナも梨佳も、みんながいる。だからやってみろよ、葵」
長い髪が濡れることも気にせず、涙を流す葵に奏太は手を伸ばす。
「恥ずかしくても、不恰好でもいいんだ。行こう、幸せになるために」
数秒、躊躇いがあった。
凝り固まった格好つけと、目を背けてきた自分自身への葛藤。
それが彼の中ではあったのだろう。
しかし、それでも。
「…………うん!」
誰かの幸せのために自分を押さえつけ続けた少年は、全てを取り払って笑った。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「——ユズカ危ないですって!」
「——えー、だってみゃおみゃおのとこに飛んできたんだもん!」
「——はっはっはっ! お前ら、何回でも投げてやっから喧嘩すんな」
笑い声が聞こえる。
言葉では文句を言いつつも柔らかく微笑む少年、少女。
それを親という目線から温かく見守る店主。
以前来た時に比べて、ずいぶんとこの場所も明るくなったものだ。
いつの間にか梨佳と交代で姉妹達に混じっている芽空や、二人で話す梨佳と希美。
ドア近くの壁にもたれて皆を見つめる奏太も含めて、全員がここに来たことを嬉しく思い、楽しんでいた。
「————っ」
そんな時でも——いや、そんな時だからこそ、なのだろうか。
もしも蓮がこの場にいたら、どんな顔をするのだろうかと、考えてしまう。
「…………いや、考えるまでもないよな」
彼女も例外なく笑うのだろう。
こうやって一人で黄昏ている奏太を迎えに来て、手を掴んで行って。
ありえないもしもの話だというのに、彼女の一挙一動がすんなりと思い浮かべられる。
それでも涙は、流さないけれど。
「俺は今ここにいる。だよな、蓮……」
どれだけ愛おしく思ったとしても、奏太がこの世界に存在し、彼女が存在しないことは紛れも無い事実なのだから。
そうしてしんみりとした感情に終わりを告げようとした、その時だった。
「————やぁ、奏太君」
「——ッ!?」
キィと扉が開いたかと思えば、鳥仮面が顔を覗かせた。
光と暗闇が半分半分になった視界のうち、暗闇から見える彼の姿はホラーそのものである。
「…………おぉ、うん。フェルソナか」
動揺を隠しきれずに変な声が漏れたが、無理もあるまい。
初夏だというのに暑苦しい長袖を着た鳥仮面は両手から袋を下げており、
「遅れたお詫びに幾つか差し入れを買って来たんだ。奏太君も何か飲むかい?」
「え、っと……コーヒーを一つ。——いや、やっぱいい。そこの自販機で買ってくるよ」
「そうか、それならば僕はあの子達に配ってくるとしよう。……君は一緒に来ないのかい?」
「俺はもう少しだけ、ここにいるよ。……あ、そうだ。フェルソナ、後でこっちに来てくれるか? 話したいことがあってさ」
奏太の言葉に、フェルソナは顔をずいっとこちらに近づけるとやや興奮気味に、
「話したいこと? それはひょっとすると、僕が未だに見たことのない奏太君の『トランス』の事だろうか。圧倒的治癒速度の速さや、何の動物が元となっているか、あるいは先日の戦闘で姿を変えたという見た目のことかな。それならば是非とも話を聞かせてもらいたいところだ。いや、もし君さえ良ければ話だけでなく実際に見せてくれると僕も嬉しいのだが——」
「待て、分かった。分かってないけど分かったから待て。その事じゃなくて、別の話だよ。ほら、とりあえず向こうに配ってこい」
やや辛辣にしっしっと手を振ってフェルソナを払いのけ、奏太は歩き出す。
蓮が以前ご馳走してくれた、カフェオレのある自販機へ。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「——『結晶』?」
「ああ。理屈は分からないけど、生き物を極小化させてたんだ。俺は一応『結晶化』って呼んでるけど」
戻って来たフェルソナに、奏太はHMA本部であった話をしていた。
藤咲華が見せたあの液体。
一見ただの香水か何かのように見えたのだが、その本質は違った。
かけただけですぐに生き物の構造そのものを変えてしまう。そんな液体は見たことも聞いたこともない。
とはいえ、それはあくまで中学までの学習を修めてきた奏太の知識では、という話である。
だからこそ曲がりなりにも年長者であり、研究者でもある彼ならば何か分かるのではないかと思って聞いたわけだが——、
「……すまないね。期待してもらっているところ申し訳ないのだが、僕にもそれは分からない。研究者として恥ずかしい限りだ」
「そう、か。いや気にするなよ? 何も分からなかったら死ぬってわけじゃないんだしさ」
「知らないことがある、それは僕にとって重要かつ重大で重厚な苦しみなのさ」
確かにいつも通り表情は見えない鳥仮面だが、心なしか背中や言動に哀愁が漂っている……ような気がする。
「…………でも、考えてみたら色々技術は発展してるけど、そういうの全部が全部分かるわけじゃないよな」
「当然のことさ。日々人は新たなものを生み出し、同時に古いものは徐々に廃れていく。——とはいえ、ここ数年の発展はあまりにもその速度が速いけれど、ね」
「それってデバイスとか、『ゴフェルの膜』……とかか?」
ふっと空を見上げた先にある水色で透明な『ゴフェルの膜』。
最近はそれを気に留める余裕すらなかったが、それはこの街全体を覆っている膜のことだ。
なんでも『ノア計画』に必要とかなんとからしいが、最後に意識して見たのは春のことだったか。
いつの間にやら無関心になるくらいには、当たり前の光景となっていた。
とはいえ記憶がなくとも、デバイス共々最初は人々にとって異様な光景だった、というのは想像に難くないのだが。
「ああ、そうだとも。もっとも歴史を遡れば、どうして開発出来たのか分からないような代物達は幾十も存在するのだけどね。時代にそぐわぬ代物、超技術——オーバーテクノロジー、とでもいうべきか」
「オーバーテクノロジー、ね……って」
言葉を続けようとして、自分の喉がひどく乾いていたことに気がつく。
手元にあった缶のカフェオレを二度、三度口に含んで潤すと、
「……人が扱うには早過ぎる技術だって、そういう風にも取れるな」
「さて、どうだろうね。僕としては君の意見に賛成だが、この先どうなるかなど想像も出来ないからね——おっと」
フェルソナが言葉を紡ぐ途中、何かに遮られたのが分かった。
一体何事かとそちらに視線を移すと、
「どうした? ……って、芽空か」
フェルソナの視線の先、すぐそこにいたのは芽空だった。
どうやら彼女がこちらに来たがために、フェルソナは言葉を途中で止めてしまったらしい。
「そーた、あっちで遊ばないのー?」
「そうだよ奏太君。君も遊ばないのかい」
ちゃっかり芽空側についているフェルソナに反応しかけたが、とりあえずそれを止める。
芽空は何度か地面に足をつけたのか、いつも通りの薄着が所々汚れており、どれだけ熱中していたのかが一目で分かった。
確かに奏太達が話している間も店主達は元気にはしゃいでいたし、納得といえば納得なのだが。
「俺は…………」
再び断りを入れようとするが、さすがにそろそろやめようと自省。そして、
「……うん、行くよ」
一息吐き、にっと笑みを浮かべて頷く。
すると芽空の顔が見るからにぱあっと明るくなって奏太の腕を掴んで、
「行こ、そーた」
「——ああ」
————思えば、かなり密度の濃い半月だった。
蓮と過ごしたあの日々が劣っている、などとは思わないが、それでも短い月日の間に今まで知らなかった多くを、奏太は知った。
失ったものも、得たこともある。
そのどれもを一言で語ることは出来ない。だが、これだけは言えよう。
今ここにいる自分は、過去二度来た時の自分とは違う。
自分を愛してくれた少女を、蓮の願いを奏太は知っている。
だから奏太はもう、一人で立てる。
「————またな、蓮」
いつかお礼を言うために、奏太は再び空を仰ぐ。
周りを、世界を、自分を。
幸せに、するために。
これにて第二章完結となります!
いかがでしたでしょうか。
色んなキャラや謎が登場した二章でしたが、最後まで楽しめたのなら嬉しい限りです。
第三章は早くて一週間後には始める予定ですが、場合によってはもう少しお時間をいただきます……
更新する直前には活動報告等でお知らせしますので、今後ともよろしくお願いします。
ちなみに第二章までのキャラ、用語まとめもそのうち作成する予定ですので、お楽しみに!