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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章32 『相性が悪い相手』



 何もかもが灰色の部屋に、女性の声が響いている。


「彼、無愛想だったでしょう」


「————」


 藤咲華の声だ。


 その声は聞くもの全てを吸い寄せ、心を射止めてしまうような透き通った声。

 聞いていて何の詰まりもない涼やかなその声は、決して柔らかなもののだということではない。

 根っこの部分から大きな芯があり、それが凛とした強さのある声となって彼女の口から放たれていた。


「見た目で恐れられるから、もっと笑うようにと何度も言っているのよ」


「————」


「ああ、貴方達にとっては私も視界に入れただけで恐れられる存在かしらね」


 だが、奏太は答えない。

 理由は大きく分けて二つ。


 どちらも至極私的な理由だが、一つ目はソウゴとの話を邪魔されたこと。

 話を再開しようにも彼は華が来た途端どこかへ行ってしまったので、事実上不可能。

 ただ、彼がこちらに会いに来てくれる場合には話せるのかもしれないが、そう簡単に叶うようなものでもないだろう。


 その根拠として、HMAは一般的に、『獣人』を探すために各地を回るなどして監視の目という役割を保っている。

 だが、これまでの情報から推測するに、幹部『トレス・ロストロ』のみが行えると思われる『探索』。

 これがHMAの役割を保つ上で必要不可欠なのではないかと奏太は考えていた。


 『獣人』かどうかを調べ、始末するためにデバイスに記憶し、『探索』する。

 そうすることでここ数年平和を維持してきたというわけだが、問題は奏太達がハクアの命を奪ったという事実。

 武力や立ち位置のことを考えれば、一人消えたからすぐ補充、なんて事が簡単に出来るはずがない。

 故にハクアが抜けた穴を埋めるのは容易なことではないはずだ。


「————貴方、私と話す気は無いのね」


「…………当たり前だろ」


 そして、答えない理由のもう一つ。


「そんなに私が気に食わないかしら? ハクアを駒のように扱ったから? それとも貴方を無理やり連れてきたから? ——あるいは、ソウゴとの話を邪魔されたから?」


「…………言わないと分からないのかよ」


「ええ、分からないわ」


 誰もが当たり前のように持ち、しかし奏太があまり抱いたことのない感情。

 本来ならば物心がついた時には知る事となるものだ。

 それが、奏太にとってはつい最近だったというだけで。


「……っ! 俺は嫌いなんだよ! お前が、お前の全部がっっ!!」


 あまりにも幼稚で、しかし純粋な嫌うという感情。

 奏太はそれを彼女に対して抱いていた。


 過去に何度も顔も、話も、見て聞いた事があるというのに。

 『獣人』の目線に立った時に初めて自分の中に生まれた、過去を覆すほどの嫌悪感。

 彼女が口にしたいずれの言葉も、麗人たるその見た目も、それら全てに敵意を向けざるを得ないくらい、本能的な部分で彼女を警戒し、嫌っていた。


 ——だが、それを嘲笑うかのように、華は言う。


「ええ、知ってるわ」


「…………は?」


「貴方が私の全てを嫌っているだなんて、聞かなくても分かる事でしょう」


「————ッ!!」


 薄っすらとその美貌に笑みを浮かべる彼女に、思わず怒りが込み上げたのが分かった。

 今すぐにでも、飛びかかってもおかしくないくらいに身を熱くする怒り。

 それらが全身をめぐり、立ち上がる直前。


 彼女はそうする事がわかっていたかのように、平然と言う。


「——やめておくことね。私は貴方と話をしたいから連れてきただけよ。激昂に身を任せ、私に襲いかかるというのなら——容赦はしない」


 冷たく言い放たれたその言葉には、謎の魔力が秘められていた。

 熱く火照っていた体が端から冷え、凍りついて動けなくなってしまったかのような錯覚を受ける。


 仮に誰かが同じことを言ったとて、味わうことのないその奇妙な感覚は彼女——藤咲華の口から放たれたからこそなのだろう。

 止まるはずのなかった怒りは鳴りを潜め、そこに残ったのはより濃いものとなった警戒心と動揺。


「ふふ、物分かりの良い子は助かるわ」


「…………勘違いすんな」


 だからこそ、たった数言。

 それだけを返すので精一杯だった。


「勘違い?」


「さっさと話を済ませて帰りたい、それだけだ」


「……そう。子どもの強がりね」


 一言一言が煽るようなものばかりでまともな会話が出来る気がしないが、しかしそれでも何とか堪え、軽く息を吐く。


「…………それで、話っていうのは何だよ」


「さて、何でしょうね?」


「は?」


「冗談よ。貴方、本当にからかい甲斐があるのね」


 いい加減にしろと言わんばかりに深く息を吐いて、睨みつけるが、彼女は知らんぷりでもしているかのように薄気味悪い笑みを浮かべたままだ。


 とはいえ、さすがにこれ以上は無駄な時間になると判断したのか、


「……それじゃあしましょうか。私が貴方としたかった、お話を」


 小さな子どもを闇へと引きずりこむ魔女のように、彼女はそう言った。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「改めて自己紹介をしましょうか。私の名前は藤咲華。HMA総長よ。世間では英雄と呼ばれ、貴方達『獣人』からは確か……そう、不老不死の魔女と呼ばれているわ」


 彼女はそう言い、手を差し出してくるが、


「俺の名前は三日月奏太。……『獣人』だよ。お前が大嫌いな」


 棘のある言葉と共に見せかけだけの不恰好な笑みを浮かべて、握手に応じる。


「ええ、よろしく。ちゃんと応じてくれて嬉しいわ」


 当然、彼女からも奏太の内心は分かっているはずなのだが、予想とは違った反応が返ってきたことに奏太は驚く。

 だが、これもまた自分を馬鹿にする類の発言かと考えかけ……、やめる。


 理由は彼女の表情だ。


「————握手がそんなに嬉しいのかよ」


 彼女はニッコリとした笑顔をその顔に浮かべていた。


「あら、貴方は嬉しくないのかしら? 私はまともに話が出来て嬉しいと、そう思っているのに」


 油断させるための罠、なのだろうか。

 初対面でこれほどまでに嫌悪感を抱いた相手は過去に例がないため、判断に困ってしまうところだった。

 ハクアは誰しもにああやっていい顔をしているし、ソウゴは警戒こそするものの嫌悪感には至らなかった。


 故にやりづらいというのが、今現在藤咲華に対して抱く奏太の率直な感想だ。


「……いい加減話を進めろよ」


「そうね。貴方は私と話すのが苦痛だって、表情に出ているものね。————それじゃ奏太君。貴方に一つ質問をするわ」


 故意的だったのかは分からない。

 が、彼女が話を始めた途端、それまでどこか小馬鹿にしているような含みのある言葉が、姿を変えた。

 同等の立場に立った上で話をするという、ごく普通で、しかし二人の間には成り立っていなかったものへ。


「貴方はハクアを殺した。とどめはあの男の子だったけど、放っておいてもハクアはどうせすぐに死んでいたわ。だから貴方が彼を殺したという事実は、現実に嘘をつかない」


「……何が言いたい?」


「——ああ。恨み言を口にしているわけではないの。ハクアの死をそこまで悼んでいるわけではないし、私が聞きたいのは貴方の謝罪の言葉じゃないから」


 やけに遠回しな言い方だ。

 先程までの問答といい、本題までの道のりがやけに長いのは彼女の性格的なもの、なのだろうか。


 とはいえ、たとえそうであっても急かしたくなってくるのだが、口を開くよりも前に彼女は言う。


「————貴方がその事実に至った理由は何なのかしら?」


 その事実——つまりはハクアを殺した理由、ということだ。

 彼女の質問に対して、違和感と疑問点がいくつか生じたが、ひとまずそれを置いて答える。


「……きっかけは恨みだよ」


「その割には恨みに取り憑かれた者の顔には見えないわね」


「きっかけは、って言っただろ。確かに大事な人を殺されて恨んだけど。でも、それだけじゃなくなった」


「……それだけじゃない?」


「あいつは、俺が幸せにしたい人達の幸せの邪魔になる。だから殺した。……ついさっき実感が湧いたところだけどな」


 未だに僅かに震える指先をちらりと見る。

 それは殺人という事実を頭と体が理解をし始めた証拠であり、否が応でも現実に向き合わなければならない。

 これから幾度となく対面することになるであろう、現実に。


「ふうん……」


 彼女から返ってきた言葉はたったの三文字。

 だが、言葉以上にその顔には充実感が浮き出ていた。


「これで満足か?」


「ええ、満足よ。貴方、本当に面白いわ。——でも、そうなったのは彼女のお陰かしらね」


「————は?」


 一瞬、耳を疑った。

 ほんの小さな呟きだった。

 だが、艶美な笑みを浮かべる彼女が絶対に聞き逃してはならない言葉を口にした。


「おい、今なんて…………」


「さて、質問に答えてくれた貴方に良いものを見せてあげるわ。お嬢様が迎えに来る前に、ね」


 彼女は奏太の発言に被せるように言い、席を立つ。

 それから机をぐるりと奏太の側まで来ると、


「——はい。これで貴方を縛るものはなくなった」


 ガチャリ。

 金属音がして、一体何かと思って手元を見やれば、残っていたはずの手の錠が彼女によって外されていた。


「……どういうつもりだ?」


「言ったでしょう。話がしたい、と。私が知りたいことは知れた。だから解放するの。だから貴方が選択しなさい。私がこれから貴方に見せるものを、貴方が見るのかどうかを」


 笑みの消えた華の表情からは、何もかもが読み取れない。

 そもそも、未だに信用することすら許されない相手なのだ。

 故にわざわざ彼女の話に付き合う必要はないのだが——、


「……なら、見るよ。何なのか知らないけど」


 錠は無くなった。

 それによって恐らくは『トランス』も発動出来るようになったはずだ。

 ならば仮に何か危険な事態に陥ったとしても、脱出くらいは何とかなるだろうとそう判断して。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「——何だそれ」


「これはフィルムケース。現代では見かけること自体が稀になっているから、貴方が知らないのも無理はないわね」


 華がことっと置いたのは、白く透明プラスチック容器。

 中に黒い何かが入っているようだが……。


「それからもう一つ」


 彼女が懐から取り出したのは、香水のようなものが入った小さな容器。

 それぞれが机の上に並べられ、しかしその意図が分からずに首を傾げる。


「何がしたいんだ、お前」


「貴方せっかちなのね」


 ふふっと笑って見せるその表情はひどく綺麗で、相手が華でなければ間違いなく素直に賞賛するところだが、彼女を褒めたくはないので顔を歪めるだけに留める。


「それじゃあまず、このフィルムケースの中身から。……分かるかしら?」


 フィルムケースを手に取ると、ぱかっと開いて中身を見せてくる華。

 どうやら中には生き物が入っているらしく、


「クワガタ……だよな」


「そう。これはクワガタ。貴方も幼少期には捕まえたりしたんじゃないかしら」


「生憎、俺は昔のことなんて覚えてな——ちょっと待て。何する気だ?」


「——ああ。貴方に持ってもらった方が分かりやすいかもしれないわね。というわけで、これ持っていてくれるかしら」


 液体容器を手に持ち、何事かを始めようとした彼女にフィルムケースを半ば強引に持たされる。

 が、一体全体この二つに何の関係性があるのかが分からず、結局困惑。


「それじゃあ、改めて確認。そこに入っているのはクワガタ。そうね?」


「ああ。どこからどう見てもクワガタだ」


「じゃあこの液体が入った容器は? 奏太君は、何だと思う?」


「いや分かるか。……香水?」


「残念。香水は別に持ち歩いているわ。————これを、クワガタにかけたらどうなると思う?」


「どうなるって……溶けるとか」


「あら、優秀。かなり正解に近いわね。けれど残念、満点はあげられないわ」


 よく分からない。

 溶ける、という状態に近いというのなら一体何なのだろうか。

 奏太の疑問に答えるように、彼女は手招きする。


「腕を伸ばして、私に近づけて。——そう、そのまま」


 彼女に言われるがまま、フィルムケースを近づけると、彼女が液体の入った容器を構えて、


「————ッ!?」


 フィルムケースに入ったクワガタに、それを振りかけた。

 だが、奏太が驚いたのは彼女が唐突にかけたことによるものではない。

 むしろ、それによって起きた変化に目を疑ったからだ。


「溶けて————いや」


 フィルムケースを覗き込むと、先程まで生を営んでいたはずの黒い生き物は、


「結晶…………?」


 その姿を極小のものへと変えていた。


 振りかけられた瞬間、僅かに反応があったかと思えば、すぐにクワガタは全身が溶け出し、やがて黒の液体となった。

 そして、それだけには留まらない。

 今度は液体が固まり始めたのだ。

 そうして出来たのが小さな極薄のガラス板のようなもの。


 奏太の記憶する限り、一番形状が近いのは結晶。

 それを踏まえて仮に名付けるとするのなら、クワガタは『結晶体』へと姿を変えたのだ。


「何だよ、これ」


「驚いてくれたかしら?」


「こいつは……クワガタは、どうなったんだ?」


 見るからにクワガタは原型を留めてはおらず、生死の判別以前に元の生物が何であったかすら分からない。

 だからこそ、一体何がどうなったのか問おうとして、


「そこまで教える義理はないわ」


「はぁ!?」


「私は見せてあげると言ったけれど、教えるとまでは言っていないもの」


 再び、小馬鹿にするような笑み。

 そうだ。忘れそうになっていたが、こういう女だったのだ。


「……そうかよ」


「それにお嬢様も来たし、ね」


 彼女がそう言った瞬間。

 声を上げるよりも前、唐突に出入り口の扉が開いた。


「————っ」


 夢。

 扉が開いて現れた人物に対して、真っ先に思い浮かんだのはその単語だ。

 まるで夢なのではないかと思う程に、現実離れした容姿。

 造形細工のように整ったその容姿は、およそ同じ世界に生きるものとは思えないくらいのものだった。

 鶯色の長髪をポニーテールにして束ねたその女性は、一瞬にして奏太の視界を支配した。


「ご機嫌はいかがかしら。——プルメリアお嬢様」


 彼女に対して、立ち上がった華は片手を前に振ってお辞儀をする。

 一切の違和感のないその動きは、およそ映像でしか見たことのないような高貴な相手に対して行うもの。

 そして、それをされた人物は——、


「ワタクシに気安く話しかけないでください。藤咲華」


 厳しい目を向け、一蹴。

 そして彼女はこちらを見やったかと思えば、


「————」


 ふっと頰を緩め、柔らかく微笑んだ。

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