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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
52/201

第二章31 『別の選択肢』



 ——何かが、砕けた。


 少し前まで少年の内で深い眠りについていた力。

 それは真っ黒に染まりきった感情と共にあった。


 それが目を覚ます時も同様。

 黒い感情に身を任せてある者を倒し、またあるいはある者に敗北をする時にも。


 最初は自在に操ることもままならなかったそれは、少年の心境の変化によって次々にその真価を発揮していき、そして。


 そして最後には、砕けた。


 凝り固まって取れなかった、精神を苛む喪失を乗り越えて、得体の知れなかった力は混ざり始めた。

 少年がかつて線引きをしていた、現在と過去における自己という存在の境界を曖昧にさせるように。


 以前少年と並び立っていた少女が、少年にしてくれたことのように。


 だから少年の物語は、ここから始まる。

 世界の全てを知らず、世界の全てを失った少年が、世界の全てを満たすために。

 少女が望み、またある少女がしていたという約束のために。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 体がやけに重い気がする。

 『憑依』や『纏い』を立て続けに使用していたせいだろうか。


「ん…………」


 瞼を開くと、無機質な灰色が広がっていた。

 見慣れない景色だ。

 芽空の部屋とも、トレーニングルームとも違う。


 つい最近まで憎んでいた化け物と、同じ色。


「ここは………」


「——気がついたか」


「——————ッ!?」


 目をパチクリしていたところ、突如横から飛び込んで来た声。

 身の毛がよだつような、低く鋭い声だ。


 耳に入れただけだというのに、たちまち身体中が切り刻まれる剣のような声。

 目を覚ましたばかりで正常を取り戻していない頭でも、それの正体が何であるかは奏太自身の体がよく知っていた。


「お前は、華の……っ!」


 一回りも二回りも大きい巨躯を前にして、激情のままに立ち上がろうとする。

 ——が、それは強制的に阻止される。


「んだよ、これ……っ!」


 不快な金属音が鳴ったかと思えば、それは自分の手足から発せられているものだと分かった。


「…………拘束具だ。苦しいとは思うが、我慢してくれ」


 拘束具。それが奏太の体の機能を制限し、この場へ押さえつけていた。

 無理に動いたせいで拘束具に体を締め付けられ、鈍い痛みが生じる。

 そして、同時に少しずつ蘇ってくる記憶の数々。


「俺は……」


 意識を失う直前、全身を犯し尽くされるような感覚があった。

 強烈な怠みが唐突に奏太の体を襲い、それに抗おうとした——はずだ。


 『纏い』を発動させたことで、人ならざる力によって身体能力を向上、藤咲華に襲いかかろうとした。

 だが、寸前でそれをこの男に阻止され、何らかの攻撃を受けて気絶させられてしまった。


 そしてその結果が、


「拘束…………か」


 目の前に藤咲華と共に居た男が居るということは、ここはHMA本部だと考えるのが妥当だろう。

 一体いつから寝ていたのかは分からないが、少なくともただで帰してもらえるような状況ではない。


 ともなれば、あまり想像したくはないが、拷問や尋問、あるいは有無を言わせず虐殺などというのが、現在想像出来る未来の可能性だろうか。

 と考えかけ、後者——つまりただ虐殺する、という可能性を否定する。

 何故なら——、


「…………貴様は何を飲む?」


 思考を進めようとして、煉瓦色の髪をした巨躯が問いかけてくる。


「————は?」


 思わず緊張を忘れて素の声が出てしまうが、


「…………貴様は何を飲む?」


 再度同じ質問が返ってくる。

 声の出るぬいぐるみのような返答だ。

 ひょっとすると芽空やフェルソナ程ではないだろうが、この男もまたマイペースなのかもしれない。


 そう思って口元を緩めようとするが、直前で首を振って制止。


 油断しそうになったが、この男はHMAに属する者、つまり奏太にとっては立場上敵なのだ。

 まだ敵だと割り切る事が出来るほど、奏太の中では踏ん切りがついていなかったとしても。


「————そう警戒するな」


「っ!」


「…………我は我の意思で貴様に手を出す気は無い。コーヒーで構わないか?」


「いい、けど……ってちょっと待った!」


 奏太の応答を聞き、早々に部屋から出ていこうとする巨躯を止めるが、彼は振り向かず、そのまま何処かへ消えてしまった。


「……一体何なんだよ、あの人は」


 灰色の部屋に残ったのは、奏太ただ一人。


 手持ち無沙汰になり、部屋を見渡してみるが簡単な構造だ。

 簡素な机と椅子、自動ロックだと思われる出入り口の扉に、奏太が眠っていたベッド。もう一つ横に扉があるのはトイレだろうか。


「って言ってもこの状態じゃまともに動けないけどな……」


 最後に自分の格好。

 ハクアとの戦闘でボロボロになった衣類は替えられており、白の衣類に、鉄製だと思われる手錠。

 それだけであれば『トランス』を使用することで破壊出来そうなものだが——、


「————まあ、使えないよな」


 何か仕掛けが施されているのか、発動する事が出来ない。


 HMAは世間に知られていないだけで、過去に何度も『獣人』と戦闘し、滅ぼしているのだとフェルソナは言っていたが、その経験から『トランス』を無効化する機械でも作られたのだろうか。

 それとも、立て続けに『トランス』を使用した事と、変貌したあの姿。それらが要因となって体に負荷がかかっているために使えないのか。


 いずれにしても『トランス』が使えない以上、この状況を打破する手は思い浮かばない。


「どうす————?」


 どうするんだよと、呟くはずだったその声は喉の奥に押し込められる。

 もちろん、奏太の中に困惑はある。デバイスを使用しようにも、腕時計は当然外されているし、電源も切られている。

 連絡手段がないためにどうすることも出来ず、焦りだってある。


 だが、それとは別の困惑が、奏太の中には渦巻いていた。


「…………」


 奏太は震える自身の体を見る。


 ——それは遅れて来た動揺と、恐怖。

 先程の男を前にした時のそれとは別種の震えだ。


「俺が、ハクアを……」


 あの時、とどめを刺したのは奏太ではなく葵だ。

 だが、ハクアを瀕死状態にまで追い込み、心臓を貫いたのが奏太であることは誰の目から見ても明らかであり、奏太もそれを自覚していた。


 ——いや、正しくは今になって自覚した、と言った方が良いだろう。


 ハクアが地に伏した直後に藤咲華達が来たこともあって、自分自身でも死の事実を飲み込めていないままだったのだから。


 だからこそ、遅すぎる自覚が一人となった今訪れた。


「俺は………………」


「————待たせたな」


 ゆっくり、ゆっくりとそれを飲み込もうとしたそんな瞬間だった。

 先程姿を消した男は、湯気の登るカップを二つ手にして、再びその姿を現した。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「毒とか、入ってないよな」


「…………心配するな。我はそんなまどろっこしいやり方は好まん」


「そっか」


 何とも不思議な光景だった。

 拘束具をはめた奏太に、長袖の服越しでも十分に分かるほど鍛え上げられた肉体を持つ男。

 二人が机を挟んで向かい合い、カップを手にしているのは。


 さすがにこのままでは不便だという事で、今だけは腕の錠を解いてもらったが、当然この男を前に逃げられるなどとは考えられなかった。


 それに、この男が来る前に自覚してしまったこともある。

 だから安易に『トランス』を発動させようとは思えないのだが——、


「えっと……それじゃ、いただきます」


「…………うむ」


 何にせよ辛い状況であることは変わらなかった。

 一人で事実に向き合おうとしていたところにこの男が現れ、さらには彼があまり口数が多いとは思えないことからも、端的に言えばかなり気まずい。


 とはいえ、もらったものを飲まないわけにもいかないので、一口。


「————っ」


 含んだ瞬間、苦味と独特の酸味が舌に届いて、懐かしい香りが体の奥へ染み渡っていく。


「————コーヒーだ」


「…………コーヒーを淹れたからな」


「いやそうじゃなくて……その、なんだ。失礼な話かもしれないけどさ、真っ正直に淹れてくれるとは思えなかったから」


「…………貴様が『獣人』で、我が人であるからか」


「! ……そうだ」


「…………失礼と口にするあたり、他の『獣人』とは違うようだが」


 他の、ということは彼は他の『獣人』にも会ったことがあるのだろう。

 とすると、他の者たちは奏太と違い、敵意や憎悪をむき出しにしていたのかもしれない。

 だからこそ彼にとっては奏太が意外だったのだろう。


「えっと……それは多分、俺が人やHMAに憎しみを持ちきれていないからだと思う」


 ——自分でも驚くくらい、すんなりと言葉が出ていた。

 先程までの警戒を忘れ、心を開くように。


「……? …………貴様は一体」


「詳しくは話せないけどさ。——俺はつい最近まで、自分が『獣人』だって知らなかったんだ」


 それは、多分。

 目の前の未だ名も知らぬ男が、自分に『獣人』は悪なのだという決めつけを行っていないと、分かったからなのだろう。


「色んなことがあって、人やHMA、世界を憎んだけど。けど、俺に幸せをくれた人がいたから。だから俺は今悩んでるんだ」


 かつて一緒に並び立ちたいとさえ思った、異端者。

 自分の世界を変えてくれた彼女を奏太は思い出したから。

 だから奏太は、目の前の男にこうして穏やかな気持ちで向き合えるのだと思う。


 ふっと、自分でも自然に笑んでいたことに気がつく。

 それに眼前の男は細く尖った目をわずかに開き、驚いているようだった。


「……って、いきなり変な話だったか」


「…………いや、構わない。貴様、名は?」


「え、ああ。俺の名前、か。——俺は三日月奏太。一応『獣人』だ」


「…………我の名前は、相悟。ソウゴでいい。HMA幹部『トレス・ロストロ』の一人だ」


 『トレス・ロストロ』。

 つまり彼——ソウゴは、藤咲華同様にこれまで『獣人』達を潰し、人々にとっての世界を平和に保ってきた幹部達の一人だということだ。

 同じ幹部の一人にはハクアがいるが、彼に比べると大きく印象が変わって見えるのは、気のせいではないだろう。


「やっぱり、そのくらいの人だよな。ソウゴ……さんは」


 ハクアと違い、見た目の強靭さはもちろんのこと、彼には何か惹きつけられるような魅力があった。

 多くの経験を経て得た彼の貫禄のようなもの、なのだろうか。


「…………我は呼び捨てでも構わないのだがな。ソウタよ。…………しかし、ソウタは我を前にしてあまり警戒をしないのだな」


「いや、途中までは結構してた。してたんだけど……その、あんたが信頼出来る人だって思ったから。本当はもっと怪しむべきなんだろうけどさ」


「…………信頼、か。本当に変わった男だな」


 そう言い、眼前の強面が柔和な笑みを浮かべる。

 が、すぐに真剣なものへと表情を戻す。


「…………そろそろあいつも来るだろう。その前に一つだけ言っておく」


 あいつ、というのは藤咲華のことだろうか。

 先程コーヒーを淹れに行くついでに彼女を呼びに行ったのだろうか。


 そう考えかけて、目の前から焼け付くような視線を感じて、集中せざるを得なくなる。

 冷や汗が一筋流れてすぐ、ソウゴは言った。


「…………貴様は貴様の思う道を行け。たとえそれがどれだけ困難な道であろうとも」


「……? それは、どういう————」


「————貴様は人と『獣人』、どちらの世界にも身を置いていた人物なのだろう。それ故に、見える選択肢もあるはずだ。だからもしそれを選択する時が来るのならば……迷うな」


 重い、言葉だった。

 それはまるで熟練の老兵が新兵に教えを説くように。


 奏太はソウゴとは会ったばかりで、彼のことをほとんど知らない。

 ソウゴもまた、同じはずだ。

 だというのに、


「——どうして、どうしてあんたは会ったばかりの俺にそんなことを」


「…………貴様の言葉と、その目だ」


 そう言われ、茶色の瞳で真っ直ぐに見つめられる。

 その瞳は一切の迷いがなく、何もかもを見通すかのような透き通った色をしている。

 見通した上で、まるで奏太の背中を後押ししてくれているような、そんな感覚が全身を包んでいた。


 立場上、敵だというはずなのに。


「——ソウゴさん」


「…………なんだ」


「その、警戒しててごめん。それから、ありがとう」


 奏太の心中には、出所の分からぬ尊敬の念があった。

 自分の中でももやもやしているその正体に、彼を改めて見てようやく気がつく。


「…………勘違いするな。貴様が相応の思想を持っていると、判断しただけのこと。だが——、励め」


「……っ、はい!」


 多分きっと、そんな揺るぎない瞳に奏太は憧れたのだ。

 敵であってもそれは変わらない。いや、敵だからこそ、なのだろう。

 偏見だけで『獣人』を悪だと判断しないで、話を聞いた上で見極める。


 ハクアや藤咲華のような者がいるHMAでは相当に珍しい思想の持ち主のはずだ。

 『獣人』と話を交わして、応援するなど——普通、世界にとっては異端でしかないのだから。


「————っ」


 一筋、考えが浮かんだ。

 梨佳や芽空に叱咤されてから、方向性は決まっていたものの、ふわふわとしていた思考の集まり。

 それがようやく重なり、奏太の中で答えを出した。


「ソウゴさん。俺は————」


 だから、自分の中でまとまった考えを口に出すところだった。

 結果何を得られるわけでもない。だが、彼ならそれを否定することもなく聞いてくれるのだと、そう信じて言う、はずだった。


「————あら、あなた達楽しそうに話してるのね」


 その女は現れた。

 ソウゴとはかけ離れた、尊敬の念など一切抱かない最低最悪の悪女。

 黒のスーツに全身を包んだ、薄赤の髪を撫で付ける麗人。


「藤咲、華……ッ!!」


「——私も、混ぜてもらえるかしら」


 そう言い、彼女は艶やかに微笑んだ。

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