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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章30 『少年へ向けて』



「——はい。彼を含めた組織の面々で対処し、ハクアの死亡も確認しました」


 カラフルな部屋に、妙にはきはきとした声が響き渡る。

 そこにいるのは部屋の主。

 昨日まで一緒にいたはずの同居人は、今やその影すらこの部屋に——いや、このアジトにも見当たらない。


「——はい、もちろん。彼が、私のために気を遣ってくれていたようで、無事に。ですが、藤咲華に彼が…………」


 電話の相手が相手であるがために、凛とした声で振舞ってみせる芽空だが、彼女は誰の目から見ても分かるくらいに沈んだ表情を浮かべていた。


「——そうですね。危険ではありますが、行くつもりです。私は彼を助けたいし、助けなければならないと、そう思いますから」


 しかしそれでも、相手に悟られぬよう声だけは平常を保っているあたり、彼女が積み重ねてきたものは大きいと言うべきか。


「——もう、どうして今笑ったんですか? ……それでその、お兄様にお頼みしたいことが、ありまして」


 僅かに綻ぶ彼女の口元。

 しかしそれは、どうしたって普段の日常のものに戻りはしない。


 理由は一つ。


 彼女の日常には一人の少年が欠かせないものとなっていたから。


「——その通りです。申し訳ありません、手間を取らせて。必ず彼を連れ戻してきます」


 それだけ言うと芽空は通話を終了し、深く息を吐いた。

 そしてベッドに体を沈め、彼女はポツリと呟く。


「…………そーた」


 返事は、ない。


 ただただ、彼女自身の呟きだけが虚しく響き、返ってくるだけだった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「——本気で行くのかい?」


「うん、そう決めたの」


 目の前にいるのは、鳥仮面の男。

 呼び出しに応じて部屋へ来たものの、誰かに冷たくあしらわれようといつも明るい調子の彼は、珍しくその言葉に影を落としていた。


「やめておくべきだ」


「……どうして?」


「君も分かっているはずだよ。彼女がこれまで何をしてきたのか」


「——不老不死の魔女」


 芽空が重く呟いたのは、奏太がHMA本部に連れていかれる原因となった女性の、別名。

 HMA総長藤咲華。彼女は世界中で英雄と称される一方で、芽空達を含めた『獣人』達には不老不死の魔女と呼ばれていた。


「世間にとっては彼女が全信頼を預けるに値する英雄であったとしても、僕達にとってはその逆。言動の全てを疑ってかかってもいいくらいの宿敵だ。目的のためならばどんな手段も尽くし、巧みな話術で人を惑わし、操り、欺く。それでどれだけの『トランサー』が狩られたか」


「うん、知ってる」


「これは僕や君だけじゃない。『トランサー』の皆々にとって共通の情報であり、事実だ。いや、正確には奏太君のような例外を除いた、かな」


 彼の話が長引く癖はいつまで経っても直らないらしい。

 長々と言葉を並べ立てるフェルソナに、芽空は唇を尖らせ、ため息を吐く。


「ああ、すまない。また話が長引くところだったよ。ともかく、罠の可能性が高く、危険だから行くべきではない————というのが、年長者として合理的に判断した結論だ」


 合理的な判断。

 確かに彼の言う通り、行かない選択肢を選ぶことこそが、芽空を含めたラインヴァントにとって最も安全だろう。


 でも、


「……本心は?」


 あくまでそれは、年長者としての意見だ。わざわざそれを言わずとも、容易に彼の本心は見て取れるというのに。


「連れて帰ってきてもらいたい。もちろん、君も奏太君も傷つくことなく無事でね」


「努力してみる」


 ようやく仮面の下の本音が聞けて、つい笑みをこぼす。


 それはほんの数秒のことだったが、彼からじっと見られていたことに気がつき、首をかしげると、それに答えるように鳥仮面は呟く。


「…………それにしても」


「どうしたの?」


「いやなに、意外だと思ってね。これは僕の主観であり、君の心境や事実と異なる可能性もあるとは思うのだが」


「遠回しな言い方しなくていいよ」


「ああ、すまない。……奏太君が来る前までの芽空君は他者に手は貸すことはあったものの、これ程までに感情を交えることはなかったと記憶していたんだけどね」


 確かに彼の言う通り、芽空自身は自分でも驚く程に彼に接したり世話を焼いていたように思う。

 それがいつの間にか寄りかかったりするようになっていたわけなのだけれど。


「君はどんな状況であっても最善の判断が出来る子だ。時には他人の事を思いやり、その選択をしない事もあるようだけど」


「…………買い被りすぎだよ、フェルソナ」


「奏太君のことも、その延長線上かい? それとも……」


 ——ああ、なんだか目の前の鳥仮面がからかう時特有の、ニヤニヤとした笑みを浮かべている気がする。


 先程まで真面目な調子で話していたというのに、急に来るものだから切り替えが難しい。


「私はそーたに恋愛感情を抱いてるわけじゃないよ。そーたを助ける理由も、こだわる理由も、フェルソナには教えないけど」


 意地悪と取られるかもしれないが、これでいいのだと芽空は思う。

 奏太と芽空の間に交わされた約束は、決して誰かに言いふらして喜ぶようなものではないのだから。


「すまないね。このような時にふざけて」


「ううん。年長者な事を考えると、もう少し空気を読んでもらいたいけど、フェルソナのおかげで気は楽になったから」


 事実、フェルソナに呼び出されるまでは自分でも分かるほどには焦っていたように思う。

 それが行動に出てしまわなかっただけ、未然に防げて良かったと考えるべきか。


「そう思ってもらえるのはありがたいね。なに、こんな僕で良ければいつでも話し相手になるよ。——そうだ。先程から気になっていることが一つ、あるんだが」


「唐突だね。なに?」


「芽空君は……怖くないのかい? 何気なく君の表情を見ていたが、以前より感情が表に出ているというのに、恐れというものが一切見えなくてね。繰り返し言うが、君も藤咲華を知っているというのに」


 大したものだと、芽空は思う。

 自分でも気がついていなかったというのに、彼はたったの数分、たったの十数の会話の一つ一つをずっと観察していたというのだから。


 空気が読めなかったり、話が長かったりする変態ではあるが、こういった様子が見られるあたり伊達に歳は重ねて来ていないと言うべきか。


 とはいえ改まって彼の質問を考えてみると、自分自身の心境だと言うのに、不透明な部分がいくつか見られる。

 だからまずは、分かっている理由の一部を口にする。


「これは根拠の全部を占めているわけではないってことを、先に言っておくね。——フェルソナは、私の家がどういう立場か分かってるよね」


「ああ。もちろんだとも」


「それから、『ノア計画』に私の家が必要なことも」


「……つまり芽空君が言いたいのは、当主の妹である芽空君に手出しをすることは出来ない、ということかな?」


「……フェルソナ、それ最初から気づいてたよね」


「さて、どうだろうね」


 肩をすくめてとぼけて見せるフェルソナに芽空はむっとする。

 しかしいくらじとっとした視線を向けても口を割りそうにもないので、続ける。


「だからこれは考え過ぎかもしれないけど、私を捕らえる行動に出るんじゃなくて、私が表に出て来ることで起きる何かのために、藤咲華は私だけを招待したんだと思う」


「『何か』……かい?」


「それが何かは分からないけど、恐らくは」


「だからと言って、芽空君は助けに行かないという選択肢を取る気はないんだね」


「うん。彼女の思う壺になるけど、場合によってはその方が安全だから」


 もっとも、逆に今後追い詰められることになる、という可能性もあるのだけど。


 芽空自身がこのアジトの最高責任者である以上、本来軽率な行動は取るべきではない。

 ましてや、即座に捕らえられる可能性がないにしても、感情も込みの判断で敵の本拠地へ出向くことなど、非難されてもおかしくはないのだから。


「みんなに迷惑かけちゃうかな。ううん、それでも」


 自分勝手な、意見だと心の底から思う。

 アジトの主要メンバー達であれば全員が全員口を揃えて同意してくれるかもしれないけれど、だからと言って開き直れる程大胆な性格を芽空はしていなかった。


 ————でも。


「私は今、そーたを助けたい。私のためにも、今まで救えなかったみんなのためにも。私は彼に会いたい。会って、お話をしたい。お話をして、ありがとうを伝えたいの」


 彼にもらったものも、彼によって上を向き始めたこの心も、決して嘘なんかじゃないから。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 何十人もの『獣人』が生活するアジト。

 その廊下に、人影が一つ。


「————」


 少女の服装は、いつもと変わらぬ軽装だ。

 上着も羽織らず地上に出てしまえば、数秒足らずで警官が駆け寄って来るような、およそ年頃の女の子とは思えない服装。


 このアジトに来てからずっとこんな服装をしているものだから、主要メンバーだけでなく、普段は顔を出さず、会話すらあまり交えたことのないメンバー達も、既に慣れっこだ。


 しかし少女は気にしない。

 自身という存在を重要視しず、家柄は異なっても、とある少年と似た境遇の持ち主だったのだから。


 だからこそ記憶の中で相当に新しい、少年に言われたあの発言を思い出して、思わず鶯色の自身の髪に触れつつ頬を染め、笑んでしまう。


 それはつい最近まで変わりゆく現実に対して怠惰であった少女の変化。

 少女は自分の感情の多くに無頓着であったが故に、未だ恋愛感情すらも知らない。

 今でも、決して勤勉などと言えたものではない。

 だが、確かな一歩を少女は踏み出そうとしていた。


「——よし」


 そういえば、あの少年は気合いを入れる時に頬を軽く叩くと言っていた。

 兄には自分の体は大切にと、そう言われているが、試しにやってみることにした。


 両手を上げて勢いよく——、


「——っ! 痛いなー……」


 つい、強くやり過ぎてしまった。

 頰が少しヒリヒリとして痛む。

 けれど、少年の気持ちがなんとなく、分かった気がした。


 現実に戻って来たという、そんな感覚。

 多分きっと、それが自分にとっては比喩ではないのだと少女は思う。


 少年が引き戻してくれるまで、自分のことになんて目を向けられなかったのだから。


「そーた。……待っててねー」


 上を見上げても、見慣れたシャンデリアが自身を照らしているだけだ。

 地下のここからじゃ、雲が払われた空なんて見えないけど、きっと。


「私も、頑張るから」


 きっと空は晴れている。

 ならば、小さな芽であっても、精一杯空へ向かって伸び続けよう。

 美しい水を携えたあの少年の為に。

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