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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第一章 『彼女』
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第一章4 『平等博愛』



「皆さん、初めまして。僕の名前は平等に博愛と書いて、ひらとうはくあ、と読みます。既に僕のことをご存知の方もいるかもしれませんね」


 静まり返った体育館に、一人の男の声が響いた。

 壇上に立つハクアと名乗った男は人の良い柔らかな笑顔をこちらに向ける。


 彼は灰色一色で構成されていた。

 肩ほどまで伸ばされた灰色の髪に、灰色の薄手のコート。服の上からでも分かる線の細いひょろっとした体と、無駄な肉が削がれた頰は、まるで自分は生きていますと嘘をつく骸骨のようだ。

 体格はともかくとして、顔のパーツは全体的に整っており、華奢なことを除けば好意的な見た目をした人物と言えよう。痩せこけていなければ。


 ハクアは教員を含めたこの場にいる全員を見渡し、うんうん、と何度も頷く。


「皆さんは僕の友達です。まさか、この場に他人——つまり罪人である『獣人』がいるとは思えませんが、僕は僕の役割を全うしましょう」


 彼はそう言うと、膝ほどまであるコートを翻し、両手を真上に広げて空を仰ぐ。


 突如開かれたその手で、一体何を始めるのかと、思わず目で追ってしまう。

 そしてそのまま弧を描くように腕をゆっくりと下ろしていき、


「『 HMA 』の名の下に、この平等博愛が皆さんが罪人であるかどうかを調べましょう!」


 ただ腕を下ろしてお辞儀をしただけだった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 あのアナウンスの後、側にいた教員の指示のもと、奏太たち生徒、及び職員は第一体育館へ向かった。

 体育館に着くと、先頭に立って奏太のグループを引き連れていた男が、体育館の扉を開ける。


 すると、怒涛の勢いで幾つもの情報が飛び込んできた。


 一つ目は怒声。それが突如空間を裂くようにして響いてきたのは、扉が内と外との音を遮断していたからだろう。


「何回言ったら分かんだよ!俺らは『獣人』じゃねぇ!」


 二つ目は、たった今叫んだ男を含む数名を、教員が身の丈ほどの先の分かれた金属の棒で生徒たちを押さえていること。

 あれは確か、刺又と言ったか。実際に使われているところを見たのは初めてである。


 しかしあの男は、今何と言っただろうか。


「……『獣人』?」


 奏太はその二文字の言葉を、ゆっくりと理解するように小さく呟く。


 瞬間、体がぶるりと震えて背筋に寒気が走ったかと思えば、全身を針で刺されたような痛みを感じる。


「————っ、は」


 理由は分からない。

 だが、『獣人』と口にした時、時折鋭い痛みが走ることが奏太にはあるのだ。


 それは決して、物理的に感じる痛みではない。そう、決して物理的ではなくて、あくまで心理的なもののはずなのに、奏太は痛みを抑えられない。


 と、その場でたじろいでいたところを、誰かに背中を押される。

 それに慌てて振り返ると、


「どうしたよ、奏太。前進まないのか?」


 きょとんとした奏太に、秋吉が顎を動かして前方を示す。

 そちらを見やると、先ほどまで奏太の前にいた生徒たちと距離が開いており、奏太は置いてけぼりを食らっているようだった。


「ああ、ごめんごめん。獣人って聞いて、ショック受けたんだ」


「ん、まあ確かに俺も焦ったよ。同じ学校に獣人がいるかもしれないなんて、たまったもんじゃない」


 珍しく真剣な顔つきの秋吉は獣人という言葉の重さをよく物語っていた。


 しかし奏太は、絶対に秋吉や、世界の恐怖に共感することはできない。


 ————何故なら、奏太の記憶には獣人の恐怖などというものはないのだから。

 記憶があれば、秋吉達の気持ちが分かったのだろうか。世界から、置いてけぼりを食らうことはなかったのだろうか。


 哀愁にも似た気持ちが内から湧いてくるのを感じ、必死にそれを留める。

 今気にしてはいけない、そう自分に言い聞かせ。

 そして、


「————」


「え?」


 再び歩き出そうした矢先、耳元で何かを囁かれた。

 それはほんの一瞬で、声の主を確かめようにも、ぞろぞろと集まってきた生徒に押されて叶わない。

 しかし何と言ったのかは聞き取れた。


 ——嘘の味がする、と。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「では、まずこの子達から始めるのが良いでしょう。これ以上、僕の友人達が不安がるのは見ていて心が痛みますから」


 瞳を伏せたハクアは、胸に左手を置いてそう言った。


 彼が始めようとしているのは今回不正を犯した者たちのデバイスのチェックだ。

 通常、デバイスは本人以外からのアクセスを行うことは出来ないのだが、


「あの人がアクセスするんだな」


「なんかすっげえ変わった人だよなー」


 小声で秋吉と軽口を交わしつつ、灰色頭の男ハクアを見つめる。

 

 そう、例外も存在するのだ。

 それが HMA 、俗称ハムだ。

 誰が呼び出したのか、何故わざわざ並び替えたのかは謎だが、そう呼ばれている。ほかに良い呼び方はなかったのだろうかと常々思うが、新たな俗称が出てこないあたり、ずっとハムのままなのだろう。 何とも間抜けな名前である。


 ……とまあそれはそれとして、ハムの役割は監視だ。

 異端者——つまり『獣人』、及び今回のような騒動を起こした者を監視し、市民を守るための権限が与えられている。


 デバイスに違法ソフトがないかを閲覧し、あった場合は停学、あるいは謹慎処分を下した上で、そのデバイスがネットに繋がれた場合には終始監視する、というものだ。

 時と場合によるが、おおよその期間は数週間で、長ければ半年から一年、あるいは何年も、となることがあるのだという。


 そして、そのための閲覧に使われるのが、今ハクアの手にしている懐中時計型のデバイス。

 詳しい仕組みは分からないものの、通常のデバイスの機能に加え、罪の有無を見極める術があるらしい。

 もっとも、奏太も話を聞いただけで、記憶がある限り、実際に見るのはこれが初めてなのだが。


「身体能力の向上ってどんな感じなんだろう」


「んー、昔やってめちゃくちゃ怒られたんだけど、あれはすげえよ。自分の体じゃないみたいに軽くてな。……その分、後で体が死ぬほどだるくなったし、しばらく監視されたけど」


 苦笑いして語る秋吉はどうやら過去にやったことがあるらしく、何気ない質問が思わぬ過去を掘り出してしまったようだ。


 デバイスの出現によって、ここ数年で怪我、病気での死亡者はその数を減らしていたのだが、獣人の出現以降、秋吉のように違法ファイルをアップロード、ダウンロードするものが増えているという背景がある。

 違法ファイルの中身は禁書、音楽、ビデオデータに限らず、医療ソフトを利用した身体機能を一時的に向上させるものまでもがあるらしい。


 経験者の秋吉曰く、後が死ぬほど苦しいらしいが。

 ちなみに自慢ではないが、奏太はそのような類の事、物にはこれまで一度も触れたことがない。記憶がある限り、だが。


「今回前で立たされてるあの人たちも、秋吉みたいに不正を働いたか、そもそも『獣人』かってことでいいのかな」


「ん、だろうな。大方、あの見た目からして、調子乗って運動部の連中煽ってたらバレました、とかそんなんだろ」


 くくっと笑った彼の見る先は、先ほどから前に立たされ、全校生徒から奇異の視線を浴びている何名かの生徒だ。


 そのいずれも柄が悪そうで、前髪をゴムで縛ってデコを出した男や、金髪に赤のメッシュが入った男に、顔の至る所にピアスをつけた男など、およそ関わりたいとは思えない風貌の者ばかりだ。


「————」


 気がつくと、少しずつ場の緊張感が乱れてきて、至る所で話し声が聞こえてくる。

 こんな調子でいいのだろうか、そう思った瞬間、再びハクアは口を開いた。


「——さて」


 たった二文字の呟きだ。


 それだけの言葉によって、離散していたはずの緊張感が、瞬く間にその場を支配していく。


 ハクアはそれを確かめると、左手首に巻かれている鎖をゆっくりと解き、外れたそれに撫でるように触れると、蓋をぱかりと開く。

 そして、


「それでは、少しの間失礼しますね。僕の友人達」


 彼の持つ懐中時計型デバイスがぼんやりと白く光り出す。


 誰かが息を呑んだ。それは奏太かもしれないし、秋吉かもしれない。隣の誰かか、遠くの誰かか。いずれにせよ、誰もが驚きを隠せない。


 誰もが注目する中、ハクアはデバイスを持っていない方の手で、前に立たされた生徒の手に触れ——、


「…………すごい」


 白く光っていたデバイスの光がオレンジ色に変化した。

 それから一人、二人と触れるたびに、同じように白色の光がオレンジ色に変わる。その色の変化は、恐らくハクアの言う所の、罪人であることの証明なのだろう。


 それを繰り返し、最後の一人まで確認すると、ハクアが深い息を吐いたのが分かった。

 一連の流れはほんのの十数秒だというのに、辺りを漂う空気は異常だったと言えよう。

 彼の一挙一動に、生徒も職員も、そのどちらもが集中する。そこにあるのは、過去の恐怖からなる生物としての生存本能なのだから。


 やがてハクアはゆっくりとこちらに向き直ったかと思えば、重苦しい空気の中その口を開く。


「安心してください、皆さん。彼らは確かに悪に手を染めてしまいました。オレンジ色に光ったのが、その証拠です。……非常に悲しいことですが、相応の処分は免れないでしょう。しかし、彼らは『獣人』ではありません。ですからどうか、道を間違えてしまった彼らを、僕の友達を許してあげてください。僕が保証しましょう。彼らは罪人ではありません」


 誰かがほっと息を吐き、あるいは歓声をあげた。

 皆の恐怖が分からない奏太であっても、緊張をしていたことに気がつく。


 ギリギリまで張り詰めていた空気は、一度途切れてしまえば、わっとなって溢れかえる。その中心であるハクアは、頬を緩ませ、にんまりと笑った。


 しばらくして騒ぎが落ち着くと、ハクアは一人一人罪人がいるかどうかを再び見て回ったが、オレンジ色に灯っていたのは騒ぎの張本人たちだけで、残る生徒、及び教員のいずれも、いずれも白い光のままで。


 最終的に、違法ファイルに手を出したと断定された者達には、二週間の停学と半年間のデバイス監視が言い渡された。

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