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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章26 『生まれる協和音』



「————葵が?」


「そ、今はみゃおが時間稼ぎしてる」


「それって大丈夫なのか?俺自身過信してたから強くは言えないけど、葵もハクアと戦える程じゃ……」


 一時的に押していたとはいえ、ハクアには特段影響があったようには見えなかった奏太の打撃。

 仮にも全力を尽くした攻撃だったので落ち込む気持ちはあるが、だからと言ってさすがに時間差で彼の身体能力が落ちている、なんていう都合のいい話はないだろう。


 ましてや、仮に落ちていたとして、それでも葵が善戦出来るほどハクアは甘くない。

 それは決定的な敗北を味わい、生き延びた奏太だからこそ分かることだ。


 記憶のある限りでは、時計を壊すという条件をなくした蓮やユズカ、または件の動画の『鬼』ならばあるいは、と思うところではあるが。


「……奏太は血気盛んだなー、実はヤンキーだったのか?」


「なわけあるか。チャラ男なら友達にいるけど」


 正確には友達だった、というべきなのかもしれない。

 蓮の事を否定され、確かな隔たりを感じてしまったのだから。


 戻るかどうかは、正直分からない。だがいずれ向き合わなければならないのだと、そう思う。

 自分が進む道を、ずっと前から教えてくれていた彼女がいたからこそ。


「要はほら、戦わずに時間を稼ぐってこった。みゃおの得意分野だし、相手はハクアだかんなー、しばらくは大丈夫だろ」


「……つまり、世間話でもしてお茶を濁すのか? あいつが?」


 梨佳は腰に手を当て、頷く。

 その顔は嘘をついているようには見えない……が、やはり信じられない。


 奏太の記憶する限り、普段から偉そうで、事あるごとに煽る発言が多かったように思う。

 表情を隠しているだけで、内に様々な感情を秘めているのだということも知っている。


 だが、事があの姉妹に及べば、それは表面化し、途端に様子が変わりだす。

 彼の怒り。あれは、普段の様子からは一切想像もつかないようなものだった。

 仮にハクアがユキナについて触れた時、彼は耐えられるのだろうか。


 葵は恐らく同年代か、年下か。ともすれば当然、奏太同様に精神的に未熟な年齢だ。耐えられる保証など、どこにもない。

 梨佳の言うかっこつけが、そう長く続くとは限らない。

 ならば、


「早くあいつのところに戻って戦わないと。梨佳、どうにか倒す方法考えて……って、どうした?」


 戦闘が本格化しない内に、一刻も早く葵の元へ駆けつけて支援しなければならない。

 そう考え、梨佳に問いたい事があったのだが、問題の当人は腹を抱えて笑っている。

 暗い建物に彼女の艶やかな笑い声が響き渡り、外に聞こえやしないかと不安が募るが、彼女は一切それを気にしない。

 そして、


「あー、ごめんごめん! いや、ほんと面白いな、奏太。自分の言ったこと、思い返してみ?」


「…………? どういうことだ?」


「んー、だからさ」


 泣くほど笑ったのだろう。彼女は目尻に溜まった涙を指で拭い、言った。


「——奏太は、逃げようとしないのな」


「あ…………」


 驚きの声が漏れるだけで、それ以上の言葉は続かなかった。

 確かに、彼女の言う通りだったから。

 あれだけ無力を実感して、敗北して。命だって危なかったのに。


「一応、葵に合図して逃げるってのも、一つの手だったんだけどな。死にそうだったってのに、大したもんだ。……あいつを殺さなきゃ、奏太はいけないと思ってるのか?」


「————俺は」


 殺したい。そんな結論に至るための、憎しみ、怒りという感情。それは蓮の想いを知った今も、決してなくなったわけじゃない。

 もちろん、私怨だけじゃなく、約束もあった。誓いもあった。それらは全てハクアを殺すという一つの目的に帰結する。


 出来る出来ないじゃない。

 色々なことを知って、今の自分はどう考えるのだろうか。


 蓮が望んだ世界にする。

 そこに彼女はいないけれど、奏太が彼女の望みを叶えて証明してみせる。彼女が生きた証を。彼女が信じたものがかけがえのない大切なものなんだ、って。

 それが、今の奏太にとって幸せで、望みだ。


 ——だったら。

 答えはもう、決まっている。


「俺は……ハクアを殺すよ。幸せな世界を作るのに、あいつは邪魔だから。みんながみんな、笑えるようにしたいから」


「…………お前、笑顔で恐ろしいこと言うな」


 今の心境を口に出し、若干引かれた。

 言われてみて自分が笑っていたことに気がついたが、真面目に考えて言ったのにそれはないだろう。


「あのなあ、俺だって————」


 文句を口にしようとした途端、不思議な感覚が頭をよぎった。

 野生の勘……みたいなものだろうか。妙に頭が冴え渡り、感覚が研ぎ澄まされる瞬間。

 前にも感じたことのあるものだ。一度目は、蓮を探す時に。

 そして二度目は——、


「芽空……か? そこにいるの」


 奏太は振り返り、室内の白い柱に視線を向ける。

 それは一見、ただの柱だ。

 特に人影も見当たらず、人によっては妄想の類だと疑われかねないのだが、


「…………そーた」


 彼女はそこにいた。

 擬態、と言うべきか。

 彼女の『トランス』である擬態は、注視したところで見えるものではない。完全に景色に溶け込んでおり、本来見つけるのはとても困難なはずなのだが、奏太には何故か彼女のいる位置が分かった。


「芽空、居たんなら……あれ」


 いつもの軽装に上着を羽織った彼女の様子がどこかおかしい。

 向ける視線というか、目つきというか。

 率直に言えば、


「なあ、芽空」


「……………………何?」


「怒ってる?」


「怒ってる」


 彼女は怒っていた。

 それも思わず表情に出てしまったとか、その程度のものではない。

 細い眉毛を吊り上げ、唇を尖らせて激怒していた。

 彼女の抱く怒りに関して、思い当たる節は——いや、むしろ思い当たる節しかない。


 隣の梨佳に至っては、この光景にうわぁと声を漏らした。

 恐らく彼女は芽空がこの場にいることを知っていた——あるいは、了承していたのだろう。

 とはいえ、梨佳もここまで芽空が怒るとは考えもしなかった、というところか。


「あ、えっと、その……」


 謝らなければならない。

 伝えなければならない言葉がたくさんある。

 今回の一件については、芽空や葵達にも話しておかなければならない。立ち直って、そう考えていたのだから。

 だというのに、言葉は出てこない。色々ありすぎて、詰まっているのだろうか。


 一度頭を落ち着かせようと、深呼吸をしようとしたところ、芽空が音も立てずに静かにこちらへ向かってきた。

 それから奏太の顔をずいっと引き寄せて、


「——へぶっ、ぶぶぶぶぶぶぶ」


 間抜けな声と共に、弾けるような音が連続して続く。

 頰を往復でビンタされていた。

 その数、およそ三十。


 その末に頰を叩くのが止んだかと思えば、次は胸がポコポコと叩かれる。

 最初は強く、次第に弱くなっていき、彼女は言った。


「ばか」


 まるで芽空は、小さな子どものようだった。

 感情を少ない言葉で必死に強く伝えて。けれど悪いのは奏太なのだと、分かってる。

 子どもでも——いや、子どもだからこそ守れるような約束を破った、奏太が。

 だからこそ、何も言い返せない。

 ただ受け止めることしか、出来ない。


「……芽空」


「ばか、ばかばかばかばかばか」


 そして彼女は全体重を奏太に預け、寄りかかって来た。

 急な出来事に受け止めきれず、彼女ごと地面に倒れる。

 尻餅をついて尾骶骨に痛みが走るが、それよりも。


「そーた」


 芽空は顔を奏太の胸に押し付け、表情を隠す。


「ごめん、芽空」


「私、怒ってる」


「……うん」


「私、怖かった」


「ごめん」


 無責任な約束。これを全て投げ出していたら、どうなっていたのだろう。

 ようやく芽吹き始めた彼女も、再び心を閉ざしていたのだろうか。

 だとしたら、自分は本当に最低なことをしたのだ。

 彼女が怒って当然だ。

 きっと、それだけのことを奏太は彼女に刻みつけたから。


「ごめんね。そーたが悩んでるの分かってたのに。何も、出来なくて」


 芽空の声に、僅かな涙が混じっているのが分かった。

 いつもこうだ。誰かに助けられて、こうやって心配をかけて。

 ついさっきまで、自分なんて信じられないと、そう思っていたのに。


「芽空のせいじゃないよ。俺が悪かったんだから」


「…………でも」


「ありがとう、芽空。それからもう一回、ごめん。心配かけたよな」


 泣きじゃくる彼女に、どう触れたらいいのか分からなかった。

 誰かに受け止めてもらうことはあっても、自分がその立場になるなんて、思っても見なかったから。

 だから奏太がとったのは、母親が子どもに対して行うような簡単なこと。


「……っ!」


「——綺麗、だよな。さらさらしてる」


 彼女の髪を撫でてやる。

 砂を掬うように何度も、何度も。

 膝下まである彼女の髪の毛は、こうやって倒れる形になってしまえば、当然地面に触れる。

 それは何度掬っても、やっぱり落ちてしまう。


「でもっ、私の髪の毛は……」


「伸ばしっぱなしとか、そんなのか? でも全然痛んでないし、俺は好きだよ。芽空の髪。そりゃ、切った方がいいとは思うけど、さ」


 我ながら、後で頭を抱えるような言葉だ。

 確かに今言っていることは事実であり、一切の嘘は含まれていないけれど。


 多分きっと、柔軟に対応出来る人は、こういう場面で頭を撫でたり、抱きとめたりするのだろう。

 けれど奏太は、決して柔軟なんかじゃない。

 不器用で、彼女の言う通り馬鹿だから。

 だから今も、こうして髪に触れることが芽空に触れられる精一杯のことだと、そう思うのだ。

 他人とずれていても、構うものか。


 ちゃんと向き合って、芽空に触れて。正面から彼女を見て、ようやく言葉を届けられるのだと思う。

 そうでもしないと、ちゃんと伝わらないような気がするのだから。

 だから。だからこそ、奏太は言う。


「——芽空。もう俺は大丈夫。ちゃんと立てるから。いつだって芽空を見つけ出すから。俺が生きて、芽空が必要だって言うから」


「…………そーた」


 芽空が顔を上げる。

 以前は人形のようだったその表情が、すっかり人間らしくなっている。涙にまみれて、目も鼻も、真っ赤だ。

 こんなに優しい子を、泣かせてしまったことに罪悪感がこみ上げてくる。


 奏太にとって、蓮という女性の存在は何よりも一番だ。これからも忘れないし、忘れることを奏太は絶対に望まない。恋愛感情も、彼女以外に向けることはないのだろう。


 奏太の内から湧いて出るこの気持ちは、蓮に向けるものとは違う。

 けれど、それでも構わないのだ。

 そもそも、この気持ちは恋愛感情だけで語るものでは、ないのだから。


「最低なことしたよな。怒られても、仕方ない。また信じてもらえるかは分からない。——でも。でも俺は芽空と一緒に居たいと思う。だから俺は約束する」


「約束…………?」


「ああ、約束。梨佳にも、葵にも、フェルソナにも。ユズカにもユキナにも、希美にも。それから芽空に、約束だ。俺はもう絶対死のうなんて考えない。辛くたって、苦しんだって、悲しんだって、泣いたって、怒ったって、絶望したって。絶対の絶対に、笑うよ。自分一人で立てないなら、みんなの手を借りて。芽空の手を、借りて」


 そして、


「みんなを幸せにする。芽空を幸せにする。そしたら、俺も幸せになれるから。だから一緒に行こう、芽空。俺が芽空の望みを叶えるから」


 ひどく、自分勝手な主張だ。

 ほんのひと月前まで、周りのことばかり気にしていた者の言葉とは思えない。

 けれど、それでいい。

 何故なら——、


「…………うんっ」


 こうして、芽空は笑っているのだから。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「また後で葵達にも言わなきゃいけないことだけど、今だから言わせて欲しいんだ。二人とも、ありがとう」


 頭を下げる奏太に対して、二人の反応はそれぞれ違った。

 芽空の顔を拭いていた梨佳は、


「気にすんな。あーしはお姉さんだから、お前らみーんなの面倒見るし」


 綺麗な顔に戻った芽空は、


「……お互い様だよー。そーたも色々してくれたからー」


 再び間延びした口調に戻っていた。

 それは普段の彼女らしいといえばらしいのだが、少し残念な気がしないでもない。

 奏太が接している限りでは、芽空がこの口調の時はあまり感情を表に出さないから。


 葵、芽空、希美と三人も感情の見えづらい少年少女がラインヴァントにはいるが、実はその中で一番に感情の振れ幅が大きい子なのではないか、と思うのだが。

 希美はほとんど分からないし、葵も姉妹のことでない限りは大体出る感情は決まっているし。


 ならばなおさら、出来る限り感情の多くを出して欲しいと思ってしまう。

 奏太が自分勝手に望んでいるだけなのかもしれなくて、それが彼女の幸せに繋がるのかは分からないけれど。


 ——いや、分からないなんてことはない。

 芽空がこうなった理由の根底は、いつか彼女の口から聞くまでは分からない。それまで奏太は聞かないし、待つだけだ。

 だが彼女にとっては話すのも躊躇するくらいに辛い出来事であり、心が痛むような過去があったとしても。

 それでも、芽空がそれを乗り越えられた時。あるいは、一瞬でも忘れられるくらいの感情を抱いた瞬間。

 その時、間違いなく彼女は幸せなのだから。


 彼女が笑いたいように笑える。そんな未来は、想像するだけで思わず表情がくだけるような、あまりにも優しい日常だ。

 芽空は首を傾げ、奏太を見つめている。

 一体どうして自分を見て笑んでいるのか、その理由を問いたいという顔だ。

 ならば、


「なあ、芽空。芽空は——、」


 彼女の問いに答える、はずだった。

 遠くから響く騒音が、ここまで伝わって来なければ。

 地面を揺らすこの音は、


「これって…………っ!!」


「ああ、戦闘が始まったみたいだ」


「だねー」


 芽空への歩み寄りを待ってくれるほど、現実は甘くはなかったようだ。

 こうなってしまえば、ゆっくりとしていられる時間はあまりない。

 ならばと、頰を何度か叩き、頭を切り替える。


「————梨佳。もう一度確認するけど、今ここにいるのは俺と芽空、梨佳。それから外に待機してる希美でいいんだよな」


「だな。何か、思いついたか?」


「まあ一応。一旦希美を呼んできて、すぐ取り掛かろう。あんまり時間はないから」


 そう言い、奏太はにまっと笑みを浮かべた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「——ってのが、俺の考えた作戦なんだけど…………どう?」


 たとえ戦闘が始まったとて、時間稼ぎが得意な葵なら大丈夫だと主張する梨佳の言葉には不安しかなかった。

 信用していないわけではない、が、相手はあの男なのだから。

 故に早急に説明を始めたわけだが——、


「私はこれでいいよー」


「ならあーしも」


「私も、賛成」


 すんなりと承諾される。

 とはいえ、奏太が想像しうる限り、こうでもしない限りは現在のこの状況で、ユズカを欠いてハクアを倒すことなど不可能なのだが。

 思わずほっと息を吐いて気が緩みそうになるが、頭をぶんぶんと降って堪える。


 それから希美、梨佳、芽空を順番に見て、


「……正直、上手くいかなかったらみんなが死ぬかもしれない。それでも——」


「————今更悩むなよ。奏太。もう決めたし、変える気は無いんだろ? それに、さっきまでの顔を思い出してみ」


 不安を口にした奏太に対し、梨佳は両手の指で口角を持ち上げ笑顔を作って見せる。


「幸せに、するんだろ。なら怖がんな。笑顔で出来るって言えない方がよっぽど信用ならねーよ」


 梨佳にため息を吐かれる。

 自分は寸前でも、尻込みをしていたのだ。

 確かに立ち直ることは出来た。でも、命を危険に晒すのが本当に良いことなのかどうか、これだけがしこりとなっていて。

 だからこそ、今は笑えていなかったのだろう。


「笑顔…………」


「笑顔だよー」


「……私は、奏太さんなら、出来ると、思ってる」


 奏太の呟きに、芽空は僅かな微笑みを、希美は信頼の言葉を。

 三人にこれだけのものをもらって、奏太は——、


「…………笑顔、か」


 笑顔と聞いて、真っ先に脳裏に浮かんだのは、あの少女だった。

 奏太にとってかけがえのない存在であり、大切なことを教えてくれた彼女。

 絶対に欠けてはいけない彼女——蓮は、花のような笑顔を浮かべていた。

 今でもはっきりと思い出せるくらいに、美しく、素敵なものだった。


「それでいいんだよ」


 どこかの誰かのように、またため息を吐く梨佳。

 彼女に、希美に、芽空。

 三人を命の危険に晒したとしても、彼女を幸せにする方法がこれしかないのだとしたら、絶対に上手くいかせてみせる。

 そして、数回深く呼吸をして言う。


「——よし、みんな。行こう」


 それが賭けならば、そのほとんどの割合で奏太によって結果が決まってしまう滅茶苦茶なゲームだ。

 でも、もう大切なことは教わった。尻込みも、もうしない。


 蓮が信じた、自分を信じる。

 心の底から笑ってやってやるんだと、奏太は強く胸に誓った。

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