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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章23 『狂い始める音』



「ハクアがアジトに……っ!?」


 誰もいない広々とした廊下に、奏太の声が響き渡る。

 未だ数える程しか見たことのない非戦闘員や、芽空達。彼女らの姿は、ここにはない。


「どうして、あいつが」


『それは、分からない。でも、さっきから、ずっと、アジトの、入り口近くで、キョロキョロ、してる』


 芽空は、アジトの入り口は私有地に作られたものばかりで、簡単には部外者は入れないし、そもそも気づくはずがないと、そう言っていた。


 だが、実際の今の状況はどうだろう。彼を追う側だったはずの奏太は、追われる側——捕食される立場となって、窮地に追いやられている。

 そしてそれは、奏太だけではない。ラインヴァントの面々が危険に晒される。

 何としても、回避しなければならない事態だった。


「確かハクアは『探索』っていうのを出来るんだったな。ってことはあいつの時計を壊しきれていなかった……? ——いや、今はそんなことより」


 蓮が破壊したはずの彼の懐中時計。あれを壊していれば、触れられたユキナが『探索』によって追われる心配をするはずがなかったのだが。

 とはいえ、原因が他にあるという可能性も否めず、ひとまずは目の前のことに集中する他なかった。


「希美は今は何をやってるんだ? それから、あいつの居場所を教えてくれ」


 音声は環境音を拾っているが、彼女の声とそれしか、奏太に情報を送ってくれるものはない。

 その環境音を聞く限りでは、少なくとも希美が戦闘に入っていたり、追われているような様子は見受けられないのだが——、


『私は、今、ハクアを、監視してる。ハクアは、娯楽エリアの、アウトレット近くに、いるよ』


「娯楽、エリア……」


 その名称を復唱した瞬間、思考にノイズが生じたのが分かった。

 目の前の景色がうっすらと白んできて、時折チカチカと点滅を始める。

 思わずふらつきそうになるが、しかしそれを頭を振って追い払い、必死に頭を回す。


「梨佳達に連絡はしたか?」


『まだ、してない。奏太さんに、先に、伝えるのが、いいと、思ったから』


 やたら区切られるその言葉の端々に、感情の色は見えない。

 だが、奏太同様にハクアと、彼に奪われた蓮の存在を意識しているのは確かなことだ。


 先に伝える方がいい、というのは奏太と希美の間に交わされた約束故だろう。世界を悪いものとする原因を取り除いて、彼女を幸せにするという約束を奏太はしたのだ。


 そしてその一つであるハクアを倒して、奏太は。

 ならばこそ、奏太は覚悟を決める。


「分かった。なら、希美はそのまま監視を続けて、動きがあったら知らせてくれ。俺が行くから」


『でも、奏太さん。みんなは——」


「大丈夫だ。俺が何とかする」


 電話の向こう側では彼女がまだ何か言っているようだったが、通話を終了し、イヤホンをズボンのポケットにしまいこむ。


「俺が……」


 深く息を吐いて、顔を上げる。

 目の前には、豪華な装飾の広がった廊下があった。

 そしてそれを、哀情を抱いて遠い景色のように、見つめる。


 ここに来てから、何度も目にした光景だ。よほどアジトの当主とやらは、大富豪なのだろう。

 恐らくその当主が芽空の血縁で、何かしらの理由があって今は距離を置いていることも、予想はつく。

 そんな人の支援を受けて、奏太は今日まで生活して来た。


 未練がない、と言えば嘘になる。


 しかし、人としての蓮が忘れられて、ラインヴァントの面々に触れて、奏太はもう誓ったのだ。

 ハクアを倒して、蓮の元へ行くと。

 そうしなければ心が耐えられなくなるし、未練のためにここに残れば、きっと自分もいずれ彼女を忘れてしまう。それがたまらなく、怖いから。


 だから奏太は、


「……ありがとう、みんな。必ず俺が、倒してくるから」


 一人でもやってやれないことはない。複数の能力を持っている上に、『纏い』は出来ずとも『憑依』が出来る。

 前には毒があったとはいえ、一度は彼を追い詰めた。そしてその彼は、まだあの時の傷も癒えていないはずだ。


 ——なんだ、簡単じゃないか。


 ほとんど考える間も無くそう思い至り、奏太は笑みを浮かべる。

 自分を奮い立たせるための言葉か、それとも本心からのものか。奏太自身、よく分かってはいなかった。

 けれど、この出来るという気持ちはきっと、間違えではないはずなのだから。


 稽古もした。コツも聞いた。『トランス』と本能の結びつきの可能性の話も聞いた。

 ならば、あとはそれを試してやるだけだ。

 通じないなどという考えは、微塵もなかった。


「——絶対に、あいつを」


 奥歯を噛んで、方向転換する。

 地上に、娯楽エリアに続く出口へ、向かうために。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 奏太が駆けて行った廊下に、動く影があった。

 それは一人の少年。

 姉妹を食堂に置いて、奏太を追いかけて部屋を出て来たのだ。


「奏太さん……」


 彼はハクアの名前を口にしていた。

 その後の会話から察するに、彼はハクアが近くにいることを知って、駆けて行ったのだろう。たった、一人で。


「——馬鹿ですね、あなたは。本当に、馬鹿だ」


 もうここにはいない男に向けて悪態づき、ため息を吐く。

 そして着ていた上着のポケットから腕時計を取り出し、画面を操作、デバイスの電源をつける。

 半月ぶりの画面だ。学校では渋々腕時計をつけてはいるが、起動することなど、そうそうないのだから。


 メールアイコンを開き、何度か空中でそれに触れた。

 流れるように文字を入力し、最高責任者であり、リーダーでもある芽空にそれを送信、即座にデバイスの電源を切る。

 内容は当然、奏太が単独で行動していることと、会話の内容から察せられる現在の状況と、目的地。


 彼女の性格なら最初は動揺しても、すぐさま対応に取り掛かってくれるだろう。

 それならば、少年——葵に出来ることは一つ。


「————」


 奏太同様に、ハクアの元へ向かうこと。

 葵は能力の本質上、どうあがいてもハクアを倒すことは難しい。倒せるとすれば、それは恐らく不意をついた時のみだろう。

 ハクアが臨戦態勢に入れば、今の奏太や葵、あるいは二人がかりでも倒すことは相当に難しい。


 故に葵は、駆ける。

 奏太が向かった方向とは逆、自分達の部屋へ。

 たとえ時間稼ぎでも良い。対抗する手段を、あわよくばハクアを倒す策を、講じるために。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「————はっ、はっ」


 随分と走った。

 こんなに走ったのは、あのデートの日以来だ。

 地上に出てから幾人もの人とすれ違い、何事かと問うように視線を向けられるが、それを振り切ってぐんぐん進む。


 地上に出たタイミングでポツリポツリと降り出した雨は、今や本降りとなっている。

 傘を差していない奏太は、当然のごとくそれを一身に受け、びしょ濡れになっているが、気にも留めない。


 ほんの一ヶ月前までは、髪や衣服が乱れること、誰かに奇異の視線を向けられることを、怖がっていたというのに。


「——アウトレットの近く、だったよな」


 娯楽エリアに入場した奏太は、辺りを何度も見渡しながら進んでいた。

 ハクアの存在を見落とさないように。


 とはいえ、範囲はある程度絞られているのだが。

 無数にあるアジトの入り口のうち、娯楽エリアに一番近いのは奏太が先ほど出てきた場所——娯楽エリアの囲いのすぐ外である。

 それから、先ほどまでのハクアの位置が、アウトレットの近くであるということ。

 タイミングが悪ければエリア外、つまり入り口付近で出会う可能性があったのだが、どうやらそれは回避出来たらしい。


 ともあれ、これらの情報から、ハクアがエリア内におり、相当に近づいていることは明白だった。


「急がないと……っ」


 確かに一般の施設の中に入り口のあるアジトは大変見つけにくく、普通であれば気がつかないものだ。

 だが、何時間とそれが続けば、見つからない可能性がないわけではない。

 故に奏太は急ぐ。全てが間に合わなくなる、その時が訪れないように。


「————」


 ふっと気がついて辺りを見渡せば、既にアウトレットの中心あたりにまできており、思わず足を止める。


 ——蓮と来た場所だ。


 かつて奏太はここで、彼女の為にネックレスを買った。彼女もまた、同様に。

 元々は、彼女の提案だった。

 彼女が提案してくれなければ、きっとあの日、彼女と手を繋ぐことすら、満足に出来なくて。

 それは、決して戻りはしない過去だ。


 顔を上げ、重く暗い空を見つめる。

 そんな奏太を嘲笑うように、荒々しい呼吸音と、体から昇る熱をかき消すように、雨は奏太の体を叩く。


「蓮…………」


 蓮と別れた後、奏太はここで自分の答えを見つけた。

 自分に力なんてなくても、ただ彼女の側に居たいのだと。

 それは遠い日の、想い。

 たった半月前だというのに、ひどく過去のように感じられた。


「…………そろそろ、行かなくちゃな」


 自分が足を止めていたことに気がつき、奏太は再び走り出す。

 雨を誰かの涙だという言葉を思い出し、それを嘲笑うように、必死に感情を押し殺しながら。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 それから間も無くのことだった。


 アウトレットを出て、娯楽エリアの囲いに沿うように駆けて行くと、目的の人物はそこにいた。

 そこはエリア内にいくつかある公園の一つだったが、今が雨だということと、アジトを探すように何度も辺りを行き来するハクアを不審がっているのか、ここら一帯の人通りは決して多いとは言えなかった。


 そもそも、先日の事件以降、さすがにHMAも隠し通せなかったようで、『獣人』がいるのではないか、と人々に警戒されているのだ。当然、ここを含めた娯楽エリア中からも人の姿が失われつつある。


 そして奏太の目の前にいるのは、その原因を生み出し、蓮を殺した男。


「————ハクア」


 灰色の髪に、薄手の灰色のコート。人の良さそうなにこやかとした表情と、痩せぎすな体。

 その姿は、過去二回のどの姿とも変わらぬものだ。

 反転する前後の衝撃的な彼の性格も、行動も、奏太にとって忘れられるはずはない。


「おや、おやおや?」


 ——だがそれは、向こうが奏太のことを覚えているというわけではない。


「僕の友達がこんなところで何を? それにびしょびしょではありませんか。是非とも僕の傘を使ってください。さあ、どうぞ」


 ハクアは一見不審者とさえ思える動作をやめ、傘をずいっと差し出してくる。

 意識して統一しているのだろうか、傘も彼の全身同様に灰色である。


 そんな彼の親切心に対して奏太は、


「いえ、大丈夫ですよ。それにその……そう、雨に当たっていたい気分だから」


 ぎこちない笑みを浮かべて内から湧いて出る負の感情を押さえつける。


「そう、ですか。何かあったんですか? 僕で良ければ話を聞きますよ。何しろ、あなたは僕の大切な友達ですから」


 ハクアは差し出した傘を引っ込めると、自分が奏太にとって親身な立場に立つのだと言うように、胸に手を当てて見せる。

 しかし、


「いえ、人に話すような、そんな大層なことではないんですよ」


 申し出を断り、別の話を振る。


「ところであなたは——ハクアさんは、一体ここで何を? 確かHMAの幹部、でしたよね」


「おや、僕のことをご存知なのですか。非常に嬉しいことです。如何にも僕は、HMAの幹部『トレス・ロストロ』の一人ですよ。そうですねえ、幹部の身としてはあまり情報を漏らしてはいけないのですが……どうしても聞きたいですか?」


「はい、ぜひとも」


 我ながら、反吐が出るような演技だ。

 何度も続けて嘘をつくということがこれ程までに苦しいものだとは知らなかった。

 蓮の前では極力嘘をつかないようにしていたし、振り返ってみれば人生の中で嘘をついたことなど、他人に比べればはるかに少ない。


 とはいえ、油断させる意味でも、情報を引き出すためにやらねばならない時もあるのだと自分に言い聞かせ、偽りの仮面を被る。


「僕の友達ですから、そう言われてしまったら仕方ありませんね。ではでは、約束ですよ。これを誰にも口外しないこと。そして、話が終わったら、僕から離れていてください。一体何があるか、分かりませんからね」


 彼の口から約束、という言葉が出てきて、思わずそれまで押さえつけていた激情が露わになりそうになる。

 だが、右手を食い込んだ爪で血が滲むほどに強く握りしめることで、何とか微笑みを崩さずに保つ。

 それから、声には出せないものの、何度か頷くことで彼に了承の意を示すと、


「それでこそ僕の友達です。素直な友達ばかりで何よりですよ。ええ。——実は今日、手段、方法は教えられませんが、罪人である『獣人』の巣が、この辺りにあると判明したもので」


「『獣人』の巣……」


「ええ。それを僕が確かめにきた、という訳です。万が一にも発見した場合には、争いは免れないでしょう。何故なら、彼らは罪人なのですから」


 奏太の不恰好な笑みとは対照的に、彼は心の底からニコニコと笑っているようだった。

 まともに会話をしていては、じきにこちらの精神が持たなくなる程には、奏太は彼への不快感は根強い。

 無意識故のものなのだろうが、奏太にとっては彼の一言一言が毒そのものなのだから。


「ささ、早くあなたも離れていてください。お気づきかもしれませんが、先程からこの辺りに人が来ないようある程度制限をかけているのですよ。もしあなたのような人がいた場合には、僕が誘導する、という手順でして」


 気がつかなかった。

 確かに人が少ないとは思っていたが、それは天気と半月前の事、そしてハクアがいる事こそが原因なのだと、そう考えていたのだが。


 とはいえ、実際人通りがどうであるとかは、奏太には何の関係もない。

 目的と、やらなければならない事。それらに関しては一切揺らぐことなど、ないのだから。


「は、はい。しかしハクアさん、あなた一人で……? 巣というからには、相手もたくさんいるのでは」


 したくもない演技を彼に対してする理由は、至って簡単だ。

 いくら何でも無策で真正面から彼に挑んでやろうと思える程、奏太は冷静さを欠いてはいなかった、というだけのこと。


 秋吉には以前、嘘が下手だというような意味合いのことを言われたが、目の前の骨のような男は一切疑いの目をこちらに向けない。

 一体、秋吉が間違っているのか、それともハクアが単純過ぎるのか。


 ただ、今の奏太にとっては、前者が正しいとする場合、一言では表し難い複雑な気持ちが浮上してくるのだが。


「ええ、そうですとも。あなたの仰る通り、僕一人ですよ。部下の方々には規制を行ってもらっていますからね。確かにこの貧相な見た目では、友達であるあなたを安心させることは叶わないかもしれませんが……しかし、それでもあえて言いましょう。大丈夫です」


 この男、思っていた以上に単純である。

 恐らく口外出来ないのであろう『探索』でアジトの場所を知った事や、ここに彼しかいないことをペラペラと話してくれる。


「それは、どうして……?」


 奏太自身、彼とここまで言葉を交わせるとは思ってもいなかった。


 確かに、奏太の中でハクアに対して決して許し難い怒りはあった。それはもはや、奏太にとって初めてである殺意と言っても何ら遜色はない。


 だがその一方で、ハクアという人物を真正面から見つめる機会ともなった。

 それが良い機会かどうかは、いまいち判断しかねるところだが。


 ともあれ、現状においてこれほどまでに利用しやすい男を利用しない手立てはない。

 そう考え、ぎこちない笑みとは全く違った、今までに奏太がした事のない含みのある笑みを浮かべようとして——、


「何故なら、先日ここで起こった事件でも『獣人』を一匹、殺しましたから」


 にたりと笑んだハクアの前に、言葉を失った。

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