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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章15 『トランス』



「第一回! みんな大好き、教えて! チキチキ『獣人』講座の始まり始まり〜!」


「…………は?」


「わーぱちぱちー」


 女性陣三人を部屋に連れてきたかと思えば、突然の開講宣言をした梨佳と、拍手をしてノリノリな芽空。

 一体どこから取り出したのか、梨佳のその手には、犬と人間が仲良く手を繋いだ絵が描かれた画用紙がある。


「だ、そうだよ。奏太君」


「呼んだのと、計画してたの、フェルソナさん、だけど、ね」


「だ、そうだよ。フェルソナ君」


 とぼけて見せるフェルソナに、希美の消え入るような声のツッコミが入る。そして、それに便乗する奏太。


 そこは、先程までの男二人が重い雰囲気の中話し合っていた空気とは違い、元気な声が部屋中に響き、自然と和やかな雰囲気で包まれていた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 深く息を吐いて気分を入れ替えると、改めて梨佳の発言を飲み込む。


 ——『獣人』講座。


 『獣人』について、奏太はどれだけのことを知っているだろうか。


 今日に至るまで、かれこれ四人の姿を見てきた。

 件の動画の『鬼』に、蓮、葵、そして最後に自分。これらは元々人の姿を保っていたが、『獣人』へと姿を変えた時にはその見た目は様々であった。

 あからさまに獣だと見て取れるものから、身体の一部、あるいは葵のように一切見た目に変化のないもの。


 そして、そのいずれもが決して人並みではない身体能力を証明していた。まさしく人ならざる者、というべきか。


「あれ? よくよく考えると結構知ってるような……」


「それじゃ、まず見せる前にちょっとした説明だ。奏太は『獣人』は人間から姿を変えられるって知ってるよな。なら、その姿を変えることをなんて呼んでる?」


「人が『獣人』の姿になるんだから、『獣化』って呼んでるけど、何でまた?」


 奏太の発言に対し、芽空はソファーにぐったりと体を寝かしたまま、黙って親指を立ててくる。

 彼女がソファーを占領しているため、必然的に梨佳と希美が立ったままになるのだが————。


 何だろう、このいたたまれない気持ちは。ネーミングセンスでも確認しているのだろうか。吊るし上げなのだろうか。

 徐々に顔に熱が登ってくるのを感じる。


「あー、いや、ネーミングセンスを確認したわけじゃなくてな? 話進めんのに、あーしらだけが使ってる言葉話してもどうしようもないから、その確認だよ」


「言葉?」


「ああ。あーしらは、人が『獣人』の姿になることを『トランス』って呼んでる。そして、それを行なう者を『トランサー』ってな」


 すっかり冷めてぬるくなったコーヒーを一口、口に含む。

 トランス、と言うと意識が何とかかんとか、みたいなものだったか。

 それとは意味が異なるものかもしれないが、少なくとも『トランス』が彼女達のみが使う共通の言葉、と言うのは間違いないだろう。


「そもそも『獣人』って言葉はほぼ差別用語だからな。ほら、歴史とかでやったろ? 特定の地域だの、人種だの。そう言うのが気に食わねー奴もいるんだよ。あーしらの中にはな」


「差別……か」


 確かに力関係や事情を考えると昔のそれとは正反対のものとなるが、差別、ということには間違いないだろう。


 『トランス』を行なう者——『トランサー』。つまりは『獣人』のことだ。

 世界から畏れられ、人間とは別物なのだと言われ続ける。それがどれほど苦しいことか。

 何も知らないことに苦しんでいた奏太とは違い、確かな恐怖を含んだ言葉を何度も告げられていたのだ。


 それに同情の念を抱こうとして、梨佳が制止する。彼女は多分、気に病ませることが本題ではないのだと、そう言いたいのだろう。


「で、だ。今回フェルが説明しようとしてたけど、あーしがその役を務めることにした。改めて、『トランス』についてをな」


「でも大体俺知ってるような気がするんだけど」


「まあいいから、黙って聞け」


「世界にはそーたの知らないこと、たくさんあるんだよー」


 凄みのある声と間延びした声が同時に飛んできて、怯むやら落ち着くやら。

 芽空の発言はともかくとして、まだまだ知らないことばかり、だと言いたいのか。


「——奏太は、『トランス』によって得られる力について、どれだけ知ってる?」


「…………? どれだけって、身体能力が上がる、だけじゃないのか? あと、人によっては見た目が変わったりとか」


 この答えに関して、三者三様の反応が返ってくる。


「やっぱり知らないみたいだな」


「でも、結果的には、奏太さんが言ったことで、合ってる」


「クッキー食べたいなー」


 一人話を聞いているのかいないのか、狭いソファーの上を左右に転がるひどくマイペースな者がいたような気がするが、それはさておき。


 ちなみにフェルソナは離れたところからこちらをじっと見つめていた。

 仮面の下ではにんまりと笑っているのかもしれないが、鳥仮面の男が何も話さないと、それはそれで怖い。そこらのホラー物にでも出てきそうなレベルには。


 しかし触れたら終わりなような気がして、ひとまずそれを無視する。


「焦らさないで教えてくれよ。どういうことだ?」


「知りたいか? それなら梨佳様お願いしますって目尻に涙を浮かべながら懇願を————」


「いや、そういうのはいいから」


 誘惑するような姿勢で前屈みになった梨佳に怪しい瞳で見つめられるがそれもスルー。

 彼女は自分の魅力を自覚した上での行動をしているのかもしれないが、今はそれに乗れるほどの余裕はない。


 例えるならそう、お預けを食らっている犬みたいなものだろうか。餌が目の前にあるのに、焦らされて取ることができないのだ。

 ひどく焦れったく、体がムズムズとする。


「わぁーったよ。……こういうのはまた今度やるか」


 何か恐ろしいことがぼそりと呟かれたような気がするが、気のせいだと思おう。


 空気を入れ替えるように、梨佳は鼻から息を吐くと、声色をわずかに低くさせ、言った。


「——『トランス』は、動物の力を利用してるんだ」


 彼女の言葉に一瞬、言葉が出なかった。確かに『獣人』という言葉を見れば、明らかに動物と関係があることは見て取れる。


 それが嘘でないことは彼女の真剣みを帯びた顔を見れば分かるし、彼女の発言を今までのことに照らし合わせて見れば納得がいく部分も多く見られる。

 故に、


「動物の力……? じゃあ泳げなかったやつは『トランス』を使えば泳げるのか?」


「そういうこった。その動物と、引き出せる力の限度は個人によるけどなー。みゃおの場合はキツネだし」


「個人によって異なる、か。キツネってあんまり強そうなイメージないけど」


 しかしあの身体能力だ。奏太はあの時、不完全な『トランス』をしていたとはいえ、その実力に圧倒された。

 かけ算みたいなものだろうか。

 元々の人間としての能力に動物の能力をかけたものが完全な『トランス』状態であるとするのならば、相手取るのは大変難しいだろう。

 その場合気になるのが力の限度だが——、


「そりゃあいつはユキナ除いたら、ラインヴァントの戦闘員の中で最弱だかんなー。動物の問題もあるけど、適性も——」


「ちょっと待った、あいつが最弱!? 嘘だろ」


「そういえば、奏太さんは、葵さんと、戦闘したんだっけ」


「あー、じゃあ簡単に強さを説明しよう。まず『トランス』で能力を引き出せる上限はそいつの適正によって決まる。適正と動物の種類。これが強さの基準になる」


 機が熟すのを待っていたのか、フェルソナは立ち上がると、壁に設置された黒板に向かい、おもむろに何かを書き出し、言った。


「——そしてそれをもとに順で並べていった場合、ラインヴァントのメンバーだけで考えると、非戦闘員の子達、ユキナ君、葵君、芽空君、梨佳君、希美君、ユズカ君、となるわけだ。ちなみに蓮君はユズカ君の次についていたよ」


 黒板に記されているのは、それぞれの名前と簡単なイラスト。

 人の姿にそれぞれ何かが描き足されているが、個人の動物の種類だろうか。


 その情報は、あまりにも大きな衝撃を奏太に与えた。なにしろ、奏太にとって葵との戦闘がそれ程までに一方的なものであったことに加え、一番にユズカの名前があるということ。


 馬鹿にしているわけではないが、およそあんな少女がこのアジトの誰よりも強いなどと、想像することは出来なかった。


 顔をしかめる奏太は、突如空間を割れるような音がして、何事かと辺りを見渡す。

 すると音の正体はすぐに分かった。

 それはひどく単純なもので、梨佳が拍手を何度かしただけだ。


「難しい顔してるけどなー、実際見てみりゃ分かるぞ。はい、じゃああーしから。あーしが宿してる動物、当てたらお姉さんが褒めてやる。行くぞー……」


 話の調子が緩やかになっていることに不満を覚えたのだろうか、淡々と説明をしていく梨佳。

 彼女は一度大きく息を吸い込むと、


「————!!」


 見えない何かが奏太に向けて放出された。

 しかし、それは視認することも、聞くことも出来ない。幻の咆哮だ。


 反射的に目を瞑るが、何秒経っても心身に変化はない。

 瞳を開いて体のどこに触れても異常はなく、先の自身の体と何一つ変わらない。

 一体、彼女は何を放ったのだろうか。放つ振りにしては大袈裟すぎるが、正体を確かめようにも判断材料が少なすぎる。


 そんな奏太の様子を見て、梨佳はにまっと笑みを浮かべた。


「まー、分かんなかったわな。あーしが宿してんのはイルカ。今の咆哮は、奏太の体を確認したってわけだ。そのズボンのポケットにティッシュとハンカチが入ってるだろ?」


「……なんか手品みたいだな」


 素直に驚く反面、口から出たのは胡散臭いと考えているかのようなもの。

 確かに彼女の言う通り、ティッシュとハンカチがそこには入っていた。

 もっと珍しいものでも入れておけば、こんな微妙な感想しか抱くことはなかったのだろうか。


 それを聞いた梨佳は不満げな表情を浮かべ、


「お姉さんを馬鹿にしてんのか。その気になりゃ心身掌握にも使えるんだぞ」


 イルカの能力はあまり知らないが、きっと彼女の言っていることは事実なのだろう。

 フォローも込め、称賛の声を送ろうとして、


「あー、でもやっぱ疲れるわ、これ。フェル、椅子借りるぞー。あ、それと説明の続きよろしく」


 深くため息を吐き、いかにも自分の番は終えました、と言わんばかりに今度は梨佳が椅子の上でぐったりとした。


 嵐のような速さの説明と発言の数々だったが、ひょっとすると彼女にも何か思うことがあったのだろうか。

 さっさと話を終わらせて、早いとこフェルソナに任せたいと思うような、何かが。


 とはいえ、彼女の最後の声と様子を見る限り、明らかに疲れている。『トランス』前の余裕の表情は何処へやら。

 だからきっと、現在の彼女にそれを問いただしたところで答えを教えてくれはしないだろう。


 梨佳に向けて親指を立て、お疲れさまと伝えた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「——それじゃ、改めて説明を続けようか。奏太君も見てくれたように、一部の動物は特殊な能力が使える。ただし、それを『トランス』で使う場合、他の動物に比べれば消耗は激しいみたいだがね。人間の筋肉のようなもので、『トランス』はエネルギーを多く使用するんだ」


「つまりある程度限界は存在する、ってことか。それも適正とやらが関係するのか?」


「ああ、そうだね。どれだけ体に馴染むかが『トランス』の鍵といってもいい。もっとも、最初からすんなりと出来たユズカ君とは違い、蓮君や希美君は適性の高さ故に制御が大変だったみたいだけどね」


「————蓮が?」


「彼女は希美君や奏太君のように、『トランス』が他の子達と違って異質だった、と言うのもあるんだ。その例として希美君、見せてあげてはくれないだろうか」


 フェルソナが振り返った先、声をかけられた希美は何故か白衣を着ていた。

 それはこの部屋に何着かかけられており、間違いなくフェルソナのものなのだが————、


「……何やってんだ?」


「白衣、あったから、着てみた」


「そーたも着てみたらー?」


「いや、俺は遠慮しとくけど……」


「希美君が僕の白衣に興味を持ってくれるとは、嬉しい限りだね。もし欲しければ喜んで贈呈しようか?」


「いや、いらない。ごめんなさい」


 そう言い、希美は着ていた白衣をぽいっと投げ捨てる。ひどい扱いである。


 沈黙し、肩を落とすフェルソナにもさすがに同情の念が湧いてきて、椅子から立ち上がって肩をぽんと叩いてやる。


「それで、私のも、見せれば、いいの?」


「あ、ああ。出来るなら」


 意気消沈したフェルソナに代わり、奏太が口を開く。

 一体彼にとって白衣はどれほど重要だったのだろうか。並大抵じゃないくらいには落ち込んでおり、さすがに心配してしまう。


「ん、じゃあ、見てて……」


 そんな奏太の心中を知らない希美は、小さく頷くと軽く息を吸い込む。

 彼女の頰は僅かに赤らんでおり、分かりづらいが、照れているのかもしれない。


 梨佳の場合はイルカであり、咆哮によってその能力を示した。となれば、彼女も何かしらのアクションがあるはずだ。

 そう思い、目を離さないよう気をつけながら彼女を注視し——、


「…………は」


 次の瞬間、彼女の体がぼんやりと光り、その神秘さに声が漏れた。

 しかしそれだけではない。彼女の体を中心として、青の蝶が次々に飛び出してくる。その数は両手の指が何本あっても足りないと言えるほどに。


「どういうことだ? てっきり、『トランス』はその使った人物の体にしか反映されないものとばかり……」


 奏太の予想に対して、目の前の彼女は易々とそれを裏切ってみせる。

 蝶の放出が終わったのか、何十にもなる蝶が彼女の周りに飛び交い、光の粉を撒いていた。

 不思議なことにその粉は、地面に落ちると跡形もなく消える。まるで光の粒子のようだ。


「これが彼女が異質である所以さ。他の子達とは違って、動物そのものを出す事が出来る。ただし、自身は蝶のように飛ぶことは出来ないけれど、ね。それに加えて、気づくことはないだろうか? 世間で『獣人』と呼ばれるこの能力と、彼女の姿を見て」


 いつの間にか復活したフェルソナの発言を聞き、怪訝な顔をする。

 一体何を言いたいのだろうか。それが分からず、目を細めて再び希美の方を見て、


「——そうか。獣じゃないんだ」


「ご明察の通りだ。そういう意味では、彼女は『獣人』という枠組みからは外れる。もちろん、『トランサー』としての枠組みの中には入るけれどね」


 つまりはこうだ。

 獣とはそもそも四本足で立つ動物を指すが、虫はそれに含まれない。

 こう言ってはなんだが、たったそれだけの話である。

 だが、少なくとも世界の認識と、『獣人』——『トランサー』側の認識にはずれがあるのだと知ることは出来た。


「…………疲れた」


 ぼそりと呟いた希美は『トランス』を解除、その場にしゃがみこんだ。

 彼女の周りを飛んでいた蝶達は消え、そこには細身の少女だけが残る。


 慌てて奏太が座っていた椅子を差し出すと、彼女は疲れを感じさせないように静かに立ち上がって、そこに座った。


「なんか俺、かなり悪いことしてるみたいだな。みんな結構疲れるんだな、これ」


「最近は戦闘らしい戦闘もなかった、ということも理由に含まれるけどね。なに、気に病むことはない。提案したのは僕であり、それを了承してくれたのは彼女達なのだから。さて、残りは芽空君だけだが…………」


 フェルソナにつられて、視線の方向の芽空を見つめる。

 彼女は先ほどとあまり変わった様子は見られず、のんびりと怠けていた。

 本当に、マイペースな少女だと思う。


「芽空はどんな『トランス』なんだ? 期待してるわけじゃないけど、見てみた————」


 冗談交じりに言いかけ、その声は途中で消える。


 彼女の表情に変化があったのだ。

 のんびりとしていたはずの芽空のその瞳に浮かんだもの、それは。


「ごめんね、そーた」


「え————」


 直後、奏太が止める間もなく、逃げるように芽空は駆け部屋を出て行った。


 その突然の出来事に、体が凍りついたように動かなかった。

 いつもの彼女であるならば、きっと駆けたりはしなかっただろう。

 たった二日の関わりだ。所詮その程度だと、言われるかもしれない。けれど、奏太なりに彼女のことを理解していたつもりだった。


 近しい距離感であったからこそ、安心し切っていたからこそ、気づけなかったのだろう。

 彼女はきっと、そのような類のものとは無縁の女の子であると。

 感情の起伏は分かりづらいけれど、それでも自分は彼女の事を分かっているのだと、そう思っていた。


 しかしそれは、ただの勘違いだ。

 ひどく、傲慢な。


「…………芽空」


 芽空の瞳に浮かんでいたのは、怯え、だったのだから。

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