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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章12 『不穏の兆し』



 秘密基地を出て店主と別れると、奏太と葵の二人は学生区へ向かっていた。

 

「反抗期なのか?」


「違います」


「親元を離れたい時期とか?」


「違います」


 葵が来てすぐに店主に対して放った一言——お父さん、この発言から店主と葵は親子関係にあたるのだと分かる。

 思わぬところで縁があるものだと驚きを隠せなかったのだが、その一方で妙に引っかかることが一つ、あった。

 先の会話の調子を聞く限りでは、二人はこれと言って仲が悪いというわけでもなく、一緒に住まない理由がない。

 それならば、一体どうして二人は別居しているのだろうか、と疑問が湧いてきて、現在の会話に至る、というわけである。


 思いつく限りの理由を言葉にしてはいるが、一向に当たる気配はない。

 ただ、文字数にしてたったの五文字の返答が機械のように正確に返ってくるだけだ。


 自分から教える気はないのだろう。理由は分からないが、変わらぬ調子の言葉がそれを物語っていた。家庭の事情か、はたまた裏で何か大きなものが動いているのか。

 いずれにしても、これ以上続けてもどちらもやりづらくなるだけだ。そう思い至り、身を引こうとして——、


「——奏太さん、あなた本当は…………いえ、何でもありません」


 突然隣から射抜くような視線を受ける。

 しかし、一体何を言われるのかと思えば、すぐにそれは外された。

 思考を速めているのだろうか、葵は目を細めて口元に手をやっている。


「なんだ?」


「……いえ、あなたが気にするようなことではありません」


「そういうものか」


「そういうものです」


 言った葵は深く息を吐く。


 前々から思っていたことだが、これは彼の癖なのだろうか。

 出会って二日目にもかかわらず、頻繁にため息を吐いている姿を見かけるような気がする。

 もっとも、彼の性格と周りを考えればため息を吐きたくなるのも分かるというものだが。


「…………」


 彼が言いかけ、やめたことが気にならないわけではなかった。

 はいそうですか、と引き下がれるほど物分かりの良い性格でもないし、何でもないという言葉ほど信用のならないものはない。

 だが少なくともこれ以上触れてはいけないのだと、そんな気がした。


「なあ、一つ聞いていいか?」


「ダメです。ボクの時間を奪おうなんて図々しいですよ、全く。……何です?」


 鼻を鳴らして笑いそうな態度でこちらを見上げてきた葵を見つめ、続けて辺りを見渡す。

 視界に広がった景色の中には、ファーストフード店、美容院に本屋、学習塾など様々なものがあり、それらに出入りする者、奏太達と同じようにうろついている者がちらほらと見られた。

 離れた場所には学校も見え、ビルばかりが広がる中枢区と比べると華やかな景色であり、学生区では当然の景色だ。


 ただ一点、見慣れない景色、ということを除けば。


 奏太のマンションの最寄駅とは遠く離れた駅近くであり、先程から右も左も分からない状態である。

 歩くのにも、時々葵に確認を取らなければ分からないくらいで。


「学生区に戻ってきたけどさ、これどこ向かってんの?」


「そんなことも分からなかったんですか。やはり奏太さんは奏太さんでしたね。スーパーですよ。ご飯の材料買わないといけないので」


 一切の非が自分にはないのだと言っているかのように、顎をくいっと上げてみせるその表情には、謝罪の色は浮かんでいない。

 当然のことだと、心の底から思っているのだろうか。

 事前に一切の話も聞いていない奏太からすれば、彼の発言に思うところがないわけがない。故に一言。


「いや、分かるわけないだろ」



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「食材を運ばない理由、ですか?」


 持ち上げた豚肉のパックの値段を注視し、他のものと比べてからカゴの中に入れる。

 食費に関しては全て芽空から出ているらしく、値段を気にする必要などないのだが、それでもそうですかと長年の習慣を否定するわけにはいかない。

 この考えには葵が共感できるものがあるらしく、思わぬところで庶民感覚が共有できて嬉しかったのだが、それはさておき。


「そう。芽空が食費出してくれてるんなら、外部から食材を持ってきてもらったりとかはできないのか?」


「いえ、出来ないわけではありません。実際過去にはやっていたことです。ですが昨日も言った通り、意識改革があったことと、もう一つ」


 店に入る直前で手渡されたメモ用紙をチェックし、書き記された食材を探しつつ、葵の言葉に耳を傾ける。


「芽空さんが必要最低限のことにしかお金を使わない、という点です」


「あの山のようなクッションとかちらほら見る本は?」


「あれらは例外です。——いえ、あの人はそのくらいの事しか自分のためにお金を使わない、と言った方が良いでしょうか。服も梨佳さん程持っていませんしね」


 言い方からして、葵はユキナやユズカだけでなく梨佳や芽空の服事情にも通じているようだが、今考えるべきはそこではない。

 葵の話や、芽空の容姿を見たときにも感じた事だが、どうも彼女からはお金持ちという感じがしないのだ。

 それが変に引っかかるのだが、単に物欲があまりない女の子、なのだろうか。幼い頃から欲しいものを手にしてきたから飽きが生じて、今に至る、という流れもあり得そうな話ではあるが、しかしそれはそれでどこか違うようにも思う。

 いずれにせよ、彼女自身が変わり者であり、立場も変わっていることは変わりはしないのだが。


「あとは、引っ越しをする際に多くの人とお金を動かす、程度でしょうか」


「そうか、何も最初からみんなあそこに住んでたってわけじゃないもんな」


「そういうことです」


「なるほど。……あ、食事当番って葵だけなのか?」


「いきなり話を飛ばさないでください。ボクに対して失礼でしょう。…………今は、僕だけです。以前はボクと蓮さんの二人で回していましたが」


 ポツリと呟くように出た蓮の名前に、思わず表情が固まりそうになり、寸前でそれを堪える。


「……他のみんなは作れないのか?」


「ユキナはまだ一人で任せられる程ではありませんし、ユズカは一人で作れますが、その代わりにキッチンに惨状が広がります。梨佳さんはインスタントか冷凍、希美さんは——危険物が生まれたので調理自体を禁止されました」


 女性は料理が得意、というイメージをかれこれ数年持ち続けていたのだが、その実情に驚きを隠せなかった。

 ひょっとしたらただの理想なのではないか、そう疑った時期もあったのだが、やはり理想は理想であったと言えようか。


「そりゃひどい話だな……って、芽空は?」


「あの人は作ること自体が稀、という点を除けば完璧ですよ。どのくらいの年月をかけて技術を身につけたのか、詳しい事情は知りませんが、蓮さん以上に上手い事は保証します。……なんです?」


「いや、葵って普段から偉そうなのに、褒める時はちゃんと褒めるんだなと」


「人聞きの悪いことを言わないでください。確かにボクは他の人達より優れているところがたくさんありますが、上には上がちゃんといますからね。もっとも、現段階において奏太さんはボクに勝っている点が身長しかありませんが」


 言われてみれば、まだ披露していない幾つかを除けば、確かに葵に劣っていることばかりだ。否定のしようも、ない。


 例えば自分への自信や獣化ありでの戦闘力。

 これは昨日からの会話や、戦闘においてはっきりと証明されていることであり、紛れも無い事実だ。

 知識量や勉強、運動能力等が披露していない幾つかに含まれているが、果たしていつ彼に見せつける事になるのだろうか。

 仮に見せたとしても、葵のこの態度は間違いなく変わらないであろうが。


「……まあ、とりあえずみんなが料理をしないことは分かった。なら、俺と交代でやるか」


「奏太さん、料理出来るんですか?」


「葵や蓮には負けるけど、一応な。早速今日からでも」


「……そうですか。ではお願いします。あ、お礼は言いませんよ。何しろ当然のことですから。ボクが助けたことへの借りを返した程度のほんの小さなものに過ぎません」


 早口で言い、ぷいっと顔を逸らす葵の口元がふっと緩められたのを奏太は見逃さなかった。

 普段から彼は、表情をあまり変えないことを意識しているのだろうか。仮面を被って、冷たくあしらって。

 それは年頃の男なら仕方ないとはいえ、ひどく難しく、辛いことのはずなのに。

 こういう時、彼女なら何と言うだろうか。考えようとして、すぐに答えは出た。息をするように、ごくごく自然に奏太の内から湧き、しかしそれを不自然だとも思わない。


「——分かった。それなら時間をかけて、葵にお礼を言ってもらえるよう頑張るよ」


 何かが、ずれる音がした。ほんの些細な、注意していなければ分からない小さな音。

 しかしその音の正体は確かめられないし、理解も出来ない。ただ、触れて仕舞えば何かが終わると、直感がそう告げていた。

 だから、それを払うように、唇をふっと緩めて微笑みかける。


「あの、かなり無茶なことを言っている、とお気づきですか? ボクにお礼を言わせるなんて、相当のことがなければ無理ですよ。……まあ、せいぜい頑張ってください。頑張ったところで、ボクがお礼を言うとは限りませんが」


 鼻を鳴らして見下すように笑う葵だが、その言葉にいつものキレはない。さしずめ、照れ隠し、とでも言ったところか。

 思えば、蓮にもよく照れさせられたものだ。それを現在自分が逆の立場になって、男に向けてやっていると考えると、どこかで道を間違えたような気がしないでもないが、それでも。

 それでもきっと、


「じゃあ、応援してくれてるし、頑張るよ」


 彼女の考えに、間違いはないのだから。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「————で、何で俺はウィッグつけてんの?」


 つい十数分程前のことだ。会計を済ませてスーパーを出ると、近くの公衆トイレに寄ってウィッグをつけることになった。

 全く訳が分からない。

 脈絡がなさ過ぎるのと理由の説明がなかったために納得がいかなかったのだが、拒否しても逃げようとしても、葵は頑なにつけさせようとするので、渋々つけて外に出た。


 見慣れない赤髪の毛先をなじり、自分の髪だと思い込もうとしても、違和感は拭えない。

 度の入っていないメガネは邪魔臭く、思わずしかめ面になる。

 いっそのこと、女装でもすれば一周回って変に納得がいったかもしれないが、したいとは思わないし、させられる理由もなく。


「……案外似合ってますね」


「そうか? 正直違和感しかない。ウィッグなんてつけたことなかったし、髪の毛も染めたことないんだ」


「じゃあ梨佳さんと芽空さんには気をつけてください。これじゃ済まない程度には心に傷を負います」


 どこか遠くを見つめる葵の目には、悲壮めいた色が浮かんでいる。女装でもさせられたのだろうか。

 いじられる的ではあっても、なかなかに表情を崩さない彼がそこまで言うということは相当の出来事のはずだ。仮に問いただしても、口を割ってはくれなさそうではあるが。


「って、そうじゃなくて、そもそもなんでこんな……いや、ちょっと待てよ?」


 思考の端に、何かが引っかかった。現実的ではないにしろ、まるっきり見た目が変えることを指す言葉があったはずだ。

 それを行う理由は分からないにせよ、何の脈絡もなく行われたこれが、葵の悪ふざけであるという可能性は極めて低い。ならば、


「これって変装、だよな?」


 クリーム色の毛をさらりと流す葵に、小声で問いかける。


「……ええ。その通りです。変装の理由は分かっていますか?」


「いや分からない。でも、俺だけが変装をするってことは、少なくとも俺が関与した、あるいは今から関与するから、だよな」


「そうですね。今回の場合は関与した、で合っています。今の今まで触れはしませんでしたが、今朝の出来事です。思い当たる節はありますか?」


 葵は話しつつも、わずかに歩く速度を速めて歩く。気がつけば、ちらほらと周りにいた学生達の姿はなく、人気の少ない通りに移動していた。

 奏太達の声と、手元から下げられたビニール袋とその中身が擦れる音だけが辺りに響く。

 選択してこの道を選んだのだとすれば、変装をしたことにも重みが増し、ますます重大な何かが背後にあるのだと分かるのだが、特定するには至らない。


 今朝といえば芽空と家に戻り、学校に行ったことぐらいしかないのだが、それが変装に繋がるのだろうか。

 思い出したくもないが、学校では蓮を否定され、恐怖の目が自分と彼女に向けられていることを知り、『怒り』をぶつけた。友人であった秋吉も、その変貌には驚いていた。

 なにせ、つい最近までは失くしていた『怒り』を解放したのだ。当然といえば当然で————、


「————あれ」


 苦々しい半日前の記憶が何かを訴えかけてきた。

 それは警告だ。何かが奏太に警告している。しかし、何の警告だというのだろう。誰が、何のために?

 学校でのことなら、危ないのはむしろ秋吉達の方だ。知らなかったとはいえ、『獣人』である奏太を怒らせたのだから。


「いや、違う。そうじゃない」


 そもそも、なんで秋吉達は蓮だけでなく奏太にまで恐怖の目を向けた?

 簡単だ。蓮が『獣人』である可能性が高いのであれば、恋人であった奏太もまた、事情を知っているか、仲間である可能性があるから。

 もしもの連続であるそれは、『獣人』絡みでなければ、ただのもしもだとすぐに片付けられてしまうようなことだろう。だが、事は異常とも呼べる恐怖を世界に蔓延させた『獣人』絡みなのだ。

 そんな『獣人』の疑いがある奏太が蓮の為に怒鳴ったら、一体どう思われるだろうか。


「……まさかとは思うが、俺は今狙われてるのか?」


「——ええ、そうです。これを見てください」


 買い物袋の一切を奏太に持たせている葵は、持っていたカバンからタブレットを取り出す。

 スリープが解除され、画面に現れたのは————、


「俺のマンション……? なん、で。しかも、ここは」


 六階の六号室——つまり、奏太の部屋の前だ。

 あの部屋はマンションの外からでも何とか見ることのできる位置している。

 現に、写真では外からでもしっかりと写されているし、その部屋の前にHMAの人員が複数いるのは丸分かりだ。


「……父さんから聞いた情報を含め、現在の状況をまとめます。奏太さんが学校を飛び出した後、恐らくは一生徒が通報をしたことによって、奏太さんに『獣人』の疑いがかかりました。よって、HMAが動き出し、昼頃には写真の様に調査が入っています」


「ああ、だから変装を……ってちょっと待て! なら芽空は? あいつは、あいつは部屋に残ったまんまだ。最悪、HMAに捕まえられでもしたらっ!」


 ラインヴァントのメンバーは、いずれも『獣人』だ。奏太を含め、例外なく。それは芽空も同様であり、HMAに捕まれば最後、『獣人』であることが分かり、殺されてしまうだろう。

 立ち止まり、思わず声を荒げるが、それに対する葵の反応はひどく冷静なものだ。


「落ち着いてください」


「落ち着いてなんていられるか! 殺されるかもしれないんだぞ。なのに、逃げることも出来ずに捕まるなんて、そんなのは……ッ」


 非情で残酷過ぎるではないか。

 目の前の葵がどうしてこれ程までに落ち着いていられるのか、分からない。仮にも同じ組織のメンバーである芽空が捕まることを、何とも思わないのだろうか。

 問いかけようとして、葵に先に告げられた。


「それに関しては、抜かりはありません。事前に奏太さんの家具を含め、芽空さんは移動しましたから。証拠は一切掴ませていませんよ」


「ぇ、は、あ?」


 葵から告げられたことの意味が分からず、間抜けな声が出た。

 見かねたように彼はため息を吐き、再度確認するように言う。


「ですから、芽空さんは無事です。奏太さんの部屋にあったものは全てアジトに移動してありますし、このまま帰ったとしても、問題は発生しません」


 ほんの数日前までと立場が完全に逆転し、ついには『獣人』として生きる以外の道がなくなってしまったことへの驚きは、尋常なものではなかった。もう引き返すことはできないのだと、理性が理解するよりも早く、体が震えた。

 しかし、それを全て芽空の存在がかっさらっていってしまい、開いた口が塞がらなくなる。

 一体いつの間に引っ越しが為されていたのか、芽空は奏太の動きを読んだ上でそれに踏み切り、家から出ていたのかは分からない。

 故に、ただ一言。


「……訳が分からねえよ…………」


 ため息交じりにそう呟く。


 昨日からの二日間で、何度目だろう。驚かされ、常識の範疇を超える出来事に遭遇するのは。

 どれもが輝き、個性豊かな色を発していて、ひどく眩しい。太陽のように遠くの出来事に思えて、感情に痛みが走るような感覚さえする。


 あの日さえなければ、きっと心地良い感覚だったはずだ。

 今よりもずっと楽しく、全てが上手くいっていて。

 しかし、そんなもしもの未来は取り返しのつかないものではなく、今からでも取り戻せるのではないかと思う。そのためにこれからどうすればいいのか、指針はもう定まっている。

 答えに困った時、苦しんだ時には、それに頼ればいいのだから。


「——早く帰りましょうか、奏太さん」


「……だな。芽空に聞かなきゃいけないことも、たくさんあるし」


 ————たとえそれが、愚かなことだったとしても。

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