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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章4 『ひと時の休息』



「やあ、おかえり! 梨佳君……と、芽空君」


 フェルソナは嬉々として立ち上がり、今しがた開いたドアの方へ駆け寄って行く。

 その動きは変態か、変人か変質者か、いずれにしても怪しい人物にしか見えず、奏太は渋い顔で見つめる。


 一方、駆け寄られた側である梨佳と、その後ろからのそりと現れた芽空の反応は慣れたもので、奏太ほど表情は変化させていなかった。

 と言えども、不快に感じるのは共通らしく、梨佳は長い指先で、寄ってきた鳥仮面の鼻先をくっと押して跳ね除ける。


「やっぱあんた変態だわ」


「だから言ったでしょー?」


 芽空は脱力感を身体中から放出させながらゆっくりと移動、ソファに寝転んだ。

 クッションに頭を埋めて、その場でジタバタとしたかと思えば、すぐにそれは止み、まるで息をしていないかのような沈黙が訪れた。


「芽空、安らかに眠れよ……」


「私の人生は幸せ、だったよー…………」


 二人の間によく分からない一体感が生まれ、ふっと笑みをこぼす。

 クッションに埋もれて、息が出来るのかどうかすら分からない芽空の顔は見えないが、きっと奏太同様柔らかな笑顔をこぼしているはずで。

 いや、芽空の場合ないかもしれない。


「お前ら仲良いなー。フェルが嫉妬してるぞ」


「いいんだよ。若者達が交流をし、仲を深める。素晴らしいことじゃないか。僕はそんな君たち、芽空君、梨佳君、そして奏太君。君たちが笑ってくれることがとても嬉しいんだ。だからね、僕が混ざらなくてもいいのさ」


 と言っているものの、鳥仮面の中から聞こえてくる声には哀愁めいたものがあり、明らかに寂しいのだと分かる。

 それに対する梨佳の反応は、


「わーったわーった。また後で、夕食の時にでも構ってやるから、な? ひとまずあーしは奏太と話したいことがあるからさ」


 どっちが年上なのか分からなくなるようなものだ。

 子どもに言って聞かせる、というよりかは弟に接する姉のようなものだが。


「そういうわけだから、奏太君。僕はこれにて離席とさせてもらうよ」


 フェルソナは単純なことに、梨佳の言葉に調子を取り戻したのか、手を上げ、部屋を出て行った。


 そして次に来たのは、梨佳の艶やな声だ。


「————さて」


 梨佳は小さく息を吐いて、奏太を見据える。

 その瞳の奥には、蓮にも芽空にもない、背筋が震えそうになるような魔性を感じた。

 果たしてそういう意図があるのかどうかはさておきとして、梨佳という人物を触り程度にしか知らない奏太にとっては、見極め難いものだ。


「あ、芽空。紅茶飲みたい」


「えー。面倒だから後でねー」


 とは言え、椅子を引っ張って来て奏太の側に座った梨佳の言動は、瞳の魔性の欠片も感じさせないのだが。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「しっかし、ほんと傷一つないんだな。みゃおに怒っといたけど、これはこれで……ま、いっか」


「さっきから気になってるんだけど、そのみゃおって?」


 芽空によって渡された紅茶を口に含み、奏太は問いかける。


「みゃお君はねー、葵君のことだよー」


 クッションの海に身を沈めた芽空は、顔だけをこちらに傾けてくる。

 奏太が芽空に目を向けると、先程は気がつかなかったことが一つ、あった。

 長い長い髪の毛で隠れた左の耳に赤いピアスが付いている。

 比較的控えめな大きさのそれは、少女の素材の良さを損なうことなく上品さを醸し出しており、宝石の類い……なのだろうか。ピアスやイヤリングといった装飾は身につけたことがないために、よく分からないというのが奏太の本音なのだが。


「って、え? あおい、でみゃお?」


「あー、あいつまた苗字言わなかったな。……聞いて驚け! 葵の苗字は! 天姫宮(あまきみや)、だ!」


 一体どこから取り出したのか、画用紙にマジックペンで苗字が大きく書かれている。

 天姫宮、か。何とも高貴な名前というか、芽空よりもお金持ちな感じのする苗字というか。

 男性、というよりは女性らしい苗字だが、あの中性的な顔立ちを考えると、ある意味似合っているといえば似合っている。


「ああ、宮と葵で、みゃお、か」


「そーだよー。大体みんなみゃおって呼んでるよー」


 奏太の記憶する限り、ずっと偉そうで、人を見下しがちなあの少年がみゃおと呼ばれている光景を想像して、思わず吹き出す。

 通りで、名前しか名乗らなかったわけだ。


「ひょっとして葵って、いじられ系なのか」


「お、奏太も乗るか? あいつはいっつもカッコ付けたがるから、反応が面白くてなー」


 梨佳はそう言い、ケラケラと笑って見せる。

 先のフェルソナとのやりとりもそうだが、梨佳は自然とみんなの上に立っているというか、みんなの姉的な存在なのだろう。あらゆる意味で。


「悪いけど、俺は遠慮するよ。あんまりいじりいじられって、得意じゃないんだ」


「私の髪の毛いじるー?」


「じゃあ後でいじる。予約しておきます」


 真面目な調子で話しているというのに、おどけてみせる芽空。

 とはいえ、それが鼻につくわけでもないのだが。

 というのも、毎度ずれた調子で返してくるものだから、ついつい気分が向上して、楽しくなってくるからだ。

 忘れることのできない蓮の死、それに関わる悲嘆をひと時でも薄れさせてくれることが、ありがたくもあり、同時に罪悪感もあったけれど。


 ひょっとすると彼女は——いや、芽空だけじゃない。フェルソナも、梨佳も、気遣ってくれているのかもしれなくて。

 もしそうなのだとしたら、自分は本当に寄りかかってばかりで。

 いずれは向き合わなければならない蓮の死に、向き合うための準備をしてくれているようにさえ思えて。

 それならば、自分がいつまでも暗い表情でいてはいけないのだろう。


「って、そういえば俺、梨佳……さん? の苗字も知らないな」


 扉を開けられた時、突然のことで思わず呼び捨てで呼んだが、これまでの様子を見ていると、もしかすると彼女は年上なのかもしれない。

 だとしたら、敬称をつけるのは当たり前で————


「何でさん付けなんだよ。同い年だぞ。……あーしは戸松梨佳。梨佳でいーぞ、奏太」


「じゃあ梨佳、な。……ここの人達ってみんな名前呼びなんだな」


「そっちの方が分かりやすいからねー。苗字が分からない子もいるしー」


 苗字が分からない子、というのはつまり浮浪児や孤児ということだろうか。

 ということは、これまでの話からもしかすると、と考えていることが一つあったが、それはあながち間違いではないのかもしれなくて。


「どうしたのー?」


「あー、えっと、ちょっと聞いていいか?」


「おうよ! お姉さんが何でも聞いてやらあ」


 梨佳はその大きく膨らんだ胸元に手を当て、自信満々にそう言った。

 ちらりと芽空の方を見ると、彼女も小さく頷いて見せる。


 了承を得たことで奏太は自身のうちにあった推測を口にする。

 それは、


「——二人は、獣人だよな?」


 しん、とそれまでほんわかとしていた空気が一瞬凍りついた。

 しかしそれは一瞬に過ぎず、すぐに温まり、元の空気へと戻る。

 何故なら、


「よく分かったな。そう、あーしも芽空も葵も、フェルを除いてみーんな獣人だ」


「そーたもねー」


 あっけらかんと振る舞う梨佳のその態度はごくごく自然なもので、先程までと何ら変わらない。

 それは芽空も同様で、彼女たちの一瞬の沈黙は恐らくわずかな動揺だったのだろう。


「ってことはあのたくさんある部屋も、そのみんなってのが?」


「そーだよー。でも基本的にはー、私と梨佳、みゃおにユズカにユキナ、それから……フェルソナぐらいしか表には出ないけどねー」


 芽空は間延びした声で、指折り数える。


 ここを住居として住んでいる多数の獣人のうちの主要メンバー、とでも言ったところか。

 聞き覚えのない名前が二つほどあった気がするが、いずれ会う機会もあるだろう。

 そう思い、奏太はうんうん、と頷き、


「あれ、じゃあこの部屋は?」


「私の部屋だよー」


「このベッドは?」


「私のベッドだよー」


 芽空は何の意識もしていないかのように平然と答えて見せるが、少女にとって問題でなくても、奏太にとっては大問題だ。


「いや、それはまずいだろ!」


 すぐさまベッドから跳ね起きようとして体を起こし——


「いいんだよ。芽空が許したんだから」


 トンッと額を指で押され、起こそうとした体が再びベッドに倒れる。

 ちらりと芽空の方を見ても、じっとこちらを見つめているだけで、その表情に特にこれと言った変化はない。

 一体彼女を何がそうさせるのか。同年代であるはずの奏太に自身のベッドを貸し出す程の理由があるのだろうか。

 何であれ、奏太は彼女自身の口からしっかりと聞かなければならない。


「芽空、えっと、その……いいのか?」


 奏太の問いかけに対して、芽空の反応がこれまでとわずかに違う点があった。

 じっと見つめてくるその目も髪も肌も服も、いずれも変化はない。

 しかし、ただ口元だけが緩んで、奏太に微笑みかける。


「大丈夫だよ」


 先程までの間延びした声がどこかへ消えて、そこにあったのは慈愛に満ちた声だ。

 突然のことに驚き、声すら出せないでいた奏太は、


「それにー、部屋も一杯だしねー」


 すぐにゆったりとした調子に戻った芽空の声でハッとなる。

 止まっていた思考が動き出して、一体どうして彼女が微笑んだのかを考え始めるが、答えは一向に出ない。

 そもそも、まだ出会って間もないというのに、あんな表情をされるようなことをした覚えもない。

 しかし答えを求めるようにして芽空を見つめても、ただ見つめ返されるだけだ。

 先程の笑みはどこかへ行ってしまったようで。


「そういうわけだ。しばらくは二人で過ごせよー?」


 本当に人を振り回す少女だ、と唇を緩めた瞬間、奏太は梨佳の言葉に耳を疑う。


「え、しばらく……しばらく?」


 しばらくとはつまり、療養目的以外でもここで寝ろ、ということだろうか。

 それは気遣いであろうと何であろうと、ひどく難しいことである。当然だ。

 奏太は今の言葉が嘘であって欲しい、と願うように視線を芽空にずらしていき、


「しばらくだよー」


 間延びした緊張感のない肯定の声が、部屋いっぱいに響いた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「案内?」


「そ、会わせたいやつもいるからな」


 二人は赤絨毯の敷かれた廊下をぐんぐんと進んで行く。

 その道中で、階段などを挟んで大浴場やトイレ、食堂など、生活に必要なスペースのいくつかを梨佳に教えられる。

 どうやらお風呂とトイレに関しては、各部屋にもあるらしく、まるで旅館のようなところだ。


 ちなみに芽空は、眠いと言ってクッションの水底に沈んで行ったため、部屋に残して来た。

 戻る頃には窒息死してないか不安になるような光景だったが。


 何というか、芽空はひどく保護欲を駆り立てられる少女だなと奏太は思う。

 奏太に妹はいないが、仮にいるとしたらこんな感じなのだろうな、と。


 ともあれ、ひとまずは目の前のことだ。


「それって、俺が……助けたっていう?」


 先の会話で聞いた主要メンバーの中で、顔を合わせていないのは三人だけだが、この内の誰かなのだろう。

 いずれにしても、あの少女と話す際に怒りを、恨みをぶつけてしまうのではないか——そのような不安が奏太の中になかったわけではない。

 しかしいずれは蓮の死同様、向き合わなければならないのだ。

 あの少女にまで変に気を使わせるよりも、早いうちに解消しておいた方が良いだろう。

 

 もっとも、それを除いて話さなければならない相手が一人、いるのだが。


「それそれ。名前は……まー、後でのお楽しみってことで」


「秘密にする必要あるか?」


「そりゃお前」


梨佳はその場で足を止め、くるりと振り返ると、人指し指を立てる。


「仲良くなりたい奴には自分から名乗りたいって、そう思うだろ?」


「まあ……言われてみれば、確かに。でも葵はどうなるんだ?」


 奏太の問いかけに対し、梨佳は歩みを再開すると、遠い目をして大きくため息をついて見せる。

 そのため息は恐らく、奏太に向けてではなく、葵に対してのもので——


「さっき言っただろー? あいつはカッコつけたがるから、名前しか言わないんだよ」


「あ、なるほど」


 ふむふむと奏太は頷き、改めて葵の見方を変えてみる必要があると考える。

 初対面の相手に対してあの態度は、奏太でなくても多くの者の怒りを買うはずだ。

 もっとも、以前の奏太であれば、きっと怒りなど感じなかったのだが。


「にしても、やたら芽空と仲良かったけど、実は知り合いだったか? あーし、お前らのやり取り見てて笑い半分、驚き半分だったんだけど」

 

「いや、今日初めて出会ったばかりだよ。でも……」


 考えてみると、どうしてあれほどまでに息が合うのだろうか。

 調子を崩される、という点では何だか微妙な気分になるが、話していて心地が良いのは確かだ。

 妙に他人のような気がしないというか、近しい存在のような気がするというか。


「何ていうか、兄妹みたいなものだな」


 それは決して、恋愛感情などではない。

 奏太が蓮に抱いた、そして今も抱き続けている想いとは、全くの別物だ。


「親近感が湧くとか、他人のような気がしないとか、そういう系?」


「かな。まあまだ知り合って数時間だけど」


 数時間で芽空の全てを知った、などと大それたことを奏太は言えない。

 あくまで、数時間で知った彼女に自分の近しいものを感じた、とただそれだけだ。


「でもあながち間違ってないと……っとと」


 言いかけ、梨佳はある部屋の前で止まる。

 だいぶ歩いた気がするが、ここが『会わせたいやつ』の部屋なのだろうか。


 梨佳がドアをノックし、中から元気な声が返ってくる。

 可愛らしい声だ。小学生か中学生か、どちらにしても陰を感じさせない明るいもので、


「どったのー?」


 勢いよく開かれたドアが奏太の鼻先すれすれを擦った。

 直前にノックをした梨佳は先読みをしていたのか、ドアから距離を置くことで衝突を免れたようだ。

 部屋の中から現れた人物は、それを一切気に留めず、梨佳の姿を、そして奏太の顔を順に見て、


「あ、ひょっとしてソウタおにーさん? さっきはみゃおみゃおががぶぶってしてごめんね、大丈夫?」


 顔を見た瞬間、例の少女かと思ったがそうではない。

 曖昧な記憶の中にある少女と細かなパーツは共通しているが、髪型や言動が全くの別人だ。

 蜜柑色の長髪を一つ結びにして胸元に垂らしており、元気はつらつという言葉を体現したかのようなその顔立ちは、目の色も合わせ、一切の雲がない晴れ渡った空のようだ。

 

「あー、うん。大丈夫だけど、君は?」


 奏太に比べて一回りも二回りも小さな少女に対して、中腰になって問いかける。

 

「アタシ? アタシはユズカ、だよ! ソウタおにーさん!」


 少女はそう言うと太陽のように晴れやかな笑顔で、小さな手を奏太に差し出した。

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