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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章3 『仮面のその内に』



 体が重い。

 遥か上方に見える光に手を伸ばそうとしても、腕が鉛のように重く、動かない。


 奏太の周りに広がるのは、黒の世界だ。底へ沈むほどに光が遠く、闇が深くなっていく。

 落ちてはいけない、そう分かっているのに、体は思った通りに動かない。


 徐々に力が奪われて、何もかもが面倒になっていく。

 落ちる。沈んでいく。深い、深い闇の水底へ。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「ん……」


「やあ、気がついたかい」


 目を開けると僅か数センチの先に鳥のような仮面があった。


「うおわああああああ!?」


「あー耳が痛い痛い」


 鳥仮面の男は、耳を抑えると曲げていた腰を引いて、座り直す。

 その仮面の隙間からは紫色の髪の毛が顔を覗かせており、何とも毒々しいというか、怪しい印象を奏太に感じさせた。


「体の調子はどうだい?」


「頭痛が酷いのと、鼓動がかなり早く動いてる」


「鼓動が早い……もしかすると、悩みでもあるのかい? それなら僕で良ければ相談に乗ろうじゃないか」


「目の前に鳥仮面の男がいて、寝起きでびっくりさせられたんだけど、どうしたらいいと思う?」


「なんだって、そんな人がいるのか……。物騒な世の中だね」


 鳥仮面はそう言い、肩をすくめて見せる。


「いやあんただよ。世の中疑う前に自分を疑ってくれ」


「疑い、それは時として悲しい結末を生んでしまう。しかし疑わなければ、いつまでも目に映ったままの世界でしか物を見れない。……それは悲しいとは思わないかい?」


「俺は会話が成立しないのが何よりも悲しいな」


「まあそんな冗談は置いておくとして」


 ふざけた調子が一転、急に落ち着きを払った声に変わる。そして鳥仮面は一度咳払いをすると、


「初めまして。三日月奏太君。僕はこのアジトの年長者兼しがない一研究者のフェルソナ。仮名だけどね」


 そう言うと、握手を求めて手を差し出してくる。


「仮名って……まあいいや。フェルソナ、か。よろしく」


 衝撃的な目覚めをくれたことを除けば、特に断る理由もないので、握手に応え、その手を握る。

 が、側から見れば鳥仮面の男と握手をするという非常にシュールな光景なので、すぐさまその手を離した。

 対してフェルソナはそれに動じず、ふむと首を傾げて何かを考え込んでいるようで、


「どうした?」


 問いかけた先、フェルソナの瞳が怪しく光ったかと思えば、その口から散弾銃のような言葉の数々が炸裂した。


「君は葵君にむしゃむしゃされて気絶したわけだけど、本当に頭痛だけなんだね。とすると、たった数十分で傷も痛みも残らず完治したということか! いや、ひょっとするとそれほど時間はかかっていないのかもしれない。数分か、あるいは一瞬か。いずれにせよ、衣類が破け、血の跡があったことぐらいしか傷を負った証拠はない。これは本当に興味深いことだ! いくら獣人とはいえ、君のような再生速度を誇るものを僕は見たことがない。あの子達も早い方ではあるけれど、それとは比べ物にならない。加えて、君の見た目は——」


「待て待て、ちょっと待った」


 前のめり気味になって、怒涛の勢いで言葉を続けていくフェルソナに奏太は待ったをかける。

 先ほど彼が研究者、と名乗った以上は興味のあるもの、ことへの関心は、他人のものとは比べられないほどなのだろうと考えていたが、さすがに度が過ぎる。


「その話は後ででもいいか。……いや、やっぱりそのうち気が向いたらで」


 あの女の子が、芽空が変態と称した理由がよく分かった。これは紛れもない変態だ。

 いや、ひょっとするとまだまだ序の口なのかもしれないが、とりあえず今は彼の話に付き合っている余裕はない。


「いくつか、確認したいことがあるんだ」


「ああ、構わないとも。平常時ならまだしも君はまだ目覚めたばかりで戸惑うことも多いだろう。ならば僕が君に合わせるのも当然と言うものだ。とはいえ、僕に答えられる限りだけど、ね」


 手を開いて全てを明かすつもりだと証明して見せるフェルソナ。

 年長者、と言っていたあたり、右も左も分からない奏太はもちろんのこと、芽空や葵より知識、経験が豊富なのだろう。

 なればこそ、奏太には知っておくべきことがいくつかある。

 先の勢いが余裕だと言うには疑問視するべき点が多すぎる気がするが、それはさておき。


「じゃあ早速。え、と……俺は恐らくハクアを倒した後に気絶したんだよな。俺を助けてくれたのはフェルソナか?」


「いや、僕じゃないよ? 君がハクア君をつんつくつんした後気絶したのは聞いているが、僕はあいにくその場に居合わせていなくてね。この目で君の姿を見てみたかったという気持ちもあるのだが、それはまた別の機会に見せてくれることを願うとしよう。……君を助け、ここまで運んでくれたのは、葵君だよ」


「あいつが? ってことは、葵は俺の姿を……」


「ああ、見ていたようだよ。とはいえ、終始見ていたわけではなく、最後の最後、ほんの一欠片に過ぎない。もっとも、君が助けた人物は、一部始終をじっくりと目に焼き付けていたようだけどね」


 助けた人物、と言われて思い浮かぶのはあの蜜柑色の髪をした少女だ。

 蓮が自分の命を犠牲にしてまで助けた、あの少女。

 朧げながらに記憶として残っているが、助けた、というにはどうもしっくりこないような気がする。

 蓮の死によって生まれた嘆き、怒り、憎悪。それらによって奏太はハクアを突くに至ったのだから。

 あくまで、少女を助けられたのは偶然に過ぎないのだ。

 ともあれ、


「その子は無事なのか? 多分、あんたの言い方的にここにいると思うんだけど」


「うん。無事だし、ここにいるとも。君が望むのであれば、後で彼女の元へ案内するが、どうだろう? もっとも、彼女の方は君に会いたいと僕に懇願してきたのだけどね。君の意思を聞かないことには、と保留にしておいたよ」


「俺は結果的にあの子を助けただけなんだけどな。でも断るわけにもいかないし——」


 会ってみるよ、そう言おうとして、止まる。

 奏太は考えてしまったのだ。


 蓮が命を犠牲にして守ったのがその少女だとするのなら、つまりは少女のせいで蓮は死んだのだ、と。


 それを否定し、すぐさま頭から振り払おうとしても、ひどくへばりついて取れる気配すらない。

 少女のせいじゃない、分かっているはずなのに、そう意識せざるを得ないのだ。


 恨め、恨むのだと黒の囁きが奏太の内に響く。

 最初は一雫ほどだったそれは、徐々に広がり、大きくなっていき————


「……どうしたんだい? 何か思うところがあるのなら、断りを入れておくよ」


 フェルソナの言葉にはっとなり、奏太は手に汗が滲んでいることに気がつく。

 一体自分は何を考えようとしていたのだろう。あの少女が悪いなど、そんなことはあるはずがない。

 蓮が望み、蓮が守りたいと思ったものなのだから。

 

 奏太は自分にそう言い聞かせることで、無理やりに先の感情を端に追いやる。

 そして、


「ちょっと考え事してただけだ。会ってみるよ、その子に」


「……そうかい。無理だと思ったらすぐ言うんだよ。これでも僕は年長者だし、多少の融通は利かせられるから」


 彼の言う融通、というのは大の大人が小さい子に言って聞かせるような、そんなものだろうか。

 いずれにせよ、フェルソナは気を遣っているのだろう。それ程までに、先の沈黙は重く、沈んだものだったらしい。

 だから、


「少なくとも今は大丈夫だ。でも、ありがとう。……あー、それでフェルソナは年長者って言ってたけど、ここもあんたが管理を?」


 明るい調子で礼を言ってすぐ、何だかむず痒い視線を感じて話題転換をする。

 初対面の相手だと言うのに、どうしてこう気を遣おうとするのだろうか、それは実に簡単なことだ。

 確かにフェルソナは変態だが、きっと心根は優しいのだ。

 盲目的な判断かもしれないが、今はそれでいい。年長者だと何度も言うのだから、甘えるとしよう。


「度々否定して申し訳ないけど、僕じゃないよ? 僕はただのしがない一研究者で、ここの年長者であるというだけだよ。そして、当主、という意味ではここに該当する人物はいない。だけど、最高責任者は君も既に会っているはずだよ。ほら、君が一番最初に目覚めた時に」


「それって……」


 一番最初、ということは間違いなく葵はない。つまり該当する人物はあの鶯色の髪をした人形のような少女、


「芽空がここの主なのか!?」


 驚きのあまり、声が上ずってしまうが、無理もない。

 確かに容姿は整っていたが、あの髪の量や服装は……そういうファッションが上流では流行っているのだろうか。いやいや、そんなことはないだろう。


「そうだとも。だからと言って、変に気を使う必要はないよ。彼女はそれは望まないし、君も疲れるだろうからね」


「そう、か。……分かった。一応、今ので聞きたいことは聞けた。細かいことが聞きたくないわけじゃないけど、それはまた後で、だな」


「ご期待に添えたようで何よりだ。ゆっくり休んでくれ……と、言いたいところだけどその前に一つだけ」


 フェルソナは人差し指を立てて見せ、続ける。


「君は先の傷を葵君に受けた。触り程度にしか話してはくれなかったが、彼が君を挑発した、と聞いている。君は葵君に怒りや恨み、そういうドロドロした感情を抱いていないのかい?」


 それは驚くことに、二度目に目覚めてから今に至るまで、一度も考えなかったことだ。

 奏太は瞼を閉じて、彼の質問を自分の中でゆっくりと溶かし、循環させていく。


 確かに、挑発をされて、煽られて、奏太は怒りの矛先を彼に向けた。

 そして為すすべもなく敗れ、自分は弱いのだと、蓮の仇討ちの一つもできないのだと、そう言われた。

 実際、満足に獣に——獣化、と仮に呼ぶとして、獣化も出来なかった。


 視界が真っ赤に染まって、自分が自分でいられなくなるような——いや、あれはそんなものではなかった。

 懐かしい感覚だった。体にひどく馴染んで、活き活きとする感覚。

 それが本能なのか、それとも失った記憶に関係することなのか、分からないけれど。

 しかし少なくとも、自分の力を自分で制御出来ないような自分に、蓮の仇を取ることなど出来ないのだとはっきり分からされた。


「確かに怒りはしたし、今も言いたいことがないわけじゃない、けど」


「けど、何だい?」


「葵は俺に力がないって、教えてくれたんだ。多分あの時の俺だったら、ボコボコにでもされない限り、分からなかったと思うから」


 あれは極めて単純な、子どものような怒りだったのだ。

 意地になって、自分が正しい、間違っているのは周りなのだとそう言い張るような。

 殴って聞かせなければ言うことを聞かない……などと思っているわけではないが、初対面の相手に説得されるほど、子どももあの時の奏太も、甘くはない。


「なるほどなるほど。君は何というかこう、不自然だね」


「不自然?」


 上ずった声色から、恐らくフェルソナは笑みを仮面の下で浮かべているのだろう。

 彼は再び人差し指を立てて、言った。


「うん。たった少しの間の会話だけど、君は基本的に物事を考えて話すことの出来る人物だと僕は見ている。親しい間柄の者にそう言われたことはないかい?」


「確かに言われたことはあるけど……それと不自然に何の関係があるんだ?」


 奏太の問いに対して、今度はもう片方の手をグーにして上下に小さく揺らす。


「普段の君が考えて話すのに対し、『怒り』という感情が湧いた瞬間、君はあまりにも単純な——いや、本能的と言った方がいいかな。本能のままに動いてしまうんだ、君は」


 フェルソナは両手を下ろし、続ける。


「誰しも『怒り』を感じれば思考が鈍り、多かれ少なかれ、言動にも影響を与える。僕であっても、葵君であってもね。しかし君の場合は、あまりにも極端で、不慣れなものを扱おうとして、大失敗をする……そんな印象を受けるんだ」


 つまり、山登りに新品の靴を使用するようなものだろうか。

 『怒り』が不慣れ、という点に関しては、思い当たる節がないわけではなかった。

 以前、秋吉に怒らないのかと聞かれた際、しばらく怒っていないと考えていたが、あれは間違いだろう。

 何故なら、


「多分、それは俺が記憶を失ってたから、だと思う」


「記憶を失っていた?」


「ああ。大っぴらに言うことでもないけど、俺には今から五年前、十歳以前の記憶がないんだ。考えてみると、それから一度も『怒り』を感じてない」


 奏太の答えにフェルソナは沈黙した。

 素顔であれば口元であろう場所に手を当てて、思慮にふけっているようだ。


「どうした?」


「——ああ、すまない。一体何の偶然なのか、と思ったものでね。ひょっとすると君と僕は運命の相手か、はたまた神によって定められた数奇な運命を辿る同志なのかもしれない」


「初対面の相手にこんなこと言うのもなんだけど、気色悪い。それで、なんでそんなことを?」


 顔をしかめて言う奏太の言葉を聞いているのかいないのか、フェルソナは奏太に告げる。


「僕もね、君と同じ五年前に————記憶を失っているんだ」


「…………え?」


 仮面の下のその素顔が、真剣みを帯びているのが声色から分かる。

 間違いない真実なのだと、そう告げている。


 しかし一体、どういうことなのだろう。

 今日まで同じタイミングで記憶を失っている人物など、見たことも聞いたこともなかった。

 にも関わらず、このタイミングで現れるなど、もはや偶然と片付けるには彼の言う通り運命とも言えるもので。


「それって、どういう————」


 問いかけようとして、それはドアを勢いよく開ける音によって妨げられる。


「よーっす! 奏太、大丈夫か? あーしがいない間にみゃおにボコボコにされたって聞いたんだけど」


 妨げた人物は、かれこれ数日前に顔を合わせたばかりの人物だ。

 紺色のポニーテールを揺らす翠眼に、豊満な体つき、見た目から発せられるいっそ暴力的なまでの大人の女性としての雰囲気。

 それは蓮の親友——梨佳。


「梨佳といい、葵といい、なんで誰もノックしないんだよ……」


 彼女に対して、奏太はため息交じりの声を漏らした。

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