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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
終曲 『それから』
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終曲2 『色づいた世界の物語』



 この世界で、『獣人』について一番詳しいのは誰か。


 そんな質問をされれば、葵はもちろん、ラインヴァントの皆は間違いなく「フェルソナ」と答えるだろう。


 鳥仮面に白衣の男。

 立場的には人間——今となっては『獣人』同様、定義が曖昧ではあるが——にも関わらず、『獣人』に協力する研究好きの変人。いつも引きこもってばかりで、外に出ることがあっても研究に必要なものを買いに行くだけ……まあ、おおよそそんなイメージを抱かれている。


 実際それは正しく事実で、けれど真実には程遠い。


 現在彼はヨーハン邸地下、その一室で弟子だか嫁だか知らない、同じく変人の女性と一日中研究に明け暮れている。

 以前とは、見た目や言動に大きく異なる部分があるけれど。


「——でもそれが償いだから、ですか。本気で言ってるんですか?」


「……ああ。少なくとも今の僕たち——いや、僕にできることはそれだけだからね」


 今目の前にいるのは、つい最近までお世話になっていた人間の、見覚えある姿などではない。

 

 紫色の伸びた髪に、美麗な顔の男性。


 その白衣も言葉も感情も、知っている。

 けれど、分かっていても頭の中で固まっていたイメージはなかなか消えるものではなく。

 そして何より、事情が知れたと同時に変えたのだというその見た目には、「はいそうですか」と頷くわけにはいかない。


 何故なら彼は自分たちにとって、


「半分生みの親のようなもの。……複雑な気分ですね」


 感情を押し殺しきれない、悔しさにも似た声が室内に響いた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 いわく、デバイスに『獣人』を仕込んだ元々の責任者はフェルソナであり。いわく、記憶が戻った今、HMAが消えた穴埋めも含め、世界のこれからのために自分は尽力するつもりだ————そう語っていたのが二週間前。

 あの事件の翌日だ。


「過ぎたことをあれこれと言うのはあまり好きではありませんが……あなたの罪が消えることはありませんよ」


 彼の罪。

 それは彼が華に協力した=『獣人』を生んだということだけではない。


 式典前にフェルソナが記憶を取り戻していたというのなら、華がどういう行動に出るか分かっていたはず。世界を停止させることも、奏太を『英雄』へと導こうとしていることも、分かっていたのならもう少し何かできたはずだ。

 たとえば三日月奏太という大きな存在を失うこともなかったかも知れない。

 たとえば華の計画を弄ることだってできたかも知れない。

 なのにフェルソナは傍観して、今の結果に至ってしまったのだ————と。


 それは許せない罪で、同時に、やるせない怒りをぶつけているだけでしかない。


 ……自分でも分かっている。

 こんなことを言っても結果は変わらない。互いに虚しくなるだけだと。

 けれどそれでも感情が止まらないのは、フェルソナの態度が関係しているのだろう。


「……僕のことを知らない世界に対して償うことと、その逆、君やシャルロッテ君のように真実を知る者たちに許されることとはまた別物、か。けれど僕はそれでいいのさ」


 なおも開き直ったような態度の彼に、ピク、と眉をつり上げる。

 低い声で、


「……何故?」


「簡単な話だよ。——計画に協力すると決めたあの日から、僕の道は決まった。当然、こうなることも予想していた」


 思わず席を立ち、彼の胸ぐらを掴む——そんな衝動的な怒りが湧いてくる。

 けれど手を止め、それが行動として起きなかったのは、


「……分かっていた、ことだからね」


 後悔していると告げるかのように、声を落とすフェルソナ。

 彼の表情を見て、どうしようもなくなった。


 ……本当に、どうしようもない。

 だからため息を吐いて、頭の奥を落ち着かせる。


 感情のままに言葉を発していたのでは、本心を間違えてしまう。ならば、自分が真に思っていることはどこにあるのか。

 記憶を一つ一つ順に見ていき————再度、ため息。


「…………誤解なきよう言っておくと」


 そっぽを向きながら、言う。


「怒りはあれども、ボクはあなたに感謝をしていますし、なにも嫌っているというわけではありません」


「……え?」


 冷静に考えてみた時、自分でもこの結論に至ったのが不思議でならなかった。

 けれど、恐らく奏太や芽空も同じ意見で、だから二人は彼を責めたりしなかったのだ。

 だから先ほど、ため息を吐いた。——数秒前の自分の言葉を取り消したい、と。


 なぜなら、


「確かに『獣人』を巡る事件で失われたものは数多くあります。それらは決して戻って来はしないでしょう」


 蓮に梨佳、奏太に希美、それからオダマキ。一部はワケありとはいえ、仲間を五人も失った。過去にいた『獣人』も獣でなければ死ぬことはなかった。同族同士で戦わされる必要もなかった——そんな仮定に巻き込むべき被害者たちはたくさんいる。


「……でも、同じ数とは行かないまでも、救えたものもある」


 救う力と託されたもの。

 それらはフェルソナたちの計画あるいは彼自身の協力がなければ得られなかったはずのものだ。

 中には、『獣人』の力があったから生きられた者だっている。約束を叶えた者もいる。葵も例外なくその一人だ。


 ならばそれは——たとえ葵の自分勝手な答えであったとしても、感謝すべきことではないか、と思うのだ。だから、


「あなたたちはあなたたちなりの幸せを求めた結果が今。それを受け入れろと言うのなら、ボクは受け入れましょう。真実を知る者として」


「——、…………けれどやはり罪を許しはしない、と?」


「まあ、そうですね。と言っても許せないことの一つや二つ、誰にでもあるものですし、たとえあなたが気になるとしても気に病む必要はありませんが」


 本音を言いつつ、からかうように笑みを浮かべ、


「だからあとは、それを受けてヘコむあなたの軟弱なメンタルをどうにかしてください」


「えっ」


 まさかこのタイミングでそんなことを言われるとは思っていなかったのか、フェルソナは分かりやすく肩を落として落ち込み、苦笑い。


「……相変わらず厳しいね」


「それは褒められている、ということにしておきましょう」


 わざと偉そうに、上から目線で振る舞ったりして。

 決して元通りにはならない関係ではあるけれど、知らなかったことを知って、相手との距離が近づいて。そうやって皆が前に進んでいる。

 元々元気だった彼が償いと称して縛られているのは、少々悲しい気もするけれど。


 ——なんて、暗い話はそろそろやめておこう。

 切り替え、いくつか質問を投げることにする。


「ここへ来る途中——というか、この二週間ですね。いくらか人間(、、)を見て来たんですが……あれはどうなっているんです?」


「どう、とは?」


「ボクたちのように『トランス』の能力にも目覚めるのか、ということですよ」


 ここで指している人間は、()から強制的に孵化させられた者たち。つまり葵たちとは違う、元々は『獣人』でなかったとされていた者たちのことだ。

 先の出会いでいえば秋吉もそこに含まれ、


「確かに、今は見た目だけの変化だね。君たちのような強力な力は引き出せないし、扱おうと思っても扱えるはずもない」


「……今は、ということは」


「ご明察。そのうち体に馴染んだ頃に、『獣人』としての力に目覚めるだろう」


 もしそうなれば……争いが起きた時、凄惨なことになるだろう。

 自分たちはまだ比較的マシな方だったとはいえ、ブリガンテのような例もある。最悪、都市が二つに分かれて戦争、なんてこともあり得る。


「しかしそれを抑えるために、あなたたちがいると」


「そういうことになる。人間は君たちに比べて不完全——劣化版の『トランス』だし、今までのデータからも『纏い』を使える者は少数。よって抑えるのは容易だけれどね」


 まあ、誰とは言わないが、『纏い』でなくとも力をつける人物はどこにでもいるわけだが。ごく少数とはいえ。


 そんな葵の心境を知らず、「それにそもそも」と彼は次いで、


「君も見て来たはずだ。『トランスキャンセラー』を身につけていた者たちは例外としても、孵化した状態にも関わらず見た目に現れていない者たちも」


 頷く。

 今日一日葵が目に付いた限りでは、自身の両親、クラスの担任。あとは左前の席の——まあ、他何人か。登校して来ていた生徒の大半はそんな感じだ。


「今確認を行っている途中だが、そういう子たちも少なくはないみたいだ」


「なるほど……では、『トランス』は使えないと?」


「いや、僕の見立てでは、ラインヴァントの非戦闘員の子たちが一番近い。少し目や耳が良くなるとか、その程度だろう」


 彼は一度言葉を切り、目を細めながら笑み。


「だから君が心配している、()の今後の生活についても問題はないよ。見た目の姿が変わっていなくとも、責められることはない」


 ……優しげな声。


 それは多分、葵が気にしているラインヴァントの関係者もそうだが、葵に対して向けられたものでもあるのだろう。


 確かに華が()を孵化させたことで、人間たちの姿は常時『纏い』のような状態になってしまったが、それによって元の人間の姿のままである自分たちが、貶められることはないと。


「……お気遣い感謝しておきますよ。年長者さん」


「いやはや。僕を年長者と言ってくれるのは君か奏太君くらいのものだよ。悲しいことにね」


「普段の態度と言動を改めれば、その悲しみは払拭されると思いますよ。まあしないとは思いますが」


「そこまで信頼されると照れるね」


「いや、褒めてないですから」


 やりとりに二人は賑やかで懐かしい、そんな雰囲気を感じて、思わず笑い声を漏らす。

 あまりにも自然に口が動くので、自分でも驚くくらいだったが。


 それから少し、他愛もない会話を交わす。

 今後どんな研究をするつもりなのか、とか。どんな修行するつもりなのか、必要なものかはないか、とか。


 そしてある程度話した後で、ふと葵は気がついた。


「そういえばエトさんはどこへ? 普段は二人でここにいると聞きましたが」


 以前のやり取りから察するに、毎日毎時間のように求愛されているのだろうか。想像するに恐ろしいが。


「ああ、うん……そうだね。いつも……」


 ため息混じりのそれは聞かなかったことにするとして。


「彼女ならオダマキ君のところだよ。強制的に孵化を起こされた人々と彼との間にどんな違いがあるのか——調べてもらっているのはそんな内容さ」


 なるほど、オダマキのところか。

 ……別に彼を忘れていたわけではない。忘れていたつもりはないのだが——そういえば彼も意識がないとはいえ、人間たちと同じ常時『纏い』のような状態になっているのだったか。能力は恐らく使えるはずだが、


「————」




 ——一つ。本筋とはずれた疑問が生じる。


「……彼が目覚めないのは『ラプラスの選定』によるものだと聞きました。それは間違いありませんよね?」


 フェルソナが頷く。

 彼は肯定した。

 ということは、だ。


 事件は確かに終わった。

 けれどそれは始まりか、あるいは進行の節目でしかなかったか、ということになる。


 ——分かりやすく言うと。

 先ほど葵が彼を責めた通り、華が一連の事件を全て計画通りに進めていたのだとしたら。

 全てが必要なことだったというのなら、オダマキについても同様だと考えられる、ということだ。

 わざわざ意識を奪ったということは、何かの狙いがあってやっていることであり。


 ならばこそ、問う。


「いつ彼は目覚めるんですか————?」



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 そう。それは考えてみればおかしな話だ。


 葵たちが知らなかったとはいえ、仮にも全世界を巻き込んだ事件を起こした『魔女』。彼女ならば奏太の『間違いを否定する』能力について正しく理解していたとしても。


 それを利用し、彼に世界を救わせる——他にも理由がありそうなものだが——つもりだったのなら、オダマキは別に特別視する必要のなかった、言い方は悪いが彼女にとってどうでも良い人間のはずだ。

 当然、わざわざ生かしておく理由はないし、ましてや能力を発動させるまでもないくらいズタボロの状態だった。


 なのにわざわざ封印した理由。

 それがあるとすれば、


「彼が必要になる時が来る、ということだろうね」


 同じ結論。

 フェルソナは続ける。


「彼女の——華の『ラプラスの選定』がどういうものかは知っているね?」


「ええ、まあ。事象の封印とその解除、でしたか。なんでも封印の方は複雑な条件までも設定できるとか聞きましたが……」


「そうだね。対象の選択に関しては人に限らず、概念や空間そのものまで操作が可能で、規模も以前に比べれば桁違いに大きくなった。——けれどそれは封印に限った話ではない」


 息を呑む。


「それは、つまり」


「——いつ解除されるか、という条件についても、設定済みだろうね」


 …………なるほど。


 椅子の背もたれに背中を大きく預ける。

 彼が語った言葉の示す意味。藤咲華の計画。それらが指すものは、はっきり言ってあまり笑っていられないような事柄。


「……どうして、笑っているんだい?」


「ハッ」


 だが、葵は笑う。

 八割の本心と、二割の虚栄。格好付け。


「だって、簡単な話でしょう? ——いずれまた何か(、、)が起きるのなら、それまでに強くなればいい。強くなって、そんな問題は正面からへし折ってやればもう解決です」


「葵君……」


 もし、その時が来たのなら。

 多分、色々なことが始まると思う。


 信じられない出来事が起きて、出会いがあって、争いが起きる。時には涙し、怒ることだってあるだろう。また誰かが傷つく。失われることもあるかもしれない。

 別れだって、現実としてあり得るのだ。


 ひょっとしたら、葵の知らないところで起きる事件かもしれない。あるいは、近くで起きているけれど気がつけない——そんな問題も。

 でも、答えは一つだ。


「……何年先でも、どんな場所でも。ボクたちはその時に応じて、自分にできることをする。次世代が向き合うことになるのなら、出来る限り協力する」


 人は一人では生きていけない。

 支え合って、寄り添って、でも、だから強くなりたいと思うのだ。

 そのための場所を作るためにも、まずは少しずつ。


 三日月奏太が物語を終えたように。

 天姫宮葵も、自分の物語を進めて——手を止めてしまった誰かの手助けをしたい。いや、するのだ。

 だってそれが、


あの人(、、、)から皆のことを任された、ボクの役目ですからね」


 もしそこにオダマキも必要とされるのだというのなら、彼とも協力しよう。

 きっとその先には、あの人(、、、)彼女(、、)の姿があるから。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「——ワタシの修行に付き合って欲しい」


「…………はあ」


 用件も全て済み、時間も時間なのでそろそろ帰路へ着くとしよう——そんな時だった。

 ユキナ同様、シャルロッテに任されていた仕事が終わったのか、執務室から出てきた月色の髪の少女ジャックに、葵は呼び止められたのである。


「絢芽やボク自身の稽古にもなりますし、それは構わないのですが……参考までに、理由を聞いても?」


「……」


 正直な話、葵はこの少女のことをあまり意識したことがない。

 もとい、ほとんど何も知らないから、頭の中で彼女の存在が確立化されていないのだ。


 知っていることといえばせいぜい、ブリガンテの幹部の一人で、『トランス』は『黄金の地竜』。未だに記憶を失ったままで、奏太の死にひどく傷ついた少女。これくらいだ。


 行動パターンがまるで一致しないこともあり、葵と彼女はそこまで会話をしたことがない。

 だから信頼なんて全くと言って良いほどないし、信用は……まあ、あの奏太が大丈夫だと言っていたのだから、とりあえずはしてみるけれど。


 そこから先は、返答次第だ。

 葵は彼女の言葉を待って————、


「それが必要なことだって、なんとなく思うから」


「……は、はあ」


 聞き間違いだと思いたい。

 独特な雰囲気の少女。まさかこんなことを言われるとは。


「随分と曖昧な答えですが」


「? 何かおかしかった?」


 頭が痛くなりそうだ。

 恐らく、自分の頭の中ではちゃんとした答えになっているのだろう。

 「奏太を失っても、ワタシたちはちゃんと今を生きなきゃいけない。彼が守ったものを大事にしたい。だからワタシももっと強くなって——」とかまあ、そんな感じの。


 梨佳や芽空もやりづらい時はあるが、彼女はとりわけ面倒だ。

 止めるべき理由でないことから、断るつもりはない。だけどひとまず、


「もう少し自分の考えを人に伝える努力をしてください。戦うということは一種のコミュニケーション、なんていう話もあるくらいですから、なおさら重要です」


 注意を入れつつ、


「まあ、何はともあれよろしくお願いします。——ジャックさん」


「ん。よろしく」







「——なんていうことがありまして」


「そうなんだ。ジャックさんらしいかも」


 ほんの十分ほど前の出来事を語り終え、ユキナがクスクスと笑う。


 ヨーハン邸を出て、家まで帰る道中。家の中では本音を晒さないし、シャルロッテから事情を聞いた身としては、彼女がどんな反応を見せるか気になっていたのだが……意外と以前の様子に近いというか。

 少なくとも、無理をしているようには見えない。


「アオイお兄さん?」


 声に潤いがある。瞳にもちゃんと感情が乗っている。体は——まだ痩せてしまっているけれど、じきに戻るだろう。

 シャルロッテに任せきりだった自分に情けなさを感じるが、それ以上にこうして彼女が元気になったことに喜びがあり。驚きというより、納得のようなものがあった。


「どうかしたの?」


 しかしそれは何故なのだろうか。

 色んな経験を経ているとはいえ、ユキナは子どもだ。ラインヴァントに来た頃だったら、


「——」


 いや、そうか。

 シャルロッテに対して抱いた違和感。それは他ならぬ葵が口にしていたことではないか。


「……皆が生きていることを再確認した、といったところでしょうかね」


 考えてみれば、そうだった。


 葵も含め、生きているから皆が影響し合っている。

 昨日の自分が今日の自分と同じとは限らないし、ジャックもユキナも、前を向くための勇気を教えてもらったのだ。


「?」


 言っている意味がよく分からない、という顔。

 

 葵は足を止め、空を見上げる。

 人工太陽もそろそろ夕方に差し掛かっていることに加え、ここは真っ暗な海の底。色は——とても暗い。分かりづらい。雲一つない澄み切った青空、なんてとてもではないが言えない。


「…………ユキナ」


 だけど、


「もし、奏太さんがいつか戻ってくるとしたら、あなたはどうしますか?」


 凝らした瞳で見た空に——何かが、見えた気がして。


「……何も変わらないよ。私は私らしく、綺麗になる。奏太さん(、、、、)との約束を守れるくらい、強くなる。あの人が戻ってくる時には、そういう私でいたいから」


「ユキナ……」


 誓うように、自身の胸に手を置くユキナ。

 彼女の瞳はどこまでも遠く、遥か上に位置する青い空と一緒の色。

 今はまだまだ離れているけれど、いずれは辿り着いてみせるのだと、そんな感情が見えた気がして。


 優しげに、笑みを浮かべる。


「……帰りましょうか」


「うん、アオイお兄さん!」


 きっとそこまで道は続いている。

 続かせたいと、思う。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 世界は回っている。


 たとえ幾度となく終わりの時を迎えそうになったとしても、誰かが守り、零さないようにしてきたから。

 それは身近な誰かのためかもしれない。愛する人か、幸せか、あるいは世界のために届かせようと手を伸ばした人たちがいたから。


 人か、『獣人』か、改変者(、、、)か。

 身分も地位も立場も強さも関係なく、誰にも譲れない想いのために、走ってきた。


『前に何か書いてたから、その時はお仕事のかなって思ったんだけど……』


「実は私たち宛に書いてたメールだった、か。どうして絢芽に託したんだろ」


『あまり心配をかけたくなかった、とか』


「ふふっ。そーたらしいかもねー」


 誰もが足を止めてしまう場所で、それでもなお一歩を踏み出す勇気。

 その軌跡は多くの者の中で息づいている。


『内容とか全く聞いてないけど……どうするの?』


「送るよー。そーたが望んでるのは、みんながちゃんと明日も笑えること。その心配をする必要はなさそうだけど、ね」


 ある者は待ち人のために世界を止めないように。

 またある者は、待ち人のために皆を支えていくことを誓い。


 そして、ある者は。


「…………我は皆を守ろう。貴様と沙耶との約束のためにも」



 戻りはしない過去。

 失ったものも、得たものも。

 全て抱えて、それぞれの物語は進む。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「ただいま」


 扉を開けると早々に、元気の良い声が向かってくる。


「おかえりユキナ! ……と、葵くん」


「最後が妙に小さかった気がするんですが」


「うっさい!」


 少女に顔を真っ赤にして怒られる。

 事実を言ったまでなのだが。


「お姉ちゃん、ちゃんと呼んであげないとアオイお兄さんだって怒るよ?」


「え。……そうなの?」


「いや、怒るというか……二割くらいはそうでしょうか」


「怒ってるじゃん!」


 和気藹々と。

 あんまり玄関の前でからかっていると、そのうち父親が帰ってきて思春期の男の子的には色々と面倒というか、ニヤニヤされるのが耐えられないのでこの辺りにしておく。


 ——と、


「メール……?」


 視界前方。

 ふいにチカチカと点滅を繰り返すアイコンが現れたかと思えば、それはメールの受信を知らせているようだった。

 一体誰だろうか、と空中を指で叩き。差出人の名前を見て、


「————っ」


 息が止まるような感覚を覚える。


 誰かが彼のデバイスを?

 一応、できないことはない。

 彼の体はオダマキ同様、ヨーハン邸に保護されているし、だけど、多分。


 恐る恐る文章をスライドして。

 一行一行、じっくりと読んで。

 頭の中で、彼の声が聞こえた気がして。


 全てを読み終えた時、葵は。


「……あなたって人は」


 姉妹に聞こえないよう、小さな声で呟く。


 静かなのでもしかしたら、と思い視線を右と左に動かせば、彼女らにも彼からのメッセージが届いているようで、まだ視線を空中にやっている。


 これは遺言と言うべきなのか、はたまた疑問なところではあるけれど。紛れもなく彼が考えた、一人一人に向けて書かれた後押しのメッセージだから。

 そしてそれを受け、葵が締めるべき言葉は。


「————ユズカ。聞きたいことがあります」


 全てを読み終えた少女。

 彼女は一度妹を、次いでこちらを見つめる。


「どうしたの?」


 妹と同じ蜜柑色の一つ結び。

 気の強さが現れた、空色の大きな瞳。

 葵にとって、大事な人。


 一年前の彼女なら答えられなかった、あるいは違う答えを返していたであろう質問を、今ここで。




「——この世界は、好きですか?」




 葵にとってこの世界は、一人の少年が勇気を出して立ち向かってくれたから存在し続けていて。

 そんな彼の友人であることが何よりも誇らしく。傷すらも力に変えて、歩いていける。




「————うんっ! アタシは、大好きになれた!」



 物語は続いていく。

 これから先、何年も。何十年も。






 大人になっても。






*** *** *** *** *** *** *** *** ***


次回、完結です。

明日更新予定ですので、よろしくお願いいたします。

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