第五章5 『世界の意思』
幾多もの過去を経験して。
幾重にも重なった境界のない『自分』は、見せかけの力しか持たず。
降りかかる火の粉、環境や世界に逆らえず、肯定も否定も許されないままずっと利用され続け、自我と称される思いもいつしかどこかへ消えてしまった。
「それでも人はそんな傷を抱えて今を生きていくのだ」。そんな綺麗な文章を聞いたことがあるが、多分それは自分の意思で生きることを許された、贅沢で幸せな数少ない人間。
——ならば、『自分』は。
果たして今を生きていると、そう言えるのだろうか。
やりたくもないことをやらされ、誰かを殺すために生かされている。
道具として。どこの誰とも知らない輩の欲望のために。
だからとっくの昔に『自分』は死んでしまったのだ。権利のあるなしではなく。『自分』の意思で未来を見ることを拒んだ。
かつては、強者と一戦交えることに喜びを感じていた。かつての、『自分』は。深く沈んで、浮き上がってこない。
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騒がしい奴だ、と思った。
「——ええ。実は私、何回も研究所を移されてるんですよぉ。と言っても何か体に悪いところがあるわけじゃなく、むしろ良好です。見た目こそ痩せ細った体ではありますけど、ね?」
狭い檻の中。
言葉の一切を無視しながら、ペースト状の芋を口に運ぶ。
見た目の違いはともかく、食べ慣れた味だ。味付けはシンプルに塩だけ、食感は素材を活かす気など一切ないドロドロ。
固形物などたまにしか食べないが、そのたまにが唯一の癒しになる程度には食べているという実感がない。まあ、はっきり言って、まずい。
とはいえ食べなければ点滴の毎日、つまりガラス筒の外に出ることはほとんどなくなり、後は実験の時のみになってしまう。だから食べるのだ。
食べることを作業のように、けれど食べることで生き物らしさを忘れないように。
「…………」
にも、関わらず。
数日前にやってきた、焦げ茶の髪の少女。歳は今の『自分』の体と同じくらい、おおよそ十四か十五といったところ。彼女は横で何が楽しいのかおかしな笑みを浮かべながら、口と手をずっと動かしている。
彼女は自身のことをアン、と称していた。
だが、こういった施設で自分の名前を持っている者は驚くほどに少ない。
たとえば、何らかの大掛かりなプロジェクトの中心に組み込まれているとか。
たとえば、プロジェクトを狂わすほどのイレギュラーな個体か、逆に失敗作か。
はたまたあるいは、様々な理由から外から連れてこられた人間か。
大抵の場合は三つ目だ。
そしてその末路は変わらず一つ。
『自分』のデータを取り、その上で戦闘能力を向上させるために戦わせる。必要ならば薬品を使い、無理やりにでも。
たとえそれが興味本位で研究所に近づき、知ってはならないことを知ってしまっただけの子どもであっても、人間の尊厳と価値を奪われた大人であっても、平等に。
全ては『ベスティア』とか呼ばれている、『自分』という化け物のために。
「もちろん私も女の子ですから、ある程度プロポーションには気をつけたいところなのですが、なかなか上手くいきませんね? 痩せすぎは健康に良くなく、しかし肉をつけるにも栄養がなく。髪の毛も体も荒れてばかりです」
『自分』から見てこの少女アンはそれほど強そうに見えないし、今の『自分』のように人工的に作られた強化体にも見えない。これでもし隠しているというのなら、それはそれで驚きだが。
……強いて言えば、顔の幼さの割に身長が高いことくらい。一瞬で勝負のついてしまうそこらの人間と同等だろう。
無視を決め込んでいるというのにやたらとうるさい気がするが、それも多分あと数時間で終わる。
……終わるのだ。
「その点あなたは美しいです。一目で分かるその強さは人のそれではない。たった一つのために全てを投げうち、獲物を見つければどんな手も尽くし、貪り食らう。——あぁ、まさしく獣ですね?」
「と、言いたいところですが」と彼女は箸を置き、ぐいっと顔を寄せてくる。
それにたじろぐこともなく、至近距離で視線がぶつかる。
「——あなた、迷っていますね?」
「————」
吐息がかかる距離。
少しでも体を動かせば、彼女のどこかしらに当たる。
視界に広がる、焦げ茶の瞳。
そこには光がなく、一体どこまで見透かされているのか分からない。
既に変化を諦めた『自分』に何を、と言いたいところではあるが、どうやらその言葉は彼女なりの確信を持って放たれたらしい。
……全く。何を見られていて、何を言わんとしてい
「——おい、何をしている?」
と、檻の外から声が飛んできた。
恐らくは『自分』とアンの食器を回収しに来た下っ端だろう。
これ以上うるさくされるのはごめんなので、片手でアンを押しのけつつ、残っていた食事をかっこむ。
それからそのまま、彼女の分と一緒に食器を返そうとして、
「……覚悟と諦めは本質的には同じです。前向きだとか、後ろ向きだとか、結局は精神論。どっちの方が正しいかなんてものはありません。どちらも個人の選択で、そこがその人の行き着いた場所」
「おい、いい加減にしろっ!」
背後でぽつりぽつりと呟くアンのせいで、下っ端が怒鳴る。唾が飛んでくる。
……何が言いたい。
口には出さず、振り返って問う。
「——世界には例外が存在します。生まれながらにして人間には許されないほどの武の才に恵まれる者。歴史をひっくり返す発明をする者もいれば、誰かの上に立って世界を書き換えるために存在する者も。それらは総じて決断を強いられる。それはあなたとて、あなただからこそ例外ではありません」
興奮しているのだろうか。その頰は赤く染まり、瞳は『自分』でも下っ端でもないどこかを見つめ、よだれをぼとぼとと垂らしている。
ガシャン、と檻の扉が蹴りつけられる。
「賭けをしましょうか」
下っ端の行動を一切気に留めず、アンは指を立てる。
「——もし、私たちがここを生きて出られたのなら。その時は決断してもらいます。あなたの、今後を」
今後。
やはりというべきか、瞳には光がなく、興奮以外の感情は分からない。
だが、彼女の賭けの内容を聞き、『自分』が見せた反応はシンプルだった。
「……馬鹿馬鹿しい」
研究員以外とのやりとりで誰かと話したのは、久しぶりだった。
いや、この一言までは話していたというよりも耳障りな音声を聞いていたようなものだったが。
「そんなこと、叶うはずがあるまい」
言葉を続ける。
彼女が言った賭けの否定。
元から選択肢などないのだと、首を振る。
「我らは決められた道にしか進まない。たとえ未来が見えていようとも、それは一本道。貴様が何を言おうと、数時間後に我は貴様を殺す。貴様は死ぬ。そういう風に出来ているのだ」
ましてや、今後などあるはずもない。
過去があるから今があって、今があるから未来はない。
ずれた歯車は戻れない。変えようと思っても、変えられない。
「本当に、そうでしょうか?」
そろそろ罰を受けそうなくらいには下っ端が騒がしい。
だから黙りついでに、彼女の言ったことについて考えてみることとしよう。後で、否定するために。
たとえば。
この檻は『自分』や捕らえていた人間が逃げないよう、かなり強力な素材で作られている。鍵は内側からしか開けられないし、人の通れる隙間も当然ない。
仮に外へ出たとしても、すぐそばにレーザーがある。
自分たちのようにこの研究所に捕らえられている者なら皆つけられる、耳の上の刻印。これをレーザーが捉えると、その者の体を八方から超高温の熱線が焼き切ってしまうのだとか。
とはいえもちろん、彼らもそんなことでせっかく何世代にもかけて育てた『ベスティア』を失いたくはないので、件の改造——反抗できないように『自分』の脳を作り変えた。
だから仮にアンだけが出られたとしても、そこで終わり。
焦げ臭い焼き死体が一つと、頭を抑えて動けない『自分』が一人だ。
それからたとえば。
外からここは侵入してきて、研究所を破壊。自分たちを連れ出そうとしたって、絶対に不可能だ。
この実験が一体どれだけの規模なのか、『自分』でも把握し切れてはいないのだが、少なくとも既に数人で悪巧み、などという範囲は超えているらしい。
ここへ来る際、見ただけで腕利きと分かる者たちが何人もいた。あれは多分、護衛として雇った者たちだ。そんなのを相手にするのならそれこそ、自分のような化け物か。あるいは、国や何らかの機関が動くか。
まあ、いずれも無理な話である。
アンの言う例外などいない。
いても、内側にしかいないのなら変わらない。
未来は決まっている。
自分の欲など関係なく、未来が見えても変えられない。
世界を書き換えることなど、出来は————、
「が…………っ!?」
顔が檻に当たった。
自分ではない、ましてやアンでもない。
さっきまで怒鳴り散らしていた下っ端が、檻に顔から突っ込んできたのだ。
「————ぁは」
後ろで、少女が笑うのが分かった。
こうなることが分かっていて、それが叶ったからたまらなく嬉しい。子どものように無邪気で、求愛行動をする獣のような。
事実、その通りだったのだろう。
下っ端は何をされたのか白目を剥いて意識を失っており、それを成した人物はどうやら彼女を知っているようだったから。
「……貴方。またあたしについてきたのね?」
「いえいえぇ。ついてきた、というよりはお手伝い、ですよぉ? あなたに協力できる人材を見極める。それがこの前生まれたばかりの私にできる、唯一のことですからね?」
「ある意味ストーカーね。あたしの言葉を聞く気、ゼロじゃない」
呆れているのか気味悪がっているのかは分からないけれど。
アンに対するその人物の反応は、既に慣れきったものだった。
——と、
「お前が侵入者か! たった一人で無謀な————」
騒ぎを聞きつけたのだろう。
奥の扉が開いて、何人もの男たちが入って来る。
だが、例外は例外だ。
アンの言葉を証明するように、その瞳は世界を捉えた。
スッと高く上げられる右手。
スローモーションのように描かれるアーチを、『自分』は何も言えずに見つめる。
瞳が赤く、染まった。
「————ひれ伏しなさい」
下ろされた腕に呼応するように、男たちが総崩れでその場に倒れる。
声を上げる瞬間など一切なく、意識を刈り取り、ただ静かに。世界を書き換えたと、そう言われても信じるくらいに優雅なその少女は。
「……ああ、そういえば」
何束か赤く染まった黒髪が翻り、こちらを向く。
目が合ったその瞬間。
強い電流のようなものが足先から頭まで、背中を通って一気に駆け抜けた。理由は衝撃と驚きと、それからもう一つ。
「あたしの名前は藤咲華。ついて来なさい、貴方には見るべきものが多くあるから」
——アンに言われたからではない。
けれど確かに、その瞬間。
今自分は、決断をしなければいけない。
そう思ったから、笑みを浮かべた。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
ソウゴが正面から敵を蹴散らしつつ、残った者をアンが処理。
面倒な拘束具や力押しではどうにもならない装置などは、華が『ラプラスの選定』で片付けつつ。
三人の脱出劇はそれはそれは凄まじく、奏太はぽっかりと口を開けるほかなかった。
『いや、まあ分かってはいたんだけど…………強いな』
肉体こそ失敗作だと言われていたものの、件の経験もあり、相手が刃物や拳銃を持ち出されようとも難なく倒してみせるソウゴ。相手の数とか威力とか、策とかとっておきとか、そんなもの関係なく真正面から全て粉砕してしまうあたり、相手からしたらたまったものじゃないだろう。
彼や華はもちろんだが、その影に隠れて機敏な動きで相手を翻弄するアンも、ただの一般人、と片付けるにはやや強力な人材だ。
『——アンだから暗情哀。ってのは、こじつけになるのかな』
名前が違えどその素はある。
この時点でソウゴやアン——アイに今のような名前がないことを考えると、何かしらの考えがあってのことかもしれないが、ともあれ彼らの戦闘には奏太も覚えがある。
多少なり動きの洗練さには差があれど、根本的な部分で。
ただ、
『ソウゴさんが人工的に作られた……アンドロイド、だっけ。だから強いってのは分かるんだけど、アイは一体?』
まあ、それを言ってしまえばハクアの尋常じゃない力であるとか、ソウゴの咆哮とか。色々疑問が追加されるところではあるのだが、
「——貴様、何者だ?」
奏太の疑問を代弁するように、ソウゴが問う。恐らく奏太同様、彼の頭によぎったのは自身と同じ境遇か、あるいはアンドロイドか、はたまたサイボーグか。
アイは「ふむ」と研究員の一人を掌底で壁に叩きつけつつ、答える。
「何も知らないのに連れてこられちゃった不運な女の子——と言っても信じてはもらえないでしょうし」
ジロリと睨む彼の眼光は、奏太に向けられているものではないにもかかわらず、背筋が伸びるような思いになる。相変わらず、と言う表現が正しいかはともかく、アイはそんな視線にも笑みで応じて、
「今はあなたの後輩、とだけ」
反応を待たずに視線を横に、
「——それに、どちらかと言えば華ちゃんの方が気になっているでしょう?」
ソウゴも同じように華を無言で見つめる。
圧倒的な実力ゆえに忘れてしまいそうになるが、この時点ではまだ彼も改変者として目覚めていないのだ。目的も正体も分からない女が助けに来た、などと言っても信用し切れない部分もあるはずだ。
「…………貴様の目的は?」
目前に降りて来たシャッターを両手で粉砕。走り抜けて、
「あたしは貴方とこの人にしていることを、世界中でする。……と言うと、言葉足らずかしら?」
「ヒーロー気取りのつもりか?」
「いいえ」
首を振る。
「少なくとも、あたしの主観では違うわ。たとえ結果的に他者から『英雄』と称されようとも、『魔女』と称されようともね」
「……では、何故?」
「簡単よ。あたしは世界に蔓延る腐敗が気に入らないだけ。相手が集団だろうと個人だろうと、国だろうとも、芽が散らばっている限りどうしようもないこの世界は、どうにもならない」
一度言葉を切って、
「だからあたしが世界を書き換えるのよ。あの子との約束を叶えるためなら、どんな手を使ってでもね」
『…………』
別に、本人たちは意識していないのだろうけど。
似てると、思った。
シャルロッテ・フォン・フロイセンに。彼女もちょうどあれくらい気が強くて、誰かのことを強く思っている。結果的に自分がどうなろうとも、今のために手を伸ばして。
違いがあるとすれば、見ている範囲と感情の根本。
以前はともかく、シャルロッテのそれと華は違う。優しさに混じった血だらけの執念。あるいは復讐。
そこに誓った少女が——千恵と呼ばれてあの少女がいない。意味がないと理解していながらも、華は約束を叶えようとしている。
「……そう、か」
聞いたソウゴはこれ以上の言葉は不躾だと悟ったのだろう。それきり黙って、脱出のための会話に集中する。
そして奏太は。
『…………そういえばさ、カミサマ』
『うん?』
『一つ聞き忘れてたことがあるんだけど』
一度言葉を切り、息を整える。
『——カミサマは、原点から生まれた。そうだよな?』
『うん、そうだね。キミがこの世界に来た時に見た光景こそが、私の始まりだ』
彼が言った言葉を思い出す。
『超能力者や原点の根本が同じ……ってことはつまり、どっちも強い願いがあったから。願いを具現化してしまうくらい強い想いだったから、原点になった』
少しの間。
彼の視線は三人の方を向いている。
『キミたちの世界は、たくさんの不思議なことで溢れている。ただ大半の人は、それに気づけないだけ』
『……』
『幽霊や妖怪。UMAや地底人やドッペルゲンガーのような都市伝説。たまたまの閃きやおかしな偶然。呪いもお呪いも、具現化も。全ては同じ、キミたち人間の感情からくるものだ。超能力や私自身は、それが形を得たものに過ぎない』
奏太は自身の手を開いたり閉じたり、繰り返す。
体の奥底、今なお眠り続けている片割れは変わらずそこにいる。最初から存在していたのだと、そう言うように。
『本来ならば手を伸ばしても届かない場所。ありえるはずのないこと。想いの果てに叶った時、人はそれを奇跡と呼ぶんだ』
『……奇跡』
『そういう場所なんだよ。キミも誰も知らないずっと前から、この世界はね』
彼の言った言葉を、頭の中でぐるぐると回して考える。
奏太自身は反論も何もなくて、言われてみればそんな感じがするとか、ぼんやりとした共感くらいしかない。彼の言葉がこじつけの類だという可能性もあるのかもしれない。
けれど、多分。
それは真実なのだろうと思った。
『…………なら、さ』
華たちの背中を目で追いながら、呟く。
『人間の悪意も——その奇跡に含まれるのか?』
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「あの三人を止める手段はないのか!」
ソウゴの記憶は今も動き続けている。
一人の改変者と、長年の研究の果てに作られた超人と、その後輩を自称する少女。
彼らの行進は止まることなどない。
ここを出た後でソウゴが未来を望み、改変者になった後も。確かなきっかけになったであろう先の発言——誰かのために世界を変えてやろうという華が死んで、世界が終わりへ向かっていても。
たとえそれが。大勢の誰かを傷つけることになったとしても、彼らは彼らの意思で。
『さっき言ってたよな。閃きや偶然も、俺たち人間の感情から生まれるものだ、って』
『……』
『じゃあソウゴさんにあんなことをした連中は——いや。俺が見てこなかっただけで、たくさんいたはずの悪い奴らは? そいつらがやってきたことも奇跡だっていうのか?』
鼓動が早い。思わず、言葉が早くなる。
けれど動揺は極力顔に出さないようにした。出てないと、思う。
彼は自身の白髪を指先で撫でつつ、
『信じたくないかい?』
『——、ああ。そうだと思う』
だって、当たり前だ。
奏太は世界を幸せにするためにハクアを倒し、人の未来を信じてアザミやアイと戦い、華と戦わないことを選んだ。
そこには願いがあったのだ。
世の中には関係を隔てる高い壁、強い力があって。
けれど自分と平板秋吉。彼のようにいずれは分かり合える。人間とはそういうものなのだと。
『それに、俺たちは華を許すことはないって、そう思ってたけど。こんな光景を見たら……』
どっちが悪いのだか分かったもんじゃない。
HMAは確かに『獣人』の命を多く奪ってきた。けれど、でも。彼女らは。
……じっとりと、手に汗が滲んでいることに気がつく。
無意識のうちに強く握っていたのだろう。それほどまでに自分は葛藤しているのだろう。過去と、現在に。
『…………キミは、正義の反対が悪だと思うかい?』
呟くカミサマの視線は、再び華たちを追う。
奏太もつられてそちらを見ると、
『私からすれば正義も悪も、人間たちがつけた一つの評価に過ぎない。だって、たとえばキミがあの研究者たちのことを悪だと言っても、別の誰かは彼らこそが正義だと訴えるかもしれない』
『そんなこと……』
『あるともさ。それが個人。それが人間だ』
「だから」と継ぎ、
『正義の反対は別の正義。悪についても同様で、正義と悪はいつだって表裏一体なんだ。奇跡に正否が存在しないように』
……なるほど。
つまり、結局は。
『——何が正しいかは自分次第。俺は俺の正しいと思った判断をするしかない、か』
何かと誰かに教えてもらうことが多かった奏太だけれど。
また一人で悩んで、今度は一緒に悩んでくれる子はいないけれど。
だからこそ、決めるべきなのだ。
『世界を改変してきた人たちにもそれぞれの正義があった。……HMAにも』
奏太がやらなければいけないこと。
また一つ、追加された。
——彼女らがこの世界で成してきたこと。
それを奏太は見届けなければいけないのだ。同じ改変者として。彼らのように、決断をしなければいけないから。




