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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第五章 『白黒の世界』
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第五章2 『ダレカの記憶』



 艶やかな黒髪に、凛とした容姿の少女。


 素行は真面目で、運動は人並み。成績はかなり良い方ではあるが、一番ではない。特別特技があるわけでもなければ、人の理を外れた異常や偉業を果たせるわけでもない。

 いつも偉そうにふんぞり返っていて、少し人より気が強くて、自身の「正しい」を他者に押し付ける部分があった。言葉には不思議な説得力があって、人を惹きつけた。


 ただ、それだけの少女だ。


「世界は罪を自覚すべきなのよ」


 高校の帰り道、友達と歩く夕暮れの空の下。


「またむずかしいこと言ってるね、『——』ちゃん」


「当然よ。世界を正しく俯瞰できる者は、そう数が多いわけじゃない。いても静観を保つか、あるいは警鐘を鳴らすのみで何も変えられないか か。だから、あたし(、、、)が動くの。だからあたしが考えるの」


「……『——』ちゃんはあせりすぎな気がするけどなぁ」


 茶色のくりんとした髪に、黒縁のメガネ。同い年にしてはやや幼い顔立ちの、たまたま自分のことを理解してくれている子がいて。


「何言ってんのよ。あたしは、昔の千恵(ちえ)みたいな顔を見たくないだけ。……状況が出来上がるのも、巻き込まれるのも。単位が教室だろうと世界だろうと、変わらないわ」


「…………そう、だよね。『——』ちゃんはやさしくて、だから、私を(、、)助けてくれた(、、、、、、)


 視線を逸らし、


「それに、約束したし。あたしはあんたが楽しくいられる世界を作る、って」


 側から見たらそれは、歪な関係に見えたことだろう。

 大人しく、どこか影のある千恵という少女とは正反対に、自身の能力を理解した上で、立ち塞がる者全てを伐採せんという勢いの少女。

 どちらが強いか、なんていうまでもなく、どちらがどちらに寄りかかっているかなんて、聞かずとも分かる。


 聞いても(、、、、)答えは変わらない(、、、、、、、、)


「積み上げられた歴史なんていうものは、腐敗を生みがちなの。分かるかしら?」


「えっと、駅前のおでん屋さんのダシとかかなぁ? あれも何十年もつぎ足されてきたものって聞くけど……」


「…………いや、それは別物よ。長年やってないと分からないものもあるし。いや、まあそれはまた後でじっくり話すとして」


 軽く咳払い。

 一度横目で千恵の方を見て——、


「……やっぱり、いいわ」


「え?」


 ころんとした丸瞳は、傷を知っているはずなのに綺麗だった。

 なかなか本心を言わない子だったけれど、瞳は「難しいことなんて知らなくていい」そう訴えかけて(、、、、、)きていた(、、、、)。少なくとも『——』には、そう見えた。

 本人に自覚があるかどうかは、ともかく。


 だから少女は気づいた。いや、気づいていた。

 世に蔓延る理不尽は確かに自分を憂鬱にさせるけれど、親友である彼女を幸せにするには、その理不尽を全て取り除くしかないけれど。


「あたしは、多分。——何も変わらない、あんたといる今が好き。いっそ世界がこのまま止まればいいのにって思えるくらいにね」


 別に世界を変えずとも、幸せは得られる。

 だから、難しい話はやめだ。


「さ、駅前のおでん屋さん行くわよ。ついでにアイスと、本屋も」


「え、あ、って。——沙耶(さや)ちゃん、明日も学校だよ!?」


「ふふ、そんなもの関係ないわよ! あたしが大切なのは今よ!」


 自分は観測者だ。

 世界を俯瞰し、これまでの歴史において、裁かれずにいた罪に干渉することができる。正しく浄化することができる。疑いなく、そう思っていた。

 きっかけは、千恵のおかれていた状況を知り、そこから彼女を救ったあの日。あの日から、世界を壊してやろうと思った。



 ——でも、彼女が望まないのならそれで良い。それだけ好きだった。









 ちょうど一週間後だった。

 彼女が——千恵が死んだのは。


 話によれば、彼女はストーカー被害に遭っていたのだという。一ヶ月以上も前から。親と離れ一人暮らしだから、近くに相談できる人はいなかった。電話線は抜かれていた。机の中には手紙があって、自分に何度も相談しようとしていた。けれど彼女は踏みとどまって、部屋は荒れていた。男が拉致、千恵は泣き叫んで、無理やり、逮捕、あたしは吐き出した信じられな嫌で嘘だと逃げて逃げて逃げてどこにもいない千恵選択を間違え変わらなければ良かったどうすれば変えら死たい簡単高い場所ればに死ぬ。あたしが死んで、全て終わってしまえばいい。終わりは変わらないこと。そこにはあの日の光景があって、世界を変えずに落ちる。

 体の中のものがひっくり返る感覚。臓器も、骨も、肉も。全部全部、涙と口の中の苦い感覚と一緒に。



 頭から落ちて、砕けた骨と血と脳味噌がドロドロに混ざり切ってジュースのようになってしまう前に。かろうじて原形をとどめていた、地面に触れる直前に。

 一つだけ、願った。



 ————世界を書き換えさせて欲しい。彼女との、約束を守るために。




 風が強く、横から吹いた。

 ぐしゃ、と痛みが一瞬で体を粉々にし。

 意識は消、え。




*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 鮮血。

 コマ送りのように流れたその結末に、奏太はしばらく言葉を発せないでいた。


『こ、れ……は?』


 喉が張り付いたように動かず、やっと引きずり出せたその言葉は、あまりにも不足が多い。

 だが、奏太が疑問を浮かべている点については彼も理解しているようで、


『何の説明もなしに、残酷な光景を見せてしまってごめんね。でも、これは記憶だ。それも、君が知っている『イデア』の一人……と言えば分かるかな?』


 ——『イデア』。

 改変者(、、、)のうち、カミサマから能力を授かった者のことを指すのだという。


 元々どのくらいいたのかは定かではないし、そもそも数については聞いた相手が相手なので、情報も正しいかどうか分からないのだが……まあ、ともかく。今では数も減り、数人を残すだけになってしまったとか。

 そんな数人に奏太はこれまで関わってきたが、黒髪とややキツイ口調。該当する人物はいないはずだ。


 となれば、何も考えずに接していた人物が実は、ということだろうか。手始めにラインヴァント関係者から——、


『————いや、違う、か?』


 沙耶なる人物の名前には(、、、、)覚えがない。

 が、あの目や彼女の口にしていたこと、それから見た目。どこかで見たことがあるような気がする。


 覚えているということは記憶を失って以降のことで、黒髪の美人。そういえば誰かが触れていたような、


『————』


 ぱちぱち、と目から鱗が落ちたような感覚。

 舌先で事実を確認するように、つぶやく。


『……藤咲華の記憶か』


『うん、その通り。これは華の——沙耶の記憶だ。HMA総長になるよりも、『英雄』になるよりも、ずっと前。まだ彼女が、生者だった頃』


 カミサマは頷き、語る。幼子に言い聞かせるように、あるいは自身の中の記憶をなぞっていくように。


『二人の出会いはずっと前。たまたま、千恵がクラスでいじめられていることを沙耶が知ってね。それが華の原点(、、、、)だった』


『……。仲が良かったんだな』


『うん。もちろん最初は距離感を掴めずにいたけど。基本的には、沙耶が千恵に寄りかかられる形で日々を過ごしてた。でも……』


『実際はその逆だった、と?』


 カミサマは肯定も否定もしない。

 ただぼんやりと、動かない沙耶を見つめる。

 それに合わせて奏太も彼女を見つめようとするが——光景が光景だ。あまり、じっと見ていて気分の良いものではない。


 だから少し視線をずらして、


『……記憶だからもしかしてとは思ったけど、やっぱり触れたりはできないか』


 すぐそばの壁に手を伸ばしてみるが、当たった感触はない。干渉することはなく、向こう側へとすり抜けていく。

 ここが記憶の中だと気付いたのはついさっき、つまり転落があった後に言うのもおかしな話だが、奏太がどうこうしたところで訪れる死を回避できるわけではない。


 当然、既に命を無くした彼女を救う手立ても、ない。


『…………華が言ってた死者って意味。ひょっとして』


『そうだよ。……引き返すかい?』


『いや、それはやめとく』


 奏太は、沙耶の最後の言葉を口の中で唱え、彼女を見つめる。


『今こうして俺が見てるってことは、あいつもそれを許したんだろ。なら俺にはそれを見届ける義務があるんだ、きっと』


『……ふむ』


 正直なところ、何と言えば良いのか分からなかった。奏太は彼女を許せないし、彼女と千恵の関係性についてもカミサマから聞いただけ。

 分かったような口は当然聞けず、出せる結論もまだ、ない。


『だから時間を進めてくれ。この先へ』


 彼女の死を二度も(、、、)見たせいだろう。心臓が跳ね、頭がズキズキと痛むような感覚があるが、それでも。

 奏太に頷いたカミサマは、すっと腕を上げて、


『契約の瞬間は控えさせてもらうよ。彼女の意思はともかく……』


 彼は言い澱み、


『私個人が、あまり見せたくないんだ』


『いや、俺は見せてもらってる立場だから文句は言えないし、従うよ。……次はどこに?』


『契約後。——華が『ラプラスの選定』を得た一年後だ』


 指先がぱちん、と鳴らされる。

 渦を巻くように引いていき、鮮血も、彼女も、奥へ奥へ消えて————。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「腐敗極まれりね」


 早足で長い薄黄の廊下を歩く少女。

 露出の少ないきっちりとした飾りのない服装だが、女性らしさに富んだ体つきと腰辺りまで伸ばされた長髪は、体の動きに合わせて上下に揺れる。


 大学だろうか、窓から見える施設はかなり大きく、学生と思しき生徒もまた多い。その中を堂々と行っているため、自然と視線が彼女の方へといくが、彼女はそれを気に留める様子がない。

 いや、というより——、


「ソウゴ。ここで合ってるの? わざわざ学校を休んでここまで来たんだから、無駄足は許さないわよ?」


 彼女の後ろを追うように歩く少年——いや、男。少なくとも少年には見えない体躯と風格を持った煉瓦色の短髪の男ソウゴだ。

 『トレス・ロストロ』として規格外の能力を誇っている今と、一回り程しか見た目が違わない。一体どんな生活をしていたらあんな肉体になるのか。


「…………合っている。我らが行動を起こさない限りは、変わるはずもない事実だ」


「そ。ならいいわ。さっさと接触しに行くわよ、博士とやらに」


 そんな奏太の疑問は知らず、二人はさらに進む。

 それを追いつつ、


『……これって、まだ高校生の時の光景、なんだよな?』


『うん。この日は大学に行ってある人物と接触する——彼女にとって大きな分岐点があったんだ。ソウゴとの出会いが見たかったかい?』


『いや、見たいといえば見たいけど。……接触、ってなると他の幹部連中になるのか』


 今更中断してくれ、とは言うまい。それに一応、ある程度時系列の穴は埋まってきていた。

 華が改変者(、、、)になるタイミングが先の記憶で、次は一年後の今。既にソウゴと出会っていることから考えるに、間で他の欠けてはならない大切な誰かとも面識を持っていた可能性があるわけだが——、


『……記憶を選んでるってことは、何かしらの意味があってのことだろうしな』


 カミサマに聞こえないよう、小声で呟く。

 少なくとも悪い人物ではないと思うが、何か思惑があって奏太に記憶を見せているのなら、それに乗って情報を得るのも一つの手だろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、というやつだ。


 ……と、いう考えが読まれていたのか、ちらりとこちらを見た彼が意味深に笑う。


『…………いや、まさか敵なんじゃないか、とか今更思ってないからな』


『分かってるよ。キミはそういう男の子だと、皆の目を通して見てきたんだから』


 クスクスとからかい。

 悪意がない分、なんというか、くすぐったい感覚。自分は彼のことを全然知らないというのに、向こうは一方的に奏太のことを知っている、なんて。

 いわゆる全知全能なんていう触れ込みの神様とは違うらしいカミサマ。ある意味では同じようなものではないだろうか、と考えていると、


『——さて、ストップだ』


 彼の合図で、慌てて足を止める。

 それからそのまま視線を追って行くと、廊下の奥。いくつか白い扉が並んでいて、授業が終わったのだろう。その一つが開かれた。

 待ち伏せていた華やソウゴはもちろん、奏太も出てきた人物には見覚えがあって、


「…………あら、あなたは?」


 くすんだ金色の髪に、白衣の女性。その立ち振る舞いにはどこか気品があり、——似ている。


『——。なあ、カミサマ。もう一度確認するけど、これは記憶なんだよな?』


『そうだね。これは間違いなく華の記憶だ』


 はっきりとした同意を得て、奏太は確信する。

 以前何度か聞いた、HMAとルクセン家の繋がり。華が『英雄』になる前からそれはあったらしく、かの『施設』でもその証明となる写真があった。


「どうしたんだい、……って」


 続いて現れた、同じく白衣の男。緑色の長髪の彼にも見覚えがある。


『——先代ヴィオルク夫妻。つまりは、ヨーハンの両親か』


 この時期はまだ『大災害』が起こっておらず、ルクセン家本邸も国外にある。だから多分、大学に来ていたのは、何らかの特別授業のようなものだろう。

 夫婦揃って白衣だったり、鼻筋が通った整った顔立ち。髪色。雰囲気もどこかヨーハンたちに似ている気がする。


 話を聞くため、近づいて行く。


「……あの施設を潰したのか。驚いたな、君たちはまだ学生だろう?」


「そうですね。あたしも彼も、まだ成年に満たない子どもです。とはいえ、実績に年齢など関係ない。それはあなた方夫婦にとってもそうではありませんか?」


「あらら、しっかりした子ねぇ」


 ……似ている、色々と。

 しかし確認したいのはそこではなくて、


『なあ、カミサマ。今さっき話してた施設っていうのは?』


 そのまま流れてしまいそうな雰囲気があるので、今のうちに補足説明を求めておく。

 あの夫婦に接触したということは、ここからHMAが——デバイスの開発が始まって行くと言っても、過言ではないのだから。


『……華の能力について君はどのくらい知ってる?』


 少し考え、


『事象の封印と解除。認識次第で人の命も奪えるし、状態も固定できる。……考えてみれば、とんでもない能力だな』


『うんうん。それで正しいよ。私が契約した改変者(、、、)の中でも、とりわけ世界に手を加えやすいのが『ラプラスの選定』だから』


 言い換えれば暗躍しやすいということでもある。たとえばこの後、華が大学に来ていたという記録や記憶は、誰の頭にも残らないだろう。


『施設を潰した、というのもその暗躍の一環さ。この当時だと、サイボーグ開発機関や超能力の実験施設、みたいにね』


 また考えが読まれた気がするが、そうだ。施設を潰したとしても、暗殺者みたいな裏の組織に狙われることもなく、淡々と事実をなくしていく。だから、


『……なんか急に胡散臭い話になったな』


『そんなことはないともさ。今は異端者監視組織という見張りがいるけれど、昔は悪巧みなんて当たり前の時代だったからね』


 昔。HMAが出来る前、奏太が生まれる前の時代。今ほど権力が偏ってはおらず、力の象徴と呼べるものもそうはなかったというが。


『って、いやいや。それでもサイボーグはまだしも、超能力って。さすがにそれを信じるのは難しいだろ』


 さも当たり前かのように語っていたカミサマと、それに納得しかけていた奏太。流されがちなのは奏太の悪い癖だ、直さなければと頭を叩きつつ、改めて彼を見つめる。


 目を細めて、笑っている。


『…………まさか。本当なのか?』


原点(、、)がどういう存在なのか。改めて考えてみれば答えは出るはずさ。——それに』


 すっ、と上がる腕。

 奏太が何かを言う前に、パチンと音が鳴る。


『答えはこの先で分かるよ。時を進めた、その先で』


 意図しない、突然の宣告だった。


 ぐにゃり。空間が歪み始める。

 薄黄色の廊下も、扉も、建物も。

 確かな個としてあったはずの構造物は形を変え、渦に飲み込まれていく。何もかも。

 改変者(、、、)であろうと、人間であろうと、それは例外ではない。一つ一つ、零れていく。


『まっ————』


 奏太は反射的に手を伸ばす。

 たとえ記憶だとしても、あそこにいるのは彼女(、、)の両親だ。何か言えるわけでもない。何か特別なことを教えてもらえるわけじゃない。

 けれど何か、それが何か分からなくても、奏太は。


「——あたしに協力してもらえないかしら。ルクセン家としてではなく、個人として」


 声が遠のいていく。

 記憶の一つが閉ざされていく。


「——不思議な能力を持った子どもたち、か。それが事実なら面白いかもしれない」


「——そうねぇ。新しい研究がしたいところだったし……いいわねぇ」


 それらの声はもう、掠れ掠れだ。

 だから気がつく。

 だから奏太は、止めてくれとは願わない。待って欲しいと言いかけていたけれど、ここは記憶の中。何も変えられないことは知っている。




 伸ばした手を、握る。




 ほんの一瞬。思ってしまった。

 ——もしここで、あの四人を止めていたら。

 もしかしたら、華は死なずに済んだのかもしれない、と。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 景色が変わる。

 当然ながら、知らない景色。

 どこかの公園のようだった。

 爽やかな空の下。何人かの子どもがいて、フリスビーが飛んだり、ブランコが揺れて笑い声が絶えず。犬は走り回り、両親と思しき人物たちは談話し、世界が回っている。


 記憶だけの世界。

 何も変わらない、事実だけが残る、世界。


 そう理解していたはずなのに、どうしてさっき、手を伸ばしたのだろう。

 なんでも理解した風に大人ぶって、落ち着いたふりをしていたせいだろうか。メッキが剥がれてしまったのだろうか。


 他人の死は、奏太にとって深刻な痛みだ。


 あの四人の出会いの先で何があるのか知っている。その先で彼女が死ぬことも知っている。だから記憶を遡るのが、辛くなったのだろう。


『……でも、逃げたりしない』


 下を向いてばかりじゃいけない。

 たとえ彼女(、、)が隣にいなくとも、奏太はちゃんと一人で立って、見届ける。

 何度でも言おう。そのために奏太はここにいるのだから。


『…………ん?』


 ふと、気がつく。

 周りを見渡しても、見知った姿はない。

 ここが華の記憶だと言うのなら、当然彼女もこの公園にいるはずだ。


 だが。


『いない。じゃあこれは他の……?』


 該当する人物は何人かいる、が。それを含めて姿がないのだ。

 そもそも、ここへ連れてきた当人であるカミサマも先程から姿どころか声一つもない。


 ——罠にはめられた。


 いや、それはないと即座に否定する。

 そうすることのメリットがないし、何よりそれなら他にやり方がいくらでもある。

 となれば、やはり何かしらの——、



 人が歩いてくる。


『……は』


 ちょうど公園に入ってくるところだったようで、夫と子どもと思しき者たちと手を繋いで歩く女性。

 記憶にはないけれど、見た覚えはあった。


 改変者(、、、)でもなければ、『獣人』でもない。

 奏太と面識があって、繋がりがあって、けれど今の(、、)三日月奏太とは写真でしか会ったことのない人物。


 黒髪の女性。

 黒目が小さいせいか、知らない人にはやや怖い印象を抱かせてしまうけれど、表情で全てを打ち消してしまうような、見ているこっちまで幸せになれそうなくらい、ニコニコとした人。


 過大評価かもしれない。

 けれど多分、こう感じているのは、正しいことだ。

 だって彼女は、




『————母さん』




 震える口で、呟く。

 記憶の扉は、平等に開かれている。




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