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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第四章 『崩落の世界』
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第四章間奏 『黒と白の世界と』



「…………はっ、はっ」


 重い。

 背中に抱えたその少年は、日頃から鍛えていることもあって、それなりに重量がある。


 けれど『纏い』なら。

 獣の力を使っている今なら、姿を隠す固有の能力だけではなく、身体能力も向上しているはずなのだ。


「ん、く。おも、ったい……!」


 ただ、他の者に比べて自分は『トランス』の経験が乏しい。だからこうして重さを感じているのは、自分の鍛錬不足というところから来ているのかもしれない。

 あるいは不死を継いだ(、、、、、、)から、それが体に影響を及ぼしているのか。


 いずれにしても芽空にとって少年——三日月奏太は、抱えるには重く、放っておくにも重すぎる存在だった。

 だから芽空は必死に駆ける。

 向こうも手負いではあるが、希美が追ってこれないくらい遠く、少しでも速く。


「そーた」


 抱え直しながら、少年の名前を呼ぶ。


 彼は普段から悩みの絶えない、というより自分から増やしていくような少年だ。

 たとえ相手が人間だろうと『獣人』だろうと、生者だろうと死者だろうと。味方はもちろん、さっきまで戦っていたような相手のことも必死に考えて、どうにかしようとする。

 一人で抱え過ぎだと常々芽空は思っているけれど、同時にそれが彼の優しさゆえの行動なのだと理解している。


 だから普段こうして名前を呼ぶのは、彼にちゃんと周りを見てもらうため。

 そうすると難しい表情をしていた彼も、困ったような甘えるような、優しい笑みを浮かべる。ちゃんと自身の周りにはたくさんの人がいるんだ、って思い出してくれる。


 ——その体は、ピクリとも動かない。


「……嫌だよ、そーた」


 いつもなら呼びかけに応じてくれる。

 他愛もない軽口や冗談を交わしたり、時には真面目な話をして、「ありがとう」と「ごめん」を繰り返して、約束を交わす。

 名前を呼んで、くれる。


 ——止血が甘かったのか、彼の傷口から血が流れてきて、背中にじんわりと染みてくる。


「そー、た。お願いだから。いつも、みたいに……!」


 縋るように絞った声は、息切れも相まってさほどの声量にはならない。

 ならないのに、繰り返す。


「言ったよね、そーた。生きて帰るって。あの場所に二人で、って。こんなところでそーたは……だって、約束。そーた、私と生きるって——」


 転がっていた石ころにつまづき、ふらふらだった足取りがバランスを崩して——否。奏太を放り出すまいとして、体が何とか踏ん張った。

 だからまた、走り出す。


 そこで歩みを止めてしまったら、彼が手の届かない遠くへ行ってしまうような気がするから。


「だからお願い、目を覚まして……」


 頰を伝いこぼれ落ちる涙も、乱れた髪も、今にもちぎれてしまいそうなくらいな全身も。

 全て彼に捧げてもいい。心の底から、本気でそう思って、




「そーた————!」




 空を仰ぎ、古里芽空は願う。


 どうか、一つだけ。

 この世界が黒と白だけで決まるものではなく、もし、救いのようなものがあるのだとしたら。



 ——彼が幸せになれる結末を。

 そしてできるのなら、隣に、自分も。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ——夢を、見ていた。


 『自分』という存在があまりにも曖昧で、実体を構成するはずの何かはそこにない。けれどあったはずの手足や首が消えて無くなってしまったということはなく、傷ついているということもなく、瞳と意識はある。その二つで、元々この場(、、、)では実体などありえないものなのだと理解する。


 言うなれば魂。

 今の『自分』は実体を持っておらず、現象を認識できても干渉はできない状況にあるのだ。


『…………』


 そんな結論に至ったことには、理由がある。

 少年(、、)は周りを見渡す。


『ここは……』


 知っている景色だ。

 日付と日直の書かれた黒板に、人が通れる間を空けて置かれた机の群れ。後ろのロッカーには誰かの忘れ物だろうか、飲みかけのペットボトルが置かれている。

 もっと大きく見れば、学生区の割りかし中心部に近い場所に位置する学校で、広さも人もそこそこ。中学で仲の良かった友人とは別の高校を選んだため、入学したての頃は上手くやれるだろうかと忙しく悩んでいた。


 ——だからこの時はちょうど、教室やクラスメイトの雰囲気に慣れて来た頃。


 記憶がなくて、自信がない。

 それを隠して、周りの誰かに合わせるだけだった日々。そうすることで胸の中に感じる疎外感からも、自身の空っぽさに向き合うことからも、逃げていた。

 世界の恐怖として知られていて、けれど自分(、、)の記憶にはなかった『獣人』からも。


 ——だからこれは、きっかけ。


 五月半ば、スポーツテストの最中、全校生徒が呼び出されるに至ったメモカ騒動。検査役として現れたのは現れたのは『トレス・ロストロ』の一人、ハクア。

 彼が罪人、つまりは『獣人』がいないかとチェックして回ったが反応はなく、けれどその結果が自分(、、)の心にもたらしたのは、安堵ではなかった。


 ——だからオレンジ色のこの放課後の教室で、自分(、、)は彼女に問いかけたのだ。



「誰もいない……よね」


『っ!?』



 ふいに、ひょこっと顔がのぞいたかと思えば、教室のドアが開いた。

 あまりにも急な場面の変化に、その瞬間は心臓が飛び出しそうなくらい驚いて、けれどすぐに「ああ、そうか」と納得する。


 まだ警戒を残した表情で、自分(、、)にぶつかり——いや、正しくはすり抜けて進んでいく少女。

 彼女がここで自分(、、)に気づくことは絶対にないし、どうしてこのタイミングで彼女がここへ来たのか、分かった。


 不意を突かれたという理由だけで、心臓が今も激しく脈打っているわけではない。

 気づかれなかったショックも、ないわけではないけれど、そうではない。むしろその顔を見れたから、という意味では喜びに似た感情だ。


 少女は窓際までくると、胸ポケットからイヤホンを取り出し、耳にはめる。

 それからもう一度、最後に周りを確認して、


「——ここなら大丈夫」


 空中を指先で叩くわけでもなく、イヤホンに意識を向けるわけでもなく、話しかける。

 少女はのの視線は自分(、、)よりももっと右、教卓の近くに向いているが、おかしい。誰かいるようには見えな


『……え』


 ゆっくりと瞬き。数秒目を見開き、目の前の現実を疑うように瞬きを繰り返す。

 

「——いやはや、バレなくて良かったね!」


 その声は悪戯に成功して喜ぶ無邪気な少年のように、あるいは幼ながらに自身の魔性に気づく少女のように楽しげで、見た目も相まって性別を曖昧にさせる。

 絹糸のような艶やかな白の長髪に、同色の瞳。黒の布切れのようなものを一枚だけ羽織った——男、で良いのだろうか。綺麗な顔立ちに加えて服で体のラインが隠れている上に、背が小さく体も華奢なので、少女に未間違えそうになるが。

 

 ——ただ、まあ。

 それ(、、)が決して只者ではなく、人智を超えた何かであることは分かる。

 今自分(、、)は魂だけになっているはずなのに、喉の奥が乾くような感覚。それは意識の理解によるものなのだろう。


 瞬きとともに現れたそれ(、、)が、世界そのものを揺るがしかねないほど、異質な存在なのだと。

 

「『獣人』の中で唯一キミだけが『トランス』で髪色を変化させる。これが今日(こんにち)以上に役立ったことはあったろうか、いやないだろう」


「確かに役立ったのは確かなんだけど……そんなに?」


「そんなにさ。というより、私にとってはキミが一つの危機を回避出来たことが大きい。『トランス』を抑えていると言っても、いつ何が起こるか分からないのだから」


 少女の相槌に、それ(、、)の声が弾む。

 ……この光景を自分(、、)は知らない。けれど日付は確かにあの日で、薄青の少女がここにいる。

 時刻は放課後、半年も前のことだが、ここまで条件が揃っていれば、はっきりと分かる。


「キミが幸せになるために、私は約束の契りを交わしたんだ。そうだろう(、、、、、)()?」


「うん、そうだね————カミサマ(、、、、)



 これは誰かの夢。

 誰にも見えなくとも、確かにそこにあった物語だ。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「——彼と顔を合わせるとき、緊張していただろう? キミらしいといえばらしいけど、なかなか私からすると怖い光景だったんだよ?」


「ハクアは色々と思うところがあるから、どうしてもああなっちゃうの。怖がらせちゃったのは申し訳ないけど……カミサマなんだから、もっとどっしり構えたりしないの?」


 彼女を見るのは、いつ以来だろうか。


 ——ああ、いや。

 誰かと話している彼女の姿を、というべきか。

 こう表現するとなんだか独占欲の強い男のようだが、自分(、、)が一時期よく思い返していたのは、あの日のデートの記憶。二人で一緒にいた時のことばかりだった。


 だからこうやって彼女が誰かと話しているのを見るのは、随分と久しぶりな感じがするのだ。

 目の前にいるのに無視されているような感じもするので、やや微妙な心境ではあるが。


 まあ、とはいえさすがにいつまでもあーだこーだと言っていても仕方がないので、考えてみることにする。


「前にも話したじゃないか。私はカミサマだけど、キミたちが感情と呼ぶものもこの胸の内には確かにある。だから笑うし、怒るし、喜ぶし、悲しむ。怯えだってもちろんするともさ。果たしてそれが現のものか、あるいは幻のものかは、私自身にも分からないけどね」


 先ほど蓮にカミサマ、と呼ばれた少年。

 彼は記憶する限りだと、何度か聞いたことのある存在で、恐らくその通りの存在だ。


 ——改変者(、、、)に能力を与えた者であり、普通の人には見えない。


 一応、条件には当てはまっている。

 この後のこともそうだが、先ほど一瞬で姿を現したアレは、驚異的な身体能力等によるものとも思えないし、何より空気の違いというか、その存在感が事実だと認めさせてくるのだ。


 ただ、


「ああ、でも。誰かたった一人を恋慕し、特別な存在として見る——なんていう経験は私にはないから、そのあたりじっくり教えてもらいたいかな。ねえ、蓮?」


「えっ」


 相手の事情を理解した上でからかう時特有の、反応を楽しむ笑み。

 それはこの世の理から外れたとんでもない存在、というよりかは、ただ人間にしか見えない。

 彼の言葉が確かなら、当然の感情表現……のようなもの、なのかもしれないが。


「私は、いや、待って。まだ、なんていうか、多分。私はそういうのじゃないから。……いや、そうかもしれないけど。分からないけど」


 その反面、かなり人間らしいというか、相変わらず表情がコロコロと変わる蓮。

 彼女はカミサマの言葉に顔を真っ赤にしつつ、詰まり詰まりで一人議論をしていた。なんだか非常に申し訳ない気分になってきた。


「それが君の望みなら、逢引にでも誘えばいいと私は思うんだけど……とまあ、あまりにからかうとキミに怒られてしまうから、この辺りにして」


 カミサマの声色が低くなる。


「——その三日月奏太君。彼は先の検査に引っかかっていなかったけど、キミはどう思ってるの?」


「…………」


 名前を呼ばれ、思わず身構える。

 が、やはりと言うべきか、二人がこちらに気づいている様子はない。

 蓮も考え事に頭が行っているようで、


三日月君は(、、、、、)ただの(、、、)獣人(、、)じゃないか(、、、、、)改変者(、、、)に何かされたのかも。『トランス』を抑えてる感じもしなかったし……」


 ——待て。彼女は今、何と言った?


「私が違和感を持ったのも、この学校では彼一人だけだったから、多分彼だけ何か特別なことがあるんだと思う。でも、やっぱり教えてくれないんだよね?」


「うん、そうだね。契約者であるキミだけど、だからこそ教えられないこともある。たとえ私の中で結論が出ていても、決して。ごめんね、蓮」


「ううん。人にも話せないこと、話したくないことってあるから、仕方ないよ」


 話の流れ的に、蓮の能力に関わるものなのだろうと思う。

 嘘を見抜く能力『透世』、ということはもしかすると、彼女は。


「これからどうするの? 彼は場合によっては危険人物かもしれない。……たとえば、キミの命を奪うかも。それでも蓮は、彼と距離を置くつもりはないの?」


 少し、引っかかる言い方。

 未来視だとかそういうのではなく、先程までとは違う真剣な身の案じだ。

 この際奏太がどうこうはともかくとしても、少なくともこの時点で彼は蓮を心の底から心配していたのだ。違和感を覚えるのなら、それはいずれ日常にも支障をきたしかねない、と。


 ……華は未来視の改変者(、、、)を所持している、と言っていた。

 ということは彼女らと同じくカミサマと契約して生まれた一人で、能力も多分、カミサマが元は所持していたものだろう。


 渡したらなくなるものなのかは分からないが、彼には蓮の未来が見えていたのだろうか、それとも。


 多分、普段から話をしているであろう蓮には、おおよそカミサマの心情も分かっているのだろう。

 どうして彼がそんなことを言ったのか、危惧することまで、全部。


「——ありがとう、カミサマ」


 彼女は桃色の瞳で彼を見つめ、微笑む。


「でもね、私は変わらない。明日も明後日も、彼と話すの」


「……どうして?」


「簡単だよ、私が幸せにしたい人たちの中に、三日月君はいるから。それはラインヴァントの子たちと一緒。好きだから、大事にしたい。……いつか別れる時が来るのなら、私は頑張ってそれを受け入れるつもり」


 先ほどのように、知らなかったことを聞いてしまって申し訳ない、とは思わない。


 奏太の言葉は、この空間では彼女に届かない。

 だから何も言えない。言いたくても、我慢する。


「もちろんその中にはカミサマ、君もいるの。……って、契約する時にも言ったけどね」


「そっか。……うん、そうだったね」


 二人の間から笑みがこぼれる。

 あまりにも優しい光景で、同時に悲しい光景。時刻を、見る。


「——さて。誰かが来たみたいだ」


 タイミングはほぼ同時。誰が来るのか、多分彼も見当がついている。


「またね、蓮。確認するまでもないかもしれないけど、……一人でも大丈夫?」


「うん、大丈夫」


 蓮のこの一言を聞いたということは、もう夢の終わりはすぐそこ。

 扉の開く音が後ろから聞こえたかと思えば、視界が真っ白な光に包まれて————。





*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 そこは文字通り、無。


 天井も床も壁も、何もない空間で、奏太は一人立っていた。

 今度は体があり、触れれば確かに自分なのだと認識できる。魂だけの、干渉できない世界ではない。


 誰かの夢ではなく、誰かの創造した世界だと、分かる。


「————一応、初めましてでいいんだよな?」


「そうだね。キミと面と向かって話すのはこれが初めてだから」


 楽しげに弾む声。

 これまでのことを考えればそれが現か嘘か、判断のつきにくいところではあるけれど。


 それは全て、彼に聞けば分かることだ。

 だから、


「——こうして話せて嬉しいよ、三日月奏太君」


「俺は複雑な思いだけどな、——カミサマ」



 

 黒と白の世界で、少年は対面する。

 全ての始まりに。

 全てを、終わらせるために。









*** *** *** *** *** *** *** *** ***



いつもお読みいただきありがとうございます!

それから、このところ更新時間がまばらで申し訳ありません。

第三章に比べるとかなり短めではありますが、今回の更新で第四章が締めとなりました。

長く綴られてきた物語も次で最終章です。

全ての始まりに対面し、奏太君はどこへ行き着くのか。最後まで見届けていただけると、幸いであります。


最終章スタートは四章同様、少しお休みをいただいて、二週間後の3月24日からとなります。よろしくお願いします。

(途中、もしかすると本編では語られない番外編を書くかもしれませんが…)

感想、評価等も、もしよろしければお願いします!


それでは改めて、第四章をお読みいただき、ありがとうございました。



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