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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第四章 『崩落の世界』
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第四章28 『改変者:ラプラスの選定』



 現象(、、)的に言って。


 芽空は突如激痛に震え、それでも何かを守るために抗おうとし、果てに意識を失った。


「…………」


 その体が、地面に崩れ落ちる手前で奏太は飛び込み、抱きとめることには成功した。何とか頭を打つことは防げた。他の怪我はないと思う。


 けれど。

 必死に体を揺すっても、名前を呼びかけても、彼女は目覚めない。返事をしない。

 呻き声も強がりも、いつもの間延びした口調も、笑顔も。

 全て切り取られてしまったかのように、消えている。


 だから奏太は彼女の体を持ち上げ、————駆けた。


「…………」


 少しでも早く。奏太の中の感情がドロドロに歪んでしまう前に。

 結論を出すよりも先に、心に制止をかけられるように。

 少しでも遠くに。けれど奏太の記憶が確かなら、いざという時逃げる場所が近くにある、あの場所へ。


「————」


 空間が凍結していて、他の誰も、虫一匹すらも息をしていないからだろうか。あるいは今の状況に対して、普段散漫な集中が一つに纏まりつつあるのか。

 いつもより迷いなく、体がよく動く。速度が乗り、ぐんぐんと前へ進める。

 自分の腹底にある力も、あの日(、、、)より遥かに高まっている気がする。


 だからすぐだった。

 蓮と別れたあの場所に、辿り着くのも。


「……芽空」


 両手で抱えていた芽空を下ろしたのは、遊園地と同じく改装されたらしい喫茶店の、冷たい床。

 多少寝心地は悪いかもしれないけれど、あの場に芽空を寝かしておくよりかは遥かにマシだろう。


 それに奏太も、ここへ来て自分の気持ちを思い出す。


 奏太も芽空も、こうなることは覚悟していた。だから、今更巻き込んだことをどうこう言うつもりはない。彼女の目が覚めないからといって、自分を責める言葉を彼女の前では口にしない。



 でも————蓮や芽空。奏太にとって大事にしたい、失われてはならない少女たちが否定され、悲惨な目に遭うなんておかしい。

 理不尽でどうしようもないこの世界は、間違ってる。


 たとえそれが世界の理から外れた死者であろうと。

 カミサマ(、、、、)だか何だか知らないが、人々を俯瞰して物事を進めようとするやつらがいる。そのために犠牲になった者たちがいる。

 そしてそいつらを止めたいと思う自分の心は今も変わらない。

 あの日三日月奏太が抱いた思いは、確かにここにある。


「二人なら……か」


 最後に一度、芽空の前でしゃがむ。

 気を失う前にあった苦悶の表情はそこになく、穏やかな呼吸のもとに彼女の生がそこにある。


 軽く、髪に触れてみる。

 柔らかな髪だ。兄のヨーハンと比べてややくすんだ、鶯色。けれど手入れは施されていて、人形細工めいた顔立ちと合わせてまさしく美少女だといえよう。

 いつも奏太の為に一生懸命になってくれて、不器用で、傷つきやすくて、自分が辛い時にも苦しんでいる誰かの側にいようとする。

 弱いけれど、強い。そんな彼女のために、奏太は。


「……芽空。一緒に帰ろうな、あの場所へ」


 瞼を閉じる。

 遅すぎる決心。拙い理解。力不足は、重々承知。

 積み重なった失敗の記憶を全て糧にして。


 三日月奏太は立ち上がり、


「いってきます」


 滑るように地を駆け、来た道を引き返す。

 今度は芽空を抱えていた時よりも早く、際限なく上がり続けるスピードのままに。

 強く、拳を握りしめて。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「あら、早かったわね」


 奏太が戻ると、藤咲華は変わらずそこにいた。

 こうして戻ってくると分かっていたように、あるいは動く必要がないのだと理解していたように。


 しかし、それならこちらにとっても都合が良い。

 今の奏太にとって、一番に用があるのは間違いなく彼女だから。


「……芽空を苦しめたのはお前の能力か?」


「——、そうね」


「どうして芽空を狙った。お前はあの子から何を奪った」


 声を低める奏太に対し、クスと笑う華。


「…………何がおかしい」


「決まっているじゃない、貴方の言動よ。まさか、気づいていないのかしら?」


 何らかの攻撃か、と警戒してみるが、彼女が何らかの行動を起こしている様子は見られない。

 相手を自分の意のままに弄び、余裕の態度でいる姿はやはり変わらないし、ならば何か。疑問に答えるように、


「簡単な話よ。——『動物園のチケットが余ってしまった女性』。覚えているかしら?」


「は」


 覚えているも何も、アレがなければユキナが死んでいたかもしれなくて、アレがあったから蓮が無茶をすることになったのだ。

 恋人と動物園へ行く予定をしていたのだという女性。奏太が彼女からチケットを受け取ってしまったから。


 そして、それを華が知っているということは、つまり。


「美水蓮もプルメリア(、、、、、)も、全ては必要な犠牲だった。かつては世界に、今は私にとって。それだけのことよ」


「————っ!!」


 最初から仕組まれていたのだ。

 彼女の計画に、皆の犠牲は。


 一つ一つ、紐解いていけば分かる。

 藤咲華は未来視の改変者(、、、)を所持していた。だから『獣人』たちの動向を把握でき、あの日ユキナが『トランスキャンセラー』を忘れることも知っていた。

 だからハクアをそこに向かせた。


 まだ原点(、、)として目覚める前の奏太と蓮が遊園地に来ていることを知っていた。だから動物園へと向かうようチケットを渡し、だから蓮はあの女性を見て「嘘の味がする」と怪しんだ。


 どうして『トレス・ロストロ』とほぼ同格の強さを持つユズカと互角の蓮が、あの時ハクアに敗北したのか。どうしてあの時たまたま(、、、、)藤咲華が遊園地にいて、救援に来た芽空たちを見逃したのか。

 ——全てはたった一つ。奏太たちは『不老不死の魔女』が立てたレールの上を走っていたに過ぎず、犠牲もその一つでしかなかったからだ。


 驚きで目を見開くと同時に、血が滴るほど力強く手を握る。

 だが魔女(、、)の声はそれだけにとどまらない。


「付け加えて言っておきましょうか。——貴方がここ数ヶ月使っていた偽名。元々誰のものか知っているかしら?」


 遊丹奏太。

 それは奏太の父親がつけてくれたものであり、決して誰かのものとは——、


「今は亡き貴方の母親。彼女の家名は遊丹よ。……記憶がなくとも妻を愛する()らしい選択ね」


 ぞわ、と全身の毛が震え立つのが分かる。

 同時に、頭の中で何かが切れた。


 決して恐怖から来るものなどではなく、もっと沸騰するような熱を持った『怒り』。その感情は本能として奏太の全身を、神経を動かし脳を焼ききれんまでに操作しようとする。


 かつて華の知り合いだったのだろう奏太の両親や喪失者、『獣人』も人間も。全てを操り思うがままに動かす神様気取りの彼女に対し————殺せ、と。


 なぜなら華はハクアと同じく分かり合えない相手で、どウしようもない外道。最悪の存在。感情のままに潰し、消して、それでもまだ足りなイ。後悔などサセなくてもいい、魂の底まで傷をキザミツケテヤレ。

 そレは正シイ、絶対だ。だから、ミカヅキソウタ、は。


「願いとは所詮、私利私欲の延長線上にあるものよ」


 藤咲華はそんな奏太の様子を知ってか知らずか、続ける。


「いくつもの線は交わることがあっても、同じ道を辿ることはない。——けれど、あるいはだからこそ。人は誰かのためをと願い、私も貴方も世界を想う」


 深い笑みを浮かべたまま、懐から重い鉄の塊——拳銃を取り出すと、そのまま奏太の方へ転がす。


「————選びなさい、奏太君。貴方が望むものは何か」


 対し、赤髪の少年は返事をしない。


「人として私を殺すか。『獣人』として私を討ち取るか。いずれにしても、貴方は新たな『英雄』として世界を望むままにできる」


 彼女が出した選択肢は二つ。

 それらはいずれも奏太の意思を理解したものであり、罠にしてはあまりにも迂闊で危険すぎる可能性を孕んでいる。

 だから奏太がどちらを選んだとしても、それを彼女は受け入れるのだろう。ならば奏太は、世界の歪みたる華を殺してやる。


 たとえ『英雄』の枷がつきまとおうとも、たとえ相手が世界の終焉を防いで来た女性であっても。


 奏太は拳銃を拾い上げると同時に前方へ跳躍。躊躇一つなく、天をも貫く角で彼女の心臓を貫いて——————。






「……そう。それが、貴方の選択ね」


 ——直前。

 角を止めた奏太は顔を上げ、後ろへ一歩身を引く。

 左手に持った拳銃はトリガーに指こそかけられているが、どこにも発砲していない。むろん、自傷以外で出た血もない。


 つまり、奏太が選んだのは、


「——お前を殺さない。それが俺の、俺だけが選べる選択肢だ」


 けれどそれは、何も彼女の命を奪うことに怯えたわけではない。情けなどでもなければ、仲間意識を持ったわけでもない。


 全てがどす黒い感情に染まっていく中でも、わずかに思考は残っていたのだ。

 そして今までの失敗の記憶、聞いた情報、納得、疑問。それらから奏太は知っている。

 暗い感情に身を任せて拳を振るえば、人は道を間違えてしまう。一つの道しかないのだと思いこんでしまえば、他の可能性が潰えてしまう。特に奏太はその傾向が強いのだと、シャルロッテにも言われた。


 だから、考えたのだ。


 同じ改変者(、、、)である奏太になら華は殺せる。それは間違いないだろう。たとえ方法が拳銃であれ、『トランス』であれ、彼女は本気で受け入れようとしていた。

 だが彼女の言葉を考えていくと、


「改変された現実は未来で視えて(、、、)、かつ人類が滅んでいようともそれは可能。ならその大元である改変者(、、、)が死んでもそのまま。そうだよな?」


「…………」


「答えなくても、先読みの限りを尽くすお前のことだ。調べてないはずがないし、むしろ俺たち(、、、、、、)がわかるように(、、、、、、、)わざわざ告げた。そうとしか考えられないんだよ」


 そしてその先に、本当の彼女の狙いがあるのだとしたら。


「——たとえ俺が華を討っても、閉じ込められたものは、凍結したこの世界は戻らない。そう思ったから、俺は討たなかった」


 たとえ『英雄』の冠を奪い、新たな王として世界に君臨しても。

 藤咲華の改変能力は強力で、世界そのものを停止している。唯一動けているのは奏太たちくらい。他の誰もいない孤独の王として君臨する気などさらさらないし、そもそも『英雄』などという冠は奏太に相応しくない。

 だって奏太は、これまでもこれからも、


「…………俺はお前が嫌いで憎い。今だって殴ってやりたいし、みんなに謝ったって許さない」


「————」


「けど、それ以上に俺はみんなが好きだ。だから許さないし、殺さない。俺の始まりは、間違ったこの世界を変えることだから」


 たった一人じゃない。身近な誰かだけじゃない。人も、『獣人』も、世界の全てを。



 三日月奏太の言葉に、華は珍しく驚きの表情を見せる。

 シャルロッテよりも長く深い、経験の跡からくる余裕などそこにはなく、奏太の行動か言葉か。

 いずれにしても経験を裏切る何かだった、ということは間違いないのだろう。


「——あぁ。貴方達は、だから……」


 満足げな声。空を仰ぐ彼女の目には何が映るのか、奏太には分からない。分からないけれど、分かる。きっと今、奏太と華は。




 長い、沈黙が訪れる。




「心配しなくともいいわ。彼女は死んでいない。私の能力で不死の呪いを与えただけよ」


 ふいに、彼女が口を開く。

 つい聞き逃しそうになったが、華の指す「彼女」。それは恐らく、芽空のことで、


「さらりとお前は何を……」


「あら。改変者(、、、)と共にいようとするのなら、彼女は力不足。そのくらい分かるでしょう?」


 クスクスとからかうような笑み。

 いつもなら片眉を上げる、煽るようなものなのだが、


「……?」


 なんというか、違う(、、)

 いや、華の語る内容が理解できないわけではないのだ。

 デメリットがかなり怖いところではあるが、『イデア』の呪いとは異なる、華が自身にかけていたであろう能力。それを彼女は芽空にも発動させた。

 戦闘能力的な意味では確かにあったほうが便利かも知れなくて、恐らく芽空もそれを分かっていて『不老不死』を受けた。


 これまでのことを考えれば十中八九罠だ。怪しい、そう思うべきなのに——思えない。

 だって多分、


「…………お前、いや藤咲華。ひょっとして、本当は」


 頭よりも先に出ていたのは言葉。

 けれど華は奏太の言葉を続かせない。


「私の有する『ラプラスの選定』は、私が認識するものなら何者でも何物でも封印し、あるいは解くことができる。例外があるとすればそれは、同じ『イデア』か本来の意味での死者よ」


「——! 待て、華」


「一つだけ忠告しておくわ。きっと彼女(、、)()が告げているのでしょうけれど」


 冷や汗が垂れる。

 嫌な、予感がした。

 そしてそれはきっと、間違いではない。


 奏太の肌が、経験が、何かを察している。

 告げられた内容もそうだが、こちらの本心を告げた後からの彼女の反応。声。言葉。表情。

 『英雄』からも『不老不死の魔女』からも遠い、藤咲華が持っていた根本的な感情。それはこれまでの誰もに似ていて、脳から発せられるアラートは状況の進行を意味する。


 ——肌をなぞる、独特の不快な感覚。

 それを感じてすぐに、視界を何かが横切った。声をかけようと奏太は慌てて、


「——自身の中にたった一つ、守り通したいものがあるのなら」


 目の前で、黒の正装に赤が滲む。

 けれど華は続ける。

 自分の状態を把握し、あるいは分かっていたように。


 その腕が伸びてきて、奏太の肩を掴む。


「奏太君。貴方はどれだけの痛みがあろうとも、どんな現実があろうとも、決して止まることなく前へ進みなさい」


 浮かべた表情に、瞬きが止まる。


「決められた終わりの未来に囚われず、現在から否定する。それが……貴方の持った改変の力。原点(、、)の願いの終着点、至る場所よ」


 それから最後に小さく、口が動いた。

 けれど音はもう発せられず、代わりに最後の一瞬、力を振り絞ったのだろう。



 ————任せたわ。



 今まで奏太が。もしかすると、世界中の誰もが一度も見たことのない表情を。


 申し訳なさげに、けれど優しく微笑んだ華は薄赤の髪を血に染めて、奏太に倒れかかってきた。



「…………は」


 そして、奏太は。



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