第四章25 『世界でたった一人の』
————世界に突如出現した終わりの種、『獣人』。
それは進化の一つの可能性とも言われ、同時に人間という可能性を終わらせるほどの絶大な力を秘めていた。
最初は一人が、別の日には数人が、一週間もすれば十数人が襲われ、日に日にその被害は増した。街が、国が、滅ぼされた。
一つの強力な兵器のように、一つの災害のようにどこまでも理不尽に。簡単に。抵抗など、微塵もさせないくらいに。
向かうべきは破滅か、あるいは周囲一帯を丸ごと焼き尽くす兵器の使用か、いずれにしても絶望のみが待ち受けている——誰もがそう思っていた時。
一人の女性が現れた。
当時彼女は大学生で、しかし既に麗人として完成した容姿を持っていた。誰もを惹きつける魅力と、只者であるはずがない魔力を秘めたその言葉は、人々に一瞬の安堵を与えた。
けれど人々はすぐに我に帰る。そんな女性であっても、『獣人』には敵わない。そんな女性だから、無謀なことはさせられない。
けれど女性はすぐに証明してみせた。そんな女性であっても、『獣人』は倒せる。そんな女性だから、成せることなのだと。
当時の動画や詳細の書かれた記録は表向きには残っていない。思い出すにはあまりにも悲惨で、悲しいものだったから。
だから、功績から『英雄』と呼ばれるようになった女性と、彼女が設立したHMA。それらを賞賛し、感謝し、尊敬する心のみが世界には残って、今度『獣人』が出たとしても彼女なら——と、人々は信じきっていた。
『英雄』という存在に堕落、していたのだ。
先代ヴィオルクと開発したというデバイスに、彼女が卵を仕込んだとも知らず。
誰もを救うように見せかけて、子どもたちを甘い言葉で惑わし騙して命を奪っていたとも知らず。
目撃者には情報を隠してもらうのではなく、彼女自身が封印することで、『パンドラの散解』までろくに『獣人』の目撃情報がなかったのだとも知らず。
——『獣人』は特殊な生まれなどではなく、人間に獣を流し込むことで出来た存在なのだとも、知らず。
つまり全ては自作自演で、最初から悪も正義も存在しない。
だから藤咲華はまさしく蛇。
禁断の果実を勧め、アダムとイブを堕とした悪魔だ。
「……救いようのない性悪ね、本当に」
シャルロッテは痛みに耐えかね、地面に倒れこむ。
ズキズキと、頭を割って入り込んでこようとする異物。
藤咲華が卵と称したそれは、デバイスを体内に入れているシャルロッテも当然対象として含まれる。
だから今、自分にとって一番重要なのは体の制御であって、内容の把握は一旦後回しだ。一体どんな獣が居座っているのか、そんなことは知ったことではない。
「ぐ……っ」
自分が自分ではないような感覚。
気を緩めるとおかしくなりそうだ。
指一本、第一関節から先を動かそうとしただけでも、感情部分で溶け合った獣は体内を蠢き侵食する。
ポケットの中に入れた『トランスキャンセラー』、それを手にするなんて普段ならなんてことない動作なのに、今はあまりにも遠い。
あの性悪女なら何かをする可能性はある、と思っていたが、まさかここまでとは。
————動け。
早く動け、体。自我が乗っ取られて、シャルロッテではない何かになる前に。
体が痙攣し始め、この様子じゃ恐らく外も大変なことになっているだろう。だから一刻も早、感情が獣と一致する動く——ダメだ。そもそも蓋が外れたように自我が効かないし、進行がどんどん早まってる。
そもそもこんなことをしたのはあの性悪女で、だから自分は、彼女を、
「——大丈夫かい?」
「な。あ、……?」
獣と人のまどろみの中で、急速に熱が引いていく。
最中、自分が出したものとは思えない、あまりにも間抜けな声が漏れた。だがそれ以上何も言葉を続けられない。
理由は大きく分けて、二つ。
「う……ぇっ!」
全身を支配する寸前だった獣が一気に消失し、続けてきたのはその反動による奇妙な体の不調と、ひどい息切れだからだ。大きくむせ返り、涙目になりながら口元を押さえ、ただひたすらに吐き気を抑える。
本来なら吐いた方がスッキリはするのだろう。けれど、今シャルロッテの思考には自制が戻ってきている。何を今更、という話ではあるが、これ以上醜いマネは晒せない。晒したくない。
「げほっ、かはっ!」
それから何度咳をして、酸素を必死に体へ取り込んだかはわからない。どれだけの時間が経ったのかもわからない。
しかしかろうじて話せる状態になったところで、取り出したハンカチで口元を拭き、問う。
「…………なん、で。あんたがワタクシを助けるわけ?」
先ほどの理由の、二つ目。
睨むように視線を横へ。自制を失いかけていた時に暴れていたのだろうか。荒れた部屋の中で、シャルロッテに『トランスキャンセラー』を装着し、今度は水を持ってこようとしている男、フェルソナ。
「助けてくれたことには、仕方なく礼を言うわ。けれど、あんたは『トレス・ロストロ』の一人。ワタクシを助ける理由なんてないはずよ」
差し出される水に首を振り、壁に手をつきながら立ち上がる。
息はまだ荒れている、だが話すには充分。
「……『パンドラの散解』で攫われたあんたはHMAで藤咲華と接触——今の事態から考えるに、彼女は一連の事件に関わってる改変者。だから記憶を取り戻した。そうでしょう?」
鳥仮面は、答えない。
「この前の会合で、明らかに以前と様子が違った。——だってあんたは、あの性悪女の計画を知ってたんだもの。当然よね」
と言っても、あの時は疑い程度のものでしかなく、彼らの資料を集めて初めてその可能性の端にたどり着けたわけなのだけれど。
「それとも、なに? あんたは最初からあの子たちを騙していたわけ?」
答えないせいか、舌が良く滑る。
そんなことはないとわかっているのに、いつもよりも感情的になる。
「これまでの功績なんて知ったことじゃないわ。あの散解の中で、あいつらはあんたたちを本気で助けようとしてた。信頼してた。大切な仲間とか、変なこと言いながらね」
シャルロッテのよく知っている『獣人』は皆、子どもだ。
だから精神的に幼く、危なっかしい。
平気で危険地帯に足を踏み入れようとするし、仲間意識だかなんだかも相まって無茶と無謀を繰り返す。そのくせ、公的な場面では一般人か、あるいはそれ以下の振る舞いしかできない者もいる。そんなやつに影響を受けて、自身の弱さと向き合った少女もいる。
「……なのに、あんたは!」
どうして今、怒っているのだろうとシャルロッテは思う。
冷静になって考えれば、フェルソナに記憶が戻ったのは何かしらの理由があるからだけれど、フェルソナの性格を考えるに奏太たちを傷つけるためだけとは考えにくい。
なぜなら先ほど、シャルロッテは助けられたから。
この先利用するならば他の者の方が大きな価値があって、さらには計画の邪魔になりかねない自分など、早々に始末してしまうべきだ。
つまり、彼は。
フェルソナは、自身の考えのもとシャルロッテを助けた。
なのに、自分は。
今彼に八つ当たりするようにして怒りをぶつけている。
「あんたたちの滅茶苦茶な計画のせいで、どれだけの人が犠牲になったと思ってるのよ! そんなもんに振り回されて、傷つけられて!!」
髪が乱れるのも構わず、彼の胸ぐらを掴む。
「————あんたたちのせいで、本来なら傷つかなくていいやつが傷ついて、大事なもんまで失われたのよっ!! 返しなさいよ、みんな! 全部!!」
普段抑えていたものが全て外れたせいか、自分でも、なにを言っていたのかわからないけれど。相手を間違えていると分かっていながら、腹の底に溜まっていた怒りを全てぶつけた。
だからきっと。後で特有の虚しさと自己反省が訪れるのだろう。けれど、だからこそシャルロッテは思う。
……どうして自分は泣いているのだろう、と。
「…………すまないね」
押し倒さんばかりの勢いだったシャルロッテに対し、終始抵抗しなかったフェルソナ。
彼が長い沈黙を経て発したのは、そんな言葉だった。
仮面の下で彼は、多分。
「……ワタクシに謝られても、何も変わらないわ。あんたのした行為を決して許しはしないけれど、本来咎められるべき相手も、咎めるべき相手も、どちらも違うんだから」
ああ、やっぱり。
訪れたのは虚しさだ。
額に浮かんだ汗が鬱陶しく、言動まで下向き。あまりにも美しくない。
掴んだままだった手を離し、深く呼吸をする。
体の調子を取り戻すように、感情を抑え、思考と頭を整理するように。
……五、六。よし。もう、大丈夫だ。
「さて、改めていくつか聞くわよ」
自分が今するべきことは何か。
それはあの場に駆けつけるよりも先にやらなければならないことで、今後のためにも絶対必要なこと。
当事者である彼が目の前にいるからこそ。
「……警戒は、しないのかい?」
「してるわ。けれど、あんたは答えるんでしょう?」
「それは、うん。そうなんだが」
「じゃあ教えなさい」
動揺しているフェルソナに、質問一つ目。
ここまでの情報が確かなら、辿り着く結論。
「——ワタクシたちの体内にあるデバイスは、元はあんたが作ったものね?」
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
フェルソナは驚きからか数秒棒立ち。躊躇いを挟んで、
「そうだね。正しくは僕と先代ヴィオルク——つまりは芽空君の両親だ」
「……二人は、卵のことを知ってたわけ?」
「彼らとは『大災害』発生前から関わっていたからね。当然、知っている」
……。
なるほど。どちらが提案したのかは知らないが、それならば華が罠を仕掛けられたことにも納得がいく。
「となると、『ゴフェルの膜』や『トランスキャンセラー』も、あんたが関わってるのね」
フェルソナは頷く。
これについては、そもそも彼を疑い始めた時に真っ先に思い浮かんだことだ。
「『トランスキャンセラー』もそうだけれど、さらに疑いが濃くなったのは————『昇華』へ無理やり至るための薬。これらはあまりに技術が似過ぎているもの」
シャルロッテは以前、ジャックに聞いたことがある。
『パンドラの散解』において『カルテ・ダ・ジョーコ』が見せたあの集団的な『昇華』。
あれは本来、そこらの『獣人』が辿り着けるような領域ではなく、当然ながらアザミや奏太のような一部の例外以外はできるはずもない芸当。
にもかかわらず、彼らは達した。それはなぜか。
いわく、その要因はHMAの工場襲撃時にあったのだという。
元々奏太たちラインヴァントが来ることをわかっていて、『獣人』を無効化するための術を得る。同時に、HMAの手札を削いだ上で挑発するという目的があったそうなのだが、問題の工場で見つかったのはそれだけではなかったのだという。
「HMAは元々あんたが開発した『トランスキャンセラー』を改良し、音で制圧するタイプのものを作っていた。——けれどこれは、『解放薬』についても同様だもの」
今となってはどこまでが真実かはわからないが、フェルソナの弟子であるエト。彼女が開発した『解放』薬は擬似的な『昇華』を発動させるためのものだが、これもHMAは上位互換のものを作っていた。
それが『カルテ・ダ・ジョーコ』に使われていたのだ。
『トランスキャンセラー』の方は個人に限らず集団にも使え、その対象外になるためにはデバイスに専用の仮想ファイルを入れるという機能までついて。
……今になって思えば、その機能すらも卵に繋がる情報だったのだけれど、今それを言ってもどうしようもないし、置いておくとして。
『解放』薬の方は、
「操作する側とされる側——つまりは親と子に分かれて、親が操作した時のみ子は『昇華』を発動させることができる。ジャックの場合は飲んでいなかったけれど、半ば盲目的にアザミに従っていたあの組織だからこそ使われたのでしょうね」
いくらなんでもそれを華が想定していたとは思えないが、いずれにしても。
技術は不自然すぎるほどに似通っていて、組織に匹敵するほどにフェルソナやエトがとんでもない存在だから……と片付けていてはいけなかったことだ。
「信じてもらえないかもしれないが、記憶を失っていた間は既視感などを感じないまま作っていてね。それが偶然『トランスキャンセラー』に行き着いたわけだが……」
「記憶がなくなった程度でその人が持つ才能が変わるわけじゃない。あんたの場合は根っからの研究者だったってことよ」
そしてそれは多分、彼らについても言えるのだろう。
同じように華が記憶を戻す処置を施しても、きっと。
「……それより。あんたにはまだ聞くことが————」
一瞬で違和感に気がつき、シャルロッテは言葉を中断。驚きに目を見開く。
きん、と透き通った一つの音だ。それと何かが体に染み込んでいくような、妙な感覚。フェルソナが何かをしたわけじゃない。ならば、
「これは、まさか……!」
「そう。華君の改変だ。——能力の固定と時間の静止。といえば伝わるだろうか?」
「時間の……?」
ハッとなって、近くに転がっていたペンを拾い上げようとする。が、
「……重過ぎて拾えない。というより、その地点で動作が止められている、かしら。でも、どうしてワタクシたちだけは動けるのよ?」
「彼女の能力はかなり汎用性が高くてね。条件、対象ともに選ぶものは自由だ」
彼は一度視線を後ろに、
「エト君やジャック君は今頃影響を受けて固まっているだろう。僕はともかく、君が動けるのは華君の気まぐれかな」
それは。
あまりにも面白くない気まぐれだ。状況的に自分はフェルソナと話さなければいけないので、助かるといえば助かるが、あの性悪女にからかわれているようで非常に癪に触る。
「…………」
視線をわずかに動かす。
確かに時間は静止していて、デバイスが写すテレビ画面——つまり式典会場の様子は、先ほどのパニックのまま固まっている。
気まぐれだかなんだか知らないが、そうなるとあの場で今動けるのは四人……いや、三人か。
「行くというのなら、僕は止めるよ」
シャルロッテの思考を先読みしたのか、ドアの方をちらと見たフェルソナはそちらを守るようにして、立ちふさがる。
だが、残念なことにそれは誤った先読みだ。
「言ったでしょう? ワタクシはあんたに聞くことがある、って。だからあの場は二人に任せるわ」
「そうかい? それなら……」
フェルソナが肩に入れた力を緩め、再び二人は向き合う。
「さっきあんたは能力の固定、と言ったわね? 今更信じられるられないの話はともかくとしても、それが指すのは——」
「ああ。現在『獣人』の姿になっている者は皆全て固定される。この先何年、何十年先もね」
「————!!」
そうか。
皆がオダマキと同じ状態——つまりは能力の適性にかかわらず、獣が現出したまま固定される——になったというわけか。
いや、驚きがないわけではないのだ。素直にとんでもないことをしてくれたなと思っているし、同時に改めて性悪な女だなと思う。
だが、今までの情報で改変者が現実を書き換えるとんでも能力を持っている、ということはわかっているのだ。規模と後々の被害が桁違いな点、それからオダマキの体に起きた異常について判明した以外は、納得できる。
それでも、やはりオカルト過ぎる話ではあるけれど。
あることを前提にして話を進めるならば、次いで出てくる疑問。
「現在『獣人』の姿に、ということは例外もあるのかしら?」
たとえば、そう。
先ほどシャルロッテは『トランスキャンセラー』を受け取り、獣の力を抑えられた。だから今は人間の姿のまま。
ということは、もしかすると。
「そうだね。華君が行なったのは、あくまで目覚めていない卵の孵化。だから適性の高低に関わらず、元々『獣人』として目覚めていた者。君のように、『トランスキャンセラー』を身につけた人間。それから、体内にデバイスを入れていない者。このあたりは例外さ」
彼は少し考え込み、「ああ、いや」と首を振って、
「もう一つ。——同じ改変者同士ならば、その能力で直接的な干渉を受けることはないんだ」
「なるほどね。つまり今ワタクシが外へ出たら、別の改変者に襲われる可能性がある、と」
あくまで直接的な干渉のみに限られているところも含め、同士が最大の弱点になるとは。
……まあ、シャルロッテが相対したあの黒フードも弱点は見えていたので、絶対に無敵とは限らないということだろう。
「孵化していない卵、と言ったけれど。逆の者たちは? ————なんで、孵化したのかしら?」
少し、声色が低くなる。
頭の中に思い浮かべるのはラインヴァントの者たちだ。
まさか全員が全員華の狙い通りに覚醒した、などということはないが、あの性悪女ならやりかねないとシャルロッテは思う。
「……君は本当に華君を嫌っているね」
「ふん。それがどうしたのよ。あんな女、嫌って当然よ」
嘲りの笑いすら出てこず、怒りに鼻を鳴らす。
フェルソナが旧『トレス・ロストロ』の一人だろうと、それだけのことを彼女は今までやってきたのだから。わざわざ彼の心を考えてまで、自分の考えを捻じ曲げる気などシャルロッテにはない。
そんなシャルロッテにフェルソナは何も言わずに、
「『獣人』は十八歳以下の個体しか確認されていない。——このことは知っているね?」
「ええ。だから子どもばかりで…………まさか?」
彼は頷く。
「そのまさかだよ。自然な孵化の条件は、出生時からデバイスを体内に入れていた者だ」
その方が体に混じる、ということなのだろう。デバイスが普及し始めた時期と被っているのはそのためか。
「ということは。能力の発現するしないは適性によるもの?」
「そういうことになるね。だから彼女らには発現して、君には発現しなかった」
……別に今更、そのことについてとやかく言うつもりはない。
が、少なくとも、
「あの女が意図的に仕組んだものではない。……そう思っていいのね?」
「ああ。開発者の一人である僕が保障しよう」
無意識のうちに、ほうっと息を吐く。
おかげで、二つの安心と二つの結論が出た。
「『大災害』や件の動画。それから『施設』に保管されてた『獣人』は、皆十八歳以上で条件を満たしていなかったのね」
「その場合どうなるか、わかるかい?」
「————時間の経過とともに自我を失い、獣と混ざったまま戻れなくなる」
頷く前に、続ける。
「このタイミングであの女が時間を止めたのは、自我を失う直前で体を留めておく必要があったから。そうでしょう?」
「……その通りだ」
とはいえ、それは条件を満たしていても起き得ることなのだろう。
奏太や蓮という少女も制御にはかなり苦労したと聞いているし、実際シャルロッテも呑まれかけていた。
フェルソナの話が本当なら、恐らくこれから先、経験することはもうないのかもしれないけれど。
「…………」
髪の毛先を指で弄ぶ。
周りのものは全く動かないというのに、自分だけが動いているなんて。全く本当に、おかしな状況だ。
喉が渇いている。けれど当然水分など取れるはずもないし、仕方ないかとため息を吐く。
ひとまずお茶も、帰還も、しばらく後回しだ。ますます本当に、動けない状況になってきたから。
……ユキナたちは無事だろうか。
頭の中に広がっている、無数の可能性。その一つが正しいのなら、彼女を含めたラインヴァントの皆はこの静止した時の中で、動けているのだろう。
まあ、かの下民が信頼している少年もいる。姉もいる。彼女自身も、多少は焦りへの向き合い方がわかってきた。だから多分、大丈夫だろう。
三日月奏太と古里芽空——ルメリーなら、大丈夫だ。
彼ならともかく、あの少女には真実の全てを話してはいけないなと思うけれど。それは全て、終わった後の話だ。
だから、それまでに。
「…………皆を『獣人』にしたこと。あんたに記憶が戻ったこと。ワタクシたちが動けること」
ポツリ、ポツリと呟いていく。
一見情報整理か、あるいは事実確認か。それらのように聞こえるが、違う。
「ルメリーの両親が協力した理由と、極めて能力の高い『獣人』のみが記憶を封印されていたこと。藤咲華と『トレス・ロストロ』の動きが異なっていること。————これらは全部、今ある違和感。気まぐれだったと片付けても良いけれど、実際はそうじゃない。全て一つに繋がっている。……そうでしょう?」
鳥仮面は、答えない。
きっと本人も性格上答える可能性は低い。
ならば、ゆえにこそ問おう。
今、ここにいるのが自分だから。
世界でたった一人。
シャルロッテ・フォン・フロイセンだけが辿り着ける答えを。
「————藤咲華は何を改変するために動いているの?」