第四章16 『闇に沈む』
——被験体。実験。
もし本当にあのレポートが改変者の能力テストのようなものだったのなら、芽空の言った通り納得のいく部分がいくつもある。
藤咲華の圧倒的強さや、能力を応用した捕縛。それは生態調査に使うために殺さず、生かして捕らえるには絶好の方法だ。人間にせよ、『獣人』のような人間基準で見た異端者にせよ、『トレス・ロストロ』のような化け物じみた強さを持つ者たちからすれば、殺さない調整なんてものは難しいことなのだから。
まあ、単純に手間が省けるということもある。
相手がたとえば言葉も聞けないような、それこそ自我を失った状態であっても、彼女は一切の抵抗を許さず一瞬で意識を刈り取る。果てなき疲労感のようなものが襲ってくる、あの技で。
だから奏太たちはあの時生かされ、『大災害』で見つかった多くの『獣人』はここで実験に使われた。いずれも自身の目的に利用している、というのがなんとも彼女らしいところだが、ひとまず奏太が出した結論は一つ。
「色々知っておいて、簡単に帰すと思うなってことかよ……!!」
ガラス筒から大量に出てくる『獣人』たち。
それらは洗脳か暗示の類を受けているのか、お互いを一切気に留めず、こちらだけに敵意を向ける。
「——がルァァ!!」
飛び出してくる一人。奏太はギリギリまでその動きを見極め、爪がこちらの体を引き裂かんというところで回避、体勢を崩した上半身を狙って掌底。
咄嗟に牙が突き立てられるが、問題ない。牙ごと砕き、軌道線上にいた群れを一直線に吹き飛ばす。
「オァ、ォォオオ——!」
それに触発されたのか、雄叫びを上げる残りの群れ。
全部でどれだけいるかはわからないが、間違いなく数撃で潰せるような数ではないだろうと奏太は判断。
「——芽空、ジャック! とりあえず上だ! ここで戦うのは危険すぎる!」
「わかった!」
現に、先の一撃で吹き飛ばしたのは『獣人』だけではない。ガラス筒に加えて、この地下二階にあった機械のいくつかが破損、電気のようなものがバチバチと走っているのがわかる。
今は大丈夫だとしても、このままここで戦闘を続ければ被害は甚大に、最悪の場合崩れて埋められる可能性すらある。それは何としても避けたいし、そもそも狭い空間でこの数はなかなか厄介だ。
——と、考えている間に群れが奏太を囲い、じりじりと近づきつつあった。
「そーた!」
「大丈夫! 今のうちに上へ!」
心配する芽空の声に親指を立て、意識をすぐさま周りの群れへ。
一対多数はこれが初めてではなく、二回目。ブリガンテ戦以来ではあるが、あの時とは色々と違うことがある。
まずは数。
ブリガンテはメモカを使用した人間が混じっていたということもあって、それだけでデモの一つでも起こせそうなくらいの人数はいた。それに対し、今この階にいるのは元々のガラス筒の数から考えても、多くて六十ほど。奏太を囲っているのは六、いや七か。
その程度なら過信を抜きにしても、恐らくは問題ない。
ないのだが、それはあくまで数の話で言えば、だ。
前述の理由で大規模な破壊を生んでしまう『崩壊』は使えないし、似たような範囲の大きい技も、ジャックと芽空が階段を登ったことを確認しないと使えない。それからそれに加えて、敵の強さについて。
言わずもがな彼らは『獣人』、『トランス』はもちろん『纏い』は使えるだろうと身構えていたのだが、どうやらそれは残念なことに、個人差こそあれど、全ての個体に対して言えるらしい。
つまり、だ。
一体一体がブリガンテ幹部『カルテ・ダ・ジョーコ』のようなもの。戦闘慣れしているかはともかく、そのくらいの強さがあると見ても良いだろう。
「——いや。それだけじゃない、か?」
見たところ、バッタに蜂、鹿にタヌキ、ヤドカリらしき生物からクワガタまで色んなタイプがいるようだが、全体的に妙に気が高ぶっているというか——思考を中断。一体が最初に、ワンテンポ遅れて襲いかかってくる群れ。地に手をつけ、まとめて回転蹴りで蹴散らす。
そのままぼうっとしてなどいられない、牙をカチカチと鳴らす次の『獣人』が来る。血の滴るその身体は、先からの攻撃で巻き込まれた者の一体だろう。怯む様子もなく、純粋な本能でもってこちらに襲いかかろうとしている。
一度後ろへ距離を取り、こちらへ向かってきたところを滑るような急加速、首狙いで手刀。意識を刈り取った後、すぐさま他へと意識を移す。
「————そーた、もう来ても大丈夫!」
声が聞こえて来たので、一時戦闘中断。今しがた横に転がした『獣人』の腕を掴み、その場で回転。群れの中へ放り投げた。
そのおかげもあって、さすがに全てとまではいかないまでも、ある程度は戦力を削れた。階段の方へ振り返り、地を蹴る。
「このまま一階まで戻るぞ!」
途中踊り場で方向転換を挟み、計二回の跳躍。それだけで階段を登り切り、地下一階へ降り立つ。
廊下の先を行く芽空と、その後ろについていたジャック。彼女はこちらに振り返り、
「……いつも色んな色の髪に変わってるけど、大丈夫?」
「今はそんなことより走れ!」
ああ、シャルロッテはいつもこんな気持ちなのかな、と思う間は一瞬。後ろを注意しつつ、彼女らに追いつく。
三人は走ったまま、
「一応何体かは攻撃してみたけど、どうにも様子が変だ。怪我しても問答無用で立ち向かってくるしさ」
「昔流行ってたゾンビ作品みたいだねー。冗談じゃなくて、本当に」
「ワタシたちも感染するの?」
「いや、そういう意味じゃなくてねー」
首だけで振り返る。
後ろから追って来ている『獣人』は、下で見た全て——いや、少し少ないだろうか。再起不能な状態、というのなら良いのだが。
視界の悪い薄闇の中、目を凝らせば、彼らがまるで一つの巨大な生き物にでもなったかのように、廊下を破壊しながら進んでいるのがわかる。
——いや、今でこそ慣れてしまっているが、本来、『獣人』というのはそういうものだ。
人には許されないほどの力で破壊の限りを尽くし、数が集まれば自然災害そのものとなる。ゆえに『大災害』が起きた。ゆえに大地は再起に途方も無い時間がかかるほどの被害を受け、人口が激減した。
当時の記録は残っていない。
いや、HMAが残さないようにしたというべきだろう。
大多数の者たちにとって改変者という存在は信じがたく、たとえ『世界を終わらせない』という目的を達したとしても、怪しまれれば今度は新たな災害として見られるだけ。
だから彼女らは世界全てに嘘をつき、以降も異端者が現れないか監視し、必要であれば介入することで平和を保って来た。
……なるほど。
落ち着いて考えてみれば、辻褄の合う話だ。
しかし、どうしてわざわざここに情報を残し、罠を仕掛けたのか。梨佳やオダマキを襲ったのは誰なのか。色々彼女には聞かなければいけないことがたくさんあるが、今はここを脱出することだけを考えよう。
前方に転がっていた消火器を掴み、後ろに向かって放りつつ、
「……そういえば」
奏太は思い出す。
確かあのレポートには妙な書き方がしてある部分があったはずだ。自我がどうとか、なんとかが低下とか。
それに、そう。あの『獣人』たちは、どこかで見たことがあるような。過去の記憶じゃない、となると恐らくは『獣人』という存在を知って、今に至るまでのどこかで。
「——ゾンビはね」
いや、二人はいつまでそんな話をしてるんだよ、とツッコミかけた口。直前で言の葉が音をなくす。
「基本的に思考能力、言語機能の著しい低下が行動に見られるけど、一つの目的には貪欲なの」
「目的?」
「うん。たとえば感染していない人物を見つけたら、同じ感染状態にさせようとしたり、とかね。でもさっきも言った通り、思考能力が低下してるから動きも理性的とは言い難くて——」
「芽空、それだ!!」
「え?」と驚かれるが、まさしくその通りなのだから仕方がない。
追いついてきた一匹、奏太は立ち止まってくるりと回転。彼の胸元目掛けて掌底を放つ。勢い余って地面に叩きつける形となるが、恐らく死んではいないはず。
再び地を駆け、二人に追いつきつつ、
「どこかで見たことあると思ったら、そうだ。……ああ、えっと。ゾンビ映画じゃなくて————」
徐々に距離を詰めつつある『獣人』たち。
彼らの今の状態は、本能的過ぎる。ただし、こちらを殺すことしか考えていないという前置き付きで。そしてそんな『獣人』を、奏太は過去に見たことがある。あの日、あの場所で。
「——何年か前に公開された、件の動画。あの『獣人』と同じなんだ、あいつらは」
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
件の動画。
それはかつて秘密基地で蓮と見たものだ。奏太が『獣人』を知るきっかけになったと同時に、その恐ろしいまでの強さの理解と、世界にある種の違和感を抱くに至った動画。
内容は至って簡単、奏太が『鬼』と称した『獣人』がライオンを無残に殺し蹴散らすといったものだったが——。
「今追いかけて来てるあいつらが『大災害』の時のやつだっていうなら、『鬼』を含めて、今の俺たちみたいな『獣人』になるまでの途中経過のようなものなのかもな」
芽空は「なるほど」と頷いて、
「世代で分けた方が分かりやすいかもねー。動画の……えっと、『鬼』や『大災害』時の『獣人』が第一世代で、私たちが第二世代みたいな感じで」
「つまり違いはゾンビか、そうじゃないか」
いや、ゾンビだとそれはそれでまた話が変わって来るのだが……まあいいか。
いずれにしても彼らは、比較的人に近い奏太たちと比べると、理性を失った獣に近い。思わぬところで新事実が判明するものである。
「そんなあいつらが野に放たれたら——まあ、やばいよな」
「それこそパンドラの箱を開けるも同然だねー。…………でも、そーた。そうならないようにするっていうことは、つまり」
「……ああ、わかってるよ」
走りつつ、もう一度振り返る。
かなり離れていた距離も縮まってきた。もうすぐ彼らの攻撃の射程距離内に入るだろう。
不幸中の幸いというべきか、群れと称したものの、彼らの動きから察するにその思考には群れという概念がないらしく、戦術であるとかの厄介な戦い方はしてこないようだ。
となると数で圧倒する力押しの戦法しかないだろうが、それはそれで厄介な話である。階段まではまだ距離があるし——
「——ジャック! 前のやつ、頼む!」
「ん」
訂正。
奏太たちを殺す、ただそれだけの目的だが、それだけだから厄介だ。
下階からあらかじめ回り込んでいたのだろう、行先の地面が割れたかと思えば、そこから一体の『獣人』が飛び出してきた。
当然狙われるのは、先頭にいた芽空。だが気づいた奏太が咄嗟に声を出したおかげで、三人は足を止め、
「————そういえば。君は見たことないんだっけ」
きん、と。
一瞬、ここが戦場だということを忘れるほど澄み切った音。
それが風を切る音だと気付いたのは直後、間髪入れずに結果が現れた。
「……すごい」
あまりにも美しい、黄金色の一突き。
ジャックの体から飛び出した尻尾が『獣人』の胸元を刺し、溢れる鮮血。命が溢れていく瞬間。思わず、目を瞑りそうになる。だが、それにいつまでも気を取られているわけにもいかない。
今の攻撃で奏太たちは足を止めたが、それはなにも前方に敵が出現したから、という理由だけではない。
「くそ、こんなところに穴作るなよ!」
奏太の記憶が正しければ、あとは角を曲がり、数百メートルで階段にたどり着く、という場所だったはずだ。だが今目の前に開けられた暗闇は、ちょうどその角まで侵食している。
つまり、どこまで穴が広がっているかもわからないのに、斜めに飛んで向こうまで渡るか、壁を使って向こうまで渡るかという選択肢でしか、階段に向かうことができない。
しかも最悪なことに、暗闇——地下二階からは手負いの『獣人』が何体か、先の者と同じく登ってこようとしている。後ろも間に合わない。群れはもうすぐそこまで迫っている。
ゆえに、悩みは一瞬。判断は直後。
「芽空、一度部屋に隠れてくれ! ある程度こいつらの数を減らすから!」
次いで、ジャックを見る。
どうやら彼女も察したらしい、頷いた。
芽空が傍の部屋に入ったのを確認すると、穴側をジャックに、多数の方を奏太が引き受け、背中合わせに構える。
「……そういえばさ、ジャック」
「なに?」
「結局聞くタイミングがなかったんだけどさ。ジャックの『トランス』って、どういう名前なんだ?」
彼女は「ああ、なるほど」と頷くと、
「——『黄金の地竜』。名付けたのは、ワタシじゃないけど」
先ほどの血がついた尻尾を払い、澄ました顔のまま全身に力をこめていくジャック。
彼女の体はまさしく名前の通り黄金色の鱗で覆われており、竜にあるべき翼は持たないものの、抜群の威力を誇るであろう鋭い爪と牙を持っている。
しかし中でもやはり、尻尾を得意手としているのだろう。襲いかかってくる敵に対し、彼女はほとんどを尻尾で応戦している。
これで戦闘が不慣れだと自称するのだから、大した逸材だと奏太は思う。
とはいえ、こちらもいつまでもぼうっと眺めていられるわけではない。三体が同時に地を駆け、正面左右、天井。三方向からの攻撃を仕掛けてくる。……どこの誰だ、敵は単純でゾンビみたいな思考をしてるとか言ったのは。
——地を滑るように駆ける。まず左の一体、首元に左肘を置きに行き、対処に爪を向けられることを想定していた右蹴りで、相手の対処よりも前に腹奥を抉る。そしてそのまま体を半回転、反対側にいた『獣人』に対し、左の掌底。吹き飛ばしつつ、ジャックの方へ戻って最後の一体。重力に従って落ちてきたところを、思い切り蹴り上げる形で天井にぶつける。
パラパラと降ってくる埃、爆発するような勢いでぶつかり、意識を失って落ちてきた『獣人』。
奏太は天井をじっと見つめ、
「……やっぱ一回じゃダメか」
まあ、はっきり言ってそれは仕方のないことだ。蹴り上げる瞬間見えたのは亀と思しき姿であり、さらには明らかに防御姿勢を取られたしで……いや、これは言い訳だな。
そもそもこの場所は地下施設。頑丈に作ってあって当然であって、一回の攻撃なんかで壊れてもらっては困る、などとは思いつつも。
視線を戻す。
例のごとく、なおも怯まない残りの『獣人』たち。奏太が覚悟を決めるのが先か、あるいは狙いが通るのが先か。
結局順番が変わるだけだが、あまりモタモタしていると数に圧倒されて全滅……なんてことにも、最悪なりかねないし、それにさっき、奏太は言った。
自分が芽空を守るのだと。あの場所に帰るのだと。
ならば最初から迷う必要はない。あとで苦しむのだとしても、今この瞬間は。
背中の方に意識を向けて、
「こんなことになって悪いけどさ、もうしばらく付き合ってくれると嬉しい」
「元から、そのつもり。ワタシは君についていくから。なんとなく、そう決めた」
「……いや、なんとなくって」
——言っている間に、一体が飛び出してくる。奏太は高速でジグザグに移動のフェイントを入れつつ、正面からのアッパーを顎元に。逸れずに命中、浮き上がった体をそのまま先と同じ位置へ無理やり蹴り上げる。
ぴし、と少し亀裂が入った。あと、二、三回くらいか。そう連続してぶつけられるとは限らないため、やや時間がかかりそうだが、
「——その間、後ろは頼むぜ。『黄金の地龍』」
「ん、任された。『ユニコーン』……だっけ」
なんとも締まりのない返事だが、まあそれで良い。
背中を預けるに値する強さを持つ彼女に後ろは任せ、奏太は正面に集中する。
脱出のために踏ん張るべきところだと気合を入れ、『獣人』の群れと衝突して————。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
芽空は横の部屋から、彼らを見つめていた。いや、正確には見つめることしかできない、というべきか。
「オオオオ————!!」
「ちィ——っ!!」
二対多数。この状況でこの戦いは、どうあがいてもある程度の限界を超えられない。
最初から躊躇いのないジャックはもちろん、この状況の中で覚悟を決めたらしい奏太。彼らが致命傷になる一撃を敵に食らわせ、数を減らしても、また次の敵がやってくる。
芽空には見えない部分もあるが、確実に命を失った者も中にはいるのだろう。だからいつかは倒しきれるのだろう。
しかし、そのいつかはこの状況に限って言えば相当に困難だ。
『昇華』相手にはなかなか上手く立ち回れなかったジャックも、一体一体を順番に倒していけば問題なく強さを発揮できる。しかしそれでも。
『昇華』を使う奏太にはまだ時間切れが来ていない。その強さは健在で、今も七体同時に相手取っている。しかしそれでも、殲滅を目的とするには条件が不利すぎる場所なのだ、ここは。
恐らく彼はこう考えているはずだ。
本気を出せば一気に蹴散らせるかもしれないが、『昇華』は強力過ぎて環境そのものを破壊してしまう。だから芽空やジャックまでもを巻き込んでしまう。地上に戻れず生き埋めになってしまう……と。
守ってもらっている立場で申し訳ないが、恐らくそれは、間違いないはずだと芽空は思う。
もちろん穴を飛び越えて向こう側に行く、という方法もないわけではないが、そもそも穴が開けられた経緯を考えれば、相手が先回りして、最悪の場合地上に……侵攻なんていう可能性もありえる。それを考えれば、今彼が試している方法しか脱出の最善手はない。
そしてそんな彼にも、彼に背中を預けるジャックにも、芽空が何の手助けもできないことは明白だ。
先ほど彼も言った通り、芽空の『カメレオン』は姿を隠し、不可視の雷撃を放つことでその強さを発揮するが、誰かと組んで戦闘をするには明らかに不向きなのである。なにせ味方からも芽空の姿は見えないし、だからと言って正面から突っ込んでいけるほどの力と速さがあるわけでもないのだから。
「……っ」
無力感に、思わず唇を噛む。
もしもという時のために、以前梨佳からもらったスタンガンと、シャルロッテから受け取った小さな拳銃を持ってきてはいる。けれどまさか、これほどまでに役に立てないとは思わなかった。
奏太に戦闘は任せた、と言ったけれど、それは自分の不甲斐なさに目を瞑るための言葉でしかない。
彼が守ってくれると言ったのだから、芽空も相応の態度で臨むべきなのかもしれないが、それでも。
「……ううん、違う」
暗く沈みかけた心を、止める。
「私がするべきなのはそんなことじゃない、よね」
なにも二人に混じって戦闘をするだけが全てではないのだ。二人と違って正面切って戦える強さはないけれど、守られるだけの存在ではないし、そんなことのためにここへ来たわけではない。
芽空には芽空のできることを。
二人の——奏太のために、自分はここにいるのだから。
ドアから、ちら、と顔を出す。
戦闘はなおも継続中、やや鮮烈な光景が広がっているが、我慢。
「……こいつら厄介だな、本当に」
「確かに、『カルテ・ダ・ジョーコ』よりは弱いけど、それとは別の厄介さ」
二人は厳しい顔を作ったまま、背中越しに会話している。機会を伺う。
「——そういえば『パンドラの散解』で、ブリガンテは本来使えないやつにも強制的に『昇華』を発動させてたよな。ある意味じゃ今の状況と似てる気がするけど、どう思う?」
こちらに気づいたのだろう、ちら、と奏太の視線がこちらを向いた。
ということはジャックと芽空に向けられた言葉ということになるが……芽空の記憶が正しければ、あれは、
「全員が全員自我を失ってたわけじゃないんだよね。私のところに来た一人は確かに近いかもだけど……それについてはジャックに説明を求めた方が良いかも」
ジャックへバトンをパス。
彼女は一度尻尾を払って、
「————そもそもアレは、HMAの工場に『トランスキャンセラー』と一緒にあった機械によるもの」
「な——っ!?」
驚くのもつかの間。
一瞬体の動きが止まった奏太を『獣人』が、
「そーた、前! 前に敵来てるから!」
慌てて声を出し、彼もそれに反応。ことなきを得、ほっと息を吐く。
しかし、だ。
今彼女が口にした言葉。
それはあの時結局流れていた謎だったが、
「ここで研究された技術が地上へ持ち出されたのなら、改良されるのも当然の話……かな」
そう結論づける。
付け加えて、
「『獣人』の力をなくし、あるいは瞬間的に爆発させる。私たちも似たようなものを持ってるわけだしねー」
『トランスキャンセラー』しかり、『解放』薬しかり。組織規模の開発と個人の開発を比べるのもどうかとは思うが、世の中そういうものだ。どこにでも飛び抜けた才能を持った者はいる。
「じゃあそのプロトタイプがこいつらには使われてるのかもな。……あの魔女らしいというか、なんというか」
まあ、それについては頷ける部分もあるのだけれど。
わかったところで、現状は変わらない。
「せめて、あの『トランスキャンセラー』があれば……」
彼の言葉が指すのは、ブリガンテのとっておきとして猛威を振るってくれた、音で場を制圧するというものだ。あの時は場所が学校、鳴らすのは放送室という本当に厄介なことをしてくれたものだけれど。
「残念ながら、あれは今シャロが持ってるんだよねー」
「そう。彼女は回収して、修理してもらってた」
「…………大局的に見れば話は変わるかもだけど、今に限って言えばマジかよって話だな、それ」
言いつつ、自身を囲んでいた『獣人』を全て吹き飛ばした奏太。
ここまで衝撃と爆風が飛んでくるあたり、本当に凄まじい戦闘力だ。
天井を見つめる。あと一撃でも入れば割れそうだが、その一撃を入れる余裕がないのか、先ほどから様子が変わっていない。
いや、自分たちと話しているせいか……と少し罪悪感を覚えつつ、
————ここだ。
「そーた! その人の動き、一瞬止めるから、全力上にで蹴飛ばして!」
芽空はここでようやく『カメレオン』を発動。
不可視の体で部屋から飛び出て、スタンガンを取り出す。
狙うは、高く跳躍して来たサイと思しき『獣人』。斜め下から、抉るように雷撃を放って、
ばち、ごっ。ずがががががが。
音が連続して状況に干渉する。雷撃に体が跳ね、続けて極致の蹴突が『獣人』を強襲。鈍い音を立てて体が浮き上がったかと思えば天井に衝突し、そのまま真っ直ぐに上へ、上へ。
最後にカッ、と軽快な音が戦場に走ったかと思えば、直後。奏太と芽空の狙い通り天井に穴が開き、本物の雷撃を思わせる光が地下に降り注いだ。
暗闇に目が慣れていたせいで、眩しい、というより痛い。浄化されるのではないかと錯覚するほどの、
「————芽空、危ない!!」
感動している間もなく体を引っぱられ、直後結果が訪れる。
貫通した穴の周りから降り注ぐ瓦礫は、一瞬前まで芽空のいた位置に破壊をもたらした。吹き出す冷や汗、一瞬で乾き切る口の中。
強く手を掴まれていたことに気がつき、
「……そーた、ありがとね」
「ありがとうの前に相談してくれよ。いきなり何を言われたかと思ったし」
「それもそっか。ごめんね、そーた」
「いや、いいけどさ」
忙しい戦場の中に訪れる、少しの平和。しかし状況は芽空たちを待ってくれることはないようで、
「——ジャック、芽空。二人は先に上へ。俺もすぐに追いつくから」
周りを見渡す。
今の一撃で上階への道のりはできたものの、依然として敵の数は多い。芽空だけならまだしも、ジャックが抜けた後の一瞬。たとえ一瞬でも、全ての攻撃が彼に集中するが、
「二人が上へ行ってくれれば、俺も本気が出せる。だから早く!」
頷く。振り返るよりも早く、ジャックが芽空の腰に手を触れたかと思えば、
「ひ、ゃああ————っ!?」
一切の声掛けなしに彼女は真上へ跳躍。抱えられた芽空からすれば、突然景色が変わってパニックどころではない。タチの悪い絶叫マシンである。
いやはや、前々から思っていたけれど、ジャックは言葉足らずな部分が目立つ気がする。よし、地上へ戻ったらまずはそのことを話そう——などと考えていると、ジャックは上階に着地。そのまま芽空を下ろした。
あとに残るは奏太、彼一人だけ。
芽空は穴に向けて、
「そーた! こっちはもう大丈夫! だから早く!」
群がる『獣人』を目にも留まらぬ速度で片していく奏太。彼の瞳が一瞬こちらを見上げて、
何かを呟いた。
「————え」
確かめようとするも、それは叶わない。
空間が割れたと錯覚するほどの音が鳴ったかと思えば、穴の下で爆風が発生。
彼の姿が見えなくなり、けれどわかる。地下二階と地下一階とを隔てる床が崩れたのだ。
そもそもがあれだけの戦闘、意図したものでなくとも限界はいずれ訪れる。
『獣人』も、地下も、全てが沈んでいく。衝撃が足元まで伝わってきて、芽空自身も危ないというのに、目を離せないでいた。
ぺたんと座り込み、震えることしかできない自分。ジャックが体を剥がそうとも、体は鉛のように重くて動かなくて、
「そーた————!!」
穴の中に消えた彼に、芽空はただ叫ぶことしかできなかった。