第四章9 『空に奏でる誓い』
揺れる碧瞳に向けて、奏太は言う。
「俺は一人じゃ危なっかしい道にばっかり進んでる。その度に間違えて、怒られて、心配かけて……」
本当に、愚直もいいところだ。
後輩たちのためにと格好をつけようとしたって、一人じゃどうにもならない。梨佳や蓮のように上手くできない。できなかった。いつだって不器用で、不恰好で、そして何より——、
「俺は……芽空を泣かせた。だから、ごめん」
そこまで言って、頭を下げる。
彼女に対してはいつも謝罪ばかりしているような気がするが、それはほとんど元を辿れば奏太のせいだ。
いい加減、呆れられてもおかしくないというのに。
けれど、あるいはだからこそ。
奏太は言う。
「お願いがあるんだ」
「……お願い?」
「俺は馬鹿だ。一人じゃ失敗だらけで、多分きっと、また心配をかけると思う。だから————」
我ながら、どの口が言うかとつっこみたくなる。最低だと、吐き気がするほど自分の行いを恥じている。
けれどもし、彼女がこの手をまた取ってくれるのなら。
「——俺が間違えないよう、今度こそ一緒に、歩いてほしい」
一筋、風が二人の間を駆け抜けた。
すっかり秋らしくなった冷たさが肌を撫で、徐々に体から熱を奪っていく。
はっとなった芽空が、「あ、そういう意味なんだ」と胸をなでおろしているが、どういう意味だろうか。問う間もなく、彼女はくすりと笑いを漏らして、
「そーたって、謝ればなんでも許してもらえると思ってない?」
「う……」
確かに、そんな芽空の優しさに甘えている部分がある。無意識のうちに、許してもらえることに慣れつつあったのかもしれない。だとしたら、もう最悪だ。
「それに、確かに私はみんなより弱いけど、守られるだけじゃないんだよ? いざって時は、ちゃんと戦えるし、心配もお互い様」
でも、と出そうになる口を手で抑えられる。
彼女はそのまま、すぅっと息を吸ってから、
「——私はそーたの隣にいる。そう決めた時にはもう、覚悟はできてるよ。一緒に飛び込むことも、足を引っ張り合うことも。……だからね、迷わず私を頼って。私も同じだけそーたを頼るから」
「…………!」
ぐす、と鼻をすすりながら笑んでみせる芽空。
その言動に普段の柔らかさが戻ってきた彼女を、奏太は言葉を発せないまま見つめる。
不思議な感覚。胸中は罪悪感など諸々の感情でざわついているのに、奥底は穏やかで。
————しかし。それも永遠に続くものではない。急加速の変化とともに、終わりがきた。
緊張が解けて、体がおかしくなったのかもしれない。ふいに芽空の膝が崩れたかと思えば、こちらに倒れてきて、
「…………あ」
とん、と咄嗟に抱き留める形になる。
顔がぶつかりそうなくらい近く、吐息が肌に当たる位置。あちらこちらが彼女の体に触れているため、直接その柔らかさと温もりが伝わってくる。
そんな体勢だからか、いつもと違う、甘く痺れるような感覚が脳の中を満たし——いやいやいや。このままではまずい。何がと言われてもわからないが、とにかく。
「そーた、耳真っ赤だけど」
「……年頃だったら誰だってこうなるんだよ」
「そうなんだ。……離さないの?」
「いや、えっと……」
蓮以外の少女に、恋愛感情を抱くことはない。
と、少なくとも奏太は普段思っている。
だから、そう。今のこの心臓の高鳴りは、沸騰しそうなくらい熱を持った感情は、人肌が恋しかったところを満たされたとか、そういうのなのだろう。
…………いや。
そんな言い訳はするだけ無駄だと抵抗を止める。それから彼女の細身を、抱きしめる。
理由はただ、なんとなく。こうしたいと思っている自分がいるから。
「ありがとう、芽空」
温かくて、胸の奥が何か心地よいもので満たされている。それはきっと、彼女だからなのだ。古里芽空だから、奏太はこうして。
「…………うん。どういたしまして、だよー。そーた」
芽空の表情は見れないまま、けれど抱きしめる腕の力を少しだけ強める。
離したくない、と。
奏太は強く思う。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「あー……その、えっと」
「そーた、さっきから同じことばっかり言ってるけどー」
いやいやあんなことをした後なのだから、仕方ないだろうと心の中でつっこむ。
廃工場を後にして、ヨーハン邸へ戻る奏太たち。その距離感は、なんともぎこちないものだった。
理由は二人、というより奏太が主原因だ。
頭がほとんど真っ白な状態だったとはいえ、年頃の女の子を抱きしめるなんてそう何度もあることではない。秋吉は例外としても、少なくとも奏太はそうであって慣れていないし、思い出すだけでも顔が熱くなってくる。
だからつい意識してしまって、どきまぎする。
ちら、と視線を横に。
「そーた、大丈夫?」
目が合い、弾かれるように視線をそらす。
「……きっと大丈夫だろうと思う」
「……なんで他人事?」
これだけ奏太は動揺しているというのに、芽空の落ち着きっぷりと言ったら。もはや自分が恥ずかしくなってくるくらいである。
いや、慣れきってしまうのもどうかと思うし、芽空も慣れているというよりはそういった感情を自覚していないという節があるが。
……まあ、いつまでも気にしていても仕方ない。あまり引っ張ると本格的に芽空が心配し始めるので、切り替える。……切り替えたつもりで、話題を投げかける。
「物は相談なんだけどさ、芽空」
「うん。なんでも相談して」
「いや、なんでもはしないけども。——さっきの話、どこから聞いてた?」
さっき、というのはソウゴと奏太の質疑応答のことだ。
芽空は「うーん」と頭をひねって、
「箱庭計画のあたりかなー。廃工場に着いたのがそのくらいだから」
「そっか……なら」
奏太は声を潜めて、
「——多分、ソウゴさんは改変者だ」
「えっそれ、んぐ」
驚きの声を出しそうになった芽空に、ジェスチャーで「静かに」と示す。
自身の手で口元を抑えた芽空はこくこくと頷きつつ、
「…………私が来る前に、何かあったの?」
囁き声で問いかけてくる。
奏太は頷いて、そもそもどうしてあんな戦闘が始まったのか、一から説明して————。
「まとめると、だ。意味深な発言。蓮と改変者について色々と知っている様子。元の戦闘力は抜きにしても、咆哮みたいな攻撃。極め付けは」
「そーたの死と改変者には繋がりがある、って知ってたこと、かー…………」
それが彼を元に発信された情報なのか、あるいは彼が誰かから聞いたものなのかはわからない。
だが、これだけの条件が揃えば、ソウゴが改変者だと考えた方が自然で、その方が納得のいくことが多くある。
さらにそこから繋げて、
「俺たちを狙ってる敵は、ソウゴさんとは別の勢力、あるいは他の改変者じゃないかって思うんだ。……どう思う?」
「うーん……」
芽空は難しい顔をしながら、口を開く。
「ソウゴが改変者かもしれない、っていうのは確かにそうだね。ただ情報を知ってるだけなら、よっぽどのことがない限りはそーたに話せるわけだし」
「それに」と次いで、
「改変者は共通の目的がある、というよりは共通の『未知の力』を持っている、って感じだしねー。蓮しかり、受けた側ならオダマキ君の状態しかり」
その他には、奏太たちの喪失もその可能性として挙げられているわけだが、にとまずそれは脇に追いやる。
蓮には『嘘を見極める力』があり、オダマキの今の状態は、『心身が一つの状態のまま固定されている』といった様子。前者はともかく、後者は『施錠』と仮称するとしても、
「ソウゴさんの攻撃は『施錠』と似てるけど——恐らく別物だろうな」
「というと……ひょっとして、あの時の?」
「ああ。あの時だ」
かれこれ数ヶ月前のこと。
ハクアとの一戦を終え、集まろうとしていたラインヴァントの面々は、予期せぬタイミングで攻撃を受けた。
その際、攻撃を放ったのは藤咲華とソウゴ、彼女らで間違いはないのだが————受けた攻撃の種類が違ったことは既に確認済みだ。
「あの時は梨佳や希美がくらったわけだけど、感覚的には脳震盪に近いって言ってたな。頭の中が揺れたり、吐き気がしたりとかで」
「オダマキ君と違って二人の意識は戻ってるけど、実はその辺りが調整可能な力っていう可能性は?」
「調整できてもそれはそれだ。それに、オダマキがアジトに入る頃には、ソウゴさんは学校にいたわけだし、アリバイもある」
「やっぱりそうなるよねー。となるとそーたの言う通り、それぞれ別の勢力の説が濃厚になるのかな」
彼女の頷きを見て、奏太は思わずガッツポーズを取る。
なにせ、つい最近までは『未知の力』を持つ集団、あるいは組織程度しか改変者についてわからなかったのだ。
全貌についてわかったわけではなくと、、それでも大きな前進に違いはない。
それに、ソウゴが敵に回らず、かつ改変者にも様々な勢力があるとわかっただけで十分。
……まあ、そもそも蓮もその証明になっているといえば、そうなのだが。
「しかし、ソウゴさんが改変者だったとして、華はどうなんだろうな」
「今までのことを考えれば怪しいところばっかりだけど……そーたの敵になるかどうか、っていう話?」
「まあ、それもあるんだけど、なんていうか……」
上手く言葉にできないモヤモヤが胸の内にある、というべきか。
藤咲華はソウゴと似たような能力で、奏太の感覚だと、重力で押しつぶされるような勢いで気絶させられるというか、本来感じないものを感じさせられるというか、妙な気持ち悪さを感じる能力。
人の命を奪うには達しずとも、それが厄介なことに変わりはない。変わりないのだが、
「…………なんだろうな、これ」
何か根本から間違えているような感覚。じゃあ何をと言われれば、すぐに思いつくようなものでもないため、結局言葉にはできないのだが。
ひょっとすると、ソウゴが言った意味深な言葉のせいかもしれない。そのせいで妙に考えすぎているのだと、そう思うことにして次の話題へ。
「『施設』についてはどう判断するべきなんだろうな」
「封鎖してるってはっきり言ってるし、それが事実なら、入る術がかなり限られてくるけど……」
芽空がちら、とこちらに確認の視線を向ける。
「わかってる。それしかないならやるしかないよな。一応ヨーハンにも確かめて、問題ないとわかったし。……でも」
「でも?」
「これって不法侵入とかにならないのか? それであいつに咎められたら否定できないんだけど」
「その時の理由はちゃんと用意してあるから大丈夫だよ、そーた」
本当に大丈夫なのだろうか。
まあ、芽空なら冗談ではなく、ちゃんと奏太のことを考えていてくれているだろう。そう信じておく。
「……後は予定日までに諸々の準備と、必要な戦力を集めることくらいか」
これは本来、シャルロッテたちと話し合うべきこと。戦力バランスやそれぞれの事情を考えても、慎重に考えなければいけない。
しかし、奏太が芽空に相談したいのは、今までその考えの外にいた人物のこと。というより、故意的に弾いていたというべきか。それはつまり、
「…………希美のこと、かー」
「ああ。関わらせまい、って思ってたけど、正直これ以上は難しいと思う」
蓮の妹である、美水希美。
奏太はこの一ヶ月、改変者の姉を持っていた彼女について、ずっと考えていた。
たとえば、奏太たちはほとんど誰かから聞いた情報を元に改変者を追っているわけだが、もしかすると奏太たちの知らない何かを、彼女は直接姉から聞いているのではないか。
たとえば、過去に姉を通して改変者と関わっていたか、あるいは彼女自身もそうなのではないか、と。
しかし、そんな疑いから彼女を避けていたわけではなく、それはあくまで理由の半分。もう半分は、疑いがただの疑いだった時の心配だ。
——希美が改変者と繋がっているのなら、自分たちが危なくなる。それからあるいは、希美がそうでなかったのなら、話を切り出すことで危険に巻き込んでしまうことになるのでは、と。
……わかっている。
改変者について今日まで進展がなかったのも、そうやって奏太がリスクを恐れ、希美に直接問わなかったせいだ。
そして、いつまでもこのままではいられないのだと、気付かされた。
いつまでも、あの発言を意識していないフリを続けることはできないのだと。
ならば、奏太が今一番にするべきことは。
「……思えば、最初から教えてもらってたんだよな」
首元のネックレスと、右耳のピアス。それぞれに意識を向け、奏太は深く息を吐く。
今、頼れる人物は多くいる。
けれど、今まで信頼を向けてきた者の中には、罪悪感を覚えながらも疑念を向けざるを得ない相手がいて、胸を痛ませて。
幸せにできた者たちを失うのが怖くて、誰かが傷つけられるのも自分が傷つくのも嫌で、逃げていた。
遠くばかりを気にして、目の前のことから。
目を一度ぎゅっと閉じ、次いで芽空を見つめる。
「芽空。——危険な道、一緒に走ってくれるか?」
「うん、そーたとならどこまでも」
誰かにぶつかる勇気。
誰かを頼って、巻き込んで。そうすることで前に進む。いつだって、そうしてきた。立場や環境が変わっても、奏太の根っこは変わらない。
そして、だから今、やるべきことは一つ。
「————希美に会いに行こう。あいつが改変者なのかどうか、確かめに」
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
それから約数時間。
アヤメの稽古を見たり、他の非戦闘員の少年少女たちと話したり、まったりとティータイムを楽しんだり。葵たちとも今度会おうと約束をし……と、予定していたあれこれを消化していくうちに、その時間はやってきた。
何から何まで慌ただしい一日だったが、締めとするにはこの場所がふさわしいだろう、ということで、奏太と芽空は中枢区へ。
今日は既に一度往復している気がするが、ともあれ雑居ビル群の一角に入り、階段を登った先に出る場所。秘密基地だ。
ぎぎぎ、と扉を開けると、既に待ち合わせの人物はそこにおり、
「ごめん、急な呼び出しになって。時間とか大丈夫か?」
「私は、大丈夫。むしろ、奏太さんの方が、忙しいみたいだけど」
奏太が軽く手を上げて挨拶をすると、彼女は小さくお辞儀。星空でも見ていたのか、ややぐったりとした体制で。
芽空とともに彼女の元へ向かいつつ、
「色々やることはあるけど、少なくとも今は大丈夫だ」
「それなら私も、同じ」
「なら良かった」と相槌を打ち、二人はソファに座る。
夜風に当たりっぱなしなせいか、少し冷たくなっている。彼女がいつから待っていてくれたのかはわからないが、風邪を引かれると困るので、上着を手渡しつつ。
「希美、生活の方はどう?」
「料理以外は、大丈夫。元々、一人で、暮らしてた期間も、あったから」
「学生寮なんだから、食事までサポートしてくれればいいのにな。自立精神を鍛える云々はともかくとしても」
以前、葵に聞いたことがある。
希美が作った食事はとんでもないことになる、とかなんとか。そのとんでもないが実際どうとんでもないのか、結局奏太は確かめずじまいだったのだが、まあそのままとんでもないのだろう。
それを食べて生活している、とは考えたくないが、せめてまともな食事はとってもらいたい。そう、手作りで栄養のある、温かな食事を……、
「俺は母親か」
途中で、自分の思考に自分でつっこむ。いや、少なくとも記憶を失っている奏太の中に、これだという母親像はないのだが。
まあ、ジャックしかり希美しかり、先導したらついてきてくれるイメージが奏太の中にはあるので、そのせいだろうが。
とまあ、一人でもやもやしていても仕方がないので、改めて。
「本当に良かったのか? ——俺たちと離れて、寮暮らしに戻ってさ。食事のことはともかくとしても……」
寂しくはないか、と続けようとする。
しかし希美は首を振って、
「必要なことだった、と思う。いずれは、そういう時が、来てたし」
「よくある、大人になったら別々の道を行くことになる、っていうやつだねー。希美はまだ早いような気もするけど」
確かに、ずいぶんと達観した意見。しかし芽空が補足したそれだけではないらしい。「それに」と次いで、
「梨佳さんや、姉さんのように。私も、私の道を行かなきゃ、って思うから」
「希美……」
「奏太さんが、言ってくれた幸せも、そこなら、見つかると思う。だから、私にとっては、必要なこと」
わずかに表情を崩し、笑みを見せる希美。彼女のそんな様子に、奏太はほっ、と息を吐く。
悩み多き年頃だ、奏太のようにとは言わないまでも、変な方向に迷走してはいないだろうか……という心配があったのだが、どうやら杞憂だったらしい。
それにソウゴも言っていた。幸せは人それぞれ、と。
奏太が皆といることで幸せを感じているように、彼女には彼女の、希望を持てる何かがあるのだろう。今か、あるいは未来に。
それなら良いのだ。なおいっそう、奏太たちが目的を叶える理由になる。
そうして、芽空に目配せ。本題に入ることにする。
「——希美。今日来て欲しい、って言った理由なんだけど。聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「ああ。わからないならそれはそれで良いんだけど」
芽空と事前に話し合ったこと。
それをよく思い出し、言葉を選んで、
「————『嘘を見抜く能力』について、教えて欲しい」
一瞬の驚き。
それから、希美の燃えるような朱眼が、ゆっくりと細められた。




