第四章8 『終わりへ向かう始まりの声』
奏太とソウゴは、どちらも戦闘の跡が見て取れる程度には、見た目が変わっていた。
土埃もそうだし、地面に手をついたり、壁を砕いたり、靴裏を受け止めたり。汚れていない、という方がむしろ不自然なくらいの規模だったのだ。無理もない。
それなのに違和感があるとすれば、互いの体に目立った重傷がないということ。
どちらもすんでのところで回避、あるいは受け流し、弾いていたためだ。流れた血も、奏太がいくつかの箇所と、ソウゴは右腕のみ。
実力はほぼ互角であったため、結果的に本人たちの被害は随分と平和で、しかし周りの地形的な被害はとんでもないことになっているという、まさしく台風が通り過ぎた後のような、激しい戦闘だった。
だからこそ、思う。
「もしあんたが改変者なら、俺を狙ってるんじゃないのか?」
——今この時は、そんな慌ただしかった戦闘のことを忘れさせるほど、静かな緊張の中にあるのだと。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「改変者、か……」
ソウゴは長い沈黙ののち、己の煉瓦色の髪をかきあげつつ、こちらを見る。
「詮索はしない、と言ったが、これだけは触れておく。貴様がそれを聞いたのは、彼女からか?」
どき、と心臓が跳ねる。
「彼女」と口にした上、さらにあえてこの話題には触れてきた理由。もしや、
「直接拳を交わしたことはないが、過去に何度か遭遇したことがある。それからそもそも彼女——『青薔薇の姫』が改変者だということも、我は知っている」
「……!」
ここまでの会話で、匂わせる発言はあった。が、ようやくここで、彼にとって改変者が既知の情報であるのだとわかり、奏太は警戒心を強める。
「身構える必要はない。信じるかどうかは貴様次第だが——今後我が貴様と戦うことは、絶対にない。幹部としても、個人としても、な」
「……理由は?」
「襲う理由がないからだ。むしろその逆、我は貴様を生かしたいとさえ思っている」
…………信用して、良いものなのだろうか。
二つ返事で信じると言って、騙し討ちをくらったら。
その不安という名の仮定は、被害が奏太だけじゃなく、他の者たちにも及んでしまう可能性を危惧している。むろん、奏太もただでやられる気はないが、「もしも」は一度考えたらどんどんと膨れ上がっていく。
だがしかし、不安と同時にソウゴを信じたいと思っている部分がある。
彼の言葉には奏太と同じ、強い志のようなものがある。譲れない信念があって、彼はそのために動いているのだと。
ならば————。
「ひとまずは、信じてみることにする。というか、疑いだしたらこの質疑応答自体怪しくなってくるわけだし」
「……そうか」
そもそも、先ほどの戦闘中に奏太は彼を信じ切って、勝敗が決まったのだ。今更どうこう言ったところで、結果は事実を示してくる。
彼は、奏太を殺せるタイミングで殺さなかったのだから。
「…………質問は終わりか?」
「え、あ、いやまだまだ。確認しなきゃいけないことがたくさんあるんだよ」
撤収しようとしていたので、慌てて引き止めつつ、小声で、
「……全部、他言無用で頼むぜ、ソウゴさん」
「貴様は随分極端な性格をしているな。……まあいい。最初も言ったが、我は特に詮索しない。誰かに話すつもりも一切ない。ゆえに貴様が不利になるようなことはあり得ないと言っていい」
しつこいようだが、万が一誰かに知られると色々と面倒なのだ。彼が話すとは思えないが、主に、藤咲華とか。
ともあれ、あんまり長引かせるのもどうかと思うので、すらすら質問をしていくことにする。
頭の中の疑問を整理しつつ、
「アイに聞いた話だ。過去にHMAと『施設』が繋がってた、って。それは本当か?」
「……ふむ。そうだな」
「もしソウゴさんが事情を知ってるなら、話を聞けないか?」
「…………」
ソウゴは無言で首を振る。
最初に言っていた、答えられない質問、ということだろう。彼が『施設』について知っている以上、そう考えるのが妥当だ。
そうなると、奏太が知りたい情報の半分以上は無理ということになるが……いや。
「箱庭計画ってソウゴさんは知ってるか? 学生区の地下に小都市を作ろう、みたいな計画なんだけど」
「…………ああ、知っている。我が、というよりはHMA幹部や、先代のヴィオルクのような限られた立場の者だけが、だがな」
ヴィオルク。確か、ルクセン家当主が名乗る名だったか。先代、となると、ヨーハンや芽空の父ということになるが、彼らが計画について知っていたのはそういうことか。
「なら、その跡地が封鎖されてるっていうのは、今も?」
「そうだな。危険性を配慮し、入り口は地下も地上も——」
言葉が止まる。
彼は一瞬視線を横に向け、
「どうした?」
「……いや、なんでもない。…………そうか、彼女が」
小さく何かをつぶやいたようだが、よく聞こえなかった。何か、思うことでもあったのだろうか。
「話を戻すが、かの地は地下も地上も封鎖されている。現在はHMAも立ち寄っていない。これで良いか?」
頷く。念のための確認だったとはいえ、まさかHMAの保証までしてくれるとは。もはやあまりにも上手くいき過ぎて、むしろ怖くなってくるくらいだ。それからあとは、
「……あ、そうだ。HMAって異端者監視組織、の略なんだっけ」
思い出したことを、ポツリ。
「それがどうした?」
罪人を取り締まる役割もあるので、犯罪者はもちろん、メモカの使用者、つい一ヶ月前までは『獣人』といった、平和な社会を形成する上で異端となる者たちを監視、粛清している。となれば、
「確か、アンドロイドって言ったかな。人工的に作られた、とか、改造された人間って存在するのか?」
「————」
そう言った、珍しい案件も取り扱っているのではないだろうか、と。
正直、たまたま思い出した程度の質問。芽空たちがそうそうない、と言っていたため、無意識のうちに可能性は低いと考えていたのだが……妙な反応だ。すらすらと答えていた、今までの彼らしくない。
————だから、だろうか。
先ほどは無理かと諦めた情報に、淡い火が灯る。
「……我は知っている。先天的に超常的な力を得るよう、仕組まれた者たちを。後天的に理を覆す力を得た、至りし者たちを」
「…………え?」
「それらは世界に干渉する。自分の意思か、あるいは他者の筋書きに沿ってか。片方か、あるいは交わるか。現とする形は様々だがな」
さっぱり意味がわからない。
回答を濁している、というわけではないのだろうが、あまりにも抽象的というか、ああこれかと納得するには何かが足りないような。
「教えては、くれないんだよな」
「すまないが、そういうことになる」
……まあ、それでも重要な情報なことに変わりはない。今はわからないとしても、謎を解いていくうちにいずれは分かるはずだ。そう結論づけて、思う。そして恐らく、それは事実だ。
彼が奏太に会いに来て、こうして話をしてくれること。意味があるとするのなら、彼は。
「最後の質問。いいか?」
「答えられるものには答える。そう言ったはずだ」
「なら————」
一度生唾を飲み込んで、
「ソウゴさん。あんたの目的……いや。信念は、どこにある?」
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
奏太は思う。
今、自分たちを取り巻く問題は、ラインヴァント以外の全てを疑い直さなければいけないほどには、厄介な問題である。
謎は多い。山ほど仮定と仮説が浮かんでも、元々の情報量は少ない。ゆえに慎重に吟味していかなければいけないし、どれか一つと決めてしまえば他の景色は霞んでしまう。特に、奏太にとっては。
だからこそ確かなものを求めている。焦っているのだ。
そういう意味では、彼の意思を確認することで気を鎮め、落ち着こうとしたのかもしれない。只ならぬ力を持っている彼は、以前は奏太と違う道を行っていたが、今は同じ場所を向いているのだと。
だが、それ以上に————今の自分に何ができるのか、知りたかったのだと思う。
そうしたら、奏太はきっと、
「……貴様は、この世界の終わりについて、どう見ている?」
「終わり……? 死んだら現世から旅立つとか、そういう?」
「そうではない」
彼は首を振り、
「世界は過去に何度も終わりかけている。貴様の言った個人のものではなく、世界規模の問題だな。その終わりの数々は、時代そのものを変化させてきた」
「『獣人』もその一つ、なのか?」
「そうだな。地上が海水の上昇により、海に沈むというのもその一つ。だが——」
「藤咲華とHMAはそれを防いできた、か」
奏太が言葉を継ぎ、ソウゴは頷く。
『獣人』側からすればたまったものではないのだが、実際それによって人々は救われている。全てが終わりを迎えてしまう前に。
「視野の広さの違い、か…………」
そう言えば、前に聞いたことがある。
奏太たち『獣人』は上が十八歳、下が十歳前後と、ほとんどが十代の少年少女なのだが、それ以下の子どもたちは『獣人』にならないよう操作された者たちばかりなのだと。
……と、言っても投薬とか怪しい手術とかではなく、デバイスを利用したものらしく。
親の体内に、『獣人』の力を無効化する仮想ファイルをインストールさせることで、そこから生まれる子どもたちの、『獣人』としての覚醒を防ぐといった感じで。
度重なる研究で『トランスキャンセラー』等々を開発した組織だ。あり得なくもない話である。
そう考えると、デバイスしかり『ノア計画』しかり、最初から藤咲華たちは世界の終わりとやらを防ぐために動いていた、ということになる。それを肯定するように、ソウゴは言う。
「我はこの世界を終わらせないために動いている。だからこれまでは『獣人』と戦い、もう貴様とは戦わない」
さらに視線を鋭くして、
「戦うべき相手は他にある。其奴を見つけ出し、討ち亡ぼすことこそが我の信念を貫くことにもなるのだから」
「ソウゴさん……」
「貴様はどうだ? 今も変わらぬ信念を持っているのか?」
奏太は改めて、考えてみる。
様々な出会いがあって、多くの考えを聞いた。知った。
その果てに、奏太は何を得た? 何を失った?
そんな世界で、それでも今も、彼女との約束は変わっていないのだろうか——と。
どれくらいの時間が経ったかはわからない。
何分、何十分、ひょっとすると何時間。
長い思考の果てに、奏太は。
「——俺は、みんなのこれからを守りたい。先の見えない暗闇になんて、向かわせたくない。終わらせたくない、ってそう思う」
一度は、たどり着けた場所。
けれど失った過去が後ろにはあって。その時間は、決して戻らない。
だからこそ、
「今も変わらないよ。俺は俺が幸せにしたいって思う、すべての人を幸せにする。何があっても、どんなことをしてでも」
「…………ふむ。そうか。ならば我と貴様は戦わずに済む、ということになるな?」
「そうだな。そっちの方が、助かる。さすがに知ってる人……っていうか、信頼してる人と敵対するっていうのは避けたいところだしさ」
笑みを交わし、頷き合う。
そのまますっと手を差し出してくるソウゴ。彼は真剣な瞳でこちらを見つめて、
「……幸せのあり方は人それぞれだ。時にはぶつかり、すれ違うこともあるだろう。だが、忘れるな。誰かを幸せにするということは、本質的に他者に自分の価値観を押し付けるということ。ゆえに、貴様が思う幸せを貫け、ソウタ」
「————ああ、約束する」
奏太の手よりも、一回り以上は大きいだろうか。ソウゴと握手をし、誓う。
これまで通り、しかしこれからは新たな心持ちの中で駆けていくことを。
慌ただしい、この日々を。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
話も終えたところで、一度ヨーハン邸へ戻ってゆっくりしよう……と提案したところ、
「幹部の立場に戻り、やらなければならないことがあるのでな。それに貴様も、貴重な休日だろう。好きな者たちと過ごすと良い」
と言われ、彼を見送ることになった。まあ、そう言われたらどうしようもないので、奏太も止めなかったが。
さて、それならアヤメとの約束もあるし、早いとこ帰って着替えてそれから……と気分を入れ替えようとして。
「……芽空、何やってんの?」
「あ、そーた」
見覚えのある鶯色の髪を見つけ、目が合い。
二人の間に沈黙が流れる。
ここは廃工場である。
奏太とソウゴの戦闘によって、元々ボロボロだったものがさらにめちゃくちゃになった。とはいえ、広さでいえば、そこらの一軒家よりかははるかに大きく、隠れる場所も豊富である。
だからまあ、柱の陰からひょっこりと芽空が顔を覗かせていても、おかしくはない。問題はどうして彼女がここにいるのか、という点で。
「その、盗み聞きするつもりはなかったんだけど。入るタイミングを失っちゃったっていうか……」
出てきた芽空が両手を忙しく動かし、焦りながら否定。彼女がこんな反応を見せるなんて珍しい。
ではなく。
「大丈夫だ。俺は別に聞かれて困ることじゃなかったし……ソウゴさんは多分、気づいてたと思う」
「え?」
「気配感じ取れるらしくてさ、けどそれでも何も言わなかったってことは、芽空なら大丈夫だって判断したんじゃないか?」
「な、なるほど……」
はて、なんだか妙な受け答えだ。
いつもなら気配の部分に反応が入りそうなのだが。
「経験の差、なんだろうな。俺は芽空がいることに気づけなかったし」
「うん、そうだね……」
「それに、俺はそこそこ強くなったつもりなんだけど、ソウゴさんには敵わない部分が多かった。最後はともかく、誘われた攻撃が多かったし。やっぱりまだまだってことかな」
「うん、そうだね……」
あ、これは明らかにおかしい。
奏太はそう確信して、しかしどうしたものかと思う。
一体なにゆえ芽空がこんな状態になっているのか、奏太には見当がつかないのだ。
確かにもっと質問するべきことはあったかもしれないし、色々と危ないことを聞きすぎたかもしれない。だからこうしてまともに会話をしないことで、反省を促されているのかもしれない。
あるいは、重要な情報を引き出せたから、それをもとに彼女が深く考えごとをしているのか。それなら受け答えがはっきりしない理由になるが、表情を見るに何か違うような。
「なあ、芽空……」
どうしたんだ、と問おうとして。
言葉を発している最中に見たのは、何かを振り切るように首を振る芽空の姿。それから奏太が言葉を失うきっかけになったのも、普段は声を荒げることすら少ない彼女が、
「————どうして、一人で行ったの!!」
怒りを、感情を爆発させた姿。
泣き叫ぶような声が、奏太に刺さる。
「今が危険な状況だってそーたはわかってるのにっ! どうしてそーたはいつも一人でどこかへ行くの! みんなも、私も、心配するんだよ!?」
……彼女のはっきりとしたその物言いに、奏太は何も言い返せない。
もちろん、彼女が突然そんな言動をとったことに対する動揺とか、疑問とか、そういうのはあったけれど。
言い訳の言葉も出てこないくらい、頭が真っ白になるくらいには。彼女の叫弾に、取り返しのつかないことをしてしまったような深く重い衝撃を受けた。
彼女の手が鈍い音を立てて、奏太の胸を叩く。
痛い。決して力は強くないはずなのに、とても。
「そーたのことだから、ソウゴは大丈夫だって信じてたと思う。私もそーたなら大丈夫だって信じてる。でも、それだけでもやもやする心配は打ち消せないの!」
「……」
叩かれる胸が、痛い。
「見てないところで傷ついて、一人で悩んで、私に話してくれるようになったと思ったら、またどっか行って! そーたは全然成長してない……っ!」
掴まれた服から伝わってくる、大小様々な震え。鈍い痛みは止み、今度は刺すような後悔が奏太を襲う。
目の前の熱く、冷たい雫に奥歯を噛んで。どうしようもない、自分への怒りがこみ上げてくる。
「…………私は、もう。誰かに傷ついて欲しくないの。蓮も、梨佳も、オダマキ君も、フェルソナも、お兄様も。そーただって、その一人なんだよ……?」
もし歯車のどこかがずれていたら、今この瞬間、奏太の命はなかったのだろう。
ソウゴとの戦闘だってそうだ。彼が最初から奏太を殺しにかかっていたら。奏太の判断が間違いで、全てが罠だったら。
ここへ来るまでに彼女が何を思って、どれだけの心配をしたのか。過去に怒られたはずなのに。互いの痛みを知っていたはずなのに、奏太は。
「……やっと、こっち向いた」
——同じ痛みを抱えていた芽空は、そんな奏太をちゃんと見ていてくれたのに。
「ここ最近、そーたはずっと遠くの方を見てた。私を見てくれてるようで、見てなくて。それが何かはわからないけど、多分良くないものなんだって思ってた。……このままじゃ、そーたがどこかへ行っちゃうような」
否定は、しない。
涙を流す彼女にそれをしたら、奏太は二度と引き返せなくなるくらい、落ちて行ってしまうと思うから。
「私は。私は、それが怖くて……っ」
「————同じだよ」
「え?」
芽空の肩を掴んで、彼女の碧眼を見つめる。
決して、目を逸らさないように。
自分の本音から、彼女の心から。
「……ああ、そうだ。俺は怖かったんだ。改変者っていう敵や、もうすぐ俺が死ぬっていう未来が」
と言っても、奏太が恐れているのは、自分自身が失われる未来のことではない。
「どんなところにだって一緒に行ってくれる。そんな芽空を失うことが」
「……そーた」
奏太はなまじ力があるのと、やたらと突っ込みたがる性格ゆえに、事態の最前線に飛び込むことが多い。
今までは仲間の力でどうにかなってきたが、今度も同じように上手くいくとは限らない。
ましてや、隣にいてくれるこの少女を守れなかったらと思うと。
「でもそれとは別に、また一人で飛び出したのは、俺の見通しが甘かったせいだ。散々、色んな人に怒られてるのにな」
つまり結局のところ、芽空の言う通り、奏太は全然成長していない。
少しは人を疑うことを覚えても、結局危ない方向にしか進んでいないのだから。
「————だから」
奏太はゆっくりと瞳を閉じて、覚悟を決める。
選んだこの道を、恐れず進むことを。
「ずっと、俺と一緒にいてくれ。芽空」
「…………え?」
迷いなく言った言葉と、困惑する声。
他の誰もいない、二人だけの空間で。奏太と芽空の声だけが、どこまでも響く。




