第一章14 『花言葉』
狭い車内が軋む音と浮遊感を感じ、ゆっくりと上昇しているのが分かった。
「わぁ、綺麗だね」
向かいに座った蓮は、嬉々とした表情で窓の外を見つめている。
観覧車の窓の外から見えるのは今日訪れた場所の一つ一つ。公園、アウトレット、遊園地。離れた場所に喫茶店があり、そしてその外側には中枢区の街並みが見えた。
照らされる夕陽が反射して、思わず片目を瞑る。
早朝と比べて雲の量は次第に増していったものの、今現在、夕陽だけはその姿を隠さず、街を照らしてくれている。
あの雑居ビルの屋上——秘密基地もそうだが、夕焼けを高い場所から見る、それだけのことがひどく幻想的に見えるのは、隣に蓮がいるからなのだろうか。
「前の屋上も好きだけど、感動はこっちの方が上だな」
「向こうには向こうの良さがあるけど、ここから見る景色はロマンチックで……私は好きだな」
消え入るような声で言う蓮は、どこか儚げで——まるでどこかへ行ってしまうかのような、そんな錯覚を受ける。
彼女は案外、ロマンチストなのかもしれない。
この状況にのめり込んで、しばらくしたら消え去ってしまう夕陽に想いを馳せて。
永遠ではないこの瞬間を、大事に思っているのだろう。
————そうだ。
観覧車もゆっくりと進むが、それは永遠では無いのだ。
いつかは終わりが来てしまう。最上へたどり着けば、あとは下っていく。
仮にそれが人生においても同じことを言えるのだとしたら、きっと今が奏太の最上だ。
それならばきっと、今が言うべき時なのだ。
「——じゃあさ、もっと浸ろう。華やかに飾ろう。夢のような時間を、彩り鮮やかにしよう」
後で思い返せば、ベッドに転がりまわって大声で叫び倒したくなるような言葉を口にしつつも、奏太は動じない。
購入した衣類などをロッカーに預け、軽くなったリュックから、小袋を取り出す。
「————」
突然の事で呆気にとられているのか、蓮はぽかんと口を開いてこちらを見つめていた。
本当に、無防備な表情だ。
奏太の方が寄りかかる方が多いけれど、彼女にも隙はあるのだ。決して折れない鋼の精神を持っているわけではない。
だからこそ、蓮の前ではその隙を埋めるくらいの男でありたいと、そう思う。
「これ、蓮に。女の子にプレゼント贈るのなんて初めてだから、センス無いかもしれないけど、でも」
まだまだ不恰好かも、しれないけれど。
「受け取って、これを付けて、これからも一緒に、花のように笑って欲しい。そしたら、もっともっと輝いて見えるから。俺は蓮が、大好きだから」
目を見開いた蓮は、驚きからか、言葉が出ないようだった。
数秒の沈黙と僅かな躊躇いの後、夕陽に負けず劣らず朱に顔を染め、彼女は微笑んだ。
「なんだか、プロポーズみたいだね」
小袋を受け取り、ふふっと笑う彼女を見て、遅れてきた照れと合わせて顔が熱くなるのを感じた。
勢い半分とはいえ、ややくさいセリフを言ってしまったのものである。
とはいえ後悔はなく、蓮もきっと、満更でもなくて。
「じゃあ私からは、これを奏太君に」
蓮は窓際に置いていたバッグを手元に寄せて、ごそごそと中身を探り、奏太と同じ店の小袋を取り出すと、
「はい、奏太君」
手渡された。渡された手で触れた瞬間、中身がどのようなものかがある程度情報として伝わって来て、思わず予想をしてしまいそうになる。
これはまずいとぶんぶんと頭を振ることで、何とか、単語化する寸前で堪える。
「…………開けようか」
「うん、私実はさっきから気になってて……」
「ごめん、俺も」
顔を合わせて笑いつつ、事前に練習したかのように同時に二人は包みを開ける。
そして、涼やかな音ともに奏太の手元に落ちたのは、
「——ネックレスだ」
二人の声が偶然にも重なり、購入した物の形式まで似ているのは、一体どういうことだろう。
蓮に渡したものは無数の白い花びらの中心にピンクと緑が混ざったもの。対して、蓮にもらったのは薄青の花びらに、黄色の柱頭のものだ。
つまり二人揃って、互いに花のネックレスを購入し、贈ったのである。
「すごい偶然だな……でも」
男がつけるにはやや女々しいかもしれないネックレス。けれどもそれは、彼女から手渡されたと意識した瞬間、途端に愛らしいものへと変わった。
無意識にお揃いのものを購入していたのだというのなら、それを運命と言わずして何と言おう。
既にタグの取られていたネックレスの留め具を外し、銀鎖を首に通してつける。
「ありがとう、蓮。本当、嬉しくて胸が……蓮?」
視線を向けた先、蓮は目をキラキラとさせ、夢中で奏太の渡したネックレスを眺めていた。
まるで無邪気な子どものようなその顔は、嬉しい以外の何を表すというのか。
ひとまずは喜んでもらえたようだ、と安堵の息を吐く。
それから再度名前を呼ぶと、蓮はハッとなって慌てて言葉を返す。
「ご、ごめん。嬉しくて、ね。……あ、そろそろ地上だ…………」
彼女の視線を追って窓の外を見ると、いつの間にやら地上がすぐそこまで迫ってきている。
蓮の瞳に憂いが灯り、もっと話したかったと言うかのように、こちらに視線を向けた。
対して、奏太はふっと笑みを浮かべて蓮を見ると、
「——蓮。手、繋ごう」
「え?」
「手を繋いで、もっと話そう。隣で笑って、これからもたくさん話すんだ」
思えば、朝に比べれば大した進歩だ。
彼女がプレゼントの提案をしなければ、結局未だ勇気を出せないままでいたかもしれない。
ひょっとすると、焦ってミスでも犯していたかもしれない。
でも、今ここにあるのは、二人が互いのことを思った結果辿り着いた最上だ。
「……ダメ、かな?」
奏太は右手を彼女に差し出し、返事を求める。
わずかに沈黙があった。
しかし、そもそも今更確認するようなことでもなかったのだ。
昨日、ちょっとしたハプニングで中断されてしまっただけで、二人は望んでいたのだから。
「——繫ごっか、奏太君」
観覧車が地上に着くと同時、蓮は奏太の右手を握って繋ぐ。
その彼女の左手は、柔らかくて、ほんのりと温かくて。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「奏太君、この花の花言葉、知ってる?」
蓮は自身の首元のネックレスを指差す。
彼女は、いつものネックレスに重ねるように先程のプレゼントを身につけており、なんだか不思議な感覚がするのだが、それはさておき、
「花言葉はチューリップくらいしか知らないな。なんでまた?」
「えっと、ね。この花はね、シロツメクサ。花言葉は————約束。……どう?」
——約束。その言葉を内で反芻させて、ああ、と納得する。
「知らなかったけど、すごい偶然だな」
「偶然でも、嬉しい。贈ってもらえるのも、花言葉が私達にに合ってるっていうのも。だからね、さっきすごく喜んじゃったの」
そう言う蓮は照れるようにして顔を隠す。
確かに身につけたばかりの彼女の姿は、思い出すだけでむず痒くなってくるようなものだった。
頰をこの上なく緩ませて、その上で手を繋ぐことへの照れを含めて、顔を真っ赤に染めていたのだ。
隣にいる奏太はドキドキしていた、などと甘っちょろいものではなかったが、今にして思えばいい思い出かもしれない。
「あれ、じゃあこの水色の花は?」
指差すのは、蓮から贈られたネックレスだ。
薄青の花びらに、黄色の柱頭。どこかで見たような記憶があるが、思い出せない。
もっとも、花に関してそこまで詳しくない奏太からすれば、細かな違いは分からず、どこかで見たような気がするものばかりなのだが。
「あ、それはね……ううん、やっぱり内緒」
「なんでまた」
「私からの宿題。次会うときまでには調べておくこと!」
そう言い、彼女は人差し指を立てて笑った。
お預けをくらってモヤモヤとしないわけではなかったが、浅く息を吐いて切り替える。
何故ならそのお預けは、蓮に次に会う時の楽しみになるのだから。
「じゃあ、明後日までに調べておくよ」
「忘れたら私泣くと思う」
「絶対やってきます」
からかうような内容のその発言に、思わず冷や汗をかく。
彼女の場合、からかいではなく本気で泣いてしまいそうなのが怖いところだ。
「あ、奏太君。その……」
「ん?」
蓮はピタリと立ち止まって体をわずかによじらせる。
当然、手を繋いでいる奏太も止まり、その彼女の行動に思考を巡らせ——、
「……あ、ちょっとトイレ行っていいかな」
「ごめんね、奏太君。気遣わせて」
「言い出しにくいことだろうし、気付けなかった俺も俺だから。さ、行こ」
事前に秋吉に聞いたアドバイスの一つだ。女の子がトイレに行きたい時は大概口に出さないから、適度に自分が行きたいと言うように、と。
午前中には出来ていたそれは、いつの間にか浮かれとともに消え去ってしまったらしい。
「じゃあ、先に外で待ってるから」
近くにあった洗面所の前で蓮と別れ、奏太は用を足す。
手を洗うついでに鏡を見て、やや乱れた髪の毛を整えて外に出ると、当然といえば当然だが、蓮はまだ出てきていなかった。
「曇ってるな……」
ぼんやりと空を見上げると、先ほどまで見られた夕陽が雲に隠れて姿をくらませており、どんよりとした空になっていた。
「雨、降らなきゃいいけどな」
もっとも、事前に立てていた計画はここまでで、後は帰るだけだ。
時刻は十七時を半分過ぎたところで、空はまだ明るい、が、タイミングとしては妥当なところだろう。
ましてや、二人は初めてのデートなのだから。
「————」
奏太は目を閉じて、今日一日のことを思い返す。
思えば、なかなかに忙しい一日だった。朝から彼女の私服にどぎまぎして、喫茶店で落ち着いて。
それから遊園地へ行き、ジェットコースターに何度叫び声を上げたことか。
昼には彼女の手作りという夢のような食事の時間を過ごし、
「あ、そうだ」
忘れていたことを思い出し、回想を途中で中断する。
観覧車に乗る前にロッカーへ預けていた購入物だ。
蓮と合流次第、取りに行かなければならない。半年ほど残ってはいるそうだが、さすがに放置して買える程多いわけではないので、取りに行く以外の選択肢はない。
それに彼女と購入した服などもあり——、
「————もし」
思考が中断された。
今度は奏太自身によるものではない。声だ。
意識外から聞こえた声が奏太の思考に割り込み、中断せしめたのである。
「え、っと…………」
声の主は目の前に居た。
黒髪の女性だ。歳は二十代そこそこだろうか。
艶やかな黒髪を撫でつけ、燃えるように紅い大きな瞳でこちらを見やる彼女は、いわゆる美人という部類に入るであろう。
そんな人が、一体何の用があるのだろうかと首を傾げると、
「動物園、行きたくないかしら?」
その女性は、艶やかに微笑んだ。