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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
129/201

第三章65 『ジョーカー』



 赤い甲殻を纏った『カニ』のハサミ。それが芽空に迫り、紙切れを切るようにすんなりと、熟れた果実のような音を立てた。

 切断よりも押し潰した、と言った方が良いだろう。断たれた面は真っ直ぐ一直線に切られたわけではない。

 あくまで圧倒的な握力で強引に体を千切ろうとした一撃だ。当然、痛みの規模は広く、深い。潰れたものは重力のままに地に落ち、すぐにどぼっと液体が溢れて——、


「……これ」


 その光景は正しかった。

 現実は嘘をついてなどいないし、間違いなく相手のハサミにはそれだけの威力がある。


 だが、違う。

 彼が間違っているのではなく、芽空が間違っているのでもなく、対象がそもそも違うのだ。


 芽空は目の前で溢れ続けている液体を——しゅわしゅわと音を立てる炭酸飲料と、潰れたクリーム入りだったパン。それを見て、疑問する。


「一体誰が…………?」


 慌てて『カニ』から距離を離し、彼を見つめるがどうやら彼も訳が分からず固まっている。捉えるべきはずだった芽空を捉えられず、代わりに間に挟まるように飛んで来たもの。通学用だろうか、小さなリュックサックだ。

 それも恐らくは、落ちてくる整髪料や香水類からして、男性のもの。


 ということは二人ではない誰かの介入。

 だが、このタイミングで来られる者など誰がいるというのか。

 奏太や葵はもちろん、ここまで来たメンバーの中で、応援に駆けつけられる者はそういない。とすれば————まさか。


「ごっ」


 目の前の黒フードが、攻撃を受けて横に飛ばされる。

 投擲だ。それも、不意をつく形でちょうど彼の死角から。飛ばされたのはどうやら、芽空の腕ほどの長さを持つ拳銃。ブリガンテの一般構成員たちが持っていたものだろう。


「何が……っ!?」


 無防備な横っ腹にそれを受けた『カニ』は、重なる苦痛に顔を歪めながら投擲を行った人物を探そうとする。

 廊下の奥、転がっているのは芽空が気絶させた一般構成員たち。全員が全員スタンガンによって動けなくなっており、裏切りはおろか立ち上がることすらままならない。


 ——否。


「木を隠すなら森の中、だっけ?」


 一人、いた。

 黒フードを脱ぎ捨て、立ち上がった茶髪の少年は『カニ』を倒さんとして、側にあった拳銃をやたらめったらに投げつける。

 やけにそれは速く、疲れ切った今のこの目で追うにはかなり難しい。が、


「ただの人間が、俺たちに勝てると思うなぁ!!」


 手負いであるはずの『カニ』は、それに怯まず駆け、投擲物を避け、弾いてぐんぐんと進む。

 そしてすぐに茶髪の少年へと距離を詰めて、


「これで——!」


 終わりだ、などと言うつもりだったのだろう。

 実際、何も知らないただの人間であれば、まず間違いなく一瞬で倒されていたはずだ。

 人間は『獣人』という存在について単に凶暴な生き物、程度にしか知らず、ただ怯えるしかないからだ。


 だが、しかし。

 『獣人』に詳しい者——それも、組織に属し、数ヶ月同じ屋根の下で過ごした者に嘘偽りなく語ってもらった相手だったならば。

 恐怖は消えないまでも、やれることの幅は限りなく広くなる。


 例えば、人間に効くものが『獣人』に効くのだと分かっていれば。


「ぉ、おおおおおおお!!?」


 『カニ』の絶叫が響き渡る。

 それに紛れて、スプレー缶特有の、気の抜けるような噴出の音。やや引き気味の体ではあったが、それが彼の目に対して無遠慮にかけられていた。

 つまり、目潰しである。

 そして当然、次に来るのは、


「ご、ぉ」


 整髪用スプレーが放り投げられ、転がっていた拳銃の、残りひとつ。茶髪の少年はそれを拾い上げると、しゃがみを利用し腕を引き、地を蹴るように膝を上げ、力を一方向に集めて——アッパーの要領で、顎へと縦方向に拳銃をぶつけた。


 『獣人』と人間。

 それぞれに力の差はあり、耐久力にも体力にも当然大きな差はある。

 仮に違法の、人間に許される最高の力を持って拳を振るったとしても通用するかは分からない。

 だが、『カニ』は既に相当の傷を負い、投擲を食らって、頭を揺らされた。

 となれば当然、無理がたたって体はぐらりと揺れ、赤の甲殻が幻のように消えるとともに、彼は倒れた。


「……っぶねぇ。マジで死ぬかと思ったわ」


 そうすると残るのは今しがた『カニ』を倒してみせた、少年。

 芽空は痛む頭を抑えながら、彼を見つめる。


 カッターシャツと腰下まで下げられた黒のズボン。首元からかけられたネックレスであるとか、整髪料で固められた茶髪であるとか。

 普段から青春を謳歌していそうな、チャラ男風の少年だ。


「……とりあえず、大丈夫かよ?」


「あ、うん。何とかねー」


 こちらを見つめる視線に躊躇いが見えたが、それもすぐになくなる。

 どうやらあの時奏太と話した通りの人物のようだ。彼は軽く埃を払いつつ、こちらに向かって来た。


「私は古里芽空。多分、もう薄々気がついてると思うけど……」


「あー、あいつの仲間だろ? 体育館で見ててすぐに気づいた」


 彼は既にボロ切れ当然になったリュックを拾い上げ、その中身がやはりぐちゃぐちゃになっていることに肩を落とす。

 それからくるりとこちらに振り返ると、


「俺は平板秋吉。奏太の友達やってる、昔少しやんちゃしてただけの、人間だよ」


 乱れた髪を弄りつつ、にっと笑みを浮かべてそう言った。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 平板秋吉。

 彼は三日月奏太の友達であり、素行はどちらかといえば不真面目。今は不良というほどではないが、昔はメモカにも手を出したり、色んな子と付き合っていたりと、まあ有り体に言えば遊び人である。

 奏太が蓮と付き合ってからは、毎日彼の元へ相談をしに行っていたとかなんとかで、彼もまたサボらず毎日学校へ来てくれていた……というのが奏太談。


 じゃあその奏太がいなくなればどうなるか。


 毎日学校へ来る必要がなくなれば、元のように——つまり、授業をサボったり遅刻することが時々あった頃へと戻るのである。

 だからこれまた奏太いわく、正直賭けだった、と。


 ブリガンテがマスコミを通し、学生たちを人質に取ったと世界に告げたのは午前八時半ごろ。

 おおよその中学、高校であれば朝のホームルームの途中か、その終わりである。

 だから大体の生徒は教室におり、ブリガンテからすればそういった統率された動きは格好の餌食だ。学校というシステムを利用した、狡猾な手だと言えよう。


 ——ただし、システム外の異物には、対処がどうしても遅れが生じるということを除けば。


 たまたま遅刻し、のんびりと歩いていた秋吉のように。

 ブリガンテの存在に気がつき、姿を隠していた者がいれば、せっかく人質たちにデバイスの電源を切断させていたのに、外側へと動きが漏れてしまう可能性があるのだから。


 そして実際、秋吉は奏太にそれを伝えた。

 生徒たちは教室に集められているのではなく、体育館へと移動させられていること。警備は体育館だけでなく、校舎にも配置されていること。

 芽空たちが最初、迷うことなく体育館へと狙いを絞ったのはそのためだ。恐らくユキナたちが校舎側にいるであろうことも、予想はついた。



 といった感じで、既にそこまでで秋吉の功績は大きい。彼がいなければさらに被害が出て、最悪の場合作戦そのものが最初の段階で失敗に終わっていた可能性があるのだ。


 が、それだけにとどまらず。

 彼は一体いつの間に体育館を抜け出したのか、身一つで校舎へと来て、先ほど『カニ』を倒してみせた。はっきり言って、ただの人間には大きすぎるほどの実績である。


「だから、すごく助かったよー。ありがとね……えっと、秋吉君?」


「ん、何て呼んでも別に構いやしねぇよ。ただまあ、正直びびったよ、あんなの相手は」


「メモカ……じゃ通じないよね。えっと、デバイスを使って身体能力を強化してたよねー?」


「おー、そうそう。久々に使ったけど、あれでも『獣人』より遅いってんだから『獣人』やべぇなって思うよ」


 メモカによる身体能力の強化。

 それはほとんどシャルロッテが無効化していたため、身を以てどの程度か知る機会がなかったのだが、やはり彼は使っていたらしい。


 人間に許される最大限の能力。デバイスを利用した違法ファイルによるものなので、本来ならば見逃してはいけない立場ではあるが……今の芽空は古里芽空だ。

 それに、助けられたのにぐちぐちと言う者など、芽空はもちろんそういるはずもない。シャルロッテは除き。


「……あ」


 と、そこで芽空の張りつめていた集中の線が、切れた。


 視界が点滅し、世界が揺れる感覚。体が前から倒れそうになり、片膝をついて何とかこらえる。元々熱のあった体は限界を超え、平静を求めて短い間隔の呼吸を繰り返す。


「お、おい、大丈夫かよ!?」


「うん……っ、なんとか」


 割れるような頭痛と、激しい耳鳴りが——いや、それだけではない。


 何かが吸い取られているような、謎の脱力感。恐らくはこれが奏太の言っていた『トランスキャンセラー』なのだろう。

 思えば先ほどからずっとモスキート音のような音が鳴っていたような気もするし、『カニ』と戦う前後あたりからかもしれない。

 『カメレオン』が使えないままではあっさりと殺されていてもおかしくはなかったであろうし、なおのこと秋吉には感謝を伝えなければいけない、などと考えつつ。


「シャロのところへ行かなきゃだけど……これじゃ難しいなー……」


 ぶるぶると震える膝を抑えながら立ち上がろうとするが、やはり気合いでどうこうなるものでもない。

 心配な気持ちと悔しい気持ち、両方があるがあとはもう彼女に任せる他ないだろう。

 他でもないあのシャルロッテが、自分に任せろと言ったのだから。


 ……一応、秋吉に頼んでみるという選択肢が思い浮かばないわけではないが、


「行かなきゃいけない、ってどこだよ? 俺で良けりゃ、行くけど」


「ううん、大丈夫。私が追いつかないといけないっていうだけだからねー」


 確かに彼がいれば少しはシャルロッテの負担をなくせるかもしれないけれど、ある程度覚悟をしている彼女とは違い、彼はただの人間で、奏太の友達だ。これ以上危険に巻き込みたくない。

 だから無理くりに笑みを浮かべて、話を変える。


「秋吉君はどうやってここまで来たのー? 一応、私たちがある程度の警備は倒してたけど……」


「んー、隠れつつ、倒しつつ、みたいな? 『獣人』に比べりゃ全然かもだけどさ、多少は喧嘩にも慣れてるし」


 そう言って地震の腕をペシペシと叩く秋吉。

 ……自分の周りはやたらと実戦経験のある男女が多い気がするが、気のせいだろうか。


「他の人質の人たちや、アイはどうなったの?」


「ああ、俺が最後に見た時には——」


 彼が語るにはこういうことらしい。

 しばらくアイは体育館で戦闘を続けていたが、敵の数が徐々に少なくなって来たからか、体育館の外へと戦場を移した。

 その際、人質たちに外へ出ないこと、加えて窓と扉は閉められる限り閉めておくように、と命令を出したのだとか。

 ある程度の力を持つ『獣人』であれば扉はもちろん、窓からの侵入も容易なのだが、それは彼女が防いでみせるから、皆には下手に動かないでほしいと、そういうことだろう。


 そして秋吉はこのタイミングで外へと出て、芽空たちに協力するため校舎へと走って来たというわけだ。


「途中、奏太も見たけど、なんつーか……悪いな」


「悪い?」


「ああ」


 彼は視線を先ほど気絶させた『カニ』や、倒れたままの一般構成員たちにやり、


「『獣人』はすごい力を持ってるけど、全員が全員みんなが思ってるような、怖いものじゃない。俺たちの——人間のために戦ってくれるやつもいる。あいつの言ってた通りだったよ」


「秋吉君……」


「ほんの数ヶ月前までは、好きな人に一喜一憂する、そんな普通のやつだったのによ。なんも知らないで、拒絶したことが申し訳ねぇよ」


 彼が言っているのは、蓮を失った直後、奏太が登校した時のことだろう。

 『獣人』だからという理由で蓮を含めて自分自身も拒絶され、怯えられたと奏太は言っていた。


 残酷ではあるが、それは『獣人』を知らない人間と、世界の常識で、秋吉たちの反応もある意味正常なものだ。だから彼が気に病んでも仕方のないことではあるのだけれど。


「罪滅ぼしだけじゃないんだよね、秋吉君は」


「え?」


「えっと。秋吉君がここまで協力してくれたことだよー。そーたに対して、申し訳ないって思ってるからだけじゃないんだよね?」


「それは……」


 秋吉はたっぷり十秒ほど、考え込んでから、笑みを浮かべた。


「乗りかかった船だ。恋愛相談には最後まで乗ってやらねぇと。あいつが今戦ってんのは、美水のためにってとこもあるんだろ?」


 こくりと頷く。


「俺じゃやれることはたかが知れてっけど、奏太は俺のダチだからな。出来るとこまでやってやろう、って思ったわけよ」


 友達だから動く。

 それは成り行きこそ異なるものの、芽空の場合はシャルロッテだろうか。

 彼女は最終的に、友達である芽空の頼みを承諾し、一人で放送室へと向かった。


 違いがあるとすれば、『獣人』と人間の隔たりが彼らにはあって、さらにそれをなくすことが叶った、というところだろう。


「本当に、そーたは良い友達を持ってるねー……」


 別に比べるわけではない。


 けれど、奏太と、蓮の願い。それを叶えるための第一歩をもう、身近なところで彼は踏んでいる。

 『獣人』を理解してくれる存在が近くにいるだけで、きっと彼は救われるはずだ。強がって暗い感情を隠すことが多いけれど、これからはそんな彼を心配することも減るのだろう。


 胸の奥が、くすぐったくなるような多幸感で溢れている。その端で、何故だか寂しいような、そんな気持ちもあるのだけれど。


「いやいや。俺って割と自己評価は高い方だけど、奏太の方が羨ましいぜ?」


「……へ?」


 と、そこにくだけた調子で語る秋吉。一体彼は何を言い出したのだろうかと、芽空はきょとんとするも、


「奏太が話してたんだけどさ、あいつの仲間に可愛い子たくさんいるんだろ? 古里もそうだけど、俺からしたらすげー羨ましい。いや、マジでさ」


「えっと、うん。確かにみんな可愛いけど、私はそんなに……」


「あ、でも見た目だけじゃねぇよ? 古里も良い子みたいだし、奏太が信頼してんだから他の子も絶対そうだよな」


 ——ああ、なるほど。


 確かに奏太の言う通り、彼は女性慣れしているようだ。普通、こうやって男性が女性を褒める時は躊躇や照れが混じっていたりするものだが、彼は一切それらが見られない。

 息を吐くように素直な気持ちを、それと並行して芽空にもお世辞を告げてみせる。顔立ちも整っていることだし、ころりと堕とされてしまう人も少なくないのではなかろうか。

 そういった色事には縁遠い芽空の心にはそこまで響かず、お世辞でも嬉しいな程度なのだけれど。


 ともあれ、だ。


「改めてありがとう、秋吉君。そーたの力になってくれて」


 理由もはっきりしたことだし、改めてお礼を告げる。

 加えて、


「今、そーたは必死になってブリガンテの……敵のボスと、戦ってるんだ。だから、この戦いが全部、無事に終わったらまたそーたと仲良くしてあげてねー」


 なんだか保護者のような発言になってしまったが、これが素直な芽空の想いだ。

 奏太は傷つくことばかり続いていたのだから、もう少し幸せになっても良いはずだと。芽空が頼まずとも、彼らならば自然と遊んでいたかもしれないが、それでも。


「なんか強そうだとは思ったけど、そんなとんでもないやつと戦ってんのか、あいつ。争いごととか避けるタイプなのに……いや、だからか」


 秋吉は納得を得たように何度か頷くと、


「オッケ、終わったらまたあいつと前みたいに遊ぶよ。だからまぁ、古里もあいつのこと頼むわ、色々と」


「……うん」


 伝えるべきことも伝え、確認したいことは済んだ。


 体も先ほどよりは動くようになってきたので、ここで止まっているよりかはどこかへ移動したい。

 シャルロッテのところへ行きたいのが本音だが、どう考えても足手まといになるし、どうしたものかと思考を進めようとして————、


「……え?」


 視界に違和感が生じた。


「どうした?」


 前方の秋吉——違う。

 倒れている構成員たち——違う。

 違和感は、そこで一緒になって倒れている『カルテ・ダ・ジョーコ』の一人、数字は分からないが『カニ』だ。


 つられるように秋吉もそちらへ視線を向けて、ぎょっと驚き、瞳を震わせる。


「なんだありゃ……?」


 思い当たる節はあった。

 だが、一体どうしてこんなことが起きているのか、分からない。

 けれどこれだけは言えよう。


 ——早急にこの場を離れなければいけない。そうしなければ、間違いなく殺される。

 何故なら、


「夢じゃねぇ、よな」


「うん。あれは多分、そーたが言ってた、獣の極致」


 多量の傷を負い、気絶させられたはずの黒フード。

 彼は音もなく起き上がっただけでなく、文字通り化け物と化していたのだから。


 廊下の縦横半分以上を覆い隠してしまうほどの巨体。赤の甲殻と巨大なハサミ、それに連なる手足。

 『昇華』へと到達した獣が、こちらを睨んでいた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「……はぁっ」


 荒れた息遣い。

 損傷と再生を繰り返した体には着々と疲労が蓄積していっている。

 すぐに戦えなくなる、というわけではないが、このペースで行けばもう何時間と戦える余裕はないだろう。


 だが、それは再生という特異を持っていないアザミも同様だ。

 奏太同様、どれだけ『トランス』の才があり、鍛え上げていようとも、最初に比べればスピードも落ちてきている。


 何故なら途中、『トランスキャンセラー』によって形成は完全に傾いてしまっていたが、


「ははっ、大したもんじゃァねえか。好戦的じゃねえとは言え、あのジャックを突破できるなんてよ」


 アザミは空を仰いでいたかと思えば、『纏い』を保ち、笑いながら奏太に向き直る。


「止めたか、破壊したか……いィずれにしても、『トランスキャンセラー』がねえ以上、テメェらは自由に『トランス』を使える。まァさかここまでやるとはな」


 シャルロッテたちが上手くやったのだろう、放送による悪夢のような音が止まり、『銀狼』の拘束から奏太は逃れることができた。

 『獣人』としての力を存分に発揮すれば、決定的な一撃は叩き込めないまでも、体力を奪うことは可能だ。

 能力的に上にある以上、まだ劣勢なことに違いはないが……これで完全に倒せないということはなくなった、はずだ。


 しかし、奏太は疑問する。


「どうしてお前は笑ってる?」


 彼は確かに相手の実力を認める人間だ。賞賛し、笑い声を上げるのは何らおかしなことではないだろう。


 だが、彼の笑いにはそれだけではない何かがある。

 そう、奏太の記憶の中ではあの時に近い。

 奏太がブリガンテのアジトで捕まっていた際、彼がユズカを手に入れたといった時のような、悪意に満ち満ちた、狂気的な笑み。


「……『獣人』の力は乗算みたいなもんだ。素体と獣、両方の力が圧倒的な実力を生む」


 奏太が数日前、エトに聞いた話だ。

 爆発的な身体能力の向上は、どちらの数値もが重要なのだと。


「世界は理不尽だ。デバイスでマシになった世の中だろうとな、変わらねえもんは当然存在する」


 アザミは両腕を広げ、


「ロクでもねえ家庭環境。自分のことしか考えちゃいねえ親共。容姿だってそんなクズかァら受け継ぐもんだ。体格にも限界が存在し、小せえやつは小せえまんま。才能だってそうだろ?」


「何を……」


「テメェにも覚えはあるだろ、三日月奏太。全員が全員、望むように強さを得られるわけじゃァねえ。なりたいもんになれるわけじゃねえ。弱いやつは一生壁を越えられず、何かになろうとした結果、中途半端なやつにしかなれねえのが現実だ。それが世界の絶対で、赦されざる大罪だ」


 ……確かに彼の言う通り、覚えはある。

 奏太たち『獣人』で言えば『トランス』。使える上限はそれぞれに、理不尽に存在する。


「けど、乗り越えられるもんはあるだろ! 方法は一つじゃないし、人は一人じゃない!」


「甘ェな。そォんなもん所詮は付け焼き刃で、脆弱で、小手先のものでしかねぇだろうが。絶対的な力の前では何もかもが無力だ」


 なおも笑いを止めようとしないアザミに、反射的に言葉を返そうとして——止まる。


「…………お前、何をした?」


「よォやく気がついたのかよ。ちったァ他の戦場にも意識を向けろよ、『ユニコーン』」


 奏太がアザミと戦闘を始めてから、既に数十分もの時間が流れている。

 その間、他のところでも戦闘が始まったのであろう騒音は聞こえてきていた。


 『トランスキャンセラー』で一時的にその音は止んだものの、こうして奏太が動けている以上は、各々の戦闘も再開したはずだ。

 だが、これは、


「なっ……!?」


 地面を揺らすような衝撃と、何か大きなものが破壊されるような、これまでの比にならない程の規模を想像させる音。それに振り返ると、確かに状況は、予想の通りだった。


「何だよ、あの巨大な蛇は……!!」


 尻尾を薙ぎ払ったのだろう、校舎の壁が、スポンジケーキでも切るかのように内部から大きな穴を開けて破壊されている。

 そしてそれを行なったのはやや黄ばんだ三つの頭を持つ白蛇。遠目ではあるが、大きさはちょうど、『昇華』を発動した『銀狼』のものに近い。


「——まさか、お前」


「問いの答えは、さっきの俺の言葉の通りだ」


 嘘だろ、と声にならない声が胸の内から出てくる。

 だって彼の言葉をもとに、目の前の光景に理由をつけるのならば。それはまさしく『絶望』そのものではないか。


「俺たちには獣の牙を折る手段と、絶対的な力を引き出すための手段がある。いィ加減分かったか? テメェらの足掻きなァんざ、読めてるってんだ」


 『獣人』を無効化するための『トランスキャンセラー』。

 それをやっとの思いで除去できたとしても、ブリガンテにはまだ切り札がある。全ての状況をひっくり返せるほどの、『カルテ・ダ・ジョーコ』の最後の一枚。


「——『ジョーカー』。まァ、最後まで楽しもうじゃねぇか。どっちが負けようが、死のうが、所詮はテーブルの上の出来事だ。なァ、『ユニコーン』?」


 信じ難いし、信じたくもない。

 だが、つまりはこういうことだ。


 本来なら『昇華』を自分の意思一つで発動できるのはアザミだけ。

 ただし、方法は分からないが——今、戦場の全てがジョーカーの介入で姿を変えた。

 彼のカードが、『カルテ・ダ・ジョーコ』が『昇華』を強制的に発動させられたことで。

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