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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第一章 『彼女』
12/201

第一章11 『一足早い夏の訪れ』



「美水ちゃん、そっちの坊主は?」


 店主はそう言って、淡黄色の短く刈られた髪をかき上げると、ジロリとこちらを見る。


 四十代半ば、といったところか。

 五月とはいえ、半袖のシャツに短パンを履いているあたり、まさに中年のおっちゃんそのものである。

 しかしながら職業柄か、その肉つきには余分な脂肪が見当たらず、筋骨隆々としている。

 また、彫りの深いその目には、まるで殺気を向けられているかのような凄みがあり、


「……三日月奏太」


 迫力に動揺するあまり、思わず無愛想な返事になってしまった。

 ハッとなって訂正しようとすると、


「三日月、ね。美水ちゃんが男連れて来るなんて珍しいな。あの子達連れてきても、葵は来やしねえし」


 気になる単語が二つ程耳に届いた。あの子達、葵。前者は前に言っていた蓮の親友と妹の事だろうか。

 とすると、後者の名前は……友達でいいはずだ。店主の言い方からして、男であることは確かだが。


「坊主は単なる友達か?それとも……」


 どうやら、店主はその見た目の割に、浮いた話が好きらしい。

 事実、ニヤニヤとした笑いを顔に浮かべてこちらを見つめてくる。


 これは試されているのだろう。ならば、言うしかあるまい。数十分前に付き合い始めたばかりで宣言するのはやや気が引けるところだが、


「おっちゃん、俺は友達じゃなくて、蓮の——」


「彼氏か」


 ——宣言をする寸前、店主によって、言葉の続きを言われてしまった。


「で、合ってるんだよな? 美水ちゃん」


「う、うん。そうなんだけど……」


 蓮は顔を赤らめながらちらちらとこちらを見てくるが、今はそれどころではない。

 いや、見たいのは山々だが、それでも、


「最後まで言わせてくれよ、おっちゃん……」


 奏太はため息混じりにそう言った。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 二人は雑居ビルを出ると、蓮のおすすめだという、近くのケバブの屋台に来ていた。


 やや寂れが目立つ灰色のビル群の景色の中、ひときわ輝く看板。赤い屋根には『スカイケバブ』という店名の看板が取り付けられており、赤青緑、様々な色のライトが屋台の周りを照らしている。


 テレビでは何度かケバブの屋台を見かけたことがあったが、実際に訪れるのはこれが初めてだった。

 そして、やはりケバブ屋といえば肉である。目の前に吊り下げられた肉の塊を見ると、噛り付きたい衝動が内から湧いて出てくる。所謂、男のサガだ。

 あの大きさの肉にかぶりつくことは誰しもが夢として持っているはずだ。そう、あれは肉の塊ではない。いわば夢の塊なのだ。

 もっとも、無我夢中で衝動のままに食らいつくことなど、まずありえないのだが。


 そうして目の前の夢に熱い視線を送っていると、ふとあることに気がつき、辺りを見渡す。


 この屋台は先ほどの雑居ビル——秘密基地、と命名しておこうか。

 秘密基地は駅の近くではあったが、そこからいくらか歩いた先に屋台があるため、お世辞にも駅近で分かりやすい場所にある、とは言い難い。


 しかしそんな立地にも関わらず、つい数分前まで、二人の前には何人かの客が並んでいたのだ。

 この一帯では名の知れた店、という事なのだろうか。


「話を聞く感じ、蓮は常連なのか?」


「かな。中学生の時から来てるの」


 以前蓮から聞いた話によると、彼女は元々都心に近い場所に住んでいたらしく、学校帰りや休みの日にはよく遊びに来ていたのだとか。

 その際にこの屋台にも、ということなのだろう。


「ちなみに、美水ちゃんが誰かを連れて来る時は、最初誰でも驚くことがあってな」


「驚くこと?」


 店主の軍人みたいな見た目のことだろうか。


「今人の事バカにしてんだろ、目で分かんぞ」


 意外に鋭かった。

彼にも自覚はあったらしい。きっと、今までの人生で何度もそれに悩まされて、


「哀れむな。話さねえぞ」


「続きお願いします」


 本気でやめそうな勢いだったので、慌てて謝罪をする。


 何というかこう、この店主は見た目に反してかなり親しみやすい人物ではないだろうか。


「…………あれ」


 ふと、先ほどから静かな蓮が気になって視線を横に向けると、彼女はどうやら何にしようか悩んでいるらしく、唇を尖らせてメニュー表とにらめっこをしていた。


 彼女は食べるのが好きなのだろうか。

 この二日間、普段見られないような一面ばかりを見ている気がするが、当然と言えば当然だろう。

 そもそも奏太にとって、蓮と出かけること自体今日が初めてであり、昼食も一緒に取ったことがないのだ。

 というか、そんなことをしたら半日で学校中に広まる自信があるのだが。


「それで、驚くことっていうのは何です?」


「今更敬語使うんじゃねぇ。もっとフレンドリーでいい。……付き合ったのはつい最近か?」


 店主は急に小声で囁くように話しかけてきて、その意図が分からず首を傾げる。


「つい最近っていうか、まだ一時間も経ってないな」


「お前格好つけたかったのは分かるけど、調子乗りすぎだろ」


 彼はまさに空いた口が塞がらない、といった様子である。


 正直、調子に乗っていたのは認める。が、舞い上がってしまうのも無理はないのではないか。


「付き合い始めた直後だから許して欲しい。それで、結局何なんだ?」


「ああ……美水ちゃんが辛党ってのは知ってるか?」


 全くの初耳だ。


 首を振って知らないことを伝えると、やっぱりか、と溜め息を吐く。


 彼女が辛党で、驚くべきこと、か。この二つから考えられるとすれば、状況的にあれしかないだろう。

 奏太は導き出した答えを店主に言おうとして、しかしそれは寸前で言葉にならずに消える。


 何故なら、隣で悩みに悩んでいた蓮が口を開いたからだ。


「今日はビーフにする」


「おう、ビーフな。いつものでいいか?」


「いつもの?」


「いつものだ。説明の途中で終わっちまったけど、美水ちゃんは辛党で、いつも特製のソースかけんだよ。それが洒落にならないくらい辛くてな」


 ああ、やっぱりそういうパターンだったか、と奏太は満足げに微笑む。


「私、他の子連れてくるまで全然知らなかったの。梨佳……あ、私の親友の梨佳って子がいるんだけど、あの子が涙目になってるところ見たのはあれが初めてだったなぁ」


 ぼんやりと過去の記憶を思い返す蓮。やや引きつった笑いを浮かべる店主。奏太はそれらを交互に見て、決心をする。


「じゃあおっちゃん、俺も蓮と同じので」


「いや待て待て、マジでシャレにならねぇぞ?」


「奏太君、本当にやめておいたほうが……」


「大丈夫だって、俺辛いの好きだしさ」


 二人に心配をされるも、それでも念を押し、蓮に親指を立てて見せる。


 今になって分かった。先程店主がこっそり伝えてきたのは、奏太を気遣ってのことだったのだ。


 蓮が辛党だけど、それに付き合うなよ、と。

 しかし、


「おっちゃん、頼む」


「カヅ坊、お前まさか……」


 何かを悟ったらしい店主に、奏太はふっと笑いかける。


 彼女の前では格好をつける……つまり、男の意地である。

 それが店主に伝わり、言葉を交えず意思が通じ合った。これが、男だ。


「いやちょっと待った、なんでカヅなんだ」


「ミカもヅキもしっくり来なかったからに決まってんだろ」


 前言撤回。男には分かり合えない時もある。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 店主の男は、慣れた手つきで薄い紙に包まれたケバブの生地……ピタパンと言ったか。


 そのメガホンのような形をした生地の中にキャベツを入れて、一度それを置く。

 肉塊の一部を切り崩すと、それをトマトや牛肉、チーズとともに盛り付けていき、最後に現れるのが件のソースである。

 ピンク色のそのソースは、見る限りではあまり辛そうな印象を抱かないのだが、話を聞く限りでは間違いなく辛いのだろう。


 店主はソースをケバブにかけ終えると、浅く息を吐いた。


「まず一つ目……どっちが先に食べる?」


 蓮と顔を見合わせ、うーんと首を傾げる。


 こういう場合、男性が女性を優先させるのが紳士の行動であり、そもそも先程から蓮はかなり楽しみにしていたのだ。譲らない理由はないだろう。

 後者だけだと、まるで子どもを手懐けているようにも聞こえるが、それはさておき。


「じゃあ蓮、先に食べたら?」


「いいの?それなら……」


 彼女は遠慮するような口ぶりではあるが、その嬉々とした表情は隠せない。

 ルンルンと声が聞こえてきそうなくらいに頬を緩めているところを見ると、本当に好きなのだと分かる。


 そして、蓮は店主からケバブを受け取ると、それをそのまま口に……しなかった。


「食べないのか?」


「奏太君の分が出来るの待ってる」


「先に食べてていいよ」


「いーえ、これは譲れません」


 蓮は頬を膨らませて、ぷいっと拗ねるような素振りをすると、ふふっと笑った。

 その仕草に思わずどきりとして、照れを隠すように口元を手の甲で隠す。


 店主の手前、付き合い始めたことに舞い上がっていたが、それらを冷静に見つめ直せてしまう程に、彼女の笑顔は奏太の心に強く揺さぶりをかけた。

 その末に、こう思う。


 彼女には敵わないな、と。


「ありがと、蓮」


「どういたしまして」


 彼女は頭を少し下げて、律儀にそう言った。

 その言動に事務的なものは一切なく、穏やかな表情をしており、奏太は————、


「——おい、出来たぞ」


 呆れた表情をした店主が、今しがた出来上がったばかりのケバブを奏太に差し出してくる。


 二人のやりとりの一部始終を見ていたのだろう。

 嬉しいような恥ずかしいような、ごちゃ混ぜになった思いの中、店主の手からケバブを受け取ると、鼻孔をくすぐるその匂いに奏太は思わず息を飲む。


「おお……」


 じっくりと焼かれた肉の匂いは艶かしい魅力で奏太の心を掴んだ。

 それを助長しているのは特製のソースだ。

 肉が婉然とした微笑みを浮かべる女性だとすれば、ソースは煌びやかで上等なドレス。女性がドレスを、ドレスが女性の魅力を引き出して、この上ないくらいの仕上がりだ。


「じゃあ、食べようか」


「だな。いただきます」


 食欲がピークに達し、たまらなくなったところで、二人はほぼ同時にケバブにかぶりついた。


「————っ!」


 瞬間、奏太の口の中に、肉の暴力が広がる。じっくりと焼かれた鶏肉に、牛肉。その暴力から身を支える役割のキャベツやトマト。

 そして極めつけが、件のソースとチーズである。チーズで味に深みが、ソースによって味が盛り上げられる。


 奏太はこの薄い紙の中で、オーケストラが行われているかのような錯覚を受けた。


「美味しい……っ!」


 夢中でもう一口。


 確かにソースはそれなりに辛い、が、食べられないほどではない。このままなら、止まらず全部食べきれるだろう。なんだ、全然じゃないか。


 そう思って余裕の表情で食べ進め、手のひら返しをしたのは、それからほんの数分後のことだ。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ……ちょっと待った、これ辛い。


 六割ほどケバブを食べ進めた頃、奏太の口の中は燃えていた。

 一口あたりの辛さはそれほどでもなかったが、蓄積され、休むことなく増え続けたその火は、とうとう炎上するに至った。

 唇がヒリヒリとして、これ以上の刺激を与えないよう訴えかけてくる。


 ちらりと隣の蓮を見やれば、彼女は満面の笑みでケバブを食べていた。

 本当に美味しそうに食べるその笑顔は、見ているこっちまで幸せになり、思わず見とれてしまうものだ。


 蓮は奏太の視線に気がついたらしく、きょとんとした目でこちらを見て問いかけてくる。


「どうしたの?」


「いや、美味しそうに食べるなって」


「それ、梨佳にも言われたなぁ」


 それだけ言うと、蓮は再びケバブを食べ進める。


 彼女は女の子らしいというか、小さな口で少しずつ食べ進め、適度に休憩を取る。

 そう、それは決して素早く食べているわけではないのだ。

 段々と速度を緩めていった奏太には、徐々に追いつきつつあるのだが。


「————」


 奏太はゴクリと息を飲んで、自身の手の中にあるケバブを見つめた。

 それから深く息を吐き、あと少し、もう少しだと覚悟を決めると、蓮に負けじと食事を再開する。


 同情するような、店主の視線を浴びながら。


*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 店主に別れを告げ、二人は学生区に戻ってきていた。

 蓮の住むマンションの前で立ち止まると、奏太はゆっくりと口を開く。


「今日はありがと、蓮」


「なんか今日お礼言われてばっかりだね。……どういたしまして、奏太君」


 蓮がそう言うと、二人は笑みをこぼす。


 本当に今日だけで何度目のお礼になるのだろうか。

 けれど、本当に、本当に蓮には感謝をしているのだ。何度言っても、何度だって伝えたい。


「————」


 彼女の笑顔を見ていて、ふいに奏太の中で切ない感情が湧いた。

 もうすぐ蓮と別れるからだろうか。

 手放したくなくて、繋ぎ止めておきたいからなのかもしれない。

 女々しい考えだと、自分でも思う。


「……夢じゃ、ないんだよな」


 獣人の動画を見て、世界の恐怖に向き合った事。

 初めて二人で出かけて、帰り道にケバブを食べた事。

 そして、内面を全てさらけ出し、その上で蓮と付き合うことになったのも。泣いて笑ったのも、全て。

 あまりに色々なことがあって、心が動かされて。夢なんじゃないか、とそう思えてしまうくらいに。


 けれど、そんな不安はまやかしでしかないのだ。


「うん、夢じゃないよ。私は、奏太君の隣にいるよ」


 優しげに微笑む蓮に、安堵する自分がいて。

 まるで子どもみたいだ。甘い言葉をかけられて、安心して。

 しかし、それは事実だ。強がっていても、まだまだ彼女の手を借りなければ、奏太は弱い。

 一人で立つには、まだまだ時間がかかるだろう。


 でも、だからこそ——、


「約束」


「え?」


 それは、告白とともに交わしたあの約束じゃない、小さなものだ。

 ずっと隣にいると、その約束を叶えるための、小さな約束。


「また明日、俺は笑うよ」


 今は寄りかかってでもいい。その上で、強くあろう。一人で立てないのなら、彼女の手を借りて。


「……うん。約束」


 微笑んだ彼女に、この想いは伝わっているだろうか。

 ……分からない。でも、伝わっていればいいなと、そう思った。

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