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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
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第三章間奏 『仮面の裏で』



 ——時刻は約二日前、ラインヴァントのアジト襲撃時まで遡る。


 鳥仮面に白衣の男フェルソナは、葵から頼まれていた蓮の毒——奏太が『青蠍』と名付けたものの調整を終えてようやく一息吐ける、そう思ったところで違和感に気がついた。

 いや、正しくは理解よりも先に五感が異常を感知したからというべきか。


 強烈な閃光と耳が破裂したのではないかと錯覚するほどの爆音、真っ白になる視界、衝撃で床に叩きつけられる全身の痛みと、燃焼した火薬物特有の匂い、どこかで切ったのだろう口内に広がる血の味。


 次々に広がっていく異変を襲撃だと理解し、フェルソナは痛む身体に鞭を打って立ち上がると、すぐさま状況整理を行っていく。


「……先ほどの音や匂いから考えても、爆発物を利用しているのは間違いないはずだ。僕だけを狙った局所的なものとは考え難いし——タイミングを考えても、奏太君たちがアジトを離れたことを確認した上での襲撃。それなら…………っ」


 考えの途中で、頭を打ったせいかこめかみのあたりが強く痛むが、しかしそれでもフェルソナは考えを続ける。


「それなら、相手はブリガンテであり、狙う対象はユキナ君と見て良いだろう。場合によっては彼——リーダーのアザミ君も来ているだろうが……」


 その場合、奏太たち『獣人』と違って戦闘手段のない自分は止めることはおろか、時間稼ぎすら出来ないし、アザミでなかったとしても指揮するのは確実に実力者だ。

 時間帯を考えても、学校へ行っているメンバーが戻ってくることは望めず、奏太たちに関しても恐らくは。


「……すまないね、葵君たち」


 それならば。

 年長者である自分が選ぶべきは、奏太たちがたまたまこのタイミングで帰ってくることを夢見るよりも、彼らならばユキナを助けてくれると信じ、これ以上の被害者を出さないようにすることだ。


「そうと決まれば早速動きたいところだけど、この部屋をこのまま放置して作製した物が鹵獲されるのは避けたい……それに」


 夕方にでもなれば、自然と学生組はアジトに戻ってくるはずだ。

 その時のために、今現在分かっていることだけでも伝える必要があるだろう。

 電波が届かない地下であるならば、書き置きで。


 その考えに至ると、机の引き出しから一枚のコピー用紙を取り出し、すらすらと状況を書き記していく。

 時間はない。爆破から既に何分か経過しているし、ユキナを探すついでにこの部屋へ敵が攻めてきてもおかしくはない。長引けば長引くほど、自分や非戦闘員の少年少女たちに被害が及ぶ可能性が高まるはずだ。


 ——だからこそ、フェルソナは判断を誤らない。


 ペンを置くと、視界に入る発明品を掴んで、机下の微かに高さが変わっている床を靴裏で叩く。

 すると次の瞬間、床がスライドし、叩いた部分を中心としたそれぞれ半径二十センチ程の立方体状の空間が現れる。そこへ傷つけないよう、掴んでいたものを入れつつ、


「もしもの時のために、この場所と開け方は葵君たちに知らせてあるし……これで問題ないはずだ」


 入り切らなかったものは白衣のポケットに入れて、隠し金庫ともいうべき空間を閉じた。

 ……ひょっとすると、ラインヴァントの中で唯一奏太だけには伝えていないかもしれないが、まあ周りが先に気がつくだろう。という思考を間に挟みつつ。


 今この部屋で出来ることは全てやった。そう確認したところで、フェルソナは急いで部屋を出る。


「————」


 案の定、というべきだろう。煙の影に隠れてはいるが、ブリガンテのメンバーと思しき声が長い廊下の先から聞こえてくる。

 それから、子どもたちがパニックを起こしているのであろう、泣き叫ぶ声も。


「……すまないね、みんな」


 それは子どもたちに対して、遅くなったことへの謝罪であり、ユキナを諦めることしかできない自分への無力さと、そう判断したことへの罪悪感。そして、バックアップは出来ても、肝心なところでは奏太たち子ども任せになることへの。


 それらを一言と、ため息一つで切り替えて、すぐさまフェルソナは駆けていく。


「頼りないが、僕はこれでも年長者だからね——」



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「これで全員、かな…………」


 アジトに残っていた者を全て地上へ避難させ終えて、フェルソナは壁にもたれて長く息を吐き出す。


 不幸中の幸いというべきか、子どもたち一人一人の体調を確認しながら誘導を行なったが、煙を吸い込んで意識不明、あるいは意識が混濁しているという者は誰一人としていなかった。

 以前、このアジトが換気の難しい地下ということで、換気装置を各所に設置しておいたのだが、今回はそれが役立ったらしい。


 とはいえ、フェルソナも含めて子どもたちは軽傷を負っているし、心の傷もそれなりに。それは今回の襲撃が急な事である上、このアジトならば大丈夫だと安心していたからこそのもので、恐らくは今も不安な気持ちにさせてしまっているはずだ。


「戻った時には責められてもおかしくないかもしれないね……」


 非戦闘員の彼女らしかり、葵しかり。

 普段こそ冷静を装っているものの、葵は姉妹のこととなると年相応の感情を見せる。事情を話してすぐに殴られてもおかしくはない。


 ————廊下の奥に見える人影相手の場合、それだけでは済まないだろうが。


「……ブリガンテの『カルテ・ダ・ジョーコ』。いや、あるいは人かな」


 フェルソナは慌てず、曲がり角の隅に移動すると、人影の様子を伺う。


 数は三。学生服姿の男子生徒たちだ。


 遠くから反響して聞こえてくる声から考えるに、襲撃したメンバーはまだまだいそうだが……近くにいるのは彼らのみらしい。

 こちらに向かってくる様子もないため、とりあえずこのままやり過ごして————。


「……?」


 フェルソナは今更になって、猛烈な違和感に目がチカチカとするような錯覚が走る。


 すぐさま視線を下に、腕時計を見て、


「彼らは一体何をしているんだ……?」


 考えてみればおかしな話だ。

 何故なら、襲撃が始まってから少なくとも十五分は経過している。彼らの目的がユキナをさらうことであるならば、既にこの場を去っていてもおかしくはない。


 つまり、それは目的が他にあるということ。


 だとすれば、このアジトで生活する者たちの虐殺、あるいはユキナたちと誘拐。——否、その可能性はない。

 そもそも、この異常事態の中で避難誘導が何事もなく、全員無事で済むなどそれこそ異常だ。だから目的からは外れるし、別の理由があるということになる。


 つまり、元々何かの調べをつけた上で、ユキナ以外の何かを彼らは狙っている。


「アジトの場所が割れたことは、恐らくどこかでつけられていた、ということだろうけど……」


 果たしてブリガンテは何を掴んでいるのか。


 残る可能性があるとすれば、状況的に『トランス・キャンセラー』のような発明品か、あるいはフェルソナ本人がここにあるという情報。


 最悪なことに、金庫に懐中時計や毒の一部などは入れておいたが、入り切らなかった分は今現在フェルソナのポケットに入っている。今自分が捕まった場合、両方とも彼らの手に渡るわけだが——、


「もし、それ以上の何かを狙っているとしたら…………?」


 ちらりと三人の行動を見ると、どうにも不思議な光景なのだ。

 壁を叩いて音を確かめたり、廊下の置物をずらしてみたり。

 人を探している、というよりは隠された財宝でも探すような動作だ。


 先ほど挙げた可能性以外に、フェルソナが思い当たる節はもうない。

 自分と発明品はこの際除くとしても、戦闘員は皆外へ出ているためユキナ以外の者を狙っているとも考えにくい。

 とすれば、発言通りにフェルソナが知らない何かがこのアジトに、しかもブリガンテにとっては大きな価値あるものとして存在していることになる。


 彼らが一体どこからそんな情報を掴んだのかは分からないが、内から湧いて出る興味にフェルソナは仮面の下で笑みを浮かべていた。

 金銀財宝か、はたまた奏太あたりが喜びそうな古代文明の跡か。いずれにしても、知りたいと思う欲求は止められない。息を荒げて立ち上がり、


「……さすがに彼らの前へ出る勇気はないけれどね」


 などということは当然ないが。

 ただでさえ目立つ見た目だ。鳥仮面に白衣の男が現れれば誰だって警戒する。何度も経験しているし、と。


 ゆえにフェルソナはひとまず、避難させた子どもたちを追わず、ブリガンテが去るまで待機することを決断。子どもたちは地上——ルクセン家の別荘で働いている使用人に任せるとして。


「————」


 それからしばらくして。

 完全に人の気配がなくなったのを確認すると、フェルソナは立ち上がって歩を進める。


「彼らの勘違いで、実はここじゃなかった。……という可能性もあるわけだが、果たして真実はどうなのだろうね」


 年長者がするべきは、本来こんな探索ではないのだが、少しだけなら……と考えているあたり、時折芽空や奏太に冷たい目をされるのも納得というものだ。などという自嘲はさておき。


「爆破そのものに、アジトの混乱を誘う以外の目的があったとするのなら、どこかに隠し通路や隠し部屋があるということになるが……」


 改めてその可能性について思考を進める。


 このアジトに来てからいくつか手を加え、あるいは改良した部分はあるが、当主であるヨーハン・ヴィオルクはもちろん、芽空にもそういった話は聞いたことがない。

 とすると、彼らの間でも知らないものがあるということになるのだが……まさか上や下を掘れというわけではないはずだ。


「遡るべきはこのアジトの歴史か、あるいは——」


 アジトが出来る以前にこの空間に何かが存在していたか、あるいは設計段階で誰かが密かに作っていた、といったところだろう。

 そう判断し、位置が下がって来た鳥仮面を持ち上げようとして、


「————っ!」


 衝撃が二つあった。

 歩みを止め、目を見開き、鳥仮面に触れた指先が震えていると気がついた時には、思考がある一つの推測を導き出し、同時に早くこの場を離れなければならないと全身に呼びかけていた。


「——、君は確か」


 衝撃の後者。

 それは鋭く研ぎ澄まされた刃だ。

 音もなく、一瞬にして距離を詰められ、股下から入った大型のそれが頭蓋まで一直線に走った。当然フェルソナには避けられるはずもなく、切られたと気がついた時には眼球が右と左で別のものを捉えて——そう幻視するほどの気迫。


 それは人の形をしている。

 人の形をした、異形だ。


 煉瓦色の短髪と、彫りの深い稲穂色の瞳。丸太を連想させる屈強な体つきとその目つきは、常人のそれとは一線を画す。見覚えがある、見た目だ。


「……『トレス・ロストロ』のソウゴ君、だったね」


「————」


 息が詰まりそうな感覚を覚えながら、フェルソナは言葉を絞り出す。

 異形——ソウゴを警戒し、じりじりと後ろへ下がりながら。


 それに対して、彼が見せた反応は短く、簡単なものだ。

 重く顎を引いて頷くと、一歩踏み出して、


「————!」


 次の瞬間、『未知』がフェルソナを襲った。

 強烈な一撃に全く抵抗出来ないまま全身が蹂躙されていき、気がつく。


 ——意識が薄れていく。


 何をされたか、よりも思考が止まることへの恐怖。

 目の前の男への恐怖よりも、身を焦がすほどの憎悪よりも、彼に対する疑問と、先ほど導き出した推測の確認が出来ないことへの悲嘆。

 そして、そんな自分への嘲笑。


 徐々に地面が近づいて来て、体から重量感が失われる。視界は白から黒へ、全ては反転して。


 ぼんやりとした思考の中で、ただ一つ。強い興味だけが残っていた。



 そうだ、このアジトは————。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 鳥仮面の男、フェルソナ。


 彼の人生の半分は、空白で出来ている。

 高校在学中のある時期から五年前に至るまで、その間の記憶が完全に失われているためだ。


 三日月奏太やアザミ、ジャックと同様の喪失。


 それは彼にとって唯一の解けない謎であり、永遠の研究対象にもなりうる……そんなものだった。

 奏太に『怒り』が欠落していたように、フェルソナは『欲望』、厳密には強欲が欠落していたことや、喪失の時期。

 彼はこれを故意的な喪失だと考えた上でさらなる興味を抱き、同時に救われたような気持ちになっていた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ————どういう経緯だったからか、フェルソナ自身ははっきりと覚えていない。

 果たして、いつのことだったかも。だから、ひとまず言えることは一つだけだ。


「これが世間を恐怖に陥れている『獣人』、か」


 その日フェルソナが出会ったのは動物の力を体現する、人型の生物。所謂『獣人』だった。


 小さな廃工場で、黒髪の少年が怪我の手当てをしているところをたまたま通りかかり、手伝ったら仲良くなったという、偶然の偶然。

 それだけの理由だったが、興味を持つにはそれだけで十分だった。


「『獣人』はずっとその姿ではないのかい?」


 どうやら中学生くらいのその少年は、短い時間だけ獣の姿になれるようで、ぴょこんと飛び出した黒の耳と尻尾は黒猫を思わせる見た目だった。

 仕草や言動はまるで人と変わらないのに、どこか不思議な光景。

 それをフェルソナは、自然と受け入れていた。


 それから少年——『黒猫』と共に生活する中でフェルソナは次々と『獣人』に出会うことになる。

 彼より小さな少年少女、同年代くらいの者、兄弟姉妹、海や森の生き物がモチーフ、洞窟、地中、街中。


 いずれもが一定の年齢を超えることなく、フェルソナ以外の大人など誰一人としていなかった。けれどなんだか素顔を晒すのが恥ずかしくて、フェルソナは鳥仮面をつけて接していた。


 身寄りがない者もおり、小さなアジトを作って生活をしたり。『獣人』についてあれこれと質問をしたり、試させてもらったり。不満や怒号をぶつけられたり、通りかかった人には変な目で見られたりすることもあったが、毎日のように楽しい日々だった。


 …………だからその頃には、ただ何となく。

 記憶はないけれど、自分は『獣人』のために生きている。

 そう思うようになっていた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「…………HMAは、子どもでも殺すんだね」


 幸せな日々にはいつだって終わりがあり、フェルソナにも平等にそれは訪れる。


 近隣住民が通報か何かをしたのか、はたまたHMAの職員がたまたま通りかかったのか。

 いずれであっても、目の前の光景は変わらない。『黒猫』たちとの生活は一瞬にして過去となり、アジトが、中の『獣人』が、花でもちぎるように容易く赤々と散っていく。


 ——HMA幹部『トレス・ロストロ』のソウゴ。

 彼の名前を知ったのはそれから三年後のことだったが、その姿ははっきりと脳裏に刻まれて、忘れることがなく、忘れられるはずがなかった。


 自分を庇い、逃げるように言った『黒猫』が幾度もの不恰好な打撃を、渾身の引っ掻きをソウゴにぶつけ、しかしそれでも通用せず、拳一つでひしゃげた死体に変えられるのをフェルソナはただ呆然と見つめることしかできなかったのだから。

 自分を見逃したソウゴに対し、恐怖ばかりが先行して、怒りの一つもぶつけられなかったのだから。


 ————それが始まりの一年だった。


 『黒猫』たちを失った直後は悲しみに明け暮れていたものの、やがてフェルソナは立ち上がって、他の『獣人』を探しに各地を回った。


 新たに知り合った『獣人』も同じく子どもゆえに警戒され、騙され、ようやく仲良くなっても殺されて。幾度も幾度も出会いと別れを繰り返して、『獣人』を知り、改めて『獣人』のために生きたいと決意した。


 鳥仮面という特徴的な見た目と経歴からか、『死神』と呼ばれるようになっても。

 『黒猫』が自分と友達になれたように、『獣人』が幸せな生活を送れるように。そのために色んなことを知らなければ、学ばなければいけないと。ただ、必死に。


 ——そんなことをずっと祈っていたから、いつの間にか。

 何よりも、『知りたい』を優先するようになっていた。


 そして、ラインヴァントと出会って。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ——涼やかな鈴の音。


 誰の声も届かない、自分の存在すら曖昧な深い闇の牢の中で、唯一その音は響く。


 それは『黒猫』と出会うよりも前、度々鳴っていた。何かに触れるたび、生活のどこかで。

 それはきっかけで、『黒猫』と出会った瞬間音を止めた。『獣人』を知ろうと、『欲望』が日に日に強くなっていく感覚があったのをよく覚えている。

 それは、必然だ。

 定められ、自分はそこへ導かれた。欠けていたものを取り戻し、『黒猫』に——『獣人』を助けるために。


 だから。


 この鈴の音は、既に過去のものだったはずだ。

 解明をしたいと思う心はある。あるが、どうして今なのか。


「————」


 言葉にならない声が、泡となって闇の中を高く登っていく。

 不思議と息苦しさはなくて、どこか心地良さすら感じる。


 鈴の音は、今もその音量を増していっているというのに。


「————」


 体がふいに、浮かび上がる。

 目覚めの時を知らせているように、闇の牢を抜け出して、記憶の全てをひとかけらもこぼさずに、ただ上に。


 鈴の音は、強く鳴り続けている。

 痛みも苦しさもなくて、最初から自分の一部だったのではないかと錯覚するほどに、ひどく心地が良い。


 そして暗闇に一筋、亀裂のようなものが走ったかと思えば、音はさらに鋭さを増して————。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 やけにすっきりとした、意識の覚醒。

 どこかに寝かされているのか背中に柔らかい感触があって、漆黒の天井が一番に視界に入る。寝起き特有の思考のぼやけはなく、フェルソナはまるで数分目を瞑っていただけのような感覚を覚えるが——それは間違いだろう。

 思考が鮮明であるがゆえに、意識を失う直前の出来事をよく覚えている。


 『黒猫』を含む『獣人』たちを殺した相手、『トレス・ロストロ』のソウゴ。彼によってフェルソナは気絶させられたのだ。


「しかし、どうして……」


 ハクアの一件もあり、ラインヴァントのアジトの位置がHMAに特定されていることは確かだ。


 だが、それはブリガンテの襲撃の後で彼があの場にいることの理由にはならない。奏太たちがHMAに向かったことを考えれば、襲撃に気がついてソウゴを救援に送ったという可能性もあるが、その場合フェルソナが襲われる理由がない。

 奏太たちならばフェルソナの説明は忘れないだろうし、『獣人』と共に生活するフェルソナを、ソウゴは何度も目にしてきている。


 だからこそ、フェルソナは天井とのにらめっこをやめて体を起こすと、


「————藤咲華君と、ソウゴ君だね。僕はフェルソナ。しがない一研究者さ」


 全面が黒塗りのシックな部屋の端、こちらを見つめる二つの人影に声をかける。


 薄赤の麗人、藤咲華とその部下ソウゴ。

 フェルソナが襲われる理由があるとすれば、こうして話をする機会を作るためだと考えるのが状況的にも辻褄が合う。

 過去全ての遭遇において見逃されていた、その理由がこの場にあるということも。


 フェルソナは胸の奥底から顔を出す苦い感情を飲み込んで、


「『獣人』に協力する人間が興味深い……などではないのだろうね。とすると、僕を泳がせておいて、何かさせるつもりだったのだろうか?」


「————」


 フェルソナの問いかけに麗人は薄い笑みを浮かべ、ソウゴは瞑目するだけで言葉を返さない。

 ならば、


「奏太君たちがここへ来たはずだけど、彼らに危害は加えていないかい? そう易々とやられる彼らではないけれど……これでも僕は年長者だからね。心配なんだ」


「…………ラインヴァントとは、ブリガンテの件で同盟を組んだだけだ。手出しなどしてはいない」


「——! それは良かった。同盟を組んだことに驚きはあるけれど、彼らが無事ならば僕はそれで良いとも」


 ソウゴが答えたのは意外だったが、話を変えたのは正解だったというべきか。

 藤咲華が率いるHMAである以上、手を組んだ、と文字通りに受け取って良いものかは悩むところではあるが。


「君たちが手を貸してくれるというのなら、戦力面でも問題はないだろう。ユズカ君を除いても十分だし、あとは——」


 フェルソナはそのまま言葉を続けようとして、仮面の下で眉をひそめた。


 それは音。空気を震わせる音だ。

 ゆっくりと目を向ければ、そこには静かな笑い声を上げる華がいて。


「…………何がおかしいのだろうか」


「——拙い交渉と駆け引き。歳を考えれば当然だとしても、まだ足りないわ。甘くて、遠い」


 警戒を強めるフェルソナなどお構いなしに、華はコツコツと音を立ててこちらに歩いてくる。

 さらに彼女は続けて、


「しかしそれでも構わないわ。彼は結果を出すでしょう。私が必要なのは結果。知っているでしょう?」


「……あいにくだけど、僕は君の性格の全てを把握しているわけではないんだ。ソウゴ君に関しても、だけどね」


「いいえ、知っているわ。私も、貴方もね」


 ——彼女は何を言っているのだろうか。


 確かに、フェルソナは一般人や『獣人』に比べれば、華のことを理解している。

 立場上、どちらの側面からも彼女を見つめることができ、さらには活動のいくつかを見聞きし、あるいはソウゴやハクアを通して思考にも予想はついている。


 藤咲華は目的のためならば手段を選ばない、そういう人間だと。


 だが、それはあくまで予想だ。

 実際に面と向かって話したのはこれが初めてで、『不老不死の魔女』の本性のたった一部しか読み取れていない可能性すらあるのだ。

 『知っている』など、おかしな話で、


「——貴方は今も仮面をつけているのね」


「——っ!?」


 至近に迫った華が、フェルソナの否定を否定にかかる。

 同時に、理解。


「君は……僕のことを知っているのか?」


 この場合、『黒猫』と出会ってからの五年間を指したものではなく、


「高校、大学の在学期間、あるいはそれ以降に君と僕は……?」


 もし未だ戻らない喪失した記憶の中で、藤咲華が自分に会っていたのだとしたら。

 特徴的な見た目ゆえに、フェルソナを覚えていてもおかしくはない。


 ——あるいは。


「————君が、この喪失を引き起こしているのか?」


 奏太やフェルソナだけでなく、恐らくは他に何人かいるのであろう故意の喪失。

 その原因が彼女だというのなら、フェルソナを知っていたことにも納得がいく。


 これに華はというと、笑みを濃いものにして人差し指を立てた。


「一つだけ、今の貴方に答えておきましょう」


 とん、とその指で仮面越しに額を突かれる。

 咄嗟のことゆえに、反応出来ずにそのまま後ろに倒れるが、


「————瀬黒(せぐろ)裕里(ゆり)(ひと)君。無事に生きていたようで、何よりよ」


 その言葉を最後に、何か命令でも下すように華の手首より先が振り下ろされた。


 途端、フェルソナの身に華の『未知』が入り込んで、全身が言葉を出せないほどの疲労と強制的な脱力に襲われる。


「————」


 何をした、と言葉を発することはできない。

 せいぜい、口を何度か開閉するのみで、抵抗することなど。


 眠気が押し寄せてきているのが分かる。華に確かめなければいけないことが山ほどあるというのに、体が言うことを聞かずに、世界との接点が失われていく。


 徐々に、徐々に、世界の音は小さくなり。



 ————そして、『その音』は訪れた。

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