表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
109/201

第三章46 『嘘吐きと壊女』



 葵の放った一言は、文字通りに一同の動きを固めた。


「分かってたって……どういうことだ?」


 一連の騒動が完全に終わったわけではなく、たとえほんのひと段落に過ぎないとしても。ひとまずは落ち着いて事態を考えることが出来る——そう思った矢先のこれだ。


 梨佳も彼も、両者が放つ緊張感は変わらず保たれており、それに対して奏太を含めた周りのものが見せるのは困惑。そして疑問だ。


 ——どうしてこの場面で、梨佳を疑う必要があるのか。


 彼女はラインヴァントに所属する『獣人』であり、奏太たちの味方だ。奏太の経験だけでいえば、あのアジトで目覚めたときからずっと助けられている。ハクア戦も、このブリガンテとの抗争も。

 そもそもが蓮の親友であり、その意思を少なからず受け継いでいる彼女が裏切るはずなどなく。


 いや、あるいは。


「まさか、ブリガンテと……?」


 裏で繋がっていて、何かしらの取引をしていたとするのなら。

 それならば先ほどの『分かっていた』発言とも繋がる。

 だが、


「んな泣きそうな顔すんなよ、奏太。言っとくけど、あーしはブリガンテと繋がってねーし、所属してんのもここだけだ」


 梨佳は奏太の不安を読んでいたかのように否定、余計な心配をするなと言った態度で小さく息を吐く。

 「それに」と言葉を継いで、


「あーしが信じられんねーか?」


「いや違う、そうじゃない。信じたいと思ってる。……でも、それならさっきの言葉は」


「だってよ。ちゃんと説明しとけよ——葵」


 口ぶりから考えるに、梨佳は葵の判断の理由を知っているのだろうが、どうやらそれ以上口を開く気は無いらしい。そこまで言い切ると視線を葵に、同時に奏太たちもそれを追って彼へと注目が移る。


「……説明してくれ、葵。さっきのは一体どういう意味だ?」


「————」


 緊張のあまり、やけに喉が渇いていた。


 即座に言葉を返さず、表情に出さないまま思案を繰り返しているであろう葵。

 彼が一体何を言い出すのか、それは奏太たちにとって好転となるか、それとも新たな厄介ごとか、果たして————。


 しかし。


 時間にして十秒きっかり。

 その末に葵が見せた動きは、特に珍しいものではなかった。

 懐を探り、『それ』を取り出しただけ。


 だが『それ』は、奏太にとっては忌々しいものでしかなく、ラインヴァントを除いた全員にとっても、また。

 答えは考えていたよりも簡単で、事情は考え得る何よりも複雑。


 息を詰め、目を見開いた奏太は声を震わせて言う。


「嘘だろ、なんでそれが。……なんでっ!」


 何故なら彼が取り出した『それ』は、奏太にとっての終わりで、始まりで、


「————どうして、ハクアのデバイスがここにあるんだよ!?」


 ——鎖のついた懐中時計型のデバイス。


 かつて、あの痩せぎすの男が何度も見せていたものだったから。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



『この平等博愛が、 HMA の名の下に、罪人がいるかどうかを確かめたいと思います』


 あの男は、二度に渡ってその言葉を口にした。

 HMA幹部『トレス・ロストロ』のみが所持している、懐中時計型のデバイスを片手に。


 奏太たち一般人のそれと大きく違うのは見た目だけではない。

 罪人——つまり、違法ファイルが入ってる者や、『獣人』。それらを見極める機能が彼らの懐中時計にはあるのだ。

 初めて見たのはスポーツテストの時、そして二回目は、


「ユキナを『獣人』だと明かし、あの事件が起きた。……そんなあいつの懐中時計が、なんで」


 蓮を失ったあの日。

 嫌が応にもそれが頭をよぎり、奏太は拳を奥歯を噛み締める。


 たとえ葵にその気がなかったとしても、「ああそうですか」と見逃せるわけがないのだ。

 視界に入れるだけ、考えるだけで頭が痛むくらいの『怒り』がこみ上げてくるが、それを抑えるための蓮の『トランス・キャンセラー』も今ここにはない。


 ……早く。

 既に『怒り』堪えるだけで精一杯の域に達しており、今にも爆発しかねない。

 ——それが奏太だけではないのだと気がついたのは、必死の形相で葵を見た瞬間だった。


「————」


 苦痛の記憶は、奏太だけのものではない。


 大事な時に側にいることが出来なかった者たちの怒りと嘆き。葵を含め、彼らにも当然それはあるのだ。その証拠にラインヴァントのいずれのメンバーも、表情を固め、あるいは堪えるように瞳を伏せていて。

 そんな当然をほんの一瞬、忘れそうになったけれど。


 だが、その一瞬を彼は待っていたのだろう。

 金属同士が擦れ合う音が耳に届き、視線を向ければ、葵が気を鎮めるように長く息を吐き出した。そして右手に持った懐中時計を手の中で揺らすと、


「——これのもう一つの機能について覚えていますか?」


「……もう一つの機能?」


 内心はどうあれ、その表情に冷静を貼り付ける葵。

 血が上っていたことで視界が僅かに白んでいるが、頭を振ってそれをかき消す。


 もう一つの機能。

 彼が指すのは、蓮が必死になって彼に立ち向かった理由であり、二回目のハクア戦が起きた理由でもある。

 人間も『獣人』も、その生まれに関わらず、今や誰もが体内に入れていると言ってもいいデバイスだからこそ成り立つ機能。


「——『探索』。過去に触れた相手の位置を特定することが出来る、か」


「ええ、そうです」


 一部の者からメモカ、と呼ばれている身体強化の違法ファイルを使用した犯罪者はもちろん、『獣人』を追うことが出来るその機能は非常に厄介で悪辣だ。

 事実、希美の電話をきっかけにして未遂に終わったが、ユキナを追って来たハクアはラインヴァントのアジトを突き止める寸前だった。


 だが、だとしても、


「それが今何の役に立つって…………いや、待てよ?」


 何の役にも立たない。

 そう決めつけようとして、寸前で言葉を止める。


 気づいてしまったのだ。

 どうしてここにあるか、よりも先、考えるべきは他にある。

 今この状況で、先ほどの彼の発言が指すもの。それはつまり————。


「葵、それはヨーハンから渡されたものか?」


「————」


「分かっていた、ってことは、あらかじめ梨佳があの人に懐中時計を渡していたから。……違うか?」


 事実確認を優先し、問題点——ヨーハンを連れ去ったブリガンテがどこにいるか、その解決方法を後回しにしていたが、懐中時計があるならば問題は一気に解決する。

 よりにもよってというところであるが、抵抗と嫌悪、それから期待の入り混じった複雑な心境の中、懐中時計を見つめる奏太に葵はゆっくりと顎を引いて、


「……これは元々、ハクア戦後に回収しておいたものなんです。何のためにと言われれば、『探索』の対策のためです」


「ユキナのために、だねー」


「ええ。アジトがああなった以上、意味はほとんどなくなったと言っても良いですが……」


 奏太はあの戦いの後、すぐに華とソウゴによって連れ去られたため、空白だった事情を聞かされ驚きを隠せない。

 さらに彼は言葉を続けて、


「ともかく、です。調べてもらうためにも、壊れたこれをフェルソナさんに預けていたんですよ。他の要件も重なっていたため、かなり時間がかかっていたようですが……タイミングが良いか悪いか、アジト襲撃の日には修理を終えていたようです」


「ああ、やっぱフェルソナサンはすごい人っスね…………」


 彼の言葉を受けて恍惚な表情でトリップしているエトはともかくとして、それが事実ならフェルソナは縁の下の力持ちどころではない。

 結局使われなかったようだが、蓮の毒の実用化に加え、『トランス・キャンセラー』、その他諸々と、今回の懐中時計。改めて彼の技術と知識の凄さが分かるほどの功績だと言えよう。


「でも、それだとどういう経緯でヨーハンの手に? 葵は知らなかったんだよな」


「……確か、梨佳さん、あの日、アジトに、寄ってたよね」


「アジトに? 梨佳、そうなのか?」


「ん、そりゃあんなことがありゃーな。みゃおがアジトを出たちょい後くらいだな、あーしが行ったのは。そん時に懐中時計見つけてなー」


 奏太の疑問に希美が、続けて梨佳が言葉を継いで経緯が一つ一つ判明していく。

 つまりは、まとめるとこうだ。


「フェルソナが修理したものを襲撃を挟んで梨佳が回収、それをヨーハンに渡し、一度触れた上で葵の手に。……よく無事だったな」


「HMAの製品は、一般層に出回ってる趣向品とは違って頑丈なのよ。あんた達『獣人』の被害を受けても多少は大丈夫なくらいにはね」


「いや、それでも爆発受けても無事で、ユズカの攻撃にも当たらずて二度無事ってのは奇跡に近いだろ……」


 左手を開き、さも当たり前かのようにすらすらと語ってみせるシャルロッテだが、にわかには信じがたい、というのが奏太の本音だ。

 確かに言われてみれば、奏太の腕時計も多少の傷はあれど壊れるには至っていないのだが。


「まあ、それはそれとして——梨佳。最初の質問に戻るけど、お前はこの事態を……?」


「や、ちげーよ?」


「は?」


「だから、ちげーよって。そんな未来に飛べるわけでもなし、あーしはただの読モJKだっつの」


 呆れるようなため息。

 軽い調子で否定をしたかと思えば、今度は目を細めて、


「——可能性的に、そこのシャルロッテ嬢よりヨーハンの方が狙われやすいし、捕まりやすい。そうあーしは思ったんだよ」


「……その理由は?」


「ブリガンテのアザミは、敵のてっぺんに最高戦力ぶつけてくんだよ。逆転疑惑はともかくとして、前回も今回もユズカをな」


 梨佳の力強い言葉に一切の迷いはない。

 以前蓮と共にヒーローごっこをしていたと言っていたが、それにより培われたのであろう判断力と、鋭い直感。

 事実、二分の一の確率ではあっても彼女の予想通りにユズカはヨーハンのところへ来た。決して喜ぶべきことではないが、彼女のそれは間違いではなかったと言えよう。


 しかし、だ。


「葵もそれを分かってて……?」


 作戦会議では消去法的な形になったとはいえ、葵もユズカが来ると分かっていたのなら、意地でもヨーハンのところへ向かっていたのではないか。

 加えて、戦闘においてユズカに劣る奏太はもちろん、オダマキ達をそこへ配置したところでやられるのは目に見えているし、梨佳があえて葵を彼の護衛につかせたのではないか……と、二つの可能性が出て来る。


 そしてそのどちらともが共通して一つのことを信じていた、ということであり、


「二人とも、ユズカを説得出来るのは葵だけって思ってたのか?」


「……そうですね。焦っていたとは言え、あの子を守れるのは自分だけしかいない。自分が止めたい、そう考えていたのは確かです」


「あーしはちょびっとでも可能性があるから、みゃおに賭けたっつー話だな」


 両者の間に信じる程度の差がかなりある気がするが、二人はこれを否定することなく頷いた。


 正直、事前に伝えるなど出来なかったのだろうか、というのが奏太の率直な感想だ。

 そうすれば違う選択肢、可能性——考えるだけで幾つもの手があったはずだ。最善の道を通ることも、あるいは。


「……って、そんなこと考えても現状は変わらないよな」


 そう考えてしまう自分も確かにいる。

 だが、所詮はもしもでしかないのだ。

 最善がどんなものであったにせよ、反撃のチャンスが消えなかっただけでも十分なのだから。


 だから、


「もう誰も、言ってないことないよな?」


 振り返るんじゃなくて、前を見る。次に生かす。

 そのために奏太が出来るのは一つだけだ。


「抵抗がないわけじゃない。いや、むしろ抵抗しかない。ないけど——ハクアの懐中時計を使おう」


「いいんですか?」


「それしか手がないっていうのもあるけど、フェルソナも梨佳も、ヨーハンも。全員がその場で出来る限りのことを尽くした。なら、それを無下にすることはできない。しちゃいけないって思うんだ。……葵は?」


「ボクは…………」


 見るだけであの日の光景がフラッシュバックするほどの物であっても、梨佳は全てを飲み込んで賭けることにした。

 ならば奏太が頷かないわけにはいかないのだ。他の誰でもない、蓮の親友であった梨佳がそうしたのだから。


 そうして視線を向けた先、葵は答えを決めかねて——否。

 彼は一切の迷いなく言い切った。


「使いましょう。使って、取り戻すんです。全てを」


 視線を交えれば、一瞬だけ浮かべられた笑み。その胸の内にはきっと、一人の少女の存在がある。

 彼女を救うために格好付けをすると言った彼だからこそ、飲み込めたはずで。

 ならば奏太に出来るのは、彼の手が届かない範囲をどうにかすること。ヨーハンも、ユキナも、フェルソナも、彼の言う通り全てを取り戻すのだ。


 ぐるりと一同の顔を見渡せば、各々に多少抵抗の色が見られたものの、反対の声は上がらず、総意がまとまって、


「決まり、ですね」


「……ああ。あとはそれを使った場所の特定と分担、対策ってところか。じゃあまずは——」


「あ、すみません。その前に一つ」


 話のもう半分、これからのことを話し合おうとして、右手を挙げた葵に止められる。

 もしや他にも何かあるのではないか、そんな不安がよぎると同時、彼は頭を下げた。


「ここ数日、ボクらしくない姿——いえ、誤った思考、判断で皆さんに迷惑をかけたことにお詫びを」


「そんなの謝ることじゃ、それに俺も……」


「あの子達が拐われ、気が動転していたことは事実です。平静であれば気が付けたことも多くありましたしね」


 葵が自らの行いに頭を下げるというのならば、奏太もまた同様だ。

 今回の襲撃では何とかなったとはいえ、そもそもが奏太の油断から生まれた事態で————、


「ハッ、あんた達揃いも揃って暗い顔ばっかりね。だから下民は下民なのよ」


「な……っ」


 しかし、それをシャルロッテは嘲笑。

 思わぬ方向からの声に驚く葵を、それから奏太を見つめて、


「途中がどうあれ、結果を出したものは賞賛されるべきよ。特に下民、あんたはこのワタクシという貴重な存在を、不恰好ながらも守り抜いた。それは誇っていいわ。……帰る道すら分からない頭のチンピラはともかくとしてね」


「あぁん?」


「やめろオダマキ。悪気は…………ないわけじゃないと思うけど。でもシャルロッテ、お前は——」


「それから、そこの女みたいな男」


 シャルロッテの言葉にオダマキが反感の声を上げ、奏太がそれを止めようとするが、彼女は一切を気に留めない。

 そしてそのまま葵を指差し、やけに真剣な瞳で彼を見つめ、言った。


「あんたの事情は知らないし、はっきり言ってワタクシにはどうでもいい。余興にもなりはしないわ。けれど、言っておく。一つを決めたのならやり通しなさい。自身の全てを尽くし、全てをかけて」


「————」


「それがこの下民たちに出来る、最大の罪償いよ」


 どうして彼女がこんなことを言い出したのか。


 真っ先に浮かんだのは、そんな疑問。

 だけだ奏太は知っていた。だから理解した。シャルロッテの言葉の意味を。


「…………何よ、下民」


「……別に、何でも」


「気持ち悪いわね。ワタクシを視界に入れるなんて、頭が高いわよ。立場をわきまえなさい」


 照れる様子もなければ、優しく声をかけるわけでもない。そんな彼女の言葉の中に、誰かの存在があることに芽空は気がついているだろうか。


 …………いや。


 気がつけばいいなと、そう思う。


「葵。まだ言いたいことはあるか?」


 自分でも驚くくらいに穏やかになった胸の内。

 第一印象はともかくとして、まさか彼女にここまでの力があるとは思わなかった。

 勝負の勝ち負けではなく、心の強さ。


 梨佳や蓮のように響いてきて、こちらの背中を押してくれるような。

 決して彼女も、一人でたどり着いたのではないのだけれど。


 しかし、それでも。


「そうですね。改めて一つだけ」


 一人の少女を想い、だからこそ謝罪の句を口にした少年の後押しは出来る。


「————ユズカはこのボクが救います。皆さんとあの子と……ボクのために」


 過去の後悔も何もかもをひっくるめて、進むために。

 葵は笑みを浮かべ、そう言った。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 それにしても、だ。

 第一印象は本当にもう、最悪と言い表すほかないくらい苛立ちを覚えるシャルロッテだったが、多少なり良い部分もあるではないか。

 これは評価を改める必要があるだろう。そう思って————、


「……で、お前は手伝わないのかよ」


「当たり前でしょう。このワタクシがどうしてあんたたちの手伝いをしなければならないの? 下民は下民らしく、さっさとワタクシに料理を出しなさい」


 結果がこれである。

 考え直す必要があるかもしれない。


「まあ、でも実際料理出来るメンバーってかなり限られてたしな……」


「そーた、浅漬けは?」


「ああ、出来てるよ」


 梨佳や希美にも料理を覚えてもらうべきだったか、とため息をついたところで、追いついてきた芽空が目をキラキラとさせ近付いてくる。

 彼女の両手には先ほど調理し終えたばかりの料理が乗ったお皿があり、それを落とさないよう声をかけつつ。


 ——奏太たちは一度、休憩も兼ねて朝食の時間を取ることに決めた。

 奇跡的に厨房は無事だったものの、材料はほとんど運び出された後だったので外へ買い出しに行くほかなく、梨佳の命令のもとオダマキが何度もパシリにされたりして。


 調理は奏太、芽空、葵が主となって行われ、エトを除いたメンバーは食器を運んだり、邸内を回って異常がないかを確認したり。

 シャルロッテが何も手伝わず、座って本を読んでいたことには抗議文を叩きつけたいところだが……まあ結局言っても無駄である。


 ともあれ、そうした過程のもと、朝食というにはやや豪華なもの出来上がった。


「お腹、減った」


「もう少しでエトが来るからちょっと待ってくれ、希美。食事は逃げないから」


 前にどこかで見たようなやり取りを希美と交わしつつ、奏太は改めて場を見つめ直す。


 エッグベネディクトにコンソメスープ、簡単なサラダと取り分ける用の料理、デザートのフルーツケーキ等々。洋食をメインとしたそれは、恐らくシャルロッテを意識したもの。

 その提案者はというと、洋食の中で一際目立ち、異様な存在感を放っている……ような気がする浅漬けを前にし、ウズウズとしているが。


 それから希美はというと、普段と変わらぬ無表情ではあるが、先ほど声に出した通り料理を前にしてお預けをくらい、芽空ほどではないにせよ『いただきます』の言葉を今か今かと待ち望む。

 ……その横で、梨佳はオダマキに対しまだあれこれと命令をしているようだが。


「あとは……」


 そこまで来て、最後に目が合ったのは葵だ。


 彼もまた、奏太同様に場を見渡すと、


「…………ユズカたちにも食べさせてあげましょう。また、すぐに」


「…………ああ。……あと、フェルソナとヨーハンもな」


 憂いの気配一つなく、小声で囁きのやり取りをした。


 これはもう、ブリガンテとの決戦前の最後の食事だから、と。


「まだ、かな」


「もう来るって……多分。あ、ほら、ちょうど————」


 何度も希美に求められる、『いただきます』の声。

 そろそろ我慢の限界か、そう思い始めたところで、タイミング良く扉が開いた。


 希美ほど声には出していなかったが、待ち望んでいた相手。

 きっと諸々の調整を終え、那須色の二つ結びを揺らしながら満面の笑みで入って来て———、


「————ぁは」


 確かに、笑みはあった。


 だが、誰が予想しただろう。

 それが子供のように無邪気なそれではなく、目をかっ開き、壊れたようにニタリと浮かべられた笑みだと。


 誰が予想しただろう。


「大変遅くなりました。——あぁ、でもちゃんと働きますから、安心してくださいね。私はこれでも、仕事はちゃんとするタイプなんですよぉ?」


 粘っこい声と、光のない焦げ茶の瞳。

 黒の薄着を身にまとったその長身は、くるくると巻かれた瞳と同色の長髪を撫でつけ、言った。


「——HMA幹部『トレス・ロストロ』が一人、暗情哀。皆さん、よろしくお願いしますね?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ