第一章 花園香織編 一話
とある県内にあるごく普通の公立高校には、一年の時に問題ありと判断された生徒たちが一つのクラスに纏められ、監視対象とされた。二年の一年間に、さまざまな担任教師があてがわれたが、誰一人として長くもった者はおらず、次々に辞職していった。
次第にクラスの生徒たちは外見や素行で判断する大人に期待をしなくなり、さらに荒れていった。あれはそんな矢先の去年の四月のこと。一人の新任の教師が現れたことによって、それは一変したと言っても過言ではない。
◇ ◇ ◇
ホームルーム開始前。赴任したばかりの櫻庭春佳にあてがわれたのは、学内でも問題児の集まりとなっている三年C組の担任。大学の時の先輩の懇意でこの学校にやってきたが、正直にいえば大人の誰もが投げ出した生徒たちを自分がどうにかできるとは思えなかった。
前の学校での櫻庭の行いを鑑みれば、問題児の集まりとなっているクラスに新任で、しかも担任をさせるとは思えない。単なる一教師の立場の先輩にそんな権限があるのかさえ怪しいものだ。それでも実際に任されているわけだから、とやかく言えるわけもない。
前の学校を辞めて、腐っていた櫻庭をこうして拾ってくれたのは間違いなく隣に並んで歩いている如月夏美先輩だ。
肩辺りで切り揃えられた黒髪は、手入れが行き届いていて艶めいている。長身の櫻庭とは頭一つ分ほど低いが、それでも女ならば低くはない身長。色素の薄い琥珀色の瞳は優しげな眼差しをしている。薄い唇はほんのりピンク色で、清楚さも感じさせていた。細身のわりに、女らしさのあるラインをもつ彼女は、大学を卒業してから数年会わない間に、ずいぶんと魅力的になったと、櫻庭は横目にしながら静かに思う。
如月とは二歳離れているが、学生時分は年齢を感じさせないぐらいに明るく活発な人柄に、彼女に密やかに想っていた男は少なからずいたのを思い出す。
それに比べて、櫻庭は大して成長していない。夕陽のような茜色の髪。顎辺りまである揉み上げ。後ろ髪は剛毛のせいか後ろにハネたような形になっていて長さは襟足辺りという学生の時から変わらない。頼り気がなさそうな瞳は碧色。服装だってワイシャツにスキニーパンツと驚くくらいに学生時代と似通ったものになっている。
「緊張してる? ハルカくん」
ため息を吐かないまでも、肩を落としている櫻庭に、如月が声をかけた。学生時代から変わらないアダ名。櫻庭の名前を見て正しく読めた人物は少ない。大抵が「ハルカ」と読み間違えるので、その度に訂正するのが面倒になり、アダ名として統一されたというのが正解だ。
「多少は。……俺に務まるのか自信ないですから」
「大丈夫だよ、ハルカくんなら。それにサポートするために私が副坦なんだから」
バシン、と背中を力一杯叩かれて思わず咳き込む。
「ハルカくんはさ、きっとあの子達を救ってあげられると思うんだ」
「……え?」
如月の言葉の意図が分からず聞き返す。
「直接担当はしたことないけどさ、みんないい子達だよ。悪い子なんて最初からいないもの。ただ、いろいろあるんだよね生徒たちにも、さ」
「だったら先輩が受け持てばよかったのでは?」
クラスの生徒たちのことを知ったような口振りに、櫻庭は思った疑問をそのまま投げ掛けた。すると、如月は困ったような笑顔を浮かべる。
「私じゃダメなんだよね。同情とかしちゃうからさ。子供たちを導いてあげれない。あの子達が求めてるのは同情なんかじゃないの。同情しちゃうとね、相手を分かった振りしてしまうから」
だめなんだ、と再び笑みを浮かべて如月は言った。
「ここを紹介する前に説明はしたけど、あの子達は私たちを一切信じてないし、期待もしてない。うわべだけの取り繕った言葉は通じないわ。本気でかからないと、痛い目を見るわよハルカくん」
「分かってます。せっかく先輩がくださった機会を無駄にするつもりないです。どこまでできるか分かりませんが、やれるだけのことしてみます」
「うん。あの子達にとっての対等な先生になってあげて」
「……はい」
もう逃げるわけにはいかない。目の前に見える教室のドアの向こうは、櫻庭の生徒たちが待っている。息を飲む櫻庭の背中を如月が支えるかのように手を添えた。「大丈夫」そう言われている気がした。