若き勇者
アルディナ王国、王城。謁見の間。
玉座に座り目の前に跪く青年を見つめる、現アルディナ国王、クラウス。彼が見つめるのは、つい先ほど使者に連れられて入城した勇者の血を引く男だ。
かつて魔王ルインを封印し、世界に平和をもたらした伝説の勇者。その直系の子孫にあたるのが彼、フィル・オルドレードだった。
「……顔を上げて楽にしてくれ」
「しかし」
「構わぬ、顔を上げるのだ」
クラウスの言葉に躊躇いながらも、ぎこちなく姿勢を正す勇者。彼は最初この謁見の間に連れて来られるなり、真っ先に国王の眼前に跪いて額を床に擦りつけんばかりに頭を下げていたのだった。
「申し訳ありませんでした、国王陛下! 我が勇者の家門は代々この上ない恩寵を国王陛下から享受する代わりに、王家を守護することを役目としています! しかし魔王の襲撃に対して駆けつけることも出来ず……不忠者の謗りも甘んじて受け入れます!」
「よい。そもそも私が魔王復活の報を受けたのとほぼ同時に襲撃を受けたのだし、私がそなたに使いを出した時点で既に事後だったのだ」
「な、なんとお優しい……私は国王陛下のご寛大なお心に感動いたしました。どんな命令でも必ずや成し遂げて見せましょう! 魔王を討てと仰るのなら魔王の、幾千の魔族を仰られれば万の魔族の首を陛下の下へ届けましょう!」
「う、うむ……」
些か力の篭り過ぎなフィルの言葉に、クラウスもどこか辟易しているようだった。伝説に綴られた勇者は正義に満ち溢れた青年だったと聞くが、目の前の青年も正義感、いやこの場合は責任感というべきか、本当に命令を下しさえすれば魔族の首などいくらでも取ってきてしまいそうな勢いだ。
クラウスは微かな不安を感じながらも口を開く。
「そなたをここへ召喚したのは他でもなく」
「はいっ、何なりと!」
「……こほん、そなたには復活した魔王ルインの討伐及び攫われた我が娘、王女シャルロットの奪還を命じる」
「はっ、了解しました。任務は確実に遂行します!」
今すぐにでもこの場から飛び出していってしまいそうなフィルに、クラウスは宥めるような口調で続ける。
「そなたの旅路に力あるものを同行させたいのはやまやまなのだが、対魔王軍に戦線を維持しなければならない。そこに最低限の防衛戦力を除き、全ての戦力を投入しなければならない。なので非常に心苦しくはあるが、そなたには我が軍と魔王軍の激戦区の隙間を縫い、なるべく魔族の目を避けて魔王城へ忍び込んで欲しい」
「隠密、ですか?」
「徹底しろというわけではない。ただ、一人で真正面から魔王の懐へ潜り込むのはそなたにとっても中々に大変であろう。なれば隠密が最適かと思ってのことだ。特別負担がなければ、基本的に自由に行動してくれて構わん」
「分かりました。お心遣い、改めて感謝します。しかし最も負担をなくすというのであれば、私を戦線に投入していただければ他の兵達の消耗も防げるかと思いますが」
「そうだな、しかし前線を押し上げて魔王城まで追い詰めた場合、王女を人質に取られる可能性がある。それは出来れば避けたいのだ。……この世界の一大事に、自分の娘可愛さで次善の策を取ることを許して欲しい」
クラウスは玉座から立ち上がり、深く礼をした。彼の言うとおりだ。本当に被害を少なく魔王を討つのであれば、勇者の力を持つ彼も戦力に含めて運用するほうが現実的だ。しかし、どうしてもシャルロットの身が心配でならなかった。自分は国民の為なら王女でも見捨てる覚悟を決めたというのにだ。
結局、その覚悟は貫き通すことは出来なかった。こうしてフィルに王女の奪還を命じているのも自身の心の弱さだ。
「いえ、とんでも御座いません。私も出過ぎた発言をしました。それに、親が子を思って救いたいと願うことを一体誰が咎められましょう。是非私に、王女を救い出す栄誉をお与えください」
そう声高に王女を讃えるフィル。下げていた頭を戻し、クラウスは眼前の青年を――いや、勇者を見据える。そして今一度、命令を下す。
「ありがとう、勇者フィルよ。それではそなたに改めて命ず。魔王討伐及び王女奪還の任を与える。これはそなたと王女の帰還、そして世界の平和を以って任務完遂とする。よいか?」
「はっ、仰せのままに!」
フィルは深く頭を垂れて恭順の意を示した。そして姿勢を正すと、くるりと振り返って謁見の間を後にした。フィルが廊下に出ると、彼についていた従者が慌てた様子で呼び止めていた。旅立ちに伴って準備もあるだろうに、まさかあの青年はそのままの出で立ちで旅に出るつもりだったのだろうか。
大きな扉が閉まるまで、廊下からは従者の慌しい声が謁見の間に届いていた。
☆
「……陛下、よろしかったのですか? あのような者に頭を下げるなど」
フィルが謁見の間から去ってすぐ、隣に控えていた側近がクラウスへ控えめに声をかけた。
「構わん。私は彼に世界の命運と自分の我侭を押し付けてしまったようなものだ。ならば私も頭の一つでも下げるというのが筋だろう」
「し、しかし勇者の直系といえど、あんな礼儀も知らぬ若造に……」
側近の言葉に、相変わらず視線は前だけを向いたまま落ち着いた口調で答える。
「これから命を賭けるという者に礼儀など求めはせんよ。戦場に赴くというのであれば、そこに立場などを気にする余地などない。生きるか死ぬか、戦場では命は等しく尊く、平等に無価値となってしまう」
クラウスの王らしからぬ発言に、側近はもとより周囲に控えていて会話が耳に入ってしまった者も驚き、言葉を失っていた。
命の価値について呟いたクラウス自身はというと、王ではなく剣を握る戦士の顔をしていた。――今だけは、自身の代わりに戦場へ単身飛び込み王女を救い出すという重荷を与えてしまった青年に、かつては剣を振るい命を奪ったことのある一人の人間として、彼を見送りたいと思う。
――勇者の子孫といえどまだ若い。少し夢見がちなところがあるんじゃないか?
――国王陛下に頭を下げさせるなんて……
――熱意だけで空回りしそうな青年だったな。少し不安だ。
――あんな子供に任せて大丈夫なのだろうか。陛下は一体どういうおつもりなのか。
――そもそも勇者の力なんていうものが本当に存在するのか……?
クラウスが黙ったまま扉を見つめる中、謁見の間に揃った者の間でひそひそと疑念が囁かれだした。勇者の血を引くといえど、それほどまでにフィルの容貌は平凡で、若さが抜けきっていなかったのだ。
流石にこのざわめきを無視することはできなくなったクラウスは、ブーツの踵を踏み鳴らし、響く音で各々を黙らせた。
「不平不満のある者は前に出て発言せよ。彼の実力に不安が残り、我こそはという者がいるのであれば、それを証明して見せよ。その者には勇者の代わりとして先程の任務を与えようと思う」
我ながら無茶なことを言っていると思っている。しかし、何故かあの若い勇者に対する不平は許しがたいと感じた。
それは剣を握ったことのある者として彼の勇気に敬意を感じているからなのか、それとも命を捨てるような無謀な任務を与えてしまったことに対する後ろめたさからか。
何はともあれ、彼が出立するというのであれば、自分に出来るのはその支援を惜しまないことだ。
「彼の旅立ちは一月後としよう。剣術、魔術の実力を簡単に調査し、そして旅に必要な物があれば準備せよ!」
クラウスの言葉に、謁見の間にいた大臣や従者達はすぐさま行動を開始した。大勢の人間の足音が一斉に響き渡る。
――シャルロット。きっといつか、お前を救い出そう。
クラウスはその決意を最後に、娘への心配を断ち切ることにした。自身のやるべきことは国防だ。私情で揺らいではならない。
ローブの裾を翻し、クラウスは謁見の間を後にした。