急襲、古の魔王
「どこだ、今の爆発はどこで起こった!」
騒然とする城内。クラウスは既に玉座から降り立ち、先陣を切って廊下を駆けていた。
元々玉座に座り続けているのは性に合わず、まだ若い頃には父の命によって剣を片手に戦場で軍を率いたこともある。それ故に、このような緊急事態に真っ先に体が動いたのが王たる彼だとしても、その行動を窘める家臣は一人としていなかった。
「分かりませ……あっ、見てください、東の塔です! 塔から煙が!」
並走する側近が窓の外を指差す。その先を追うようにして見たクラウスは、東の塔の半ばから砂塵と黒煙が上り、崩れた外壁が瓦礫となって積まれていたのを認めた。
「東の塔……まさか」
そこにいるはずの人物を思い浮かべ、クラウスは激しい焦燥に駆られた。踵を返してもと来た道を走る。昔のような体力はないにしても、普段から書類や文献と睨み合っているような家臣をすぐ引き離す程には速かった。
やがて幾つもの角を曲がり、何段も階段を駆けたところで漸く東の塔へと辿り着いた。爆発から時が経ち砂塵はもう舞っていないが、まだ何かが焦げる様な匂いと共に煙が充満していた。
目を突く刺激に涙を堪えつつ、目的の部屋を求めさらに走る。
無事でいてくれ……!
クラウスはそう心の中で何度も祈りながら、足を前に進める。やがて壁が大きく抉れ、黒い炎が所々で燃えている場所に来た。――彼が目指していた場所と同じ位置だった。
「くっ、シャルロット!」
外壁から、廊下を貫き部屋の中にまで続く大穴。まるで空から大岩でも投げ込まれたかのような被害。クラウスは部屋の中を覗き込み、我が娘の名を必死に叫んだ。大量の煙を吸い込んで咽返り、黒い炎が法衣の裾を焦がすが気にも留めず、ひたすらに王女の姿を探した。
「へ、陛下! ご無事ですか?」
やがて後から必死に追いついてきた家臣達が、クラウスの元に駆け寄る。
「私は大丈夫だ。しかし……娘の姿が見えない」
「そんな、シャルロット王女が!?」
クラウスの口から告げられる王女の危機に、一同は大きな焦りを感じた。各々が部屋にいるであろう王女の安否を確認しようとするが、煙が酷く中の様子がまるで窺えない。
いよいよクラウスが炎の中へ飛び込もうと覚悟を決めたその瞬間に、一際大きな爆発が部屋の中から発生した。
「お、王女様っ!」
黒い炎を吹き飛ばすような衝撃に、その場の全員が身を竦めて堪えた。白い光が一瞬膨れ上がり、そして消えた。
一足早く立ち直ったクラウスは目を開き、現状を確認しようとした。すると微かにだが、部屋の中から外壁の穴に向かって飛び出す何者かの姿を黒煙の中に見た。
「何者かがシャルロットの部屋から飛び出した。誰か、煙を払え!」
「はい。……風よ!」
魔法を扱える家臣が風を呼び出して煙を飛ばすと、漸く視界がクリアになった。黒い炎は依然として瓦礫の上で燃えているが、王城に攻撃を仕掛けた者の姿を確認することは出来るはずだ。
クラウスは視線を無意識の内に空へと向けていた。先程の従者からの報告も含めて、彼の中には既に確信があったのだろう。何も知らない家臣達と違い、クラウスは絶望に満ちた表情でその姿を捉える。そうでないことを願ったが、現実は非情だった。
「あぁ……」
「お、お父様!」
力なく、口から吐息が漏れる。
そこにいたのは黒い翼を背に生やし、圧倒的な魔力を湛えた男。黒い炎をその身に纏っているが、決して自身の体を焦がすことはない。
そして脇に抱えられた娘、シャルロットの姿。
「な、何者だ貴様! 王女に何をするつもりか、炎よっ!」
家臣の一人が、彼に対して魔法を行使しようと腕を振り上げる。クラウスが止める暇もなく、魔力が指向性を持って集まりだした。しかし。
「うぐ!?」
宙に浮く男が手を翳すと、それだけで家臣は見えない力によって押し飛ばされ、発動間際だった魔法は制御をなくして霧散した。
クラウスは彼の身を案じたが、それでも目の前の男から視線を外すことが出来ないでいた。やがてゆっくりと男は口を開く。
「……我は、かつてこの王国の者に受けた屈辱に対する報復にやって来た。ついてはこの姫を貰っていこうと思う」
重く厳粛な声によってクラウスにもたらされたのは、彼にとって受け入れがたい宣告だった。
妻は病床に臥し、唯一の子であるシャルロット。大切に育て、ゆくゆくは我が国を支える女王になるはずだった娘。
それがあの者の出現により、全て儚く打ち崩されてしまった。そう――
「魔王……」
「ま、魔王ですって!?」
無意識の内にか口にしていたその名称に、周囲にいた家臣が驚きの声を上げる。しかしクラウスはそんなことを歯牙にもかけず、一歩進み出る。
「何故、娘なのだ……。頼む、他のものならいくらでもくれてやる! だから、娘だけはどうか」
「愚問だな。――さらばだ、人間の王よ」
「そんなっ!? お父様っ、嫌、いやあああああ!!」
クラウスの頼みを一蹴した魔王は、翼を翻し背を向けた。そして遥か彼方、北の空へと消えていくのだった。
「ああ、そんな……シャルロット」
クラウスは悲愴な面持ちで、とうとう膝をついてしまった。家臣が心配そうに肩を支えるが、不要だと払いのける。
……娘を失ってしまったが、私は王だ。魔王が現れたのであれば、私は王国の守護を第一に考えなければならない。王女のことは勿論大切だが、それでも無数の国民の命とは代えがたい。たとえ血の涙を流したとしても、私は王として、古の災厄を、魔王を討たねばならないのだ。そして、攫われた娘も必ず救い出せばいい。
クラウスは心に固く決意し、再び立ち上がった。
「大至急軍備を整えよ。また、議会の召集を急がせろ。――我がアルディナ王国はこの時を以って、古の魔王に対し宣戦布告する。……必ず、魔王を討つ」
そう言い放って、謁見の間へと戻るクラウス。その後を追う家臣。来るべき戦いに、彼らの緊張は高まっていた。
魔王に連れ去られる際。王女の口元に浮かんだ笑みは、クラウスや家臣、更には魔王でさえ、気付く者はいなかった。