伝説
――かつて世界に、悪が生まれた。
世界中の害悪をその身に背負い悪の権化と成った魔王は、その眷属である魔族を従え、世界の悪意の根源として、人類を含む数多の種族に対しその矛先を向けた。理由なき暴力が世界を恐怖に包み、空は赤く染まったという。
魔王の暴挙に危機を感じた心ある種族の長達は、それぞれが力のある勇敢な者達を募り、そして魔王の元へと送り出した。
世界に滅びをもたらす魔王を葬り去る敵と定め、種族の垣根を越えて他の生物と手を取り合い、魔王を征伐すべく幾人もの戦士が旅に出たのだった。
――魔王は、一人の勇者によってその身その力を封印された。
正義に満ち溢れた青年は、その勇気を称えた女神から祝福され勇者と成った。光る剣を携え、闇を払うその力を以って魔王に迫り、勇者は魔王を打ち倒した。正義の名を声高に宣誓し、その胸元へと光る剣を突き立てた。
しかし予想を遥かに上回る魔王の力、身を焦がすような悪意の奔流を完全には断ち切れなかった勇者は、女神から賜った力の全てを費やし、どうにか魔王を封印することに成功した。
これに世界中の人々は歓喜し、踊り、街という街が平和を讃美する歌声に包まれた。祝福の鐘の音は、いつまでも鳴り止まなかったという。
――遥かな時が流れ、世界は平和に満ち満ちていた。その喉元へ付きたてられる、悪意の刃。
人々が勝ち取った永きに亘る平和は、いつまでも続くかと思われた。魔王を封印した正義の勇者はその天寿を全うし、既に人類は何代も繰り返していた。魔王のもたらした悪夢は忘れ去られ、世界に残された傷跡も霞んでいた。
しかし、ある時唐突に封印がその効力を失い、深い時の檻に閉じ込められていた魔王が姿を現した。
魔王はかつて自らを討った勇者への屈辱を忘れてはいなかった。その身に闇の翼を顕現させ、広き空へと翻った。目指すはかの勇者がいた王国、彼の故郷へと。
――魔王の黒き手により、美しき宝玉は闇に隠された。
魔王は王城へと襲い掛かり、人々が狂乱する中一人の姫を攫ってしまう。
それは、慈愛に満ち国民全てから慕われる姫だった。その美貌から国の宝石とまで云われ、誰しもがその姿を羨み、自らの腕の中に抱きたいと一度は切望してしまう程だった。
王国は姫を奪い去った魔王に対し、勇者の血を引く青年を召喚した。彼はその力、その加護を以ってして、伝説の勇者の生まれ変わりではないかと囁かれていた。
王は勇者に対してひとつ、命を下す。「魔王を討伐し、王女を奪還せよ」と。
……これは、王国へと伝わる古い話。かの勇敢な者の功績を褪せることなく残し、皆が協力し合う事を忘れまいとする伝説だ。
――そして一人の男にとっては、最も忌むべき、偽りの歴史だった。