彼を取り巻く彼女達の戦い
ライネット大陸の人族が暮らすガルシア帝国とセロル海を挟んだ対岸にある魔族の暮らすフリージアの宗教・領土・資源等の様々な要因による長きに渡る戦争は激化の一途を辿っていた。
――――――――――――
自然豊かな山々と青く澄んだ海に囲まれたガルシア帝国のとある港街からボルトアクションで単発式の三八式歩兵銃と背嚢を背負った1人の少年が完全に夜も明けていない薄明かりのなかのこっそりと抜け出し山に向かって走って行った。
山の中道なき道をひょいひょいひょいっとまるで猿のような身のこなしで駆ける少年は時折立ち止まり後ろを振り返っては追ってくる者がいないか何度も確認していた。
30分程山の中を進み少年は目的の場所である洞窟に着くと外よりも真っ暗な洞窟の中になんの躊躇いもなく入って行った。
洞窟の中は真っ暗闇だったが、少年は全く足を取られることなく曲がりくねりデコボコとした凹凸の激しい洞窟の内部をどんどん奥へと進んでいった。そうして洞窟の奥に進んでいくとボンヤリとした小さいひかりが見えてきた。
ランタンが焚かれの火の光のお陰で明るくなっている洞窟の一番奥では枯れ草を敷き詰めて簡易のベッドのような物が作られ小川から汲んできた水が入った水瓶が置かれ生活が出来るようになっていた。
「……また来たのか小僧。あれほど来るなと言ったのに」
そんな場所で言葉とは裏腹にまんざらでもない嬉しそうな笑みを浮かべた魔族――褐色の肌に腰の辺りまで伸びた銀髪をポニーテールに纏めているダークエルフの少女は簡易のベッドから体を起こし少年に向けそう言った。
「何度も言ってるだろ小僧と呼ぶな。俺の名前はアサギリハルトだ。というかお前だって俺と同じ位の歳だろ……」
「ふん。魔族とそなたら人族の成長スピードは全く違うのだ。こう見えて妾は――」
「はいはい。それはいいから」
「……お主だって妾の話を聞かんではないか」
ハルトが少女の言葉を遮ると少女は不満げにプゥーっと頬を膨らませた。そんな少女に目をやりつつもハルトは背負っていた三八式歩兵銃を地面に下ろし背嚢から包帯や軟膏といった医療品とパンと果実そして僅かばかりの肉を取り出した。
ハルトが大怪我を負い山の中に倒れていたフリージア軍の将校と思われるダークエルフの少女を助けてから早5日。助けられた当初はハルトのことを警戒し拒絶していた少女も今ではハルトの献身的な介抱のお陰か心を開いていた。
「ほら、早く脱げ」
「……うむ。」
ハルトに言われてなにやら複雑な表情になった少女だったが、大人しく身に着けていた軍服を脱ぎ秘所以外を全てハルトに晒した。そんな少女に食料を手渡すとハルトは医療品を手に取り少女の体に痛々しく刻まれている大小無数の傷の手当てを始めた。
「……っ!!」
「悪い、痛かったか?」
「……痛くなどない」
少女は強がってはいたが、表情は傷が発する痛みのせいで強ばっていた。そして痛みをまぎらわせるためか次々と口の中に食べ物を詰め込んでいた。
「よし、おしまい」
少女の体に新しい包帯を巻き終えたハルトは少女にそう告げ汚れた包帯や医療品を背嚢に戻した。
「ケプッ。うむ、今日もうまかったぞ」
ハルトが少女の手当てを終えるとちょうど少女の食事も終わったようだった。
「じゃあまた明日来るから」
少女が食事を終えたのを確認するとハルトは手早く荷物を纏め背嚢と三八式歩兵銃を背負いスッと立ち上がった。だがそれを見た少女が慌てた様子で口を開いた。
「も、もう行ってしまうのか……?以前はもう少し長居していたではないか」
「しょうがないだろ……。家に居ないのがバレたら騒ぎになるんだし」
「じゃが……」
ハルトの袖の端をちょこんと握り俯く少女の頭を撫でるとハルトは苦笑して言った。
「明日の朝また来るから」
「うむ……!?いっ、いやもうここに来てはいかんぞ!!わ、笑うではない!!妾の話を聞いておるのか!?お主は!?」
うっとりとした表情で頭を撫でられ頬を赤く染めていた少女がハッ我に帰りワタワタしながら慌てている姿を見てハルトは和んでいた。
「じゃあまた明日」
「だから!!もう来てはいかんと言っているじゃろ!!」
少女の言葉を無視してハルトは洞窟から出ていった。1人洞窟の中に残された少女は思わず手を伸ばしたが、その手はハルトに届くことはなく空中をさまよった。そして少女は手を伸ばしたまま去っていくハルトの後ろ姿をずっと寂しげに見つめていた。
――――――――――――
そうしてハルトが山の中で倒れていたダークエルフの少女を保護し世話をするようになり少女の怪我がほとんど治るころには2人の仲はどんどん親密になり今では端から見れば2人の様子はまるで恋人のようになっていた。
そんなある日のことダークエルフの少女――エルザがハルトに質問した。
「のうハルト」
「なんだ?」
「お主は……何故妾を助けた。妾がフリージア軍の将校だと分かっていたはずじゃぞ?」
突然のエルザの質問にハルトは一瞬詰まったがすぐに答えを言った。
「……あんな大怪我を負っている奴をほっては置けないだろ」
「……お主は魔族である妾が憎くないのか?人族と魔族はずいぶんと昔から今までずっと争い戦っているが」
「そう言われてもなぁ……。魔族に直接何をされたとかいう訳でもないし」
「そうか……」
ハルトの答えを聞いてエルザは神妙な表情で頷いた。そしてこの日からエルザのハルトに対する接し方がガラリと変わった。どう変わったのかというと今までは心を開いていてもどこか一線を引いていたのに対し今ではその一線が消え、ハルトに対しものすごく甘えるようになり依存心や執着心を隠さず露にするようになっていた。
突然甘えるようになってきたエルザの様子を疑問に思ったハルトはエルザに聞いてみた。
「どうしたんだ?エルザ、最近様子がおかしいぞ?」
ハルトがそう言うとエルザが突然ハルトに抱き付いた。そしてハルトの胸に額を押し付けながら自分の心の内を語り始めた。
「妾の傷が完治しかけておるのはお主ももう気付いておろう」
「……あぁ」
「傷が完治すれば……。妾はフリージアに帰らねばならん。じゃが……妾はお主から離れたく……ない」
「そうか」
ハルトは胸の中で震えながら喋るエルザの頭を優しく撫でながら相づちをうって話を聞いていた。
「……のうハルト。妾のわがままを聞いてはくれんか?」
「……内容による」
「妾と一緒にフリージアに来てくれ!!頼む!!ハルトが側に居ないともう妾は……!!妾は!!」
「……」
エルザの哀願にハルトはすぐに返事を返すことが出来なかった。
――――――――――――
フリージアに一緒に来てほしいというエルザの頼みをハルトが遠回しに断ってから3日後、エルザが今日だけはどうしても離れたくないと言うので仕方なく一緒に一夜を共に過ごしたハルトが早朝に目を覚ますとそこには既にエルザは居なかった。
隣で寝ていたはずのエルザがいないことに驚いたハルトが慌てて洞窟の中を見渡すとポツンと1通の手紙が残されていた。
『ハルトへ。
お主が妾と共にフリージアに来てくれぬというのは理解した。じゃが妾はお主を諦めるつもりは毛頭ない。時が来れば妾は必ずお主を迎えに――奪いに行く。それまで暫しの別れじゃ。エルザ』
そんな手紙を見たハルトは一瞬寂しげな表情を見せたが頭を左右に振って気持ちを切り替えると荷物を纏め家に向かって駆け出した。
ちなみに家に帰ったハルトは黙って家を空けていたため両親にこってりと叱られた。