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密航者

作者: oracle

後頭部に衝撃を感じた。

倒れた先に隔壁があり、振り回した手でロックが出来たのは、単純にツイてただけだ。

機関室には闇と、亜空間航行エンジン特有の低いうねりが満ちていた。

首の後ろはもう一つの心臓が生えてきたかのように、鼓動にあわせて傷の存在を主張する。

手をやると、ぬるりと生暖かい感触。

暗闇に目を凝らさなくったって分かる。

血だ。

「……畜生」

呟きに応えるかのように、怒りに任せて隔壁を蹴り飛ばす音が聞こえてくる。

だが幸いにも隔壁のロックは、向う側からのは解除できない。

諦めたのだろうか。

苛立たしげに立ち去るってゆく足音を聞きながら、朦朧とした頭で我が身に降りかかった災難を思い返していた。



二十二世紀初頭。

ワームホールが時間と空間を跳躍して二点間を結ぶ、いわば自然発生的に生じた時空の歪みであることは、既に物理学上の常識となっていた。

通常空間においては、物質は光の速度より速く移動することは出来ない。

だが、ニュートン物理学の外に存在するこのワームホールを通り抜けることが出来れば、数万光年という距離をわずか数時間で移動することも可能となる。

しかし、自然発生するワームホールの所在は、あくまで確率でしか論ずることのできない極めて不安定な存在であった。

人工的にワームホールを作り出す理論も既に確立されてはいたものの、作成時に必要となる膨大なエネルギー故に、理論の域を出るものではなかった。

だがある年の夏、状況を一変した。

木星地中深くに巨大なエネルギー鉱が発見されたのだ。

『ワームホールを用いた恒星間超長距離航行』が、机上の空論から革新的な技術へと変貌を遂げた瞬間でもあった。

ラグランジュポイントに作成されたワームホールは、数百光年離れた他の星系まで繋がっている事が確認され、第二の大航海時代が幕を開けた。

ワームホールをくぐり抜け、何百万光年も離れた星々を渡り歩く恒星間超長距離宇宙船のパイロットは、時代の花形としてもてはやされた。



「そんなぁ時代もぉ〜、あぁったねとぉ〜♪」

サービスエリアと呼ばれる中継用宇宙ステーションから出て、俺はアンドロメダ星雲方面ワームホールへと船を進入させた。

スピーカーから流れるクラッシック(ミユキ・ナカジマ)にあわせて、機嫌良く喉を震わす。

──音痴のくせになんでそんな大声で歌うの! せっかく寝ついたタカシが起きちゃうでしょ!

カズミに聞かれりゃまた怒られるだろうが、ここでは心配ご無用だ。

全長五百メートルを超える恒星間長距離輸送船『流れ星一番号』の船内には、操縦士である俺一人だけだ。

いくら口うるさいカズミだって、地球から四万光年も離れた旦那を怒鳴りに来るほど、腰の軽い女じゃあない。

「四万光年どころか、玄関まですら来ないか」

三カ月の航行に出るというのに、見送りのあいさつはベットから聞こえるいびきだけだった。

息子を産んで、すっかり貫録と贅肉を身につけたようだ。

「たった二週間の航行に出る時ですら、宇宙港で泣いてすがりついてきてたのになぁ」

中年にさしかかろうとする男のため息が、亜空間に吸い込まれる。

宇宙船の操縦士が人気の的だったのも昔の話だ。

自動操縦の性能が上がるにつれ、補償上の単なるお飾りに成り下がっていった。

最初のワームホール開通から六十年も経った今では、3K(くだらない、かっこ悪い、帰れない)職場の代表格だ。

「亭主元気で留守がいい、か。」

数世紀前のギャグが身にしみる。

「とーちゃんはなぁ、お前達のために今日も頑張ってるぞぉ」

呟きながら、目の前のスイッチに手を伸ばす。

頭上のランプが自動操縦を表す緑色に点灯したのを確認すると、操縦席前に備え付けられたメインコンソールの上に足を放り出した。

巨大なディスプレイには目的地まで伸びる緑のラインが引かれ、そこに沿って現在位置を示す赤いラインがのろくさと併走する。

後は三日も寝ていれば、優秀な自動操縦装置様が積荷と俺を目的地まで運んでくれるって寸法だ。

「いやぁ、やっぱナカジマはいいよなぁ。日本人の心だわ」

船内スピーカーから流れる歌声に耳を傾け、一人でうんうんと頷く。

俺たちは一度仕事に入ると、巨大な宇宙船の中でたった一人、数週間を過ごすことになる。

独り言が多くなるのは職業病みたいなもんだ。

「さて、どうすっかな」

グリニッジ標準時を刻むコンソール上の時計は、午前二時になろうかとしている。

ノスタルジック故だろうか。

他星系で生まれ、一度も地球に降り立ったことのない若者が増えてきた今でさえ、銀河標準時間は相変わらず辺境惑星の片田舎が基準だ。

もっとも、人類に刻まれたDNAは頑固に二十四時間のリズムを崩そうとはしないので、合理的といえば合理的ではあるのだが。

「確かにもう、夜も遅いし寝るにはいい時間だよなあ」

でもまだ眠くないしなぁ。

誰にともなく言い訳をしながら、周囲を見回す。

後ろめたさ満点。

壁に埋め込まれた各種モニターとパイロットランプの輝きだけが、冷ややかに俺を見下ろしていた。

頬が緩むのを自覚しつつ、持ち込んだ私物入れから動画プレイヤーを引っ張り出した。

さらに奥から、メディアのパッケージも。

「ツバサちゃん。会いたかったよ」

手の中のパッケージでは、肌も顕わにした美少女が妖艶な微笑みを送っている。

宇宙船内の寝室に設置された十二インチのせせこましいモニターなんかではない。

操縦席の正面に設置された航行用の巨大メインディスプレイ。

会社には内緒でこっそり持ち込んだアダルト映像を、こいつで鑑賞するのが最近の密かな楽しみだ。

もちろん会社に見つかれば始末書は免れないし、カズミに見つかったら始末書なんて可愛らしい紙で済むわけがない。

そんな危険を冒してまでなぜ?

「そこに男の桃源郷が広がるからさ」

片頬にニヒルな皺が刻まれる。

そうして俺は、目くるめく等身大の肌色天国に想いを馳せながら、持ち込んだプレイヤーをメインディスプレイに接続させるべくしゃがみ込んだ。

片頬の皺は、目元に移動済みだ。

「ツバサちゃんったら、可愛い顔しながらこんなことしちゃうんだもんなぁ。おじさん困っちゃうよ。まったく」

正直に言おう。

全く困ってなどいない。

「さぁて、こことここを繋いでっと……ん?」

操縦席の手元に配置された船内監視用ディスプレイが、しゃがみこんだ視界の隅に入る。

「今、何か動かなかったか?」



流れ星一番号は貨物船だし、積荷は金星で算出されたレアメタルだ。

俺以外に巨大な船内で動くものなどはない。

「まさか、幽霊?」

この前呑みに行った時、同僚のタカハシがホッケを突付きつつ力説していた話を思い出す。

曰く、ワームホール内の亜空間は通常空間よりはあの世に近いらしい。

あの世にいる彼らから見ると、亜空間を航行する我々は暗闇に灯される松明のごとき目立つ存在である。

そのため宇宙船には、まるで呼び寄せられるかの如く、霊が集まってきてしまうのだ。

ある恒星間超長距離タクシーの運ちゃんは、美しいがひどく顔色の悪い女性客を拾ったそうだ。

彼女に言われるがまま、うら寂しい星系に宇宙船を進める。

目的地に到着し、客に声をかけるが返事がない。

恐る恐る客席を振り返ると。

そこに客の姿はなく、シートがずぶぬれになっていた。

『知り合いの知り合いに実際に起こった話なんだけど』

で始まる、地球時代からの由緒正しいオールドファッションってやつだ。

長い間たった一人で船を操縦するためか、パイロットの間でその手の怪談話は枚挙に暇がない。

ふざけるんじゃねぇ。

そんな与太話にオタオタしてたらこの商売は上がったりだ。

眉に唾をつけつつ、船内監視画像を操作する。

巨大な船内の後部ブロック。

機関室の左脇に配置されたサブコントロールルームに続く廊下を映す画像だ。

巻き戻し。

再生。

うーむ、カメラの台座が捻じ曲がっているのだろうか。

傾いた画像の左端にほんの一瞬だけ何かが映る。

角を曲がったのか?

巻き戻し。

スロー再生。

一時停止。

全身から血の気が引く。

幽霊なんかは単なる立体映像だと思えば、かえって長い船旅の良い暇つぶしにはなるだろう。

だが。

ディスプレイに映っているのはまぎれもなく、生きた人間の後ろ姿だ。

俺の船が旅客船に宗旨替えしたなんて話は、持ち主の耳にはまだ届いていない。

ということは、答えは一つ。

「密航者かよ」

モニターから目を外すと、自分が手を握り締めている事に初めて気づいた。

他人の物のように思える掌を開くと、汗で湿った音が意外な大きさで響く。

旅客船と違い、巨大な船内に操縦士が一人しかいない輸送船は、密航者にとって忍び込むにはもってこいの存在だった。

忍び込むだけなら、別に大した問題じゃない。

ちょいとデカいネズミが紛れ込んでいるようなものだ。

問題なのは、デカいネズミが知恵をつけ始めた事だ。

俺たちは各種レアメタルなど、他星系に持っていけば高く売れる品物を大量に運ぶ。

それらを運ぶ時間の大部分を、ニュートン物理学の外側にあるワームホール内で過ごさなくてはならない。

そのワームホールの入り口と出口は量子学的に決定されているため、一度入ってしまえば途中で抜け出すことは原理的に不可能だ。

それは同時に、外部と連絡を取る手段が皆無であることも意味する。

知恵をつけたネズミは、そこに目をつけた。

貨物船に密航し、操縦士を殺すと船と積荷を奪って他星系にそのまま高飛びする。

密航の足と密航先での生活費の両方を同時に賄えるのだから、なるほど美味しい話だ。

──カモがネギと土鍋。おまけにガスコンロまで背負って歩いてるようなもんだな。

ほんの少し前、サービスエリアで操縦士仲間と笑いながらそんな話をしていたのだが、

「まさか、俺の船がそんな目にあうとは」

空調は常に快適な温度と湿度を維持している。

にも関わらず、背中に冷たい汗が伝い、身体が自分の意思とは無関係な周期で小刻みに振動する。

ワームホールを抜けるにはあと三日はかかる。

自分の手でなんとかするしかない。

基本的に、密航者は拘束の後、当局に引き渡すことになっている。

なってはいるのだが、それはあくまで建前だ。

俺たち宇宙船の操縦士は、密航者に対する処分に関して無制限の権限を委任されている。

つまり俺たちが必要と判断すれば、最悪殺してしまおうが宇宙船の外に放り出そうが、それは正しい判断となる。

そのため、宇宙船内における銃の所持と使用も許可されている。

されてはいるのだが。

「銃は、寝室か」

寝室などの生活区画は後部ブロック右側に配置されている。

密航者のいる区域とは、機関室を挟んで反対側だ。

このようなことが起こるとは夢にも思わず、支給された銃はベットの下に放り込んだままだ。

能天気な過去の自分に歯噛みする。

「カズミ……。タカシ……」

無意識に右手が胸ポケットを探る。

この夏に旅行した、ネオ熱海での家族写真。

みっともないからやめろと言うのを無視し、カズミが近くの観光客を捕まえて撮らせた一枚だ。

カメラを押し付けられて迷惑そうな若いカップルの視線に耐え切れず、そっぽを向いている俺。

強引に俺の腕を掴み、満面の笑みをレンズに向けるカズミ。

興奮のあまり、おしっこを漏らしているまっ最中のタカシ。

どこにでもある、ありきたりでパッとしないが。

俺だけの家族写真だ。

出航の前夜、照れる俺にカズミが無理矢理持たせてくれたのが、はるか昔の出来事のように思われる。

だが、指は虚しく綿ホコリをつまみ上げただけだった。

「なさけねえ。写真まで寝室に置いてきてたか」

妻の弾んだ声や息子の体温が思い出され、不意に愛しく、そして遠いものに感じられる。

「行くしかないよな」

残り三日間を狭い操縦室に篭城するのは厳しいだろう。

水も食料も生活区画にしかない。

それだけならなんとか我慢が出来るとしても、本当の問題は別にある。

敵に時間を与えてしまうと、サブコントロールシステムから船全体を掌握されるかもしれないのだ。

緊急時の予備として独立した指揮系統を持つその性質を考えると、構造的には不可能な話ではない。

さらに俺の寝室を漁って銃まで見つけられてしまえば、目も当てられない。

動くならば少しでも早く。

奴がこの船に慣れるまでが勝負だ。

寝室にたどり着き、銃さえ手に入れてしまえばなんとかなるだろう。

船内監視モニターに目をやるが、もはや何も映ってはいない。

サブコントロールルームや機関室のある後部区間からこちらの操縦区間へは、一本道になっている。

カメラに映っていないということは、まだ後部区画、サブコントロールルームの辺りにいるはずだ。

今ならば、操縦室から出た途端に鉢合わせるということもない。

手の震えに気づかない振りをして、通路へ繋がる隔壁の開閉スイッチに指を伸ばす。



軽い圧搾音と共に、目の前には通り慣れたいつもの通路が現れた。

積載量を増やす事を第一目的とし、大人数の人間が通ることを前提としていないため、通路の幅は狭い。

誰かとすれ違うならば、お互い気を使わないと肩がぶつかりあう。

その上、壁や天井から張り出した各種パイプやケーブルが視界を遮る。

船齢が三十年を超える老朽船のために、船体には増強に次ぐ増強を施されているからだ。

無理のある増強を重ねた結果、内部装置が通路にまではみ出すことになり、頭を屈めないと通れない場所までできてしまっている。

とは言え、入社以来十年来の相棒である。

普段ならば、目を閉じていたって歩ける見慣れた通路だ。

だが、今はまるで違って見える。

とっくに俺は気づかれており、奴はあそこの物陰から息を潜めて俺を待ち構えている。

そんな妄想が汗と共に湧き上がっては、背中を冷たく濡らす。

「視界が悪いのは、向うも一緒だ」

そう自分に言い聞かせると、出来るだけ障害物の陰を選びつつ進んだ。

操縦席から後部ブロックに繋がる通路は基本的に一本道で、突き当たりが機関室。

左に曲がるとサブコントロールルーム、右に曲がると寝室だ。

見通しの悪い通路に人影はなく、周囲の機器が立てる低い振動だけが周囲に響いている。

普段は気にも留めない自分の吐息が、過敏になった神経を苛立たせる。

通路の突き当たりが見えると、心臓はひときわ大きく跳ね上がった。

中央、突き当たりにある機関室へと続く隔壁が開け放たれていたのだ。

機関室は暗く、中の様子は伺えない。

まるで待ち構えているかのように、通路の終点でぽっかりと黒い口を開けている。

寝室に行くためには、その前を通らなくてはならない。

──奴はとっくに銃を手に入れ、機関室の闇から俺に狙いを定めている。

──あと一歩足を踏み出すと、俺の腹に鉛弾がめり込む。

──もう一歩足を踏み出すと、俺の顔面は鉛弾に粉砕される。

慎重にならなくてはと思う気持ちと裏腹に、視線は寝室の方向を凝視し、歩く早さは次第に早くなってゆく。

自分の口から意味を成さない嗚咽が漏れてくる。

気がつくと、走り出していた。

足をもつれるのも構わず、機関室の前を無我夢中で曲がろうとした。

そして。

何かが、俺の頭に振り下ろされた。



飛び込んだ時は完全な暗闇かとも思ったが、落ち着いて周囲を見回すと、壁に設置されたインジケータやモニタの灯りが所々に見える。

足元には非常灯も設置されている。

目が慣れるにつれ、周囲のものが浮かび上がってきた。

中央に巨大な亜空間エンジンが、天井まで届く積み木に似たシルエットを不気味に晒している。

それを取り囲むように、各種計測機器やブースターの類がケーブルで接続されている。

奥には倉庫や、廃棄物投棄用のエアロックが見える。

「痛ぇ!」

後頭部の事を忘れて、周囲を見るためにうっかり首を回してしまった。

改めて傷が自己主張を始める。

その痛みで、パニックを起こしていた頭が冷静さを取り戻していく。

冷静さが戻ってくるにつれ、自分の行動にぞっとする、

慎重に進んでいたはずが、最後には喚きながら走っていたのだからな。

あれじゃあ寝てる子供だって起きる

「カズミは起きないかもしれないけどな」

一度寝入ってしまうと、頬を叩こうがパンツを脱がそうが頑として起きない嫁の顔が思い出された。

タカシが猛烈な勢いで夜泣きをし、俺がその度に叩き起こされていようとも、いつも気にせず太平楽にいびきをかいている。

何度その寝顔を恨めしげに見下ろしたことだろうか。

だが、夜中にタカシが猛烈に泣き出した時だ。

俺はいつも通りの夜泣きと思い、面倒くささにベットでグズグズしていたのだが、カズミは布団を跳ね除けるとタカシを素早く抱き上げた。

その時タカシは突発性の高熱にかかっており、実はかなり危なかったことが後になって分かった。

それ以後、すっかりカズミに頭が上がらなくなってしまった。

そんな頼もしい嫁の寝顔を思い出すと、身体の力が少し抜けた。

もう一度、こわごわ後頭部に手を伸ばしてみる。

血は既に止まっているらしい。

襟についた血も端の方は乾いて固まってきている。

立ち上がって手足を動かしてみると、ありがたいことに頭の痛み以外は特に怪我もない。

「さて、どうするか」

何か武器になるような物はないだろうか。

役に立つ物ならあるかもしれないと、倉庫の扉を開けてみる。

中には落胆と掃除道具が詰まっているだけだった。

バケツに雑巾、掃除機。

船が亜空間を航行しようが、この手の物は大した進歩など遂げはしない。

せめてモップでもあれば、心もとないものの武器として使えない事もなかっただろうが。

奴の影に怯えつつ、掃除機を持ってうろつく自分の姿を想像してみた。

笑えないシュールな光景を、ため息で打ち消す。

倉庫を出ると、廃棄物投棄用エアロックの中に入ってみた。

奥行き三メートル程しかない狭いエアロックの中には、生ゴミや梱包材の塊などが乱雑に積み上げてある。

その壁際には、幅いっぱいに円柱が横たわり、埋め込まれた数十枚の巨大な刃が鈍く光っていた。

ゴミを廃棄する時は、こいつが中央に回転しながら張り出してきてゴミを粉砕し、そのまま外に放り出す仕組みだ。

一枚一枚の刃は数十センチと手ごろな大きさだが、しっかり固定されているため取り外せそうにはない。

せめて角材でもないだろうかと、梱包材をかき回しては見たが、どれもこれも細かいゴミばかりだった。

武器を諦めてエアロックの外に出ると、今度は知恵を使うことにした。

機関室には外に繋がっている隔壁は、今入ってきた以外に両側に二つある。

それぞれ、寝室とサブコントロールルームの通路の向かい側に繋がっている。

寝室に向かうには、右の隔壁を抜けるのが一番近道だ。

だが待てよ。

「相手の裏をかかないと」

隔壁を開けた途端、奴とご対面てのはまずい。

さっきは偶然逃げる事ができたが、もう次はダメだろう。

最後に汗をかいて運動したのはいつのことだったか。

見下ろすと、最近窮屈になってきたウエストが随分昔の事だよと教えてくれた。

なるほど。

つかみ合いなどになったら勝ち目などなさそうだ。

だったらつかみ合わない方法を考えよう。

足音を殺して、そっと今入ってきた隔壁に耳をつける。

廊下からは何も聞こえてこない。

入ってきた所から出てくるとは思わないだろう。

ペンは剣より強しだ。

誰もいない事を確認すると、足音を立てぬよう素早く通路に出た。

人影は見当たらない。

そろりそろりと、慎重に足を進める。

少し油断するとパニックを起こし出す俺を、傷の痛みが現実に引き戻してくれた。

大丈夫だ、こうやって慎重に進めば見つかる事はない。

だが寝室の隔壁が見える位置まで来た時、それが開け放たれているのに気づいて足を止めた。

その向かい、機関室へ続く隔壁も開いている。

奴はどこにいる?

寝室にいるとしたら、先に機関室に行ったはずだ。

もしそうなら、機関室内で俺を見つけている。

そうならなかったと言う事は、俺が機関室にいる間は寝室を漁っていたのだろう。

そして入れ違うように奴は機関室に入り、俺は出た。

つまり、寝室は誰もいないってことだ。

もちろん先に寝室に入ったというのならば、とっくに銃を見つけ出しているのかもしれない。

奴は今、遊園地の射的ゲーム気分で俺を探している可能性もおおいにある。

「そんときゃそんときだ」

そうなってしまっちゃあ手も足も出ない。

一昨年死んだ祖父さんに、あの世で盆の不沙汰を侘びるだけだ。

そっと首だけ突き出し、寝室に誰もいない事を確認すると中に飛び込んだ。

六畳に少し足りないくらい。

備え付けのベットと机に椅子があるだけの狭い寝室だ。

だが、ロックを下ろしてしまえばひとまず通路からは手出しができない。

ほっと一息ついた後、むせ返るような匂いが鼻をついた。

そうしてようやく、部屋の惨状が目に入ってきた。

入り口横に設置してあるモニタが粉々に砕け、その下にひしゃげた椅子が転がっている。

椅子を振り回した時になぎ払われたのだろうか。

机に置いてあった私物は全て床に散らばり、モニタの破片を浴びている。

むせ返る匂いの原因は、落ちた拍子に割れたと思われる男性用香水のようだ。

寝室を出るときに踏みにじられたらしく、バラバラになった雑誌。

その下にカズミとタカシの笑顔を見つけた時、血液が逆流するのを感じた。

拾い上げてみると、あの時の家族写真だ。

あちこちに皺が寄っている。

その上、幸せそうなタカシとカズミの笑顔を横断するように亀裂が入り、俺の首のすぐ横まで破れていた。

怒りに震える指を押さえつつ、そっと胸ポケットに入れる。

「人の船で好き勝手やりやがって。ぶっ殺してやる」

ベット下の収納に手を伸ばす。

指が冷たい塊が、湧き上がる殺意をより冷ややかなものにした。

S&W社製四十四口径ブラスター。

軍にも採用されている大型の熱線銃。

ミリタリーマニアである社長の完全なる趣味だ。

最大出力にして撃てば、五十メートル先のアフリカ像ですら一撃で消し飛ばすって話だ。

人間相手ならば、最小出力で十分お釣りがくる。

俺が望みさえすれば、標的には確実な死を届ける。

黒く光る手の中の重量物は、静かにそう主張しているようだった。

エネルギーカートッリッジが十分にチャージされているのを確認すると、最小出力にセットした銃を構えて寝室を出た。

開いたまま隔壁を通り、機関室の中に入る。

隔壁を開ける音の方へ視線を向けると、奴がいた。

俺を探しているのだろうか。

廃棄物投棄用エアロックを覗き込んでいる後姿だけが目に入る。

俺の存在にまだ気付いていない。

静かに照星に重ねる。

ほんの少しだけ指に力を加えるだけで、こいつの背中は柘榴のように弾け飛ぶ。

無防備な後ろ姿を見ていると、一つアイディアが浮かんだ。

そのサディスティックな思い付きに、頬が歪な悦びを表す。

銃の狙いを定めたまま静かに近寄ると、その背中を思い切り蹴り飛ばしてやった。

ゴミの山に突っ込む音を聞く前に、素早く隔壁をロックした。

「あばよ」

そう言うと俺は、投棄開始の操作をした。

隔壁の上に設置されたランプが赤く点滅し、作業開始を告げる。

すると中から、カッターがゴミを粉砕する音が聞こえてきた。

──ぐぉぉおおお!!!

断末魔の獣のように、凄まじい叫び声が響いてくる。

壁から巨大なカッターが、猛烈に回転しながら迫ってくるのだ。

俺を殺して船を乗っ取ろうとした事。

カズミやタカシの笑顔を踏みにじった事。

残りの数秒間、たっぷり後悔しやがれ。

恐怖と後悔に歪んでいるであろう奴の表情を想像し、胸の内に暗い悦びが広がる。

そして、叫び声が一際大きく隔壁を揺らした刹那。

ゴミを粉砕する音が僅かに低く、湿った音になった。


頭上のランプが黄色に変わり、船外排出作業に移った事を知らせる。

機関室はすっかり元の静けさを取り戻している。

ただ亜空間航行エンジンのうねりだけが響いていた。

俺は床に座り込むと、唐突に笑い出した。

「ははははは! どうだ、ざまぁみろ。一石二鳥ってもんだ」

これなら奴の汚い血で機関室が汚れる事もない。

そもそも悪役の最期は、苦しみながら悲惨な死に方をすると相場が決まっている。

ハリウッドの映画なら、俺に残された仕事は脇に抱えた美女との熱烈なキスだけだ。

最高のエンディングに笑いが止まらなかった。

狂ったように笑いつづける俺は、突き上げるような震動で現実に連れ戻された。

船内に異常を告げるアラートが響き渡る。

「なんだ?!」

断続的に続く振動に足を取られながら、サブコントロールルームに転がり込む。

モニターにはめまぐるしく情報が表示され、異常が広がっていく様がヒステリックに伝えられる。

どうやら、船の外壁に穴があいているらしい。

亜空間航行中の損傷は、老朽化した船体を連鎖的に破壊していく。

だが、なぜこんなところで急に。

「まさか。爆発物でも持ってやがったのか?!」

そしてカッターの刃を逃れた爆発物は、船外に出た衝撃に耐え切れなくなり爆発した。

あの野郎。

道連れって訳か。

響き渡るアラートとエラーの奔流を、なすすべもなくただ眺めていた。

船体の損傷は、駆動系にもダメージを与えたようだ。

冷却装置が死んだのか、温度上昇を継げるランプが一斉に点灯した。

亜空間航行用エンジンの回転数が際限なく上昇し、あっさりとレッドゾーンに飛び込む。

揺れは立っていられない程になり、しゃがみ込むと目をきつく瞑った。

家族を想い、胸ポケットを強く握り締める。

大きく船体が揺れ、俺は床から跳ね飛ばされた。

そして、全てが沈黙した。



目を閉じたまま、俺は動けなかった。

静かだった。

ここは天国か?

だが這いつくばった俺の手の下にある感覚は、冷たく固い、愛想のないものだった。

雲の上にいるわけではないようだ。

恐る恐る目を開けると、いつも通りのサブコントロールルームだった。

ディスプレイに目をやる。

オールグリーン。

あれだけ表示されていたエラーは影も形もなく、全てが平常値内で動いている事を示していた。

「馬鹿な。あれはなんだったんだ?」

悪い夢でも見ていたのだろうか。

サブコントロールルームの周りを調べてみるが、特に異常は見当たらない。

戻っていくつか表示を切り替えてみたものの、どこにも異常は見当たらなかった。

外壁、オールグリーン。

機関、オールグリーン。

異常などは無いと返ってくる。

あの揺れが夢や気のせいだとでも言うのか?

そんな訳はない。

操縦室に行けば、詳細な履歴が参照できるはずだ。

そう思い、廊下を歩き出すと、自分がひどく疲れている事にようやく気付いた。

それはそうだろう。

ほんの二時間程の間に密航者に殺されかけ、そして返り討ちにしてやったのだから。

トイレットペーパーのように平凡な俺の人生には、本来存在する余地のないバイオレンスだ。

T字路の手前まで来て足を止めた。

今日はもう休もう。

厄介者は始末したんだ、何も急ぐ必要はない。

こっそり持ち込んだ酒でもかっくらって、丸一日くらい寝てやる。

文句なんか言う奴はいないだろうし、言わせるものか。

そう決心して寝室に向かおうとした耳に、うめき声が飛び込んできた。

乾いていた汗が再び噴出す。

もう一人いたのか?!

声は操縦室の方から聞こえてくる。

悲惨な最期を遂げた相棒の敵討ちに現れたのか?

一体今までどこに隠れていたのだ?

混乱した頭で逡巡している間にも、うめき声と思われたのは叫び声になり、足音はこちらに向かって走る音に変わってゆく。

とっさに壁に設置してある消火器を手に取ったのと、男が飛び出してくるのは同時だった。

渾身の力を込めて叩きつけた消火器は、確かな手ごたえを伝えてきた。

だがそいつは血を巻き散らかしつつも、開いたままになっていた機関室に転がり込んでしまった。

その時になってようやくブラスターの存在を思い出した。

ポケットから引っ張り出すと慌てて狙いをつける。

その僅かな隙に奴は隔壁にロックをかけてしまった。

「……畜生」

ロックをかけられてしまえばこちらからは解除できない。

さっきは助けてくれた隔壁が、今度は憎たらしく俺を阻む。

怒りに任せてロックを蹴り飛ばしてみるものの、七千気圧にも耐えうる隔壁が中年一歩手前の蹴りに白旗をあげる訳もない。

ブラスターを持ち上げ、ぶち破ろうとも考えるが、どれだけの威力で撃てばよいのだろう。

映画やドラマでは気軽にぶち抜いているが、俺にできるだろうか。

間違えて船体にダメージを与えてしまったなら。

脳裏に先ほどのアラートが甦る。

ブラスターは諦めて、寝室に行くことにした。

あそこには工具箱があったはずだ。

そいつでこじ開けてしまえば、あとは銃があるので楽にカタがつく。

俺は寝室に飛び込んだ。

工具箱を取り出そうとして、机の上に放り出された写真を何気なくつまみ出す。

カズミとタカシ、そしてそっぽを向く俺。

幸せそうな妻子の笑顔が、不意に俺を自省の念にかきたてた。

俺は仕事を言い訳にして、カズミに甘えすぎていたのかもしれない。

俺がいない間も、カズミは息子の面倒を一人で育ててくれているのだ。

その事を当たり前と思って、ちゃんと感謝してなかったんじゃないだろうか。

この仕事が終わったら、またネオ熱海に行こう。

そして、カズミへの感謝の気持ちを言葉で伝えよう。

そして、父親としてタカシと向き合おう。

そして、今度こそはしっかり前を向いて、笑顔でこいつらと写真に納まろう。

そう心に決めた。

写真を胸ポケットに仕舞おうとして、強烈な違和感に手が止まった。

なんだ。

何かおかしい。

ぐるりと部屋を見回すが、別段変わった事のない見慣れた寝室だ。

航海の度に何度も寝泊りした、狭くて愛想のない寝室。

気を取り直して工具箱を取り出そうとした。

戸棚に手を伸ばした時、まだ写真を持ったままなことに気付いて苦笑が漏れる。

手の中の写真は皺一つなく、楽しそうに俺に笑いかけている。

そのどこにも、破れなどはなかった。

グラリ。

世界が足元から傾いた気がした。

「そんな馬鹿な、さっきまでは危うく真っ二つに」

自分の意志とは関係なく、指は震えながら胸ポケットに差し込まれる。

摘み上げようとしたそれは途中で引っかかると、ビリっという音を立てて取り出された。

半分に切れた俺の顔だけが、手の中に残った。

震える手で、それら二枚を比べる。

片方は破れているが、明らかに同じ写真だった。

そこまでしてようやく、強烈な違和感の理由が分かった。

部屋がいつもと同じなのだ。

いつもと同じである訳がないのに。

ついさっきまで、奴が暴れたお陰で部屋は散らかり放題に荒れていた。

だが今、モニターは割れてなどおらず、椅子だって机の前に置かれている。

床にもホコリの他には何も散らばっていない。

壁の時計を見る。

「二時半だって?」

最初に奴を見つけてから、三十分も経っていない?

そんなはずはない。

二時間は優に過ぎているはずだ。

腕に視線を落とすと、手首に嵌めたオメガ社は午前四時を主張していた。

『ワームホール内では、思いも寄らない現象が観測される事がある。時間跳躍もその一つだな』

操縦士の免許を取った時、半分以上寝ながら受けた講習での教官のセリフが不意に甦る。

『時間と空間を超えて繋がるワームホールだが、中に存在する宇宙船の内部において、時間軸のズレが観測されることがある。運が良ければもう一人の自分、ドッペルゲンガーに出会う事だってできるかもしれんぞ』

自分のブサイクなツラに驚かんようにな。

教官はそう言って豪快に笑っていた。

さっきの船体異常のアラート。

あれはやはり、実際の出来事だったのか。

レッドゾーンに飛び込んだ亜空間航行用エンジンは、限界を超えて爆発したのだろう。

その衝撃で俺は吹き飛ばされたようだ。

だがその衝撃は、物理的にではなく時間的に働いた。

「つまり最初に見た影、あれは俺自身か?」

そんなはずあるか!

椅子を掴むと、力任せに振り回した。

机に置かれた物がなぎ払われ、騒がしい音を立てて床に散らばる。

視界が傾き、自分の身体が自分のもので無いように感じられる。

椅子を壁に叩きつけた。

何かが壊れる音がしたが、それよりも大きな耳鳴りが頭に響いている。

待て、落ち着け。

つまり、密航者はいないって事じゃないか。

確かに俺が二人いるのは不都合ではあるが、そんな事は医者なり学者なりが解決してくれる問題だ。

相手がもう一人の俺ならば、話せば分かる事だ。

「話をしないと。奴なら、俺なら話せば分かってくれる」

考えろ。

俺はどこにいる?

考えろ。

俺は何をしている?

考えろ。

焦る気持ちとは裏腹に、思考は空回りをするだけだった。

足の下で何かが破れるような音がしたが、構ってなどいられなかった。

夢遊病のような足取りで寝室を出ると、俺は、俺がいるはずの機関室に入った。

床の感触も非常灯の輝きも、まるで現実味がなかった。

ガタッ。

奥の方から、何かが倒れる音がした。

廃棄物投棄用エアロック。

そうだ。

武器になるような物を探そうと、俺はゴミを漁っていたんだ。

──違う! 違う!! そうじゃない!!

心のどこかが、誰かが悲鳴を上げているような気がした。

だが俺の足は躊躇する事無く、エアロックに向かう。

まるで、最初からそう決められているかのように。

エアロックの中を覗きこんで誰もいないことを確認した時、不思議と落胆は感じなかった。

背中を蹴り飛ばされ、ゴミの山に顔から突っ込んだ時もだ。

むしろ、安堵すら覚えたほどだ。

──諦めるな! 喋れ! 俺に説明するんだ!!

背後で隔壁のロックが下ろされる音がすると、壁のカッターが猛烈な勢いで回転を始めた。

反射的にゴミの山から身体を起こすと、ポケットから音を立てて何かが床に転がった。

ブラスターだ。

こいつの最大出力ならば、隔壁くらい吹き飛ばせるだろう。

船体に穴が開いて外に放り出されるかもしれない。

だが、このまま何もしなくてもカッターに切り刻まれて、やはり放り出されるだけだ。

中間工程の有無の違いしかない。

顔を上げると、巨大なカッターが圧倒的な死としてすぐそこまで迫っていた。

最大出力にしたブラスターを隔壁に向ける。

──やれ! 早く撃て!!

気が付くと口からは、自分のものとは思えない絶叫が漏れていた。

ゴミが粉砕する音が、あっさりそれをかき消す。

──早く! 引き金を引くんだ!!

そう、その通り。

あとほんの少しだけ指に込めれば、あの隔壁は吹き飛ぶだろう。

だが、僅かに残った冷静さがこうも言っていた。

本当は知っているんだろ。

お前は撃たないこと。

お前は撃てないこと。

そして。

お前は撃たなかったことを。



ゴミを粉砕する音が僅かに低くなった時、それを以前に聞いたことがある気がした。



おわり

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