第2話:戦略的撤退(ニート計画)のつもりが、最悪の状況を感知しました
「ギルバート公爵令息、並びにアスラン伯爵。……国家横領及び脱税の容疑で、同行願おうか」
宰相閣下の冷徹な合図とともに、夜会会場へ踏み込んできた近衛兵たちが二人を取り押さえる。
「な、離せ! 私は公爵家の人間だぞ! アルティナ、貴様ぁぁ!」
「ミリー、どうして突っ立っている! 早く否定しなさい!」
往生際悪く叫ぶギルバートと、髪を振り乱して取り乱す父親。
隣にいたミリーにいたっては、状況が理解できずに「え? え?」と間抜けな声を上げながら、腰が抜けたようにその場にへたり込んでいた。
(よし、状況終了。完全勝利だね)
私は冷ややかな仮面の裏で、小さくガッツポーズを決めていた。
証拠は軍事レベルで完璧に揃えておいたのだ。言い逃れなどできるはずがない。
これでギルバートとの婚約は完全に白紙。クズな実家も取り潰し、あるいは大幅な減封処分が下るだろう。
つまり、私は晴れて自由の身。無職である。
(実家にいた頃の貯蓄は、すでに換金して信頼できる場所に隠してある。明日にはこの王都を戦略的撤退して、のどかな田舎に移住しよう。そこで一生、ダラダラと寝て過ごすんだ。あぁ、最高の有給休暇が待っている……!)
ものぐさな私の脳内は、すでにこれからのスローライフ計画でいっぱいだった。
用は済んだ。こんな泥沼の修羅場からは、一刻も早く退出してベッドに潜り込むに限る。
私は周囲の貴族たちへ優雅に一礼し、会場の出口へと足を進めようとした。
――その、瞬間だった。
ぞくり、と。
前世で何度も修羅場をくぐり抜けてきた私の『防衛本能』が、脳裏で強烈なアラートを鳴らした。
(……待て。何だ、この空気の違和感は)
私は歩みを止めず、目線だけを素早く周囲に走らせる。
夜会会場の大きな窓。そのカーテンが、不自然に小さく揺れた。
今日の夜風は弱い。あれは風の動きじゃない。人の気配を殺して隠密行動をしている者の、わずかな挙動だ。
(風上に伏兵が潜んでる。……それだけじゃない。壁際に控えている給仕、盆を捧げる手が硬すぎる。あの角度は、盆の下に武器を隠し持っているな。そして――)
私の視線が、会場の最奥へと向く。
そこには、この国の第一皇太子であるルファード殿下がいた。
問題は、彼を護衛しているはずの近衛兵たちだ。
彼らの視線は、周囲の警戒ではなく、全員が身内であるはずの『皇太子の背中』に向けられていた。いつでも得物に手をかけられる、一触即発の重心の掛け方で。
(おい嘘だろ。護衛が全員買収されてる。前線が機能してないじゃん。……これ、第二王子派による、皇太子暗殺の包囲網だわ)
状況把握が早すぎるせいで、私は数秒でこの場に仕掛けられた「最悪の罠」を見抜いてしまった。
視線の先で、ルファード殿下は壁に背を預け、ワイングラスを片手にこちらを見ていた。
公爵たちを鮮やかにハメ返した私を、「面白い玩具」でも見つけたかのような、ニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべている。
殿下、呑気に笑っている場合じゃありません。あなた、完全にロックオンされてますよ。
(今ここで最高指揮官(皇太子)が死んだら、国中で内乱が起きる。そうなったら、私ののんびり田舎ニート計画が完全に崩壊する……!)
せっかく勝ち取った有給休暇が、国家の危機で消し飛ぶかもしれない。
「ハァ……。チッ、まーた残業かよ……!」
私は誰も聞こえない声で盛大に毒突くと、サボり魔の心を鬼にして、前世の『戦闘モード』へと意識を切り替えた。




