3 『廻る命』
10年が経った。
天恵による傲りで医者としての努力を怠り、結果として救えたはずの命を救うことができなかったあの日が、もう10年も昔のことになってしまった。
ただの思い出になったわけではない。最初こそ心が折れ、医者を辞めようかとすら思っていたナオシゲだったが、作業的とはいえ村の人々の治療を続け、関わっていくうちに少しづつ心は回復し、1年も経つ頃には立ち直ることができていた。
そしてその時、「今度こそちゃんと医者になるんだ」と決意し、またあの視線を受ける恐れを振り払って、街に出た。そうして技術医療のできる医者の元を転々とし、5年をかけてあらかたの技術医療を習得した。最初はほとんどの医者が教えることを嫌がった。それもそのはずだ。かつて自分たちの仕事を奪った天才が、さらに力をつけようとしているのだから。
だが、彼らは最終的にナオシゲを育てた。ナオシゲが語る上っ面だけのものではない、「もう誰も死なせたくない」という心からの思いを汲んでくれたのだろう。
彼らはナオシゲに本当の非常時以外で〈全傷完治〉を使うことを禁じさせ、天恵に頼らず技術で治療ができる一人前の医者として鍛え上げた。
免許皆伝を受け、一人でも病院をやって行けるようになり、ある程度周りの医者との関係も良くなった。他の医者たちは自分が得意とする治療をメインに患者を集めているが、ナオシゲは「総合病院」として全てを扱うことにした。
医者としても街に馴染み、安定した仕事と生活のバランスを取れるようになっていた。
それから1年ほど経ったある日、いつものように患者の手当てをし、次から次へと捌いていると、一組の夫婦がやってきた。妻のお腹は大きく、そろそろ臨月が近そうだった。だが、驚くべきは夫の方であった。
最初、ナオシゲは自分の目を疑った。ここで出会うとは思わなかったその人が、さらに想定外の形で現れたのだから。
あの日。ナオシゲの医者としての人生に転機が訪れたあの事件で恋人を失い、心に傷が入った、男性だった。
それに気づいてからのことは、よく覚えていない。あの時のことがトラウマになっていた。
幸いにも相手は自分の事に気づかず、そのまま医者と患者としてのやり取りが続いたはずだ。
何をしたのかは覚えていないが、記録を見たところ、体調不良を改善したという事が分かった。妊娠によるものかと思ったが専門医に聞いても分からなかったらしく、ナオシゲの天恵を頼って来た、という事だ。昔は付けることなど必要ないと思っていた記録だが、こういう時に役に立つこともあるのだ。
それをきっかけに改めてあの時のことを思い返し、自分が無意識にあの村を避けていることに気づいた。単純に行く機会がなかったのもあるが、それとは別に、あそこに行けばまた人を殺してしまう、と考えるようになっていたのだ。
たぶん、このままではだめだ。そう思った。
ナオシゲは確かに、あの日の後悔を胸に一人前の医者へとなった。だが、彼が見ていたのは「自分が失敗した」という過去だけだ。
あの村のことを、無視してしまっていた。正確に言えば、自分の失敗で傷つけてしまった心を、だ。
確かに技術医療を身につけた。一人前の医者だと認めてもらえた。だが、それは彼が求めた理想の姿ではなかった。
彼が目指したのは、「心すら癒す最高の医者」だ。あの日、自分に救えない命を見つけた。救えない傷を見つけた。何年も経った今、できるようになったのは前者だけだ。
このままあの村から目を背けていたら、あと1つを手に入れることはできない。
そう考えたナオシゲは、再び森の病院を訪れた。
彼が去って7年が経過した病院であったが、まだ綺麗なままで、誰かが定期的に掃除をしに来てくれているのだと分かった。病院の裏から森に入り、あの日と同じように草やキノコを探すと、至る所から見つけられた。
病院から延びる小道を歩き、村に出る。そこには、あの日と変わらない日常があった。
子供たちがはしゃぐ声。店の宣伝をする男性の大きな声。活気に満ち、聞いているこちらまで元気が出てきそうな喧騒に出迎えられた。
立ち尽くすナオシゲを見た1人の女性が気付き、声をかけてくる。
「あんた、どこから来たんだい? 病院の方から来たようだけど」
ここに居た頃にも何度か世話になったことがある女性だった。
「あ、はい。そこから来ました。何年か前まであそこで医者をやってたんですけど、ご存じないですか?」
「ああ、もしかしてあんた、あの時の若いのかい? 随分と変わったわねえ。気づかなかったよ」
「5年間、ひたすら修行三昧でしたから。貫禄が出ていてもおかしくはありませんよ」
「なんだい、軽口を叩く修行なんてしてたのかい? かなり効果があったようだね」
「ええ。自分でもある程度は変われたと思います。でもまだ、満足はできない」
「ふ~ん。よく分からないけど、この村に大事な用があってきたんだね」
「そんなところです。それで、突然で申し訳ないのですが、教えていただきたいものがありまして」
「なんだい?」
意を決して、それを言う。ここに来た目的。
心の傷に向き合わなければならない。
「7年前、植魔に殺されてしまった女性――リョウさんの、ご両親に会いたいんです」
「リョウっていったら……ああ、あの子か。それは、なんて言ったらいいのかねえ」
「何かあったんですか? ご両親に」
女性は少し考える間をおいて、それを口にした。
「死んだよ。2年前にね」
「え?」
死んだ? なぜ?
死ぬような歳ではなかった。では、自殺?
いや、2年前ということはあの事件から5年だ。不自然だろう。では、事故死?
考えても分からないので、女性に聞くことにした。
「理由をお伺いしても?」
「衰弱死らしいよ」
「衰弱死?」
「あんたは知らなかっただろうが、二人とも娘さんが死んでから無気力になっちゃってねえ。ちょっとずつ体も弱っていって、そのまま死んじまったのさ」
「そんな……!」
「何の用があったのか知らないけど、諦めな。死人にゃ会えやしないからね」
ナオシゲは、何も言えなかった。最後にやらないといけないことが、できない。
やっと、なれる気がしたのに。自分のなりたかった自分に。
満足のいかない自分に辟易とするこの気持ちを抱えたまま、一生を終えることになるのだろうか。
「そうだ。あんたがいなかった間、この村はちょっと大変だったんだよ? ケガの一つでちょっとした騒ぎになったほどなんだからね」
「そんな、大げさな」
「大げさなわけがあるかい。あんたがここにいた数年で、私達ゃすっかり感覚が麻痺していたんだよ」
「それはなんというか……すみません」
「謝るようなことじゃないだろう。それだけ、あんたの存在が大きかったんだよ。これでも、みんなあんたに感謝してたんだよ? 叶う事なら、またここで働いてほしい、って思うくらいには」
「またここで、ですか」
「いやあ、どうせ仕事が忙しいんだろう。聞かなかったことにしてくれ」
ここで働く。その言葉が、ナオシゲには心地よく響いた。
ハッキリ言って、もうその必要はない。医者たちとの関係も改善されて、ストレスを感じながら働いているわけではないからだ。
だが、何故だろう。なぜ、こんなにも魅力的に聞こえるのだろう。
「今日はもう帰るのかい?」
「そうですね。用が果たせなくなってしまいましたし……」
「一日ぐらい、ここにいたっていいんだよ?」
ナオシゲは迷った。もう用はないが、ここなら何か分かるのではないか。普段より近い距離で人々に触れれば、心の傷の癒し方も、何か分かってくるのではないだろうか。
藁にもすがるような思い、とでも言うべきだろうか。そこに論理的な思考はない。ただ、元の予定である「この村に来る」を達成した気になりたいだけなのかもしれない。
「分かりました」
どうせ何をするべきかなんて分からないのだ。いろいろと試すしかないだろう。
「少しの間、お世話になります」
♢♢♢
そして3年が経ち、今に至る。
ナオシゲはと言えば、森の病院でその日の記録をつけているところだった。
何があったのか。簡単な話である。
3年前のあの日、たまたま老人がケガをし、ナオシゲがそれを治した。その時老人から受けた感謝で、彼の心を晴らしたのだ。
たまたま、10年前にも何度か診察した相手だったため面識があったのだ。だから余計にそう感じただけかもしれないが、とても穏やかな気持ちになった。
その時、気づいた。人の心を癒すのは、時間をかけて築かれた人と人との関係、あるいは、その思い出だ、と。
リョウの親が彼女の死をきっかけに弱り、衰弱死したのはその関係が失われたからだ。
なら、その傷を埋められるのは彼女との思い出だけではないか。
漠然と、そう感じた。今でもそれが正しいとは確信していないが、そうだと思ったのだ。
「よし。今日はこれで終わり、っと」
すぐにここに戻ることを決意し、街の医者たちに挨拶をしてこの病院に舞い戻った。
「今日はちょっと忙しかったな……」
記録を片付け、居住用の部屋に置いてあるベッドに腰掛ける。
すると、村の方から何か声が聞こえてきた。祭りでもやっているのかと思えるほどの騒ぎようだ。
「なんだ……?」
病院を出て村の方を見ると、大きな火柱が目に入った。
「は?」
最初は、本当に理解ができなかった。
火事でも起きたのかと思ったが、あそこまでにはならないだろう。火事ならば少しずつ燃え広がるから、あの大きさになるにはかなり時間がかかるだろう。だが、村人たちの声、悲鳴と思われるそれが聞こえてきたのはつい先ほどだ。この規模に至るまで呑気にしていたわけがない。
呆気に取られていると、村から続く小道を二人の若者が走って来た。
「な、何があったんですか!?」
それに気づき、質問を投げかける。
「何者かが、村を襲っているんです! 火を放つ天恵を持っているようで、とにかく家を燃やしまくってます!」
「今、戦える何人かが足止めをしていますが、いつまで持つか分かりません! とりあえず一度村を離れて、どこかで合流する手筈になっているので、早く逃げましょう!」
そう言われ、状況を飲み込めぬまま走り出す。病院の裏から森に入り、少しでも村と距離を取ろうとしている。
「ほ、他の人は大丈夫なんですか!? 子供やご老人は!」
「何人かがケガをしていますが、何とかほとんどを逃がすことに成功しているはずです!」
「昔から、もしこんなことがあったら、と決められているので大丈夫なはずです! もっとも、それを実行するのはこれが初めてなんですが!」
「心配なのは村に残った男たちですよ! 彼らは、戦えるとは言ってブホァッ」
突然、隣を走る若者の胸が弾けた。
「なっ!」
「まずい、まさかもう追いつかれたのか!?」
倒れ込んだ体を回収し、木の陰に隠れる。
「〈全傷完治〉」
すぐさま天恵を発動させると、出血が止まり、空いた穴が塞がり始める。
「せ、先、生……俺は、良いから……あなたは、逃げてくだ、さい……」
「そうです。あなたには逃げ延びて、村のみんなを癒していただかなければ」
「でも、どこで集まればいいかが分かりませんし、それに」
「ああそうでした。ここから南西に行った辺りにある廃キョッ」
言っている途中でどこからともなく狙撃を受け、もう1人の男性の首が飛んだ。
「っ! 〈全傷」
男性の体に触れ、天恵を発動させようとした瞬間、謎の力によって体を引っ張られた。そのまま引きずられていき、病院まで戻ってしまった。
そこにいたのは、ガンぎまった目をした1人の若い男だった。いや、正確には3人だ。表情は見えないが、病院の屋根の上にもう2人いる。
「何なんだ、お前たち!」
謎の力が消えていたので、立ち上がり男たちと距離を取る。
「何って。見ての通り、襲撃者だよ」
「何故、そんなことをした?」
「ああ? てめえに関係あるのか? 立場考えてもの言えよ?」
「別にいいだろう、教えてやっても」
屋根の上にいた男の一人がそう言う。もう一人もそれに続き。
「そうだね。どうせ死んじゃうんだし。言ってあげたほうがいい表情見れるんじゃない?」
「それもそうか。んじゃあ、教えてやるよ」
そう言って男が距離を詰めてくる。
「俺たちはな、つい最近知り合ったんだ。っていうのも、全員夢で神からのお告げがあってな。それに従って動いてるうちに意気投合して、協力し合って神から言われたことを実行してんだよ」
「お告げ……?」
「ああ」
口角を吊り上げ、ゲスな笑みを浮かべる男。
「この森の病院にいる“誰癒”のナオシゲを殺せ、近くの村もぶっ壊して良い、ってなぁ」
「な、なんだそれは!?」
「さあな。意図はよく分かんねえよ。俺たちだって最初は本気じゃなかったぜ? でも、なあ?」
そう言って男が病院の屋上に視線を移す。
「ああ。一緒にいるうちにわかったことだが、俺たちは相性がいい。特に、俺とコイツの天恵の相性がな」
屋上の男が隣の男を指さす。
「コイツの〈共振探査〉で周囲の人間の位置を特定し、俺の〈責念動浮〉で完全な死角から襲撃。そして」
「俺の〈火焔災顛〉で雑魚どもを一掃する! いやあ! こんなに気持ちのいいことはないよねえ!」
「村の人たちはどうした!? お前たちを足止めした人たちがいたはずだ!」
「ん? ああ、あいつらね~フヒヒヒヒ。倒した! 倒したよ。倒した、全員! 逃げ惑う子供も! ジジイもババアも! 俺たちはさあ~、平等主義者なんだよねえ! はぐれ者たちも、他と同じように扱ってあげるんだあ!」
狂気だ。この男からは、溢れ出んばかりの恐怖を感じる。
「だから、お前も死ぬわけ」
探知の天恵を持った男が屋上から声をかけてくる。
「お前たちは、『俺を殺せ』と命じられてきたんだよな!? だったらなぜ、真っ先に俺を殺さなかった! なぜ、村まで襲う必要があった!」
「楽しいから」
「その方が良いからだな」
「うんうん。蹂躙するのって、最高に気持ちいいんだよねえ」
その言葉は、ナオシゲには理解できない物だった。生まれながらに人を救う術を持った彼に、他者を傷つける悦びなど分かるはずもないだろう。
「なんなんだ。なんでお前たちは、なんで……!」
心の傷の癒し方を知るために村に戻ってきた結果がこれだ。俺のせいで、俺に巻き込まれて、村の人たちは死んでいった。
技術を身につけても、心をどうこうしようとも、周りの人間を自分の手に負えない何かに巻き込んでは意味がないだろう。
なんで俺はいつも、人を不幸にさせるのだろう。
「んじゃ、そろそろ殺しまーす」
ナオシゲは戦闘に長けた天恵を持つ人間と戦う術を持たない。彼らの言う通り、今日ここで死ぬのだろう。
「準備は良い?」
炎の男が念力の男に声をかける。
「いつでもオーケーだ」
「じゃあ、せーので」
結局、何も為せなかった。なりたい自分にはなれなかった。
「もう、誰も」
ああ。なら、せめて。
「せーのっ」
願うだけでも。
「死なせな」
「えいっ」
高速で宙を舞う、炎を帯びた石に脳を穿たれ、ナオシゲは絶命した。
「よっし成功!」
「村の奴らの言ってたことが本当なら、こいつは治癒の天恵を持ってたはずだが。再生より早く死に至らせることができれば、殺すことは簡単だったな」
「だから言ってるでしょ。僕たちは最強だって」
「さて。神サマからのお願いは終わったけど、この後はどうなんのかな~」
「この病院の中、なんか良いもんないか探そうぜ」
「おっいいね~! 小さいとはいえ病院だし、金いっぱいあるんじゃね!?」
3つの部屋を物色しだす3人。惨殺を遂行した高揚感で、じわじわと訪れる異変に気付かなかった。
最初に異変を感じたのは、探知の男だった。
「痛てててて。腰が……」
「おいおいお前何歳だよ。ジジイじゃあるまい、し……」
炎の男の言葉が尻すぼみになる。
どうしたことかと念力の男が探知の男を見る。
「どうしたんだ? 何があ……っておい、お前、何だその腰」
「え? なんか痛いんだけど、どうなってるの?」
「骨付き出てんじゃん」
背骨が歪みながら突き出て、円を描いて腰に刺さっていた。
「え!? ちょっと、なにこれ! ってうわあ、お前も、頭、骨、飛び出てるよ!」
「へ? グフッ」
炎の男の頭蓋骨が棘のように頭から飛び出ていた。
「あれ? なん、これ……」
そう言いながら倒れる男。棘の骨は外側だけでなく内側にも伸びており、脳を刺し貫いていた。
次に倒れたのは、念力の男。筋肉が膨張し腹が裂け、内臓が破裂していた。
「なに? なんなの? ねえ2人とも、どうしガハッ」
喉の骨があらぬ方向に伸び、気道を潰し、脊髄を切断していた。
3人の男は、何の抵抗も出来ぬまま死んでいった。
何が彼らを殺したのだろう。
村人の生き残りが遠隔で能力を行使したのだろうか。それとも神を名乗る男が3人を切り捨てるために何らかの力で始末したのだろうか。
答えはそのどれでもない。
誰も彼らを殺していないのだから。
彼らは、「死んでしまった」だけなのだ。この病院に宿った強き念。
それが彼らの肉体を癒した。癒しすぎた。骨は以上成長で歪み、筋肉は自身が耐えられないほど膨張した。
その結果、死んでしまっただけだ。
強き念。「誰も死なせたくない」という、ナオシゲの思い。
この病院に宿ったそれは魂として、土地に天恵を与えた。
〈全傷完治〉。あらゆる傷を治す異能。
誰も死なせたくないなら、常に天恵を発動させていればよい。ナオシゲの意志を継いだ病院には、常に治癒の力が働いている。
そうして小さな病院は、天恵を宿した土地、『魔境』へと成った。
常に命を廻すために。
『廻る命』